5. 白い少女と不器用な王子
アリアに初めて会ったのは、ちょうどカイルが母を避けるようになった頃だった。
誰にも見つからないように、今いる王城の庭の隅っこで本を読んでいると、不意に話しかけられた。
「そんなところで何しているの?」
顔を上げると、透き通った青い瞳がこちらを見下ろしていた。銀髪に白のワンピースを着ていたので、第一印象は白い人だった。
「見てわかるだろ」
隠れている手前、あまり人と話したくない気分だったので吐き捨てるように言ってしまった。
「どうしてこんなところで? あなたの住む王城には、大きな書庫があるはずだけど。あ、わかった。授業を逃げ出してきたのね?」
どうやら、この少女は自分のことを知っているようだった。
しかし、カイルは彼女のことを知らない。
「あ、私はアリア。クラリス家の長女よ。初めまして」
クラリスといえば、この国でも有数の貴族だ。
そういえば、父が今日は友達が来て、大事な話をすると言っていた。クラリスのことだったらしい。
「………初めまして、カイルだ」
「挨拶は返してくれるのね。無愛想だって聞いているけれど、噂は当てにならないものね。それとも、私と年齢が近いから? 大人が嫌いなだけなのかしら」
それを本人の目の前で言うのはどうなのだろうか。
まあ実際、挨拶をされても軽く流すことが多いので、間違ってはおらず否定もできない。
アリアに挨拶を返したのはただの気まぐれ。
もしくは彼女の綺麗な青の瞳に魅入られたからなのだろうか。
「これ何の本? 医学についてかしら。興味あるの?」
「ただの暇つぶしだ」
「へー。さすが天才ね」
腹が立った。
誰が天才? 天才が魔法を暴走させ、母を怖がらせるとでも?
急激にこの少女と話をしたくなくなった。
カイルは立ち上がり、ここから立ち去ろうとすると、手を握られた。
「わわっ。ごめんなさい。天才って言われるのが嫌だと知らなかったのよ。もう言わないから、少し私と話さない? しばらく暇なのよね」
「天才と凡人が話などできると思うか?」
カイルは天才と呼ばれた腹いせで、意地悪なことを言ってしまう。
「私は天才ではないけれど、バカでもないわ。だから、話をしましょう。きっと楽しく過ごせると思うわ」
「………」
何故かカイルは、握られた手を振り解く気にはならなかった。
それが彼女との出会いだった。
次の日、アリアはまたここに来た。
「おい、暇なのは昨日だけじゃなかったのか?」
「あら、そんなこと言ったかしら? 全く覚えていないわ。大丈夫よ、あなたが迷惑だと言っても私は帰らないから」
「何が大丈夫なんだ? 最悪の宣言だろうが」
「そう? でもあなたは思ってもいないことを言って、一人になっちゃうタイプでしょ? 反対に、私は何を言われてもここに来るわ。相性がいいと思わない?」
「思わない。本当に迷惑だったら、遠慮せずに言うからな」
「今日はおいしいお菓子を持って来たの。一緒に食べましょう。私のお気に入りのお店のものだから、期待していいわよ」
カイルの言葉を無視して、持ってきたお菓子の入った紙袋を開け始めたアリアに、カイルはため息をついた。
「甘いものは苦手だ」
「それは大変ね。早く克服して、好きになってもらわないといけないわ」
「いや待て。何で俺がお前に合わせないといけないんだ。お前が合わせろ」
「どうして私が我慢しなくてはならないのよ。むしろ、あなたの苦手を克服する手伝いをしてあげるって言ってるのだから、感謝して欲しいくらいだわ」
「誰だこんな図々しくてわがままに育てたやつは」
「あ、母上の悪口は許さないから」
「………」
そのままアリアのペースに乗せられて、カイルは甘いお菓子を食べさせられた。
それから、彼女の努力?があってか、カイルは甘いものが苦手ではなくなった。
あれ以来、彼女はほとんど毎日ここに来ている。
「今日はどこに行きたい? あなたに決めさせてあげるわ」
いつもは何をするか、どこに行くかはアリアが決めていて、カイルはそれに従うのみであった。
カイルに意見を求めるのは、彼女にしては珍しい、本当に珍しい、どころか初めてのことだった。
「それなら、……いや、やっぱりお前が決めろ」
カイルは何かを言いかけて、途中でやめた。
頭に思い浮かぶものはあったが、どうしても行きたいと言われたらそこまででもない。
わざわざ口に出す必要はないだろう。
「何よ。何か言いかけてたじゃない。最後まで言いなさいよ。行きたいところがちゃんとあるんでしょう?」
「いや、特にない」
「望みは口に出さないと叶わないわよ」
確かにアリアは、あれがしたいこれがしたいと毎日口に出している。少しは彼女を見習うべきだろうか。
いや、王子がそんなことをしていてはダメだろう。
国のために生きよと、父からも言われている。
カイルはその言葉は好きではなかったが、そういうものだと受け入れている。
「大丈夫よ。大丈夫」
アリアは黙るカイルを見て、大丈夫と繰り返した。
何が大丈夫なんだろうか。
「望みくらい言ってもいいのよ。口にした上でどうするかは、その後に考えればいいのよ」
なるほど。それはそうかもしれない。
「今街に、隣国から演劇団が来ていると聞いた。その国を舞台にした劇をしているそうなのだが、それを見てみたいと少しだけ思った」
「いいじゃない。私も見てみたいわ。早く行きましょう!」
「いや、どうするか考えるんじゃないのか」
「そうね。考えて結論が出たわ。今日行く。今から行くわ。あなたが何と言おうと私は決めたわ! さ、早く。時間は有限なのよ」
アリアはカイルの手を引っ張った。カイルはアリアの強引さに、開いた口が塞がらなかった。
しかし、その日見た演劇は新鮮で興味深く、面白かった。シナリオも演出も演奏も、そのどれもが驚嘆に値した。
世の中にはこんなものがあるのかと、本を読むだけでは決して味わえないような感動があったのだ。
アリアも楽しそうに目を輝かせていて、見て良かったと、見たいと言って良かったと思った。
「ねえ、どうだった?」
隣で、アリアが顔を覗き込んでくる。その瞳は、舞台の灯りを映したように輝いていた。
「………悪くなかった」
「素直じゃないわね」
「………すごく、悪くなかった」
「ふふ、それは良かったわ」
カイルは、胸の高鳴りを押さえながら、ぼんやりと思った。
いつか自分にも、誰かの心を、こんなふうに震わせることができるだろうか。
それからは、アリアがカイルの意見を聞いてくれるようになった。その頻度は決して多くはないけれど、それくらいがカイルにとっても心地よかった。
そんな彼女との毎日は、面倒で、鬱陶しくて、うるさくて。
楽しかった。
カイルは王子だった。
そして、生まれながらに天才だった。
だから、孤独でもあった。
「お前にとって、俺は友人か?」
なぜそんなことを聞いたのか、カイル自身不思議だった。
隣にいるアリアは、すぐに答えた。
「そうね。一番仲の良い友人だと言ってもいいわ」
「……お前ぐらいだな、俺のことを友人だというのは。そう言ってくれるのは」
それは、カイルの初めての弱音だった。
そんなカイルに、アリアは何も言わなかった。
「最近、俺はお前以外、話すやつがいないことに気づいた」
父も兄も忙しく、母とは気まずくなってしまった。それ以外の城の人間は他人も同然で、すれ違っても頭を下げられるのみである。
アリアのような貴族の子供からも遠巻きにされていて、ただの民衆は言わずもがなである。
彼の持つものはどれも大きすぎるのだ。
この国で一番の権力と財力、そして、ずば抜けた頭脳。卓越した魔法の技術と、挙げ出したらきりがない。
「俺が天才だと呼ばれる人間だから、こうなってるのかもしれないと考えることがある」
人と違うから、友人ができない。
一度で理解できてしまうから、学ぶ楽しみがわからない。
何事も誰よりもできてしまうから、達成感がない。
「こいつがいなければと、何度思ったことか」
『天才』がカイルの中に棲みつかなかったら、こんなにつまらない人生ではなかっただろう。
「だから嫌いだ。天才と呼ばれることも、天才である自分も、大嫌いだ」
アリアは何も言わない。
「感想はないのか?」
「欲しいの?」
「ああ、欲しい。俺は間違っているか?」
「間違っていなどいないわ。そう思うことは正しい感情よ。………でも、向き合う必要はあると思う。それはカイルとは切り離せないものだから。………今じゃなくてもいい。いつかでいいのよ。いつか、そんな自分と向き合って、認めて、愛してあげられるようになったらいいわ」
そんな時が来るだろうか。
カイルにはいつになっても自分を愛せるようになる気がしなかった。
「だからそれまでは!」
いきなり大きな声を出したアリアに、カイルは驚いて彼女を見た。
そして、輝く綺麗な青い瞳に目を奪われた。
「私が代わりに、そんなあなたを認めて、愛してあげるわ。頭が良くて、何でもできるってすごいことじゃない。もっと誇ってもいいのよ。あまり嫌ってあげないで。せっかくのあなたの長所が可哀想じゃない。私はそれも含めて、カイルが好きなのよ」
カイルは急いで、アリアの瞳から目を逸らした。
何故かこれ以上、見ていられなくなったからだ。
「カイルでも一人は寂しいと感じるのね」
少し意外だわと、アリアは笑う。
「……そうだな。今はお前がいるが、いなくなったらおそらく寂しくなる」
友人もおらず、追い越す対象も、目指すものもない。
つまらない人生だ。
「大丈夫よ。大丈夫」
アリアはカイルの手を握って、大丈夫と繰り返した。
何が大丈夫なんだろうか。
「いつか私が、あなたを天上から叩き落としてあげるわ! そうすればあなたは、一人じゃなくなるでしょう? カイルを一人ぼっちのままにはしないと約束するわ」
馬鹿みたいな話だ。
雲の上の存在を、皆のいる地上に叩き落とすのだという。
しかし、なんとも痛快で、衝撃的だった。
そんな言葉に少しでも救われた気持ちになったのだから。
この時のアリアの自信満々な顔を、カイルは今でも覚えている。
「叩き落とすって具体的にどうするんだ?」
「それは、……そうね。えっと、例えば何か一つでも、私があなたに勝つというのはどうかしら?」
「無理だろ」
即答してしまった。
カイルは、自分がアリアに何か一つでも負けている姿が想像できなかった。
「何よ。それはやってみないとわからないでしょ?」
顔を赤くして、ぷいっとそっぽを向いたアリアを見て、カイルは笑ってしまった。
我ながら意地悪なことを言ってしまった。
しかし、仮に彼女の言ったことが達成できなくても、カイルにとってはそう言って慰めてくれただけで十分だった。
そして、その日を境に、彼女はここに来なくなった。




