4. 発端は約束
カイルとアイボが、アリアの様子を見に行った翌日。カイルはまた、一人であの庭にいた。
今日は空の調子が悪く、一雨来そうであったが、そうなったらそうなったである。
静かなこの場所は心を落ち着かせるのにちょうどいいのだ。
そう、邪魔さえ入らなければ。
「やあやあカイル君。待った?」
「待っているように見えるか?」
「うん」
「とんだ節穴だな」
「まあまあ。でも暇そうではあるね。そんな君に朗報があるんだけど、聞きたいかい?」
「何についてだ?」
実は王にならなくてもよくなったというのであれば、確かに朗報だ。というより、カイルにとっての朗報はそれくらいしかない。
「君の婚約者についてだよ。あの後、ずっと見ていたんだけど、」
「聞きたくないな」
アイボの言うように、一度会って確かめたのだ。
もちろん実際に会ったとは言えないけれど、この目で見た。
高級そうなドレスに身を包み、権力に物を言わせて平民を黙らせ、高圧的な態度で好き勝手していた彼女を。
わがまま姫。そう呼ばれているのも納得である。
「そう言わずに聞いてよ。本当に朗報なんだって。実はあの後、」
「久しぶりね、カイル」
カイルは目を見開いた。
目の前に、わがまま姫がいたからだ。
アリアは昨日とは違い、白を基調としたドレスを着ていた。
カイルは嫌でも昔を思い出してしまう。初めて会ったときの彼女も白い服を着ていて、カイルの中でのアリアのイメージは白だからだ。
「誰かと話しているあなたの声が聞こえた気がしたのだけど、気のせいかしら?」
そういえば、アイボは自分以外見えないのだった。彼女には一人で喋っている怪しい人に見えたことだろう。
アリアはこちらにすたすたと歩いてくるが、昨日見たこともあって、彼女と話したいと思わなかった。
無視をしてこの場から去ろうとした時、アイボに会って話せと言われたことを思い出した。
話したところでアリアのイメージが好転するとは到底思えないが、約束は約束である。
「嘘つきのわがまま姫が、何しに来たんだ?」
しかし、口から出たのは話をする気のない攻撃的な言葉。
カイルはアリアに嫌悪感を抱いているのだから、それも仕方ない。
「あら、馬鹿にしているつもりかしら? 別に私、わがまま姫っていうあだ名は嫌いじゃないわ。ちょっと可愛いじゃない」
それがまるで本心かというように、彼女はニッコリ笑った。
自分が陰でわがまま姫だと囁かれていることは、彼女も気づいているらしい。
「お前の好みは聞いてない」
「少し会わない間に冷たくなったのね。残念だわ、昔はもっと友好的に接してくれていたのに」
「残念なのは俺のセリフだ」
昔はよく一緒に遊び、友人になり、婚約者にまでなった。
それが今や、悪名高いわがまま姫である。
「そんなことより、何しに来たのかと聞いている」
「ちょっとあなたに確認したいことがあるのよ。その返答次第であなたを手助けできるかなって思って。手紙を出していたのに、あなたは無視するんだもの。埒があかないから、直接来てあげたのよ。感謝してほしいくらいだわ」
手助け? 感謝? 笑わせる。
「感謝なんてするわけがないだろ。俺が助けを必要とすることなんてないからな。あったとしても他を当たる」
「ひどいことを言うのね」
「ひどいことをしているのはお前だろ」
「もしかして私の悪い噂を信じているのかしら? 私の知ってるあなたはもっと賢かったと思うけれど。やっぱり残念ね」
「それはお互い様だな」
昨日、彼女の様子を直接見たのだ。噂は何も間違っていなかったではないか。
「………まあいいわ。言い合いをしに来たわけではないもの」
全く納得していない表情だったが、アリアは引き下がった。
アリアの言う確認したいことはおそらく、俺が王になった後の彼女の立場だろう。
俺とアリアは婚約者だが、もうずっと疎遠なのだから。
確かに重要な話であるが、あまり深く考えたことがないため、それに対する回答は用意できていない。
いっそ、父が勝手に決めてくれた方がありがたいのだが。
「本題に戻らせてもらうけど、あなた、どんな王になりたいか、王になってから何をしたいか、何をするつもりかとかの展望はあるのかしら?」
アリアの質問はカイルが予想していた内容とは随分と違った。
正直なところ、拍子抜けである。
そんなくだらないことを気にしてわざわざ訪ねてきたのか。
そんなものはない。仮にあったとしても、それをアリアに伝えて何の意味があるのだろうか。
率直に言って、彼女には関係のないことだ。
とはいえ、思ったことをそのまま伝えてもまた言い合いになるだけだろう。ならば適当に答えて、さっさとお引き取り願おう。
「なんだ、そんなことか。安心しろ。立派な王になってやるよ」
「今適当に答えたでしょ。本音は?」
意外と鋭い。昔よく話していただけはある。
「………別に、そこまで適当でもない。それなりにちゃんと立派な王をするつもりだ。兄貴ならやっていたであろうことは俺もできる。これで満足か?」
「もっと具体的に、こういうことをするつもりだとかは?」
「特にないな」
「本当にそんなことでいいの?」
こいつは何が言いたいのか。
俺に王としての資質があるか確かめているのか?
なぜ? 何のために? 誰のために?
不服なら、代わってくれないだろうか。
いい加減面倒になってきた。
「ダメなのか? それなりにやるって言ってるだろ」
「そうじゃないわ。あなたにはやりたいことが、叶えたい願いがあるはずでしょう? それはもういいのかって聞いているのよ」
不意に、胸の奥底に必死に隠した、最も暴かれてはいけないものを、不躾に触れられた気がした。
不愉快極まりない。
「願い? そんなものはない」
動揺を悟られぬように、努めて冷静に声を出した。
「嘘よ。私にはわかるもの」
「勝手なことを言うな。ないものはない」
「望みは口に出さないと叶わないって昔言わなかったっけ」
「そうか? 俺の知る限り、口に出しても叶わない願いの方が圧倒的に多い」
口に出した程度で叶うのなら、今この場でいくらでも叫んでやる。
「あるのね? 願いが」
「………」
「教えてくれるかしら」
「………」
「教えてくれるまでここから動かないわ」
「勝手にしろ」
本当の願いは言えない。
言えるわけがないのだ。
カイルの立場では言ってはいけないことだから。
言ってしまうと、せっかく胸の底にしまい込んだものが溢れて止められなくなってしまいそうだから。
「どうして教えてくれないの?」
「お前には関係ないからだ」
「あるわ。友達じゃない、私たち。やめた覚えはないのだけど」
「友達? 今更何を言っているんだ? そんな関係はとうになくなった」
「………じゃあ婚約者でいいわ。私たちは手を取り合っていくべきでしょう? 手を貸してあげるって言っているのよ」
相手の見当違いで愚かな考えに笑いそうになった。
「思い上がりもいい加減にしろ。今更、お前ができることは何一つありはしない」
「それこそ思い上がりね。あなた一人で何でも解決できるというのは間違いだわ」
「それはそうかもしれないな。でもお前の助けは必要ないと言ってるんだ。それで? 話したいことはそれだけか?」
「そうだけど、まだ、」
「だったらお前と話すことはもうない。ここから出ていけ」
「嫌よ。だってまだ願いを聞いていないもの」
「しつこい」
「………」
「………」
その場に沈黙が降りた。
カイルはもう会話をする気はないと言わんばかりに、横の本を手にとって視線を落とした。
アリアは立ち去る様子はなく、目の前で立ち尽くしていた。
彼女が今一体何を考えているのか、文字を追いながらそのことばかりが頭をよぎる。
きっと怒っているのだろう。顔を見たわけではないが、そうであろうことは想像できた。
本を読む振りをしているカイルに彼女の視線が突き刺さる。
「あの時から、何も変わっていないのね。いいえ、むしろ悪化しているわ。よくそれで、この国の王になろうと思えるわね」
その声色は、さっきまでと違い、怒りと嘲りを含んでいた。
彼女の言うことは全く同意である。
しかし、カイルとてなりたくてなるわけではない。
聞こえない振りをして、カイルは本のページを捲った。
「そんなことで、王が務まると思う? 私を含め、誰もあなたについて行かないわよ」
それも全く同意である。
しかし、それで何の問題もない。
カイルは天才なのだ。一人でも上手くやれる。
聞きながら、カイルは本のページを捲る手を速めた。
「あなたのお兄さんもお兄さんよ。いい国にしたいと言っておきながら、何も為せずに死んだ愚か者よ。口だけでいいなら、楽なものね」
ページを捲る手が止まった。
「………兄貴は関係ないだろ」
「あら、聞いていたのね? どうしたの? 何か間違ったこと言ったかしら?」
馬鹿にするように見下し、兄を嘲笑する彼女を見て、心が怒りに染まった。
カイルは兄のことが好きだったんだと、このとき初めて気づいた。
「兄貴は、俺とは違い、必死に努力をしていた。お前も見ていたんじゃないか?」
きっと、苦労しただろう。
何せ、弟が天才である。周りに比べられ、大きな劣等感と、とてつもない重圧に押し潰されそうになってきたはずだ。
しかし、兄が泣き言を言っているのをカイルは見たことがない。カイルに対しても、嫉妬することなく優しく接してくれた。
カイルの尊敬する二人のうちの一人だった。
もう一人は、今は見る影もないアリアである。
「ええ、見ていたわ。でも死んだじゃない。それであなたに重荷を背負わせることになったじゃない」
「ああそうだな。そこに関しては俺も恨んでいる。でも決して愚かではなかった。お前と違ってな」
「私が愚か? 身に覚えがないのだけど」
「それこそ愚かだな。世間からわがまま姫と馬鹿にされ、クラリスの財産を使い潰し、権力で民を脅しているお前が身に覚えがないとは、笑わせる」
「そんなものを信じているなんて、愚かなのはあなたじゃない」
「信じているもなにも、昨日見たからな。似合いもしない豪華な赤いドレスを着て、民を脅しているところを。その濃い化粧と、きつい香水の匂いだって誰に教わったんだ? お前の母か? センスを疑う」
そう言うと、アリアの余裕の表情が少し崩れ、笑みがなくなった。
「……母上の悪口は許さないわ」
「先に兄貴を侮辱したのはお前だろ。もう顔も見たくない。ここからさっさと出ていけ」
「いいわ。出てってあげる。あなたの願いを聞いたらだけど」
「は?」
なんでそんなものにここまで執着するのか全くわからない。
今さっきカイルとアリアの関係は破綻したのだ。
彼女だって、もうカイルとは話したくないはずだった。
「よくこの流れで教えてもらえると思ったな」
「いいじゃない。それを聞いたらお望み通り消えてあげるわ。破格の条件だと思うけど」
「もう会わない人間に教えて何になる」
知られるわけにはいかない。
口に出すわけにはいかない。
「会わないのならむしろ何も問題ないでしょ」
「帰れ」
「教えてくれるまでここから動かないって言ったわよね?」
もう、勘弁してくれ。
「言わないなら、当ててあげましょうか?」
「………」
「あなたの願いは、あなたが本当に欲しいものは、」
「黙れ!!」
限界だった。
「カイル! よせ!」
目の前で、血飛沫が舞う。
魔法が発動する直前、アイボが叫んでいたのが聞こえた。
あ。
息が止まった。
時間が、空間が止まった。
やってしまった。
またやってしまった。
この光景は過去に一度見た。
魔法が暴走し、母以外の全てを切り裂いた痛ましい事件。
しかし、あの時とは違う。
あれは母を守るためにしたことで。
今回は自分を守るためにしたことで。
それもここまでする必要などなかったはずだ。
あの時は、どうなったんだっけ?
無惨に荒れ果てた部屋に、バラバラに切り刻まれていた死体があって。
そして、化け物を見るかのような母の瞳。
それから、カイルは母を避けるようになって。
一人ぼっちになって。
逃げるようにこの場所に来て。
アリアと出会った。




