3. 透き通った青い瞳
カイルは王城から離れ、街を歩いていた。
目的地はあのわがまま姫、アリア・クラリスがいるクラリス家の邸宅である。
街に出るのは久しぶりで、意外にも胸を躍らせていた。なんてことはなく、普通に顰めっ面で歩いていた。
カイルは顔を隠しているわけでもなく、服もそのままなので、街を歩く人間は彼を見てぎょっとし、頭を下げる。
この光景こそが一国の王子としての彼の権力、その象徴だ。
こんなふうにされるのも、慣れたものである。
「流石に、着替えてくる方がよかったかなあ」
「何か問題か?」
「問題だと思っていないことが問題かもね」
「馬車を使っていないだけでもありがたいと思え」
クラリス家に行くのに初めは馬車を使おうとしていたカイルを、アイボが止めたのだ。
「あんな目立つもの使えるわけないでしょ? 何か一大イベントでもあるのかと勘違いされるよ。それに、君は次期王様なんだよ? 目立てば目立つほど危なくなるんだ。敵国の刺客がいたら格好の的だね」
「俺なら上手く対処できる。襲ってきてくれたほうが、刺客の数を減らせて効率的だな」
「そうかもしれないけれど、君は早死にするタイプだね。天国の兄もこんなに早く君と再会するのはかわいそうだよ。やっと君と離れられたのに」
「まるで俺が兄に嫌われてるみたいだな」
「違うのかい?」
「さあな、アイボはどう思うんだ?」
「君の兄がどう思っているかなんて僕が知るわけないよね」
「それもそうだな」
道中の暇つぶしにカイルとアイボは軽口を叩き合う。
基本的にはカイルにフレンドリーに接してくれた兄であるが、内心どう思っていたかなんてわかるはずもない。
まあおそらく嫌われてはいなかった。
「ところで、どうして君は婚約者と会ってあげないんだい?」
「俺が会わないんじゃない。あいつが会いに来なくなった」
カイルとアリアは、昔はほとんど毎日一緒にいて、二人で色々なことをした。しかし、彼女は突然会いに来なくなった。
「なぜだい?」
「知らん。俺のことが嫌いになったんじゃないか?」
「ははっ。それはあり得るね」
「帰っていいか?」
「おっと失礼。……でも聞いたところによると、ここ一年くらいは手紙を貰っているそうじゃないか、時間がないかって」
一体誰に聞いたんだ。
そのことを知っているのはカイル以外に、死んだ兄と、あのピシッとした格好の側近だけである。
「なるほど。帰ったらマルクを問い詰めないとな」
「おっとっと。違うよ。僕は何でも知っているんだよ。彼を責めるのはお門違いさ」
「相変わらず、便利な設定だな」
「まあね」
ちなみに今のアイボの姿は小鳥である。カイルの肩に乗っているのだが、全く重みを感じないから違和感がすごい。
「で、どうして会ってあげないのさ? 時間はあるでしょ? 毎日あそこで惰眠を貪っていたわけだし」
「世間から、わがまま姫と呼ばれているからな。会う価値がなさそうだった」
「うーん、噂で相手を決めつけるのはどうかと思うよ。一度会って本当かどうか確かめるくらいのことはしたら良かったのに」
「そういう噂が立つってことは、少なからずそういう一面があるってことだ」
「でも全くの事実無根かもしれないよ?」
「ああ、そうだな。でもそうだとすればなぜ、噂を放置している? 何故否定しない? 根も葉もない噂だったら否定すればいいだけだ。それからもう二度とこんな噂を広められないように、その出鱈目の出どころを徹底的に叩き潰すべきだ。あいつのクラリス家ならそれが可能なはずだ」
クラリス家はこの国の貴族の中では最上位の良家だ。彼らよりも上があるとすれば、カイルら王家のみである。
ところが最近では、そのクラリス家も困窮して落ちぶれていると聞く。
それすらアリアのせいなのではと、カイルは疑ってしまう。
「そう言われているのを全く知らない可能性はない?」
「愚鈍な奴も嫌いだ」
「そんな噂、気にしていなくて放置しているとか?」
「非効率だな。自分の悪い噂などあっていいものではないからな」
「有名にはなれるけどね」
「そんなことしなくてもあいつの名を知らない奴はいない」
アリアはこの国の王子の婚約者で、クラリス家のお嬢様である。
「他に何か理由があるかなあ?」
「理由を無理やり作らなくてもいいだろ。どちらにしろ、俺とは考え方が合わない。会ったところで、たぶん喧嘩になるだけだろうな」
「なんか、怒ってる?」
「俺は昔のあいつを知っている分、残念だと思ってるからな」
「ふーん。実際はどんな感じなんだろうね。僕は会うのが楽しみになってきたよ」
「会ったところで、お前話せんのか?」
「無理だね。まあ会ってみたいというより、彼女に会った時の君を見てみたい、と言ったほうが正しいかな?」
俺は観察対象か。
その時、前方から何やら言い合いをしているかのような声が聞こえてきた。
場所は孤児院の前。若い女と、二人の老人の声だった。
若いのは、豪華なドレスに身を包み、濃い化粧をしていた。そのせいか人の顔を覚えるのが得意な王子は気づくのが遅れた。
彼女は今日の目的である自身の婚約者、アリアだった。
その容貌はもうほとんど面影を残していないが、透き通った青い瞳に、輝く銀髪が彼女であることを象徴していた。
幼い頃に、美しいと思った彼女の瞳は今も健在で、銀色の髪は肩につくくらいの長さだった。昔はもう少し長かったのを覚えている。
そんなアリアが着ている豪華な赤いドレスは、相手に威圧感を与えるだけで、全く似合っていなかった。
二人の老人は、どちらも涙を流していて、男の方は薄い白髪頭を地面に擦り付けていた。
「何を言っても無駄よ。いくら私の機嫌を取ろうとも、気が変わることはないわ」
「そ、そんな。どうか、どうかご慈悲を」
「慈悲? お前程度に与える慈悲なんか、私は持ち合わせていないわ」
「私にも家族がいるんです。私がいなくなったら、子供たちは一体どうすれば?」
「そんなこと私の知ったことじゃないわ」
男の必死の懇願も、アリアは取り付く島もない。
地面に這いつくばる男を、彼女は侮蔑の目で見下していた。
「それと、また同じようなことが起きても困るし、ここは私のものにするわ。いいわよね?」
彼女は同じく涙を流している女の老人に尋ねた。
「……それは一体どういう意味で?」
「言葉通りよ」
「子供たちはどうすれば?」
「好きにしたら?」
女の老人は呆然と固まった。
その場は、絶対的な権力者が支配していた。
一方的に言われている側も、彼女が下す沙汰を黙って受け入れるしかないのだ。
逆らうものなら、反抗しようものなら、権力に殺されてしまうかもしれないからだ。
アリアはお付きの若い男を流し見る。
「ジョニス、聞いていたわね? 一日もあればできると思うわ。後頼んだわよ」
「……はい」
ジョニス、と呼ばれた男は不満そうに小さい声で返事をした。彼女は彼の様子をじっと見たが、何かを言うことはなかった。
「何? 聞きたいことがあるなら、手短にしてちょうだい」
「……いえ、仰せのままに」
「そう? それじゃ私はそろそろ行くけど、……」
その様子を民衆たちは遠巻きに眺めていた。その中に、カイルらの姿もあった。
「今日はちょっと、タイミングが悪かったみたいだね?」
アイボもこんな場に鉢合わせるとは予測していなかったのだろう、心なしか焦っているように見えた。
「そうだな。もう帰っていいか?」
カイルはアイボに尋ねた。
その声色は怒っているわけでも、呆れているわけでもなかった。ただ何の感情も込められていない。
「そうだね。ちょっと早いけど、解散にしようか。僕は少し、様子を見てから帰ることにするよ。いいかい?」
「好きにしろ」
なんとも嫌なものを見た。
これでは噂に聞くわがまま姫そのものじゃないか。
その光景は悪い噂を肯定するのに十分だった。
二人はそこで別れ、カイルは一人、帰路についた。




