推し帰る
アニメワールドフェスに帰ってから、推しとの間に心の壁があるような気がした。
それはお互いの考えの違いによるものでもあり、本心を伝えることへの恐怖による心の壁でもあった。
そしてアニメワールドフェスの次の日である三月二十九日。
学校は春休みに入り休校中であり、バイトも店長が珍しく気を利かせてくれたのか月が変わるまで連休だ。
珍しくすることもないし、何もすることが思いつかない。
明鏡刀花をプレイしようにも、俺の推しはゲームの中にはいない。
推しは部屋にに入ったきり昨日から出てこない。
部屋にいる推しに声をかけようにも、なんて声をかけようか思い浮かばない。
考えがまとまらず、何もしないでいると時間はもう昼の十二時になろうとしていた。
「どうするかな〜」
部屋のソファ天井を眺めていると、栗色の髪が視界の端に映った。
「奏殿。少しよろしいですか?」
突然推しの顔が目の前に現れた。
「桃!?」
突如現れた推しの顔に驚いて起き上がったため、桃の顔に俺の額が直撃した。
「いてぇ・・・ごめん! 大丈夫か? 桃!」
「大丈夫です。奏殿、すいません私が急に声をかけたから」
「いや急に起き上がった俺が悪いんだ」
桃は鼻を押さえていたが、鼻血は出ておらず痛みが治ったのか鼻から手を離した。
鼻に赤みはなく、推しを傷つけなくてよかったと胸を撫で下ろした。
「で、何か用? 桃」
「はい・・・奏殿少し外に探索に行きませんか?」
「探索?」
「はい、そうです探索です」
推しは造花のような笑みを俺に見せた。
***
四月が間近な外は春風が心地よい空気を運んできていた。
春休みの昼間なだけあって、俺と同世代かそれより下の中学生や小学生が自転車でどこかに出かけて行く。
俺と推しは道の端に寄りながら、無言で歩く。
話をどう切り出せばいいのか。
何を話せばいいのかわからない。
難しく考えているせいなのか、頭の中は推しがゲームの中に帰るのかどうかという疑問と不安しか浮かんでこない。
そんなことを考えていると突然ぐぅーという音がした。
推しの方を見るとお腹を抑えて恥ずかしそうに笑みを浮かべていた。
「・・・奏殿、お腹が空きましたね。どこかで腹ごしらえでもしましょう」
「そ、そうだね。どこか近くの店ないかな」
俺がスマホで近くの店を検索しようとすると、推しはスマホの画面を手で覆い隠した。
そして近くにある建物を指差した。
「奏殿。あそこにカフェがありますよ。あそこで昼食を食べましょう」
推しの指差した方向には街中にある変哲のない個人経営のカフェだった。
店の前にはメニューボードが置いてあり、ナポリタンなどおすすめが書いてあった。
「行きましょう。奏殿」
「え、うん」
推しに手を引かれカフェに連れて行かれると推しはカフェの扉を開けた。
カランカランとベルの音がなると、店内には初老の男性の店員が出迎えてくれた。
初老の男性の見た目は、灰色の混じった白髪と落ち着いたような雰囲気をかもしだす表情、眉には切り傷のような傷跡がある。
まるで昔やんちゃしていた人が足を洗って余生を過ごしているような、そんな印象を受ける。
カフェの中を見渡すとほのかに明るい店内の中には客がおらず、落ち着いたジャズのような音楽が流れていた。
「いらっしゃいませ・・・何名様ですか?」
「二人です」
推しはピースサインのように指を見せるとカフェの店員は朗らかな笑みを見せて案内してくれた。
「こちらにどうぞ」
案内された席は何故かテラス席だった。
店内の中からテラス席に繋がっており、目の前には手入れされた花や木々が広がっていた。
明るい外の日差しは心地よく、まるで別世界に迷い込んだようだった。
家の近くにこんな場所があるなんて知らなかった。
店員が水を持ってくると、推しが店員に声をかけた。
「聴きたいことがあるのですが、よいですか?」
「なんでしょう?」
「中央にあるピンクの花の木の名前はなんですか?」
推しが指の先には、庭の中央に鮮やかなピンクの花を咲かせた木があった。
桜よりも色が濃く、桜の木よりも小さく見える。
「あれは桃の花の木ですね」
「桃の花?」
「そうです。私は桃の花言葉が好きでしてね、あの木を庭園の中央に植えたのです」
「桃の花言葉ってなんですか?」
「桃の花の花言葉はチャーミングや気立の良さ、天下無敵、そして私はあなたのとりこ・・・と言った意味がありますね」
「な、なるほど」
推しは桃の花言葉を聴いて動揺していた。
自分の名前を関する花言葉の意味を知らなかったようだ。
メニューを見て店員さんに注文すると会話のない静かな空間が俺と推しを包み込んだ。
聴こえてくるのは店内に流れるジャズのミュージアムだけだった。
カフェに入ったがいいものの、やはり何を話すべきだろうか。
「奏殿・・・聴いてもいいですか?」
沈黙を破るように推しが口を開いた。
「な、何?」
「私がいた世界のゲーム・・・明鏡刀花のステージで私が訊いたことを覚えていますか?」
「・・・・・・桃がゲームの中に帰ったら俺が寂しいかって話?」
「・・・そうです。私は何故こちらの世界に来たのか、どうやって帰るべきなのかわかりました」
「・・・え?」
「なので改めて訊きます・・・奏殿は私が帰ったら寂しいですか?」
推しは真っ直ぐな瞳で俺を見つめてくる。
本当の気持ちを言うべきなのだろうか。
だがしかし、それを口にしてしまっていいのだろうかと自分の中で矛盾した気持ちがせめぎ合っていた。
「・・・俺は桃にゲームの中には帰ってほしくない」
自分の率直な気持ちを口に出す。
嘘偽りのない、自分の思っている気持ちを。
自分が考えに出した答えを言葉にして推しに伝える。
「だけど・・・それは俺のわがままだとも思ってる」
推しは、いや東雲桃は黙って俺の言葉を聴き続ける。
「最初はずっと側にいてほしいと思ってた・・・誰かと過ごせたのが久しぶりだったから楽しかったし、好きな人と過ごせることがこんなにも嬉しいことだとは思わなかった」
東雲桃の表情は穏やかだった。
帰ることへの悲哀の表情も、帰れと言われて怒る様子もない。
ただ朗らかに俺に笑顔を向けていた。
望んでいた答えを聴くかのように。
「だけど俺の推しは・・・東雲桃は俺だけのものじゃない。もっとみんなから愛されるべきキャラだって気が付いたんだ」
目元が熱くなり、頬に熱い液体がつたっていることに気が付いた。
目から涙が流れていた。
「東雲桃はみんなに愛されて、みんなの推しになるべきだから」
言葉を言い終えると東雲桃は静かに頷いた。
「・・・・・・奏殿の気持ち、しかと受け取りました」
涙を手で拭うと、東雲桃はハンカチを俺に差し出した。
ハンカチで涙を拭くと、東雲桃の朗らかな笑みは崩れていなかった。
変わらず優しい目で俺を見つめてくる。
「奏殿での気持ちが聴けてよかったです」
その後料理を届けにきた店員は何も訊かずに、料理を置いて行くと会計まで俺が何も泣いている理由や、会話のことを追求してくることはなかった。
カフェを出た後、俺と東雲桃は遠回りをするように街中を歩いて帰路についた。
桜が咲き誇る道を歩き、商店街を通り、俺が通う学校を通りながら家へとゆっくり帰った。
歩いている最中、東雲桃は俺の手を握り離そうとはしなかった。
東雲桃の手から伝わってくる体温と手を握る力が心地よく感じた。
家に着く頃には日は傾いてきていた。
時刻は午後六時になろとしており、オレンジ色の夕日が部屋の窓から差し込んでくる。
家に入ると、リビングの前で推しが立ち止まった。
「奏殿・・・私が自分のレア度を示す星を訊いた時、一番の印だって言いましたがあの言葉に偽りはありませんよね?」
背を向けて顔を見せずに質問してくる姿はまるで不安なことを訊くように、真実を知ることが怖いように見えた。
「偽りはないよ。東雲桃は俺にとって一番の推しだよ」
「よかったです・・・東雲桃は奏殿に愛されて幸せですっ」
夕日に照らされた推しの目元にはオレンジ色に染まった涙が見えた。
「私がこちらの世界に来れたのは奏殿が私を想い続けたおかげだと想います・・・」
外の夕陽の日差しが少しずつ傾き、部屋に入る光が消えていく。
それに呼応するかのように、東雲桃の身体は薄いピンクの光に包まれていた。
「明鏡刀花を調べてわかったんです・・・私のキャラストーリーがあることを、それを見て私がこちらの世界に来たのは私と奏殿とのキャラストーリーなんだって」
ピンクの光は花びらは散るように崩れ東雲桃の体は形を失っていく。
「奏殿・・・レア度の低い私とのキャラストーリーは面白かったですか? 楽しかったですか?」
東雲桃言葉に俺は首を縦に振り頷いた。
「・・・うん、楽しかったよ。最高のキャラストーリーだったよ」
「よかった・・・奏殿。私のことをこれからも好きでいてくださいね」
言葉が終わるとともに東雲桃の体はピンクの光となって大気に溶けていった。
夕日が沈み、外はいつのまにか暗闇に包まれていた。
スマホを操作し、明鏡刀花を開く。
ホーム画面を見ると日本刀を携え、桜柄の着物を着たキャラが立っていた。
栗色の髪を揺らして俺に笑顔を向けている。
『主殿お待ちしておりました。鍛錬に行きますか? それとも素材を集めに探索にいきますか?』
ゲームの中の東雲桃からプログラムされたセリフが聴こえてくる。
いつも聴いていた癒される声なのに、画面の中に最も愛する推し東雲桃がいるはずなにの。
何故こんなに悲しみが込み上げてくるのだろう。
「・・・これでいいんだっ・・・これで・・・」
その夜涙が溢れて止まらなかった。
画面の中にいる推しを見ても、心の中にできた穴を埋めることはできなかった。
東雲桃の秘密その4
明鏡刀花の主人公のセリフは選択でセリフを選ぶため、ゲームの世界では無口な印象を受けていた。
しかし現実世界に来て主と話すうちに、主の内面を知り東雲桃中で主の印象はゲームの中にいた頃よりも変化した。




