推しに願いを
秋月生徒会長が一人暮らしを始めて三週間が過ぎた。
慣れない生活に四苦八苦しているようだ。
そんな大変な思いをしている秋月生徒会長だが、とても生き生きしていた。
自分でできることが増えていくのが嬉しいことや、新しい発見ができて楽しいらしい。
秋月生徒会長の家族は様子は見にこないものの、仕送りはしてくれているらしい。
なんだかんだで家族関係は良好なのかもしれない。
だが変化したことはそれだけではなかった。
秋月家から帰った次の日から栗島瞬鬼の姿が消えた。
一人暮らしを始めてから秋月生徒会長は廃工場に毎日通っている。
しかし、この三週間栗島瞬鬼は秋月生徒会長の目の前に現れることはなかった。
そうーー秋月生徒会長の目の前には。
「いい加減に秋月生徒会長と会ったら? 別れたカップルじゃないんだから」
季節は六月に入り、湿気が増え、雨が降ることが多くなった。
俺がいる河川敷に吹く風も生ぬるく、土の匂いが混じったような香りが鼻についた。
もしかしたら、もうすぐ雨が降るかもしれないが俺の隣にいるガラの悪い男は気にしていないようだった。
「・・・なんで」
「なんでって・・・秋月生徒会長、毎日廃工場に通ってるみたいだよ」
栗島瞬鬼は曇天に包まれた空を河川敷に寝転びながら眺めていた。
「・・・霞も一人暮らしを始めたし、あいつは自由だ。俺が関わったらあいつの心を縛っちまう。それに・・・」
「それに?」
「もしかしたら霞は俺が余計なことをしたと恨んでいるかもしれないし・・・」
「意外とナイーブなんだね」
「ナイーブじゃねぇよ!」
「アハハッごめん、ごめん」
アニメの中では威風堂々とし、冷静沈着な栗島瞬鬼に気弱な一面があることが意外だった。
アニメや漫画にもそんな描写はなかったが、もしかしたらこれが栗島瞬鬼の素なのかもしれない。
それかこの一面も『不良探偵栗島くん』の作者が考える栗島瞬鬼なのかも。
「・・・帰るんでしょ。自分の世界に・・・」
栗島瞬鬼は俺の言葉を聴いてもすぐに答えようとはしなかった。
確固たる根拠があるわけではない。
ただ栗島瞬鬼の表情がーー今の空のように曇ったその顔がゲームの世界に帰る前の桃の顔を思い出させた。
だから、どうしても訊かざるおえなかった。
「・・・あぁ」
栗島瞬鬼は曇った空を見ながら答えた。
「だから秋月生徒会長に会わないんでしょ? 心残りを残したくないから」
「フフッ・・・篠節奏、お前探偵の才能あるぞ・・・そうだ。俺はもうこの世界に思い残すことはない。だから元の世界に帰る、俺が主人公の世界にな・・・」
「・・・嘘だ」
栗島瞬鬼はやっと俺の顔を見た。
俺の一言に驚きの表情が隠せていなかった。
まるで自分の心を見透かされたように目を見開いていた。
「嘘じゃねぇ! 俺は本当に帰るつもりだ!」
「そっちじゃないよ!」
栗島瞬鬼が本当に自分の作品の中に帰りたいという気持ちに嘘偽りはないのだろう。
しかし、栗島瞬鬼がこのまま元の世界に帰れば必ず後悔することを俺は知っている。
「思い残すことはあるんでしょ? 秋月生徒会長と話したいんじゃないの?」
そうーー俺も桃と別れた時に後悔したから。
そして栗島瞬鬼の表情や、言葉の端々からその想いが溢れていたからだ。
「・・・どんな顔して霞と会えばいいかわかんねぇよ」
「こんな顔で会えばいいんじゃないですか?」
その言葉と共に栗島瞬鬼の顔を覗き込むように秋月生徒会長が現れた。
「うわぁ! 霞!? ってうわああぁぁぁぁ!!」
栗島瞬鬼は突然現れた秋月生徒会長に驚き、土手を転げ落ちていった。
秋月生徒会長は栗島瞬鬼の意外な一面を見たせいか、それとも久しぶりの推しの姿を見れたせいか楽しそうに笑っていた。
栗島瞬鬼は服に付いた土や草を払うと、土手を上がり秋月生徒会長の目の前に戻ってきた。
「何で俺の場所がわかったんだよ?」
「篠節くんが教えてくれました」
「篠節奏ぇ〜」
栗島瞬鬼の気持ちに踏ん切りがつかなかったため、秋月生徒会長に栗島瞬鬼の居場所を連絡したのだ。
このままだと栗島瞬鬼は一生秋月生徒会長と会わないだろうし、お互いに後悔が残るだけだ。
だからメンチを切るような鋭い眼光で俺を睨みつけるのはやめてほしい。
「・・・帰るんですか? 瞬鬼様」
秋月生徒会長の言葉に栗島瞬鬼は答えを返そうとしなかった。
その時雨が降り始めた。
沈黙を埋めるように雨音が俺達を包み込んだ。
「・・・あぁ」
「そうですか・・・」
栗島瞬鬼の短い返答を聴いた秋月生徒会長は寂しそうな顔をしていた。
秋月生徒会長の心境を表したように雨は強く降り始めた。
「私に新たな一歩を踏み出させてくれるきっかけを与えてくれて、ありがとうございました」
秋月生徒会長は突然頭を下げた。
突然の秋月生徒会長の行動に栗島瞬鬼は鳩が豆鉄砲を食ったようにポカンとしていた。
「私・・・瞬鬼様が現れなかったら、一生家から出れませんでした。瞬鬼様と出会えたから自分の力で生きていく決心がつきました」
栗島瞬鬼の心配は杞憂だった。
栗島瞬鬼が想像するような秋月生徒会長はこの世にいない。
今目の前にいるのは推しに出会って人生が変わった一人の女の子なのだから。
「・・・ハハッ、そうか・・・俺がしたことは余計なことじゃなかったんだな」
突如、栗島瞬鬼の身体が白い光を放ち始めた。
「・・・やっとあのお嬢様の気持ちがわかった気がするぜ」
白い光は稲妻のように細い光に変化し、栗島瞬鬼の身体を紐解くように散り散りとなって大気に消えていく。
身体がなくなり始めた栗島瞬鬼はどこか満足そうな表情をしていた。
まるで心に残った後悔がなくなったかのように。
「霞・・・途中で投げ出すような人生にするんじゃねぇぞ」
「わかってます瞬鬼様・・・」
「それが・・・お前の大好きな推しからの願いだ・・・」
「・・・はい」
雨が秋月生徒会長の頬をつたい、涙のように流れていく。
いや本当の涙なのかもしれない。
しかし、秋月生徒会長の表情に悲しさはなかった。
太陽のように眩しい笑顔をこの世界から去る推しに向けていた。
自分の世界に帰る推しに心残りを残さないように、笑顔で送り出すために、悲しそうな表情はしていなかった。
「じゃあな・・・霞。お前と出会えて本当によかった・・・ありがとう」
白い光は雨の中に溶けてなくなった。
梅雨が始まる前、五月の下旬。
栗島瞬鬼は自分の作品の中へと帰っていった。
一人の女の子の人生を変えて。
秋月霞の秘密その5
一人暮らしを始めてからバイトをしてお金を稼ぎながら勉学にも力を入れている。
休日には篠節奏の家で東雲桃に料理を教えてもらっている。
彼女がここまで頑張れるのは栗島瞬鬼と出会えたことが大きい。
人生初めてのバイト代は『不良探偵栗島くん』の漫画を買うために使った。




