40【姉がいたように、妹もいた筈だった】
どうやら私達の関係は、私自身が認識しているものよりも歪だった。
妹は姉である私の顔も声も覚えていなかったらしい。
ちょっと現実を受け止めきれない気がした。
いくら何でも、それこそ姉の事が心底どうでも良かったからだとしても、家族の顔も声も分からないなんて事、現実に起こり得るのだろうか?
「全て姉の企みなんです! でなければ、スキルが腐るなんて恐ろしい事起こる訳がないじゃないですか!」
さっき姉は万能じゃないって言っただろ。つじつま合わせで私を出すにしても、ミルディリア以外の誰からしても無理だと分かる事言うな。
もしや……スキルを腐らせる人間は脳味噌も腐っていると言う事かもしれない。
最早それは悪口ではなく、心の底からの不安だった。
「……ミルディリアさん、ちょっと貴女の姉の名前を言ってみてくれる?」
「アネットです!」
真顔で即答するな。しかも、アネットなんて姉って単語が入ってるからか。日本語じゃない世界なのにおかしいだろ。
寧ろ難易度の高いアクロバットな間違いを見せつけられ、貴族としての無表情ではなく、完全に私からは表情が抜け落ちてしまった。
私の家での扱いは所謂無視系の冷遇ではなかった。両親を始めとした周囲は、私に仕事を押しつける為に貴族の家としてはかなり狭い家の中で、毎日ガンガン私の名前を呼んでいた。
両親の側にいつもいる妹は私の名前を毎日聞いていた筈。
筈。
筈なのだ。
「……貴女の姉の名前は『クラウディア』ですよ」
「違います。姉の名前はアネッサです」
ミルディリアのわざとじゃない真顔に私は心底震えた。
私は十六年目にして妹の本性……出来を知ってしまった。これは両親よりも遙かに酷い。道理で伯母がミルディリアの教育に関して何も言わない訳だ。姉の名前も覚えられないような人間が貴族の家に嫁げる筈もなく……。
「巫山戯てるのか!」
まあ、姉の名前を覚えていないなどあり得ない事で、普通はそう考えるだろう。
怒鳴った神官だけでなく、見回すと結構な数の神官が心底不愉快な顔をしてミルディリアを見ていた。
「でも、だって……」
「殺した姉に汚名を着せようとしただけでも度し難いが、姉の名前を分からない振りをするのは論外だ! 恥を知れ!」
私も今や『クラウディア』ではないので、ミルディリアがこう言う人間だと説明し辛かった。
特に、理解出来ないと言う事を理解して貰うのは、結局諦めてと譲歩して貰う事に他ならない。
身内でも非常に腹立たしい事を他人に頼んでも良いのか、実に悩ましい所だった。
私が悩んでいる間にも神官達はミルディリアを責め、ミルディリア自身はちょっと涙目になるくらいで「私は悪くない。姉が悪い」と言い続けている。
今更だが、議場にいる神官達は全員ミルディリアより年齢の高い男性ばかりだ。かなりの大柄だったり、人より威厳がある方もいて、そうした方々から一斉にミルディリアは攻撃されて反論が出来ていると言う事は、もうメンタルはオリハルコン級じゃないだろうか。
一切自分の主張を変えないミルディリアと神官達は全く意味のない応酬を繰り返し、思い通りに行かない事に再び切れたミルディリアはまた私を振り返った。
「クラリス様、どうかお助け下さい!」
なんて言うかさ……。
後からいらっしゃったユリア様は別にして、議場で唯一の女性だから私に助けを求めているのだと思う。
それは分かるのだが流石に、耳障りだった。
「貴女、誰も助ける気はないのでしょう? 私を助けなかったのに、どうして私が貴女を助けなければいけないの?」
と言うか、助けるも何も、あれだけの事をやらかして幽閉だけで済むなら現状は助かったと言える筈なのだ。
いつまで経ってもトンチンカンな事を繰り返す妹の言動から、私の方が余程助けて欲しい気がした。
誰も何も聞かないのでユリアは黙っていた。
クラリスとミルディリア、現実にも神々の意図的にも、とても面白い姉妹関係だと眺めていた。
先に生まれた『クラウディア』は最初から女神の愛し子だった。
そもそも前世がある分、何事にも有利に立ち回る事が出来る筈で、絶対スキルをも得る事になっていたのだから、その人生は始めは多少の困難はあるとは言え、必ず満ち足りたものになると神々は判断して放置した。
その一方で後に生まれたミルディリアは普通の少女だった。
絶対の価値を持つ姉がいる事により、ミルディリアの人生は寂しく困難になると予想され、妹として生まれるだけで不遇なミルディリアに神々はバランスを取ったつもりでいくつかのスキルを贈った。
まさかこんな結果になるなんて、神々も驚いた事だろう。
特にミルディリアに贈られながら腐ってしまった【魅了】のスキルは、人の感情を揺さ振り荒ぶらせながら中途半端に人を引きつけ、嫌われやすくなるという効果をもたらしている。
周囲の注目が『クラウディア』にだけ向くだろうと予想したからこそ、愛されて生きられるようにとの【魅了】だったのに、結果は何と皮肉な事になったやら。
「大体『聖女だから』なんて理由で王族と結婚出来ると考える、頭が危険物な相手を助ける訳がないじゃない。ほら、この国には何人聖女様がいらっしゃると思っているの? その内の誰が結婚しているの?」
「私は一番若くて可愛くて……」
「なら、後から次から次へ現れる聖女が勝つだけね。貴女の言う根拠ってそんな程度のものなのよ」
私は知っている。女性でありながら爵位を継いだ伯母へ強烈なまでのコンプレックスを持っていた両親は、ミルディリアに女性の価値として「若くて可愛い」事だと教え込んでいた事を。
その価値観で推し量っていたのだから、ミルディリアにとって姉の私の価値が低かったのは仕方ない事かも知れないが、ミルディリアより若くて可愛い女性など世の中には掃いて捨てる程いる。
もう私達の世界は、小さな家に押し込められた、たった二人の姉妹などではない。
「……次?」
「いつだって聖女は新しく生まれているに決まっているでしょう。貴女の次も、その次もいるわ。誰もが貴女よりも若い」
今度はミルディリアは言い返してこなかった。
私達は二人姉妹ではあるが、ミルディリアは末子でもあり、無意識に自分が最後という意識があったのだろう。
「どの道来年、新しい聖女が来たら一番若いは簡単に終わったわね」
「……わ、私は……一番可愛くて」
「まだ言うの? 貴女、田舎では飛び抜けて可愛かったかも知れないけど、王都では貴女より容姿が優れた人なんてたくさんいるじゃない。……まず横を見てから言うかどうか考えた方が良かったかもね」
横にはミルディリアよりもずっと美しいユリア様が立っていた。
おあつらえ向きのようにユリア様は聖女でありながら第三王子と結婚出来なかった方で、私の考えている事を察したユリア様は苦笑いを浮かべていた。
ミルディリアは反論を完全に止めた。
最初に議場に入ってきたときのような芝居めいた涙ではなく、本当の涙を流しながら立ち尽くしていた。
これも、きっと自分が悲しいだけなのだろうな。
姉を『殺した』事を反省する事もなく、当然悼む事もない。
徹底的に両親が無知に育てたとは言え、これでは聖女どころではなく人間とも言いがたいのではないだろうか。
私がユリア様を見ると、ユリア様は緩く首を振った。
「行きましょうか」
ミルディリアは俯いたままユリア様について議場を出て行った。
この先、ミルディリアは二度と神殿の外に出る事はないかも知れない。
扉が閉まって背中が見えなくなるまで、私は静かにミルディリアを見送った。
「その処分、おかしくない? 彼女、姉を殺したんだろ。騎士団に突き出すべきじゃないかな」
そう言いだした若い神官は、何故か私を見つめていた。




