36【自滅する者は慈悲すら自滅の材料となる】
第三王子が蟄居なのか幽閉なのか、とにかく王都から離れた地で療養する事が決まった。
「療養……?」
私と同じ呟きをした者は王城に何人いただろう。
明らかに名目上とは分かっていても、療養と聞いて私は思わず黙って考え込んでしまった。
前世で読んだ小説なら、療養として世間から隔離した後、忘れられた頃に毒杯なんて流れはよくあった。ただ、現実的に毒杯とは王侯貴族の最後の矜恃と名誉を保つ為の温情からの処刑方法と言われている。
あの中途半端で変テコな方向に温情というか優しさを発揮してきた国王が弟に毒杯? 別の方向に国王が更に拗らせそうで、『ない』と思った。
それに今回、毒杯を賜るにしては、まず第三王子は名誉など全くもって無縁であり、矜恃なんて元々さらさら理解していない感じなので、毒杯となるのはおかしい気がした。
まあ、そもそも散々周囲に迷惑をかけたと言っても、具体的に本人が死罪相当な事をやらかしているかと言えばそうではなく、消すにしてはその手間すら惜しい気がする人物だ。
要するに誰からしても毒を使うのが勿体ない人というか……。
「え、療養?」
「本当に本当の療養です。嘘ではありませんよ」
思わず再度聞き返してしまった私に、宰相の元で働く文官はとても晴れやかで爽やかな笑顔で断言した。
だが、間違いなく療養と言われても、私には到底信じられなかった。
果たして療養で治る見込みのある部分が第三王子にあっただろうか?
「私、第三王子殿下は不治の病だと思っておりました」
「ですので、これ以上悪化させない為にも、空気が良くて限りなく人の少ない場所で過ごして頂く事になりました」
私の不治の病発言が一切訂正されなかった事に、非常に深い闇を感じた。
結局、療養なんて言っているが、体の良い追放と言う事だ。これまで第三王子が病みを疑うような理由で引き起こしてきた問題の後始末に、とうとう王城各所の限界が来たのだろう。
だけど、今?
私は内心首を傾げた。
他にも療養という名の追放が出来たタイミングはあった筈だ。それが実に中途半端な今の時期に決定が下されるなんて、甚だ不自然極まりなかった。
他にも何かの意味がありそうな気配がしたものの、王侯貴族の問題にこれ以上首を突っ込むと一生『エメライア姫の孫』にされそうで、私は口を噤んだ。
一礼して去って行く文官を見送ると、それまで黙って置物になっていた侍女が近寄ってきた。
「何でも第三王子殿下はユリア様を自分が捨てたとようやく理解され、傷心のあまり療養に入られたそうですよ!」
謎に繊細っぽい第三王子的に滅茶苦茶ありそうな理由だったので、私は一瞬吹き出しそうになった。
それにしても噂が早くないだろうか?
「……それ、話して良い事なのです?」
「第三王子殿下自身が言って回っている事ですから、大丈夫ですよ」
なら仕方ない。
王族としては問題のある行動だが本人が話していたのなら……いや、でも何か根本的におかしい気がした。
「……ちょっと待って下さい。今になって殿下がユリア様を捨てたって自覚したって、どういう事です?」
「そのままの話です。どう考えてもユリア様を選ばず例の勘違い女と結婚した時点で関係が終わっていたのに、今の今まで自分はユリア様とまだ恋人同士だと思っていたそうですよ。本人の発言ですから、間違いありません」
「それ、第三王子殿下が酷い勘違い男だったと言う話になってますよ……」
こんな話を本人が言って回った?
……これまでも謎に満ちた発想を散々してきた第三王子の事である。もしかすると、自分が勘違いしたユリア様との関係を周囲に『勘違いしてもおかしくないかどうか』聞いて回っていただけかもしれない。
そうであってもそうでなくても、周囲からどう捉えられるか一切頭にない第三王子の行動に、私はとても頭が痛かった。
ただ、頭が痛いのはユリア様も同じだろう。第三王子がユリア様を捨てていたと分かっていなかった自体は勿論、それを言って回って周知させている事もユリア様の怒りを煽りそうな気がした。
あの二人は一時でも恋人同士だった事が、明らかに女神の奇跡だろう。
「ユリア様も大変ね……」
私はため息交じりに他人事として呟いた。
まだこの時の私は無関係だと思い込んでいたので、それは仕方ない事だった。
この時点での私の立場は、ただの王族の客人でしかなかった。
味方をしてくれていた宰相も、部外者である私を高度に政治的な問題に関わらせるつもりはなく、知らせる理由もなかった。
第三王子が聖女ユリアに配慮して遠ざけられたのだと私が知るのは、しばらく後の事である。
王城が聖女の顔色を窺い始めた事はまだ、ほとんどの者が知らなかった。
ユリア様、名も残して貰えなかった現王の姪である聖女、そしてエメライア姫。
この国と聖女の問題は未だ何一つ片付いていない。
その聖女の問題は私の元にも忘れていた問題として近付きつつある事に、第三王子が盗んでいたユリア様からの手紙を受け取ったばかりの私は、何も気付いていなかった。
四十年前の騒動が神殿から始まったように、今回もまた、怠惰な平穏を崩す始まりは神殿からだった。
この国の神殿組織が他の国の神殿組織から監視対象となっている事は、神官達は知っていた。
だが、知っていただけで理解はしていなかった。
「聖女ではない者を聖女として祭り上げるのは如何なものか」
交流の為に他国から来た神官にそう言われたこの国の神官達は、相手の発言をいつも通り自分達の都合良く利用する事を考えてしまった。
その貴族的手法が神官としては絶対にやってはいけない事など、出家した意味も考えた事もない彼らには分かっていなかった。
「ええ、我々としても非常に遺憾に思っています。仰る通り、聖女ではない者を聖女とするのは非常に良くない事です。ですので、私達は勇気を出して告発しようと考えております」
「……ほう? 告発とは穏やかではないな」
「我々は女神に仕える者ですから、穏便に済ませて良いものではないでしょう。なにせ聖女であると偽ったのですから、彼女らには厳正なる処分を下そうと思っております」
聖女になれぬまま神官達の都合で留め置かれているミルディリアの存在を既に知っていると匂わせたつもりだった他国から来た神官は、予想外の返答に直ぐさま警戒感を持った。
それでも、表面上は穏やかな笑みを浮かべ、
「……聡明なる貴方が誰を告発するのか伺っても宜しいか?」
「ふふふ……他の神殿にも告発状は提出しますが、今日貴方とお会い出来たこの機会、折角なので教えても構いません」
他国の神官が社交辞令として口にした言葉で簡単に上機嫌になった神官は、ちょっとした慈悲のつもりで教えてやろうと思ったのだ。
前提的に自分がおかしい事を言っている事すら気付かず。
「我が国の聖女と名乗る偽者達、全員ですよ」
残念なのは、相手の発言を利用しようと待ち構えていたのは、他国から来た神官達も同様だった事だ。
他国の神殿組織は聖女の件で介入するタイミングを窺っていた。
その後、適当に話を終えた他国の神官は、急ぎ母国の神殿に連絡した。
それが、第二の粛正の前哨戦の始まりとなった。
かつての粛正は不当に聖女を貶めた事が問題だった。
それを正しく理解していたなら『告発』なんて行う訳もなく、この国の神官達は何ら学んでいなかった事を自ら暴露してしまったのだ。
その影響は神殿だけに収まるものではなかった。
王城の双子の王子達の執務室では、普段机を並べて書類仕事をしている文官達全員が出払って情報収集に走り回っていた。
正式な王族の中で一番若い筈の双子の王子達のどちらも、非常に疲れ切った顔で机に向かっていた。
「もし告発に偽りがあったのなら、神官の剥奪では済まないって……」
「……それはそうだろうな。大体、『聖女』の資格なんて女神の領域に存在するものに難癖つけようなんて神官、女神の膝元から放り出されるに決まっている」
双子の王子は書類を確認する手を止め、二人同時にため息をついた。
恐らく告発と言いつつも、基本的には自分達の思い通りに動かない聖女達を少し脅そうとしただけのつもりだったのだろう。他国の神殿に告発状を送ったのも、他国を巻き込めば聖女達に強い圧力をかけられると踏んだのだと思われる。
だが、聖女が神官達から軽く見られているのはこの国だけで、他の国では聖女は女神の代理人として崇められている国が多い。そこに告発状を送るなど、自殺行為としか王子達には思えなかった。
「……他国を巻き込んだのは告発の責任の分散もあるかもな」
「分散も何も……そもそも『聖女』を偽るなんて無理な話だろ。『聖女』かどうかなんて簡単に分かるじゃないか」
故に、告発文が各国の主要神殿に届く前にこの国に集まった、各国の名の知れた高位神官達が揃ってこの国の神官達に、
「告発も『聖女』かどうかなど、スキル鑑定で終わる事だ! そんな程度は子供でも知っている事だ」
近年、この国にとって最も恥曝しな瞬間だったと、双子の王子は回想した。
とは言え、今回の始まりはただただ神殿だけの暴走である。
それだけなら王家は静観するだけだった。しかし、他国から審問の為にやって来た神官達の名簿を見た文官が、その中に王族の名前らしきものを見つけたのが問題だった。
双子の王子は必死になってリストを確認していた。
嫌がらせのように名前が小さな文字で書かれているので、老眼ではないという理由で王子達に任されたのだ。だが、人数はかなりのものであり、丸一日確認に時間を使う事になった。
「……いるなぁ」
「こっちにもそれらしき人物がいる……」
出家した身であっても王族は王族である。
他国の王族に名を連ねる者達が今回の他国からの高位神官達の一行に加わっている意味を考えると、今回の事は神殿だけの過失で終わりそうもない予感がひしひしとした。
「あの貴族出身の神官達を育てた国の責任者として、王家が責を問われるのか」
王家が聖女の問題から目を逸らし続けた結果ならば、確実に王家の罪だろう。
双子の王子達はどちらも天を仰いだ。
かつて邪な心を持っていた神官達は粛正により一人残らず消えた。
誰一人残っていないのだから、本来『聖女を道具のように扱いたい』という発想などなくなっており、国王達が終わった事だと思ったのも仕方なかったと言える。
だが、聖女から搾取していたのは神官だけではなかった。
最も当時の聖女から搾取していたのは、金にものを言わせた貴族達だった事は俗人であるが故に見過ごされてしまった。
「ああ、体が痛い。聖女ならずっとかかりきりで私に治癒魔法使って当然だろう」
「作物の出来が良くない。肥料を買うのは面倒だし、豊穣の加護を毎年うちの領地にだけ与えれば良いのに」
「自分だけに」
「うちの一族だけに」
今の貴族出身の神官達は、かつての第二王子の改革で味をしめた周囲の大人達が呟いているのを聞いて育った。
自分達の為に働かない聖女が悪い。
そう価値観として刷り込まれた彼らは、神官になった後も聖女について学ぶ気など失っていた。
努力して神官に上り詰めた自分達は上の立場で、スキル頼みのぽっと出の聖女は下の立場という、かねてから神殿に蔓延っていた考え方が彼らを助長させた結果、今回の事が起きた。
「……」
聖女達を告発をした神官は、いの一番に破門された。
貴族として生まれ育ち、神官になっても衣食住に困らなかった彼だったが、女神により神官となれる資格を剥奪された末に、女神の守護する土地の果てで魔物となっていた。
経典にも書いてある事だと教える者など今更誰もいない。
本来彼が女神に仕える者として理解するべきだったのは、粛正の理由でもなく、監視対象になっている事でもなく、聖女を傷付けようとした者は報いを受けるという事実だった。
女神から嫌われた彼は当分死ぬ事も出来ず、この先長い時間彷徨い続ける事になる。
だが、唯一幸運だとしたら、この後彼と同じように女神に嫌われ魔物となるしかなかった者は増える事だ。
その中にはもしかすると正真正銘の貴族もいるかも知れない。
「……」
嘆く資格も剥奪されたので、彼は泣き声も上げられず涙も流せない。
それでも声にならない声で「聖女が悪い」と言い続ける。
詰まる所、聖女の仕組みを作った女神が悪いと言っている事に気が付かないまま。
彼らに女神の慈悲が与えられる事はない。




