19.【可哀想を取り違えた先には】
先代侯爵は短い報告書を机の上に投げ捨てた。
内容を知っている先代侯爵の補佐官達も表情にこそ出していないが、態度には一様に不満を滲ませている。
「どうせなら街道に置き去りにすれば良かったと思わないか?」
話しかけられた最年長の補佐官は口を閉ざしていたが、問題のあるときははっきり発言する性格なので、その態度は同意しているのと同じ事だ。
報告書にはクラウディアの両親が騎士団に処分されたとあった。
娘の殺害疑惑と王族の詐称疑惑。どちらも疑惑に過ぎず、犯罪とするにも実に中途半端なものではあるが、あの2人は子爵を姉に持つだけのただの『平民』で、厳しい対応を取られるのは仕方ないだろう。
この件で先代侯爵達が不満を持ったのは、あの2人が自分の罪を自覚せぬまま斬り殺されて終わった事であった。
「……クラリスには伝えますか?」
「どちらでもいいだろう。あの女がエメライア姫ではなかった話のついでに何処かで耳にするだろうしな」
今回の件で騎士団の動きは速かったようにも見えるが、先代侯爵からすると鈍重なものだった。
あの夫婦が王都にいた時から騎士団は調査に入っていたのだ。
夫婦が王都の貴族達相手に、ミルディリアを自慢する為の引き合いとして語ったクラウディアの話は酷いもので、大多数がクラウディアへの虐待を疑ったらしい。
特に街道に置き去りにした仕打ちに至っては、誰にとってもクラウディアの殺害を仄めかしているようにしか聞こえなかった。
騎士団に目を付けられるのは寧ろ当然の話であろう。
しかし夫婦が王都にいる間に騎士団は殺害容疑で捕縛する事はなかった。
騎士団の判断を迷わせたのは、匂わせるを超えていっそ犯人としか思えない非常識な話をしていたのは当人達であったからだ。
犯人が犯行を堂々と語る筈がないと、至極常識的な発想が働いてしまった。
嘘か、或いは何らかの隠喩なのか。
両親の為人を知らない故に判然としないまま、騎士団はとにかく被害者であろうクラウディアの生死を確認する事を優先した。一番難しい所から取りかかってしまったと言えるだろう。
その結果、野放しになっていた両親は神殿から追い出された後、姉のウォーゲル子爵の領地にまで戻る事を許してしまったのは、騎士団の完全なる不手際と言う他はない。
前例のない事だったとは言え、もう少しやりようがあったのではないかと先代侯爵はつくづく思う。
「だが、これでクラリスを脅かす者などいなくなった」
クラリス、クラウディアを見守ってきた補佐官達も大きく頷いた。
結局、ウォーゲル子爵家の関係者の中でクラウディア以上の価値を持つ者などいなかった。
ウォーゲル子爵も王都の知人からの手紙でクラウディアが帰ってこないと悟った時点で、価値のなくなった弟夫婦とミルディリアを平民に落とす手続きをしていた。
「さて、我々の方も事後処理をしないとな」
一ヶ月も過ぎると、
「ウォーゲル子爵の弟の妻はエメライア姫ではなかった」
という噂でエメライア姫の暗号事件はひっそりと終結した。
新聞に載っていたのかどうかまでは私は知らない。
なにせ最近発表されたシェイシルとイルヴィレアート、稀代の悪女親子の末路の方にすっかり世間の関心は移っているのだ。
今更誰もエメライア姫自体の話をしない。
私は興味の変遷に何かの作為を感じたが、所詮何事も遙か上の方の話なので、お茶を飲みながらいつもの少年が持ってきた新聞を読んでいた。
道なき恋に溺れて不貞の末に出来た娘を王族の種と偽った母親と、複数の下賤な男達と遊蕩にふけり王位簒奪を夢想した娘。
実にゴシップ系新聞の煽り文句通りだったシェイシル親子は、しばらく王都の広場に置かれた檻の中で見世物にされたらしい。
税金を使って散々遊び回っていたと知れ渡っていた親子には、いくつもの石やゴミが投げつけられていたと、王都から来た者達もあちこちで話していた
何というか、聞けば聞く程不貞が分かった時点で離婚しておけば良かった気しかしない。
ため息をつきながら私は読んでいた新聞を折りたたむと、セシリアが昼食に出したパンをかじりながら振り返った。
「その親子、見せしめが終わったら鉱山に娼婦として行くそうですよ」
「そこは知りたくなかったわね……」
つまりは無駄遣いした分の返済の為と言う事だ。
その部分はちょっとだけシェイシル親子が可哀想な気もした。
王族になるのは向いていない女性を第3王子が無理矢理娶った挙げ句、何があっても離縁しなかったのだから、相応に減額しているといいのだが……。
かなり独特な価値観が見え隠れする王族に期待するのは難しい事かも知れない。
「そう言えば、エメライア姫の暗号を解いたなんて言った人、『私は貴族も知らない平民ですから、ただ娯楽を提供しただけ』なんて主張して消えたそうですよ」
よく知っている感じがするのだが、これでセシリアは別に情報通ではないそうだ。
平民は何かと権力の都合に振り回されやすく、領都の住人も身を守る為に普段から噂を始めとした情報を集めて回っているので、私のような引きこもりの方が珍しいそうだ。
「捕まったって事?」
「いえ、文字通り消えたそうです。逃げたんでしょうね。騎士がウロウロしているって話ですよ」
もしくは早々に消されたのか。
王族や貴族の名前を出しておいて、今更娯楽なんて言い逃れは難しいだろう。
平民の研究結果の割に新聞の一面を大きく飾ったのだから、その裏には何処かの権力者の思惑が働いていた事は簡単に推測出来るが、本人自体はただの捨て駒だ。
利用価値がなくなった者を保護する権力者はいない。
「逃げ切れているといいわね」
私は難しいだろうなと思いつつも、間抜けな詐欺師が殺す価値すらない程度に見られる可能性に内心賭けてみた。
ただ、真実は私が思う程に他人事の話でもなかった。
まさかエメライア姫の暗号事件が聖女となるミルディリアの箔つけを狙ったものだったとは、最初に詐欺だと見抜いてしまった時点で思考が停止していた私に思いつく筈もなかった。
尤も仕組んだ神殿側にとっても、大きく思惑が外れて困惑していた。
効果的になるよう計算して仕掛けた筈が、新聞の記事が出る頃には聖女の両親が上の娘である『クラウディア』を殺していると見なされていたなんて、誤算も誤算であった。
私の知らない場所で『クラウディア』を巻き込んだ思惑が錯綜し、王都と地方の微妙なタイムラグが単純な物事を複雑な形にしていた。
その結果はまだ私自身には到達していなかったが、着実に近付きつつあった。
「可哀想な令嬢を見つけてあげたい」
双子王子は騎士団にお願いをした。
命令ではないのは既にかなりの時間が経ち、街道を外れた先で魔物に食べられている可能性が高いと思われたからだ。
巡回ついでに、出向ついでに、騎士団はほとんど情報のない『クラウディア・ウォーゲル』を探していた。
神殿を訪れていた貴族達の慈悲深い王子達に纏わるそんな噂話を聞いてしまったミルディリアは、またも修行を放り出して自室に走った。
最早後ろからは諫める声も聞こえてこない。
乱暴に自室の扉を閉めると、扉の前でズルズルと座り込んだ。
「私が可哀想な令嬢なのに……!」
以前なら、両親と共にいた頃ならば、泣けば誰かが慰めてくれた。
けれど、未だ聖女の力を発揮出来ないミルディリアには誰も慰める価値など感じていなかった。
神殿内にミルディリアが与えられた部屋にしても、ウォーゲル子爵家から籍を抜かれ、完全に平民となった本人の価値相応に女性神官の部屋より少し上程度のものに変えられていた。
当然日常生活を手伝うメイドはおらず、煌びやかな衣装やアクセサリー、お菓子が常備されている事もない。
聖女として王子を始めとした高位貴族令息から持て囃され贅沢が出来る夢を見ていたミルディリアにとって、目の前の光景はあまりに残酷な現実であり、『可哀想な私』の現状でしかなかった。
「私が可哀想なのよ!」
外で声を出して泣くと反省室に閉じ込められるから、ミルディリアは自室で泣くしかなかった。
私は可哀想だから誰かが助けるべき。
その考えが何より正しいと両親から教えられてきたも同然のミルディリアは、現状を変える努力をしようと考えに至る事はなかった。
それを知られた今ではミルディリアの話を聞く者は誰一人いない。
「姉様が悪いのよ……姉様が私を可哀想にしているのに……」
クラウディアにした仕打ちの意味を聞かされても、ミルディリアからしたらちょっとした悪戯なのだから周囲の方が大袈裟でおかしいとしか思えなかった。
今も、自分に意地悪をする為だけに出て来ないだけのクラウディアという認識程度しかなかった。
「早く出てきてよ、姉さん……」
またクラウディアが堂々と悪者になったら、私は聖女として輝けるのに。
再びミルディリアは声を上げて泣いた。
そうすれば、誰かが自分の望むように整えていてくれていたから、ミルディリアは今も泣く事しか分からない。
しかし、ミルディリアが輝く機会はとうに失われていた。
最早ミルディリアは聖女ではない。
そもそも私利私欲で殺人未遂を起こせば聖女の資格など失うに決まっている。
まして、女神の愛し子であったクラウディアの身内であるから聖女のスキルを持つ事が出来たミルディリア。
折角愛し子の身内である恩恵を一番受けていたのに、クラウディアを虐げた事でとっくの昔に聖女の資格を失っていた。
ミルディリアは可哀想な令嬢ではなかった。
愚かな少女の本性を剥き出しにしたミルディリアに、女神は目を向ける事は絶対にない。




