18.【彼女一人分の価値】
「エメライア姫の手紙の暗号が解かれたってよ!」
かつてない王族の醜聞は、離縁したからと言って直ぐに収まるものではない。
正式なシェイシルとイルヴィレアート親子の処分の発表を今か今かと待ち侘びている空気の中、そのニュースは突如飛び込んで来た。
軽食を買いに出た際に耳にした私は、直ぐさま自分の足で新聞を取り扱う店に走った。
エメライア姫の手紙の暗号は、特定の鍵がなければ読み解けない筈だった。
それはエメライア姫の婚約者の家が失われて久しい現在まで正しく残っているとは思えなかった。
記事が載っている新聞を手にして店に戻ると、出勤していたセシリアに一言声をかける事もなく一気にプライベートエリアに飛び込んだ。
息切れしながら私は新聞をテーブルの上に広げる。
焦りで視界がぶれ、何処に書いてあるのかなかなか分からなかった。
何とか該当の記事を発見して読み進めた私は、安堵なのか何なのか分からない安心感でへたり込んだ。
「違ってた……」
エメライア姫が婚約者にだけ伝えたかった言葉は、解読されてはいなかった。
気分を落ち着かせる為にも1度大きく息を吐くと、私は記事をしっかり読み直す為に椅子に座った。
貴族の手紙には時折暗号が仕掛けられている。
それこそ政治を左右するものから友人恋人間のお遊び的なものまであり、解読専門を職業にする者も存在するらしい。
余談だが、運送ギルドの閉鎖された手紙部門で貴族の手紙を取り扱いが少なかった理由の一つとして、もしも手紙が敵対勢力に流出して暗号が読み解かれた場合において、天文学的な金額を保障させる契約を強いようとした貴族と揉めたからだとセシリアが言っていた。
エメライア姫の手紙に暗号があった事は、綺麗すぎる状態で展示されていた手紙から長年誰にも気付かれずにいたのだろうと分かる。
恐らく今更とは言えニュースになって、王家でもちょっとした騒ぎになっているかも知れないが……。
これはまずいのではないだろうか?
再度確認を兼ねて新聞を読み進めると、私は様々な理由から自分の顔が険しくなっていくのを感じた。
新聞の記事には、
『……偶然手に取ったエルド氏は、何気ない数字の羅列が書かれたこのメモこそが暗号の鍵だと気が付いた。震える手で手紙の文字を書かれた数字の順番に拾い上げて並べてみると、隠されていた真実が現れた』
私のスキルで解読した暗号の形と、まるっきり違っていた。
有り体に言えば詐欺である。
新聞に書いてある方法とは逆に、浮かび上がらせたい文章に合わせて数字を調整する事自体とても簡単で、前世でも時々詐欺手法として使われていた。
スキルを通して見た記事の文章からは騙そうという意志は全く読み取れず、恐らく暗号解読者を名乗っているエルド氏が詐欺師なのだろう。
『その文字をつなぎ合わせると『イーラス』となる。イーラス家は二十数年前に不幸な事故で当主夫妻が亡くなり断絶した家である。だが、その家には当時令嬢がいたという話だった。何故か家を継ぐ事もなく嫁いでいった女性』
うん。この書き方だと家を継がなかったのが不思議に思えてくるけれど、残った者が家を維持する能力に欠けると判断されたら取り潰しになるのは法律で決まっているからね?
イーラス家にたった一人残された令嬢は、国に提出する書類の書き方も、書類作成に使う専門的な単語の綴り一つ知らなかった。
実に仕方ない事だったと、一気に疲れ果てた私はもう読むのを止めようかと思ったが、今更見て見ぬ振りしても仕方ない。
ため息をついて、新聞をもう一度読み始めた。
『そう、まるで存在を隠されるようにして嫁いだこの女性。当時のウォーゲル子爵令息に嫁ぎ、今となっては母親となっているこの女性こそがエメライア姫本人なのだ』
「そんな訳ないから!」
見直してもやっぱり無茶苦茶な事が書いてあるので、思わず私は全力で叫んだ。
イーラス家からウォーゲル子爵家に嫁いで来た女性と言ったら、私の母親であるコールディアしかいない。
読み書きが非常に不得意なあの人を、美しい手紙を書いたエメライア姫だと考えるだなんて、冗談にしても程がある。
詐欺にしろ捏造しろ、もう少しましな話にして欲しかった。
これは本人に会ったら一発で記事が虚偽だって分かるでしょうに。
せめてもの救いは、私が既にウォーゲル子爵家を始めとした血縁者とは無関係な人間になっている事だろうか。
それでも私はショックからしばらく頭を抱えていた。
『クラウディア』の言葉通り、ウォーゲル夫妻は神殿で養って貰えなかった。
神官達が自分達に向ける視線の意味を理解せず、ウォーゲル夫妻は王都で散々神殿の客人を名乗って遊び尽くし、最終的には高額のツケ払いを要求された神殿が激怒して追い出した。
結局ウォーゲル子爵領に戻された夫妻は、元通りでありながらも王都で暮らしていた時より質の落ちる暮らしに不満ばかりを口にしていた。
そこにウォーゲル子爵である姉から連絡が来た。
「お前達、血も涙もない親と言われているそうだぞ」
ウォーゲル子爵は不出来な弟でも家族として愛していたが、年と共に更に不出来を加速させて醜聞を生み出している弟に近年は愛など失っていた。
てっきり呼び出しの理由が食事会だと思って期待していた弟夫妻はまっすぐに執務室に通され、あからさまにがっかりした表情をする。
「……そんな酷い事を誰が言っているんですか。ミルディリアをたった一人残してきたのは、私達だって好きでした事ではありません。神殿が無理矢理私達家族を引き裂いたんですよ!」
「そうですよ、お義姉様! 私達だって可愛い娘とずっと一緒にいたかったのです。なのに神殿は私達から娘を遠ざけたばかりか追い出したのです!」
ギャンギャン騒いでヒートアップしていく弟夫婦とは対照的に、ウォーゲル子爵は凍える目をして弟夫婦を見つめていた。
一応は言い分を聞いておこうと思ったのだが、温情をかける価値もない人間達だと再認識しただけだった。
「ですから私達は……!」
「クラウディアは最初からいなかったから殺した訳ではないと言いたいのか?」
ウォーゲル子爵の言葉に、弟夫婦は揃ってキョトンとした顔をした。
二人とも何故クラウディアの名前が出てくるのか心底分かっていない様子に、ウォーゲル子爵は情けなさを感じた。
「お前達は上の娘を街道に置き去りにしたって随分吹聴していたようだな。おかげで一家ぐるみで上の娘を殺したと専らの評判になっているぞ。私の方にもいくつか随分と『親切な』手紙が来たよ」
「は? 何で途中で置いていっただけでそんな話になるんですか! クラウディアなんて今も遊び歩いているだけでしょう。家を整える事も忘れて何処をふらついているんだか……」
「へー。馬車で何週間もかかる場所に置き去りにして、無事に歩いて帰れると思っていたのか。若い女が、一人で、何も持たず、徒歩なら何ヶ月かかる距離を?」
そこまで説明されて、ようやく弟の方は自分が何をしたのか理解した。
真っ青になってその場にへたり込んだが、普通ならわざわざ説明しなくとも分かる話であり、使用人達の向ける視線も侮蔑の込められたものだった。
感情が高ぶると直ぐに頭が回らなくなる弟は、ウォーゲル子爵が知る限りいつも後悔ばかりしているのに反省もしない。
クラウディアがどうなったのか分からなくても、状況によったら弟達は騎士団に貴族子女の殺害容疑で捕縛される可能性がある事も、どこまで弟は理解していたのだろうか。
一方で、何一つ理解していないのはコールディアだった。
「いくら何ヶ月かかったとしても、家の事があるのだから無理でも歩いて帰ってくるのが当たり前でしょう! クラウディアは誰に似たのか怠け癖があるから! 親に迷惑かけるなんて、なんて非常識な子供なの!」
「不可能なものは不可能だ。お前達が帰ってこられない場所に置き去りにした。最初の日の夜にでも魔物に襲われているだろうな」
ヒステリックで非常識なコールディアの発言にウォーゲル子爵はうんざりしながら言った。
家を継ぐ能力に欠け弟が後継から外されても、変わらず支えると約束してくれた健気な婚約者より、可哀想な身の上になった幼馴染みを選んだ弟は、結果的にコールディアの所為で人生を棒に振った。
「わ……私達が、娘を殺そうとしたと仰るのですか!? いくらお義姉様と言えどもあんまりな言い方ではないですか!」
「言い方の問題ではない。事実、殺したんだ。魔物が出る事を知りながら置き去りにするとは、そう言う事だ」
「だって、あの子は私達に嫌な事を平気で言うから!」
「それが殺害の動機か。全く、呆れたものだ。親どころか大人にもなりきれていなかったなんてな」
ウォーゲル子爵にとってもコールディアは幼い頃から知っている間柄だ。尤も知っているだけで親しい訳ではない。
婿を取ればいいだろうという甘い考えの親に育てられたコールディアは、貴族令嬢が当然知っているべき知識もマナーも詰め込まれる事なく育った令嬢だった。
子供と言えない年齢になっても貴族らしく感情のコントロールも出来ず、思い通りにならないと癇癪を起こす癖まで持っており、ウォーゲル子爵も早くから距離を取っていた相手だった。
弟がコールディアを選んだ気持ちはウォーゲル子爵にもよく分からない。
ただ、正論をはっきり口にする姪のクラウディアと、自分の全てを優先して欲しいコールディアの相性が悪い事だけは理解出来ていた。
「それで、お前達はいつになったら仕事が終わるのだ? それくらいはやらないと放り出すからな」
「待って下さい! クラウディアが……」
弟は途中まで言いかけた口を閉ざすしかなかった。
今まで仕事を押しつけていたクラウディアはもういない。
「お前達は自分達の為にもクラウディアを連れて帰るべきだったな」
ウォーゲル子爵もクラウディアが搾取されている事に気が付いていたが、どうせ嫁に出すだけだと簡単に考えていた事を後悔していた。
視界の端にいるウォーゲル子爵の息子も弟夫婦以上に顔色が悪い。
この息子も従姉妹のクラウディアに自分の課題や仕事を押しつけていたとウォーゲル子爵が知ったのは、弟一家が王都に行ってからだった。
自分よりも年下のクラウディアが賢くなるのを恐れて勝手に学ばせる機会を奪っただけではなかった息子には失望し、家督を継がせない事を決めている。
クラウディアがいなくなったらどうするつもりだったのか、弟夫婦も息子も何も考えていなかった事がウォーゲル子爵には信じられない思いだった。
聖女として送り出されたもう1人の姪であるミルディリアも、クラウディアの殺害に加担していた時点で女神の認める聖女でいられる訳がない。
「期日までにきっちり仕事を終わらせろ。でなければ、平民として暮らす事になるからな」
大した仕事ではなかったのだが、押しつけていた所為で書き方さえ知らなければ当然やれる筈もなく。
ウォーゲル子爵令息は経歴を重視しない辺境で兵士になる為に送り出され、弟夫婦は領主の館から追い出されて村の外れの小さな家に押し込められた。
その後、その質素な生活をしているコールディアに会いに何人もの貴族が訪れ、言葉を交わす前に失笑されて帰られる事が続くと、プライドの高いコールディアは家から出て来なくなった。
「何故?」
弟夫婦は理由を知らないまま、ある日惨殺死体で見つかった。
近隣の住民は何も気が付かない犯行で、一時は村中騒然としたのだが、ウォーゲル子爵が近隣から流れてきた破落戸が元貴族を狙って強盗に入ったのだと説明して落ち着いた。
実に淡々と事故として処理された。
知らずとは言え王族を騙った罪を不問にする代わりとして、『破落戸』は見逃された事を知るのは数人だけ。




