16.【優しさの顛末は何処までも現実的に】
オルブレート侯爵家の後継を殺してしまった事は、王家としても容易くなかった事には出来なかった。
元々王家はこの一連の出来事については後手に回っていたのだ。
交流を避けていたイルヴィレアート姫が突然婚約者とお茶会をした事自体、驚いた王城の関係者が口々に話してしまっていたので、既にもみ消す事の出来ない周知の事実となっていた。
第3王子がルディウス達に問い詰められた時には既に、隠す事も誤魔化す事も出来ない段階だったとも言える。
その上、オルブレート侯爵の話を聞きつけて集まった他の高位貴族達からも一斉に追及されれば、王家としてもイルヴィレアート姫を庇う事は最早不可能な事だった。
一転して捕縛されたイルヴィレアート姫だったが、実際には別人を殺していたのだと王侯貴族の女性への聴取を担当する文官から聞かされても、だから何、と全く意に介す事もなかった。
イルヴィレアート姫が気にするのは紅茶も菓子も準備されない事だけ。
文官では埒があかないので、直ぐに騎士団がイルヴィレアート姫の聴取をする事になった。
聴取役以外にわざと屈強な騎士達を周囲に配置しても、イルヴィレアート姫は一切動じる事もなく、見ているのは自分の髪の毛先だった。
通常なら肝が据わっていると騎士達は思う所だったが、イルヴィレアート姫が話しかけた騎士に向けたのは路傍の石に向けるような温度のない目で、噂通りの傲慢さに騎士達は嫌悪感を覚えた。
「貴女がオルブレート侯爵令息、フレデリック様を殺したんですよ?」
「悪いのはルディウスの方よ。私は被害者なの」
ルディウスが婚約者を一向に辞退しなかった所為で他人が巻き込まれて死んだのであって、自分の方がとばっちりだと言わんばかりの様子だった。
「……では、どうして殺そうと思ったのですか?」
「そんなの当たり前でしょう? だって、この高貴な身である私の婚約者に相応しい人間ではないのだから、本来自分から消えるのが筋だったのよ」
イルヴィレアート姫の中では何一つ間違った事ではなかった。
「そもそも私が嫌がっているなら察するべきでしょう?」
本当は、王家の血を引いていない為の思いやりとしての婚約であった。
可哀想だからとイルヴィレアート姫の生まれの秘密を本人には説明しなかった事が、結果的に悪い方向にだけ働いたと言えよう。
表情も変えず同意もしない騎士達に、イルヴィレアート姫は感情を剥き出しにして怒り始めた。
「いくら侯爵令息の顔をしていても、所詮は父親も分からない私生児でしょ! 女王になる私の夫に相応しい訳ないわ」
自分が女王になるべき存在だと、イルヴィレアート姫は信じ込んでいた。
媚びるだけしか能のない下位貴族令息達が自分達の言葉がどう影響するかも考えず、ひたすらイルヴィレアート姫を持ち上げた結果だった。
イルヴィレアート姫に良くも悪くも真実を教える者などいなかった。
高慢さが災いし、イルヴィレアート姫はまともな貴族令息からは避けられていた。
きちんと教育を受け正しく文字を読み書き出来る侍女達も、イルヴィレアート姫に世話係として侍る、スラングばかりを使う下位貴族令息を嫌って次々に逃げ出していた。
最終的に手紙の読み書きを手伝う侍女は一人もいなくなり、スラングしか知らないイルヴィレアート姫は、フレデリックがルディウスの代わりに出した手紙を読む事も出来なかった。
そう、返信は間違いなくフレデリックの名前で送られていた。
ルディウスの代わりにフレデリックが来る事も手紙にはしっかりと書いてあり、イルヴィレアート姫が手紙が読めていたのなら、フレデリックは少なくとも人違いで死ぬ事はなかった。
「……差出人の名前も読めませんでしたか?」
「読めないから何なのよ! 私が騙されたのよ!」
イルヴィレアート姫は自分が仮にも王族だった事を言う程理解はしていない。
王族なら文字の読み書きが出来て当たり前なのだ。
高位貴族子弟からそれを指摘されても教師から逃げ続け、自分の思い通りに行かない事に不平不満を口にした挙げ句に、実力行使で排除する事をおかしいとも思わない。
庇い続けてきた王族も、イルヴィレアートの真実を突きつけられ、ようやく見切りをつけた。
遅すぎる判断に宰相はため息をついた。
何度も忠告したが、現実を受け入れなかったのは王家の方である。
「だから葬式なんて考えてる場合ではないと言ったんだ……!」
ルディウスを弔うだけで問題が片づくと思っていたのは王家だけで、以前から取り返しのつかない重大な失態を犯していた事をも分かっていなかった。
物事はイルヴィレアートを切り捨てて終わりに出来る段階でもなく、
「会議を始めよう」
視察先から急遽戻ってきた王太子が、決めきれない国王から決定権をもぎ取ってきて席に着いた。
如何に王家の傷を浅く出来るか。
早くからシェイシルを切り捨てなかった王家のツケは、国王でも払いきれるものではなかった。
数日後、第3王子妃であったシェイシルの長年の不貞が発表された。
私が買いに行って貰った新聞にもイルヴィレアート姫が不貞の子であった事が大きく掲載され、王都から離れたこの領都の住人も一様にざわめいた。
ただし、
「評判の悪さに耐えかねて不貞なんて言い出したんだろ」
「ほんと、王侯貴族は血も涙もない」
「離婚したかったにしても、これはないな」
国民の意見は冷ややかだった。
切っ掛けとなった貴族子弟の殺害についてもねつ造を疑われる始末だったのは、王家としてはどう思っているだろう。
シェイシルとイルヴィレアートは視察先や慰問先などで平民に向かって何度も暴言を吐いた事を知られている。
出かけた先で無茶な注文、要求を突きつける姿も何度となく見られていた。
「私のように政治的なものがなかったのだから、早めに離縁して遠くにやった方がお互いの為だったのよ」
嫌悪しあっても婚約解消出来ない公爵令嬢の言葉は、切実な思いが込められている気がした。
必ず破綻する未来しかないのであれば、離れるのが正しいと私も思う。
今回も公爵令嬢が持ち込んだのは婚約者からの手紙で、刺々しく嫌みな言葉が並んでいた。その中に埋もれた真意はもっと最悪だ。
「そろそろ危険な感じになってきましたね。結婚したら本当に命を狙うつもりのようです」
「本当に嫌ね……いつまで自分だけが我慢していると思い込んでいるのかしら?」
公爵令嬢は窓の外を見ながら言った。
昔は公爵令嬢も頑張って交流を持とうと努力していたそうだ。
私が読み解いた手紙から相手が自分を被害者だと思い込んでいると分かってから、無駄な努力は止めたらしい。
「貴族なんて皆あれこれ我慢ばかりでしょう?」
「貴女でもそれが分かるのにね。全く、貴族と名乗りながら考えの足りない人が多い事」
最近私の店に訪れる貴族の客は、セシリアが帰宅してから内密の仕事を持ち込むようになった。
余計な人間に話を聞かれたくないのも勿論あるが、貴族の事情を平民が知るのは何かしらの不幸の元になりやすい。
公爵令嬢を含めて基本的に頭の良い方々なので、前もって危険の芽を潰す配慮がある為に、スキルだけが飛び抜けている私としては非常に助かっている。
「考えが足りない人と言えば、元第3王子妃のあの女よ。愛する人と強引に引き裂かれ、なりたくなかった王子妃にさせられたから不貞をしたってずっと言い張っているそうよ」
「……私先日、不遇な身の上だったのを助ける為に第3王子妃としたって聞いた気がするんですよ」
「それも真実よ。愛する人と結婚出来なかったのも真実。ふふふ。王侯貴族が愛する人と一緒になれないなんて普通でしょ」
「そうでしたね……」
物語ではないのだから、愛する人が不遇の身の女性を救い出すなんて事はなかなかないだろう。
私は分かってはいてもちょっとだけシェイシルについて可哀想な気持ちになっていたら、表情で私の考えを読み取った公爵令嬢が厳しいくらいの口調で、
「同情しては駄目よ。一方的にあの女が愛していただけで、既に既婚者だった向こうからしたら付きまとう虫なのよ。あの方は当時は隣国まで逃げていたのに、イルヴィレアートの父親だと言われて困っているそうよ」
「それを言われたら同情の気持ちなんて吹き飛びましたよ!」
何という気の毒な男性がいたものだ。
世の中には何もしてなくても渦中に放り込まれる人が一定数いる。
「あれ? じゃあ、長年不倫してきたって……」
「相手はイルヴィレアートの実の父親よ。あの方に似ている風貌の、出入りの商人の従者だったらしいわ」
「従者? え、まさか」
「従者なのよ。平民の商人の、いい年齢でありながら独立出来る力もなく、賭博と酒に溺れて借金塗れで、鞄持ちも任せられない平民」
「よく王城に入れましたね……」
「まあ、どこぞの誰かが扱いにくいあの女の相手をさせようと考えたのかもしれないわね」
この話は始めから誰も幸せになれない図式しか描けない気がした。
王族に嫁いだ女性が不貞した場合は死罪だ。
真実を一切知らなかったとしても、イルヴィレアートも王族を騙ったとなるので死罪相当だろう。
私は読み終えた手紙を封筒に戻して公爵令嬢に渡した。
「……王族と結婚して助かったのか、望まぬ結婚を強いられて自暴自棄になったのか、どっちなんでしょうね?」
「望まぬ結婚で助かったのよ。自分が貴族の暮らしをしたいなら、何かを我慢するしかないでしょう? どうせ自分の好きな相手と結婚出来る道なんてないのだから、王族として大人しく生活するのが一番幸せでいられる方法だったわね」
とても平民の暮らしは出来ないと理解している公爵令嬢も、嫌な婚約でも我慢をしている。
何となくやるせないものを感じつつも……
「貴女は危険ですって。手紙では本気で消しに来るつもりらしいですよ」
「分かっていれば準備するだけよ。殺意を向けられたくらいで泣き暮らすような生き方はしていないのよ」
手にしていた扇をパチンと閉じ、公爵令嬢は立ち上がった。
こんな庶民の店に来る人だが、私の知る限り容姿も気位も一番お姫様だった。
公爵令嬢のお付きのメイドがさっといつもの料金を私の前に差し出す。
「あ、帰る前に一つお伺いしても宜しいでしょうか?」
「あら? まだ何か疑問があるの? 時間も大丈夫だし、いいわよ」
私の胸につかえていた事はまだ晴れてはいなかった。
他に絶対に言いふらす事もない公爵令嬢をまっすぐ見て、
「12才の子供が感じる恐怖って何でしょうか?」
知らぬ間にエメライア姫の真実に近付きつつある事を、私はまだ自覚してはいなかった。




