14.【勘違いは誰かの運命の分岐点】
開始直後はスカスカの入りだったエメライア姫縁の品の展示は、一週間もすれば連日満員で行っても入れなかったと嘆いている人の話を聞くようになった。
仕事の合間にセシリアも家族にしつこく羨ましがられたとぼやいていた。
王族の煌びやかな部分だけ切り取った展示を楽しんでいる者がいる一方。
私はずっとエメライア姫の手紙が気になっていた。
いくら考えても一般人でしかない私に何か分かるものでもないのだが、エメライア姫の叫びは他人事のようには思えず、手が空くと直ぐに考え込んでしまう。
今日などはそれに気を取られ、新品のインク瓶を派手にひっくり返してしまった。
「本当に気をつけて下さいね。私達はもう帰りますけど、明日来たら大怪我していたなんて止めて下さいよ」
「念押ししなくても分かってるってー」
「本当ですか? 手を怪我して休業なんて絶対に嫌ですからね」
ここ数日で今度は私の方がすっかりセシリアから信用を失ってしまった。
高価なのであまり常備している人は少ないが、一応私もポーションを持っているので怪我で店を閉める事態になる事はないのだが、心配は素直に受け取っておく事にした。
「じゃあ、ほんとに帰りますから、大人しく夕飯食べて寝て下さいね」
年上らしい顔をしたセシリアはそう言い残し、従業員用の出入り口から帰って行った。
今日は私も殊更集中力がなかった。
すっかり空になった真新しいインク瓶を見て、これ以上仕事しても事故だけが増えそうな予感しかない私は店じまいしようと立ち上がった。
そのギリギリのタイミングで、店にルディウスが飛び込んで来た。
これまでは行儀良く予約の手紙が前もってあったので、ルディウスの急な来訪に驚いて声を上げてしまった。
「クラリス、悪いが直ぐに確認して欲しい手紙があるんだ。まだ営業中だよな」
「ええ、大丈夫です。また例の方からの手紙ですか?」
「そうだ。直ぐに返事が必要なのに、これまで以上にさっぱり意味が分からなくてな……」
差し出されたイルヴィレアート姫の手紙は封筒ごと別の袋に入れられていた。
前回の事もあり、受け取った私も念のため手袋をしたが、開けてみると今回の手紙は毒入りではなく普通のインクが用いられていた。
ほっとしつつも、前回の毒インクを使った所為で自分が気分が悪くなったのを恨む記述を見つけてしまい、何とも言えない気分になる。
脱線だが、前回の手紙を配達した人は大丈夫だったのか、私はちょっとだけ心配になった。
これでイルヴィレアート姫の手紙の面白い所は、婚約者を見下し疎む心情に溢れた文章であるものの、不思議と直筆の手紙である事だ。
手間暇をかけてまで嫌がらせをしたいイルヴィレアート姫の気持ちは、王家にたった一人のお姫様として育った女性という背景に非常に不釣り合いで、私は思わず低い声で唸ってしまった。
気を取り直して読み進めた今回の手紙は、ざっくり要約すれば『婚約者と茶会をしたい』という内容だった。
実に長ったらしく無意味な言葉を挟みつつも全体的にスラングで纏められ、大体の高貴なる身分の方々には理解するどころか、読む事さえ困難であろう。
先日のエメライア姫の手紙の美しくも奥深い言葉選びを見た後だと、スラングを巧みに使うイルヴィレアート姫は度を超えて斬新に映った。良い意味ではない。
私が思わず顔を顰めると、ルディウスも不快げに足先を床に打ち付けていた。
「……結局なんて書いてあるんだ?」
「お茶会をしたいとの事です。それにしてもこのスラングの量ですよ。どうやったら姫君がスラングを覚える事になるのか、私には不思議でたまりません」
「それは私も驚きだ。どんな生活をしているんだか……」
王族に侍る事が出来る者は選び抜かれた者達であり、普通に考えればその中にスラングばかり用いる者は絶対にいない。
だが、スラングだらけのこの手紙は誰かが教えた証拠でもある。
そんな貴族とは思えない人間が近くにいる?
王族が実子よりも優先した不倫の子の非常に怪しい周囲について、私達には到底理解しがたいものがあった。
「……取り敢えず手紙を見る限り、このお茶会は何か仕組まれておりますよ。今度こそ死んで欲しいって強い心情が読み取れます」
「何で全く望まなかった婚約の所為で私が殺されなくてはいけないんだ……巫山戯ている」
ルディウスは頭を抱え、ついてきた従者も気の毒そうな顔をしている。
前回の毒インクの手紙の件はきっちりと先代侯爵が王家に伝えたそうだが、予想通り婚約の解消までには至らなかった。
王家は「今、婚約解消なんてイルヴィレアートが可哀想だ」との事だとか。
かなり理解不能な発想で、私もルディウスの身の上には同情している。
「とは言え、行くしかないからな……」
「後3日しかないですし、断れば良いと思いますよ」
「3日!? あいつは馬鹿なのか!?」
正直にルディウスも叫びたくなる気持ちは私にも理解出来た。
貴族は準備が必要なので、呼び出すにしても2週間前が基本だ。まして、領地にいるルディウスに対してなら、手紙のやり取りにかかる日数も計算に入れて移動も計算に入れると、まあ、一ヶ月前が妥当だろうか。
大きなため息をついたルディウスだが、顔を上げた時には笑顔になっていた。
「仕方ないから断るしかないな。後3日で王都に行ける訳ないだろ」
伝令の早馬なら何とか出来るかも知れないが、普通に貴族が王都まで馬車で移動しようとしたらここからでも1、2週間かかる。
イルヴィレアート姫の指定の日時に伺う事は完全に不可能なので、王家だからとか断るとかそれ以前の問題である。
安心したルディウスは、届くだけで一週間以上かかる返信を形だけでも直ぐにしたいからと、私から無地のレターセットとペンを借り、その場でさらさらと『急な事で予定がつかない』と断りの手紙を書いて送った。
筈だった。
私が知り得ない場所で、それは起こった。
当事者であるルディウスも、事が完全に終わってから何が起こったのか知る事になる。
ルディウスが預けた手紙は、店の外で待機していた手紙を運ぶ役目の使用人が受け取った際に別の手紙とすり替えられた。
たった一枚扉の向こうで起きた事でも、私達には分かる術はない。
『是非参加いたします』
ルディウスの本来の返事とは反対の事を書いた手紙がイルヴィレアート姫に送られた。
すり替えを指示した者の予定通りに。
ルディウスは手紙のすり替えなど全く知る由もなく、その後の日常を過ごしていた。
会えば必ず突っかかってくる長兄のフレデリックが静かな事に、他の家族同様仕事と聞かされていれば何一つ不審を感じる事はなかった。
「私がイルヴィレアート姫にお目にかかれば、きっと……!」
『暗号』を見事に読み解いたフレデリックは、イルヴィレアート姫の茶会に出席する為に王都に向かっていた。
間抜けにも読み解けなかったルディウスはまだ王都に向かっていないと知り、侍従達とほくそ笑む。
イルヴィレアート姫と結婚して公爵位を得るルディウスをフレデリックが妬んでいる事は家族中が知っていても、フレデリックが姫と結婚出来れば自分の方が公爵になれると信じている事は、フレデリックに近しい侍従しか知らなかった。
使用人達から侯爵家の後継として常日頃持ち上げられて育ったフレデリックは、自分の方がルディウスより遙かに優れていると思い込んでいた。
きっとイルヴィレアート姫と会ったなら、姫は自分の方が素晴らしいと認めて愛してくれる。
そうやってフレデリックが公爵になった方が都合が良い周囲に踊らされるだけ踊らされ、ルディウスの婚約事情を全く知ろうともしなかった。
事情を知っていた侍従は口を噤んでいた。
どうなるか順当に考える事よりも、自分達の都合良く進む可能性だけを考えていたからだ。
フレデリックの周囲はそんな主人より自分自身の事しか考えていない者ばかりだった。
だが、ルディウスとイルヴィレアート姫がまともに会った事もないとは、フレデリック側の者は誰も知らなかった。
フレデリックの方は、ただただイルヴィレアート姫がルディウスに惚れたから成り立っている婚約だと勘違いしていた。
そして、イルヴィレアート姫が長らくルディウスの命を本気で奪おうと画策していた事は、フレデリック側には誰一人知る由もなかった。
致命的な勘違いしている者は他の場所にもいた。
何とか神殿の力でねじ込んだお茶会は、早々に参加者を白けさせていた。
付き添いの神官達も一様に主催者に咎める目を向けていた。
「へー、意地悪ばかりだった姉を途中で放り出してここに来たって?」
予想外に酷く冷たい目を向けられ、ミルディリアは戸惑いを隠せなかった。
意地悪な姉のクラウディアという、絶対に同情して貰える話をしたのにも関わらず、王子達の反応が思っていた反応と全く違うので、どうして良いか分からなかった。
「街道の途中って簡単に言うけどさ、魔物も盗賊も現れる場所だよね。そこに放置したって事は、つまり殺したって事だろ」
王太子の息子である双子の王子達は、ミルディリアには全く誘導されなかった。
王族として数々の女性達の欲望をあしらってきた双子の王子達が、ミルディリアの言葉の裏に隠し切れていない願望に気付くのは当然の事だった。
神殿で虐待されていると訴えるだけなら、まだそこには王子も考える余地はあったのだが、考えの浅いミルディリアは『いつものように』思い通りにしようと企んでしまったのが失敗の始まりだった。
クラウディアは悪者で、ミルディリアは可哀想な妹。
両親は勿論、周辺の地域ではそれが浸透していた。
それは醜い姉と美しい妹という話でもあり、ちょっと涙目になればいつでも男性達がミルディリアを取り囲み、可哀想だと望みを叶えたのだ。
だから、ミルディリアは同じ手を使うのだが、王都に来てから一人の貴族令息も騙される事はなかった。
何でよ!
どうして私を可哀想だって言ってくれないの?
いくら容姿が飛び抜けて良くとも、それだけでは補えない程の非常識な発言をしている事に、ほとんど教育を受けていないミルディリアは気付きもしない。
「で、でも、姉は私にずっと酷い事をしてきたんですよ……!」
必死で訴えても王子達の目は冷ややかなままだ。
「酷い事と言うけれど、君が話す通りなら君の両親はずっと君の味方だし、無能な筈の姉が君に何をやれると言うんだ?」
「それに聖女に何かあったら直接女神から罰が下るんだよ。他の国の神殿にも何があったのか女神から知らされるというね。ねえ、クラウディアって女の子が聖女を傷付けたって公表は1度としてされてもいないけど、それってどういう事なのかな?」
神殿で学ぶ事を放棄しているミルディリアは、聖女の事もよく知らない。
仕組みを理解する気もなかった。
「私が神殿に頼んだからです! 姉を罪人にしたくないから……」
涙を浮かべて俯いたミルディリアの言葉を最後まで聞く事なく、王子達は揃って大笑いした。
もう王子達の目には姉をとことん利用しようとするミルディリアを蔑む感情しか宿っていなかった。
「姉は君の中でどれだけ便利な存在なんだ!」
「姉が君に対して酷い事などやっていないって分かっているって言っているだろ!」
それでもミルディリアは自分の立場を盤石にしてきた魔法の言葉に縋った。
「違います! 姉が……姉が意地悪したから!」
頑なに嘘をつき続けるミルディリアを見る神殿関係者の目には、最早消える事もない嫌悪感が浮かんでいた。
聖女にあるまじき聖女。
ただでなくても修行もせず我が儘ばかりのミルディリアには、聖女見習いの女性達も目を合わせる事もない。
どうして!?
ミルディリアには現実が突きつけられていたが、長く自分はお姫様だと認識していたミルディリアの夢は覚めなかった。
田舎では自分がただ領主の身内だから胡麻を擂られていただけだとも未だに分かってもいない。
そして、絶対スキル所持者であるクラリスを傷付けたミルディリアが、今も自分が聖女だと思っている事さえ勘違いだと気付くには、まだ時間がかかるだろう。
ミルディリアの理想的な世界は、土台にさせられていたクラウディアを失って崩壊した。
不必要なクラウディアがいなくなったら全てが上手くいくと思ったのは勘違いだった。
それだけは、去りゆく王子達の背を見ながらミルディリアも理解した。
「私は意地悪されていたのに……!」
誰もミルディリアの言葉を信用しない。
誰もがミルディリアを慰めない。
冷たくなったお茶を替えてくれる者もいないまま、ミルディリアは一人部屋に戻るしかなかった。




