13.【秘密の下に埋もれた秘密は誰の為に隠されて】
エメライア姫の手紙の衝撃は案外大きかった。
味のない昼食を食べて戻った後もぼんやりしていた私は、
「お帰りなさい。領主様が急ぎで頼みたい事があるので、直ぐ来ていただけないかとの事です」
店の前で私達の帰宅を待っていたのは先代侯爵付きの補佐官だった。
しかし、補佐官の言葉は私の耳を素通りし、そのままするっと補佐官ごと無視する形で店に入ろうとした私に、
「店長! お客様ですよ!」
「えっ! あっ!」
慌てたセシリアの大声で私は驚いて振り返った。
私が先代侯爵と出会った頃から補佐官をしている女性は苦笑いをして、
「疲れてます? なら休んで下さいと言うべきなのでしょうが、今回は本当に急ぎで片付けたい仕事なので、申し訳ありませんが……」
「大丈夫です、大丈夫です。ちょっと考え事をしていただけです」
エメライア姫の手紙の事は考えても仕方ない……事もないかもしれない。
先代侯爵はエメライア姫がいた頃は王城で勤めていた筈で、何らかの事情を知っていそうな気がする。
王族の事なので教えてくれないかも知れないが、40年も前の事ならば或いは。
手紙の件が気になって仕方ない私は急いで服を着替え、領主の館に向かった。
領主の執務室で私を待っていたのは、またしても手紙。
しかも何十通ではなく、百はあるかもしれない手紙の山だった。
「手紙コレクターから押収した物だ」
「あ、あの変態、ようやく捕まりましたか!」
プライベートの概念が未だないこの世界でただ数人……プライベートを理解してプライベートを覗く事に愉悦を感じる、世の中の理に外れた存在もとうとう……!
何故だか私の胸が熱くなった。
「はっきり言うな……。まあ、手紙窃盗を唆した事だけは間違いない。全員を捕まえる事が出来なかったが、運送ギルドの元責任者と繋がっていた者は何とかな」
「そう言えば運送ギルドの元支部長が責任を取らされましたよね」
「ああ。そして今回捕まった奴も巨額の賠償金を運送ギルドに払う事になる。貴族でなくなるのは一瞬だな……」
何かやらかして貴族でなくなる者は時々いるが、こんな訳の分からない変態行為で子孫が家を潰したとなっては、頑張って爵位を得た先祖も気の毒な事である。
かつては宰相を勤め、他の貴族家の栄枯盛衰を散々見てきた先代侯爵が複雑そうな顔をしてしまうのも仕方ない。
「取り敢えず、運送ギルドが賠償金でぼろ儲けした事はひとまず横に置いて、回収した手紙を本物と偽物に分けて欲しい」
ぼろ儲けの詳細はまた別の闇が噴出しそうで聞かない事にした。
貴族もギルドも上の方は碌なものではない。
気を取り直した私は机の上の山の一つに手を伸ばした。
数こそ多いのだが、本物かどうかは文章をぱっと見るだけで分かる。
封筒から出しては直ぐ戻して分けていくと、途中から先代侯爵の補佐官の一人が確認しやすいよう便せんを出して並べてくれるようになり、仕事はあっという間に片付いた。
「早いな! これは御礼に食事をと思っていたが、お茶だけだな」
早さが面白かったのか、先代侯爵も仕事の手を止めて私を見ていたようだ。
補佐官が分けられた手紙を本物は大事そうに高級なトレイに載せ、偽物は乱雑に箱に入れていた。
「本物は約十分の一でした」
「半分以上は本物だと主張していたのだがな。これは直ぐに犯人に伝えなければならないな。騙されていたと知ったらさぞや見物だろう」
貴族は大抵性格に難があって当たり前だ。
だから私は犯人をおちょくる材料を手に入れて上機嫌な先代侯爵の姿には別段思う事などなかった。
気になるのは別の事だ。
私はじっと偽物が詰められた箱を見た。
お茶を出してくれた別の補佐官が、
「まだ何かありました?」
「いえ……あれって別の犯罪の証拠ですよね。元があって写された手紙ではなく、そもそもねつ造の手紙なんですよ」
「それは……金目当てで本物のない偽物を作ったのでしょうね」
「それもありますが、実在の貴族の名前を不正に使った手紙ですよ。それって貴族の名前を騙った犯罪になりません?」
ただの偽物ならそれでも良かったが、実在の貴族の名前を出して価値を高めようとした事は、よくある詐欺の手口ではなかろうか?
偽物の手紙はゴミとして捨てる準備を始めていた補佐官の手が止まった。
「え、どれがまずい手紙?」
「箱にあるのが全部そうですよ。そもそも運送ギルドはほとんど貴族の手紙を扱いませんから……随分と豪快に騙されていたようですね」
「えー……」
手紙コレクターが偽物につぎ込んだ金額はトータルいくらになる事やら。
先代侯爵が笑いだし、他の補佐官達も笑い出した。
詐欺で金を巻き上げられた挙げ句、運送ギルドからもぼったくり的な賠償金を払わされたなんて、確かに間抜けすぎて笑うしかない。
「プライドばっきばきになるな!」
先日他の人とは相容れない価値観だったと理解して引き籠もった手紙コレクター達は、今回の逮捕からは逃げ切った者達もずっとコレクションを疑心暗鬼に眺める事になるだろう。
プライベートな手紙だからこそ、真贋など分かる者はほとんどいない。
先代侯爵は早速王都で宰相をしている息子に連絡を取らないといけないと、補佐官達を集め出した。
「今から少し忙しくなりそうだ。持って帰れるお菓子を準備するから、受け取って帰りなさい」
そう言われると、私も先代侯爵の執務室を後にするしかなかった。
エメライア姫の事が聞けると意気込んでいたのだが、ちょっと流れが悪かった。
手際よく玄関ポーチで手渡されたお菓子は柔らかい生菓子との事で、私は好物だったがセシリアはあまり好まない物だった。
ただ、領主の館の厨房で何がどうなったのか、私は箱4つ分の生菓子を抱えてその場で途方に暮れる事になった。
箱の高さで前が見えない私の手からから、護衛として一緒にいたアレンが1箱取ってくれた。
「……その1箱はアレンさん達で食べて下さい」
「良いんですか? でも、女性は甘い物がお好きでしょ?」
「いくら好きでも限度がありますよ。太る以前にお腹に入りません」
厨房に女性がいたらこの量は絶対止めたであろう。
間違いなく自分を基準にした男性達が気を遣った惨事だと分かる。
「子供は食べて育つと執事長が」
「私の成長期はとっくに終わっているんですよ。もう育つなら横だけです」
とは言え、貧相な私の子供時代を知っているからこその配慮だったら怒れない。
おじいちゃん!
血の繋がりはなくとも一番家族らしい扱いをしてくれる先代侯爵の思いやりは、私をいつか横綱的体型にしそうで怖かった。
生菓子の箱積みを見ていた領主館の使用人の方が、安全に運ぶのは無理そうだと馬車を用意してくれた。
誰から見ても危険な生菓子の箱積みだ。
馬車に乗り込むのも至難の業だった。
果たしてあまり人付き合いのない私がこれをどうやって消費するか、それが今後の一番の問題だった。
「……アレンさん、もう1箱どうでしょう?」
「私は領主直属の騎士ですよ? 私が2箱も詰め所に持ち帰ったら、それはそれで礼儀として問題になる部分があると思いますよ」
良い案だと思ったが、所属が壁だった。
家族と生活しているセシリアに押しつけるにしても、本人が本当に嫌いなので私が泣き付いた所で受け取るのは1箱だろう。
残り2箱!
せめてもう1箱を誰かにあげないときつい。
馬車の窓からぼんやりと外を見ていた私は、ふと今走っている通りが常連客の家の近くだと気が付いた。
あの常連客の家族には確か、お菓子が好きな女性が何人かいた筈!
私は御者にお願いして急いで馬車を止めて貰った。
前触れもなく伺ったが、幸い忙しい事はなかったらしい。
元王城の文官だった常連客は、私の箱積みお菓子の話を聞いたら喜んで引き取ると言ってくれた。
「領主館の菓子なんて孫達が喜ぶだろう」
結局3箱分を渡した。
流石に先代侯爵の深い思いやりがあったとしても、私はこの年ではまだ横には大きくなりたくない。
ニコニコ顔の常連客の奥様が「1つくらいは食べるでしょ」と生菓子を皿に載せて出してくれたので、これで色々な方向に義理が立った気がした。
常連客と世間話をしている時、この常連客から以前エメライア姫の事を聞いたと不意に思い出した。
王城で知り得た機密情報の秘密保持は文官を辞めた後も、年金を受け取る引き換えに義務として課せられるとも言っていたので、聞いて答えてくれるか分からないが、どうせなので聞いてみる事にした。
「先程、神殿の展示企画を見に行ってきました。そこで展示してあったエメライア姫の手紙で、エメライア姫が売られるかも知れないと大層嘆いている記述がありましたが、何か御存知ですか?」
「……それは本当か? いや、疑っている意味ではないのだが……その手紙は誰に宛てた物だったか分かるか?」
「エメライア姫の婚約者に宛てた物でした」
常連客はしばらく眉間に手を当て俯いたまま沈黙していました。
「先代侯爵にはこの話は……」
「仕事の話が入ったので出来ませんでした」
「……そうか。まあ、知ったからと言って今更だろうな」
常連客は椅子に座り直すと、疲れたような重苦しい息を吐いた。
何かを察したのか、一緒にいた常連客の夫人は静かに退室して行った。
「エメライア姫の婚約者の家は、今はもうない。その手紙はよく残っていたな」
王家の姫君が嫁ぐとなるとそれなりに力のある貴族の家だろう。
なくなったのならそれはそれで話題として残りそうな気がするのだが、巷の噂でもその辺りの話は不思議と聞かなかった。
「前の……違うな、前の前の宰相の家だった。子息が今の陛下のご友人で、将来は宰相になると目されていた人物がエメライア姫の婚約者だ」
常連客は年寄りは記憶が曖昧だと笑った。
前の宰相は先代侯爵の事で、その前に宰相を務めていた家と言う事である。
「そんな大きな家がなくなったなんて聞いた事はないのですが」
「それも40年近く前の事だから仕方ない。それに、家のなくなり方が何とも奇妙だったからな」
怪訝な顔をした私に、常連客は困ったように、
「陛下の可愛がっていた姫と、陛下の親友だった子息の事は、現在も多くの事が伏せられている。まるで秘密があるように見えるがね……」
紅茶のカップに常連客はドボドボと砂糖を入れて飲み干した。
それを口にする事は常連客にとって余程ストレスなのだろう。
「秘密なら秘密のままでも……」
「いや、君はどうにも色々な方向に首を突っ込まざるを得ない運命にあるようだから、私は忠告としてはっきり言わせて頂こう」
大きく息を吐いて、
「王家は秘密を隠す為に秘密にしている。見かけ上の秘密の下にもう一つ秘密がある事を覚えておくと良い」
それが、常連客の話せるギリギリだったそうだ。
何を秘密にして何を隠しているのか、現時点の私からはその境界線はまだ曖昧だった。




