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「あ、いらっしゃーい!」
ドアを開けると小洒落たベルが鳴り、カウンター席に座っていた夏樹が2人を明るく出迎えてくれる。
軽音部の活動が休止した今も、2人はカフェライナーに足を運んでいた。さすがに毎日とはいかないが、それでも週に2回程度のペースで顔を出している。
「今日は空いてますね」
空いているというか、厳密に言うと客らしき人は誰もいなかった。
「ランチタイムは相変わらずだけど、そこ過ぎちゃうと最近はいつもこんな感じ。外が今日もあの調子だし、駅前の店はどうしても敬遠されちゃうのよ。これで路上ライブやってる人達に影響が出ないといいんだけど……」
夏樹は腕を組み、難しい顔を浮かべる。しかし、心配するのは店の経営よりも路上ライブに精を出すミュージシャンのこと。それが実に夏樹らしくて奏介は安心する。同時に、やっぱりここは変わらない場所だと思う。
「あ、ごめんね。立ちながらこんな湿っぽい話して! さあさあ、好きなところ座って!」
「ありがとうございますー! じゃあ夏樹さんの隣!」
梨音が一足先に嬉々として夏樹がいた横のカウンター席をキープする。さらにその隣に奏介が座った。
「今コーヒー持ってくるけど、ホットとアイスどっちがいい?」
「あたしはアイス!」
「俺も同じで」
「了解~」
そう言って、夏樹はキッチンの奥へと消えた。夏樹の座っていた席では、ノートパソコンが開いたままになっている。画面には数字の並ぶエクセルのデータ。その横、別のウインドウではニュース動画が流れていた。
『旧北朝鮮勢力と反体制派を中心とする紛争が激化し、朝鮮半島北部では中国からの難民も巻き込む形で混乱が広がっています――』
慌ただしく画面が切り替わる。記者会見に応じる韓国の大統領。戦場カメラマンにより撮影された生々しい戦場。ニュースキャスターとコメンテーターの神妙な面持ちで交わされる議論。
「なんか、物騒な世の中」
つぶやく梨音。黙って画面を見つめる奏介。どちらもニュースキャスターと同じような表情を浮かべている。奏介は動画を見ながら漠然と考えた。
とうとう、戦争が始まるのだろうか。
実際、隣国ではすでに始まっている。連日、ニュースがそう伝えている。街はどこかピリピリとした空気に包まれている。
それでもまだ、リアルではない。「戦争=フィクション」だと信じて疑わない自分も、心のどこかにいる。
不意に梨音が席を立った。
「どうした?」
「お手洗い行ってくる」
少し足早にその場を離れる梨音。もしかしたら、きな臭いニュースに嫌気がさしたのかもしれない。確かにこの場にそぐわないし、動画は閉じたほうがよかっただろうか。とはいえ、夏樹さんのPCを勝手にいじるのもマズい。
と、奏介がそんなことを考えていると、今度は入れ違いに夏樹がコーヒー2人分をトレーに乗せて来た。
「中国は内乱で北朝鮮も分裂して……もう日本以外の東アジアは戦争状態だって。店長、大丈夫かな?」
夏樹から、2人分のアイスコーヒーが差し出される。
「店長って確か、夏樹さんの先輩でしたっけ? 海外に行ってるんですよね?」
「そうそう。大学の先輩で、コーヒー豆の買い付けとか研究とかその他もろもろの仕事で、今はブラジルにね! 奥さんと一緒に行ってて、南米はそれほどひどくないみたいだから大丈夫だとは思うけど。でもお茶の仕入れの関係で時々アジアに飛ぶこともあるみたいだから、ちょっと心配。こういう状態だとそもそも茶葉とか豆を輸入できるのか、って話にもなってくるし……あ」
「あ?」
急に夏樹さんの注意が逸れた。ニュース動画のほうに向いている。最後に発音した「あ」の形で半開きになった口が固まっていた。
ニュースの内容は、さっきまでの国際情勢から切り替わって、芸能ニュース。教室でも賑わせていたMiXのアルバム延期について。所属事務所の前で、スタッフと思われる人物が報道陣に対して対応していた。
異様だった。
MiXにこれほどの人が執着しているのも1つの原因かもしれない。しかし、何より異様と思わせたのが、対応するスタッフだった。
痩身かつ長身。余計なしわのないグレーのスーツ。銀縁のメガネと切れ長の目。オールバックの黒髪。まるで存在そのものが鋭利な刃物のような男。
殺し屋、と言われた方がまだ納得できそうな風貌だった。
男は1対多数のカメラの前では丁寧に対応している。音声はナレーションで上書きされ聞こえないが、一見するとそんな状況。しかし、なぜか画面越しにも報道陣を圧倒しているような雰囲気を感じる。下手な質問をしたら殺されるんじゃないかという気迫が、カメラ越しにも伝わってくる。
そして、夏樹が言った。
「私、この人見たことある」
「……この人って?」
奏介が恐る恐る訊いてみる。訊きながらまさか、と思う。嫌な予感がする。
夏樹は、テレビに映る殺し屋まがいの男を指さした。
「このスーツの人。あまりにも、周りと雰囲気の違う人だったから、よく覚えてる」
予感は的中。大当たり。しかも、余計なオマケまでついてきた。
「この人……ジェロムズのライブ会場に来てた」
その一言が、奏介にはどんな戦争のニュースよりも重く、リアルに響いた。
それから、カフェライナーでどんな話をしていたのか、奏介はあまり覚えていない。
ただ、奏介の中には1つの確信と、2つの仮定があった。
確信は、これについて梨音にはまだ話さない方がいいということ。
そして仮定とは、スーツの男が彼方の失踪に関わっているかもしれないということ。
それから――MiXの正体が、遠野彼方かもしれないということ。
その日の夜、奏介は一睡もできなかった。




