表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ワールズエンドの歌姫  作者: 染島ユースケ
3.ライブハウスの歌姫
PR
55/177

18

 朝が近づきつつある屋上の空気は、思いの外ひんやりとしていた。屋上のドア、眠そうに蝶番が軋んで重く閉ざされる。

 それでも初夏の香りが強く残る、青々とした空気の匂い。その中心、冷たいコンクリートの上で凛と立つ彼方。それで、奏介は彼方と出会った時の情景を思い出す。

 桜吹雪の真ん中で立つ彼女には、唯一無二の美しさと神々しさがあった。そして、今ここにいる彼方にも、あの時と同じような神秘性を奏介は感じていた。

 夜風に揺れる長い髪。ハーフパンツからすらっと伸びる細い脚。シャツの上から羽織った灰色のパーカー。空の色に照らされる白い肌。そして、彼方の全身と一体化したアコースティックギター。

 やっぱり、彼方は歌姫としてステージに立ち続けるべき存在だ。今、世界は彼方を中心に回っている。きっと、ジェロムが言いたかったことは、こういうことだ。彼方をギターボーカルにしたいというジェロムの思いが、今では手に取るようにわかる。100%に限りなく近く、共感できる。

「奏介に、ギターを教えてほしい」

「ここで?」

「そう、時間がないから」

 だから、奏介はここで素直に従うべきだ。彼方の提案に何の異論も挟まず乗るべきなのだ。

「私、明日までに、弾けるようにならないと」

 今日の屋上に上がって初めて、彼方の表情を見た。

 何かに、追いつめられた表情。

 羽ばたかせていたはずの自由の翼は、鳥かごの中に閉じこめられていた。

 ――だから、奏介は彼方の提案には乗らなかった。

「その必要はないよ」

 奏介が切り出した言葉に、彼方は目を丸くする。

「どうして?」

「彼方は、俺が軽音部の入部を説得した日のこと、覚えてる? そのとき俺が言ったこと、覚えてる?」

 彼方は何も言わない。でも、はっきりと奏介は覚えている。

『もし遠野さんが入ったら、それは楽しんでくれなきゃいけないんだよ』

 ぎこちなく、だけど自分なりに彼方へ伝えた言葉があった。

『要するに、俺らが楽しくて、でも遠野さんにだって楽しんでほしくて。無理矢理じゃなくて、自然と、そう自然に楽しんでもらえるようになってほしくて――』

 今思い返すと、あまりの固さとテンパりっぷりに少し恥ずかしくなる。でも、我ながらよくぞ言ったと思う。

 ライブでの成功は、大事だ。しかしそれ以上に、彼方にとって大事なことがある。

「俺は彼方にもう一度、音楽の楽しさを思い出してほしい。そのことが、一番大事。それは彼方を軽音部に誘ったあの時から変わらない」

 でも、今の彼方はどうだろう。

 本当に、心の底から、音楽を楽しんでいるだろうか。

「夜にみんなでPVを撮っただろ。屋上で歌った『ナイトフライト・フリーバード』。あれ、楽しかっただろ?」

 彼方は黙ってこくり、とうなずく。

「俺、あれがいいって思った。屋上で歌ってる時の彼方が、何にも囚われてなくて、彼方自身が心から音楽を楽しんでるんだな、って。そういうのが見ててわかった。見てるこっちがワクワクした。まさしく歌に出てくる大空を羽ばたく鳥、そのもののような気がしたんだ」

 屋上で歌う彼方を思い出す。

 あの時の記憶に残る彼方は、全てが笑顔だった。

「ギターを練習してる彼方は、どこか苦しそうだった。まるで何かに迫られて、無理矢理弾かされているようだった。彼方の努力する姿は格好よかったし見習いたい。部長の期待に応えたい気持ちもわかる。でも、ジェロムズに……彼方にそういう息苦しさはいらないと思う」

 その笑顔を、笑顔で紡ぐ歌を、奏介はもう一度見たかった。

「だから、彼方はただ自由に、自分が楽しいと思うように歌えばいい。歌うだけでいい。ギターは俺が、彼方の分まで全力で弾くから」

 すると、彼方は何も言わず完全にそっぽを向いてしまった。180度の回れ右。明るくなってきた朝焼けの方角へ。

 もしかして、何か気に入らないことを言ってしまっただろうか。そんな不安が、奏介の脳裏をよぎる。

「あ、ごめん! もし何か不快に思うことを言ってたら謝るし、本当にギターもやりたいならその気持ちは尊重するつもりだし……」

「違う」

 彼方の一言が、浮ついた奏介の言葉を打ち消した。

「不快に、思うわけない」

「え……?」

「嬉しかった。今まで、ただ求められたものを歌うことばかり押しつけられて。自分が楽しく歌うなんてこと、できなかったから」

 そして、彼女は振り返る。

 泣いていた。

 泣きながら、笑っていた。

「私、ジェロムズの……奏介の隣で歌うのが楽しい。隣で奏介がギターを弾いてくれるなら、私は全力で、心のままに歌える」

 彼方は涙を拭って、肩に掛けていたギターを外す。それから、奏介の前に突き出した。

「ギターは任せる。だから私は、自分の歌いたいように歌う」

「ああ……任された」

 彼方が見せた涙に驚きつつも、奏介の声は決意に満ちていた。いや、決意はもうできていた。一緒に彼方とステージに立った、あの時から。

「ありがとう、奏介」

 そして、奏介はタスキを受け継ぐように、彼方からギターを受け取った。肩に掛け、早速鳴らすリフ。こうなったら、やることは1つ。

「歌おう、彼方。歌う曲は何でもいいよ」

「何でもいいの?」

「あ、でも俺の弾ける曲でよろしく」

 何となく締まらないやりとりに、彼方はクスリと笑った。いつの間にか、彼方は自然と笑顔を見せるようになっていた。そんな彼方の笑顔を、ずっと守っていきたい。自分の音楽ならば、それができるかもしれない。

「それじゃあ、あれ弾ける?」

「あれ?」

「真っ赤な空を見ただろうか」

「それ、いいね」

 もう14年も前の曲だけど、言わずと知れたバンプオブチキンの名曲。発表当初はカップリング曲だったらしいが、現在では奏介達の世代まで浸透し、未だにカラオケやネットで、あるいはコピーバンドの定番曲として歌い継がれている。奏介自身もこの歌は好きだし、素直にいい曲だと思う。

「でも、あれって夕焼けの歌だよね?」

「あっちの空も赤くなってきたから、大丈夫」

 彼方が見つめ、指さす方角。同じ方向を見上げると、東から真っ赤な空が迫っている。夜が、明ける。

 ひらめいた。

「じゃあ、歌詞変えて歌おうか?」

「どんな風に?」

「『夕焼け』を『朝焼け』に」

「それ、いいね」

 奏介と彼方は、顔を見合わせて笑った。まるで、悪巧みを思いついた共犯者のように。

 そして、奏介は朝焼けに向かってカポをつけたギターを鳴らす。G→D→C→Gと軽快に進むコード進行。朝と夜の境界線で、空気が震える。その音色は、地平線のカナタまで。

 そこに、彼方の歌が交わる。ふわっと優しく、煌びやかなギターの音色を包み込むように。

 奏介のギターと、彼方の歌。屋上を流れる空気に溶け合って、徐々に2つは収束して1つになる。心地よい一体感が、全身を包む。

 いつの間にか、奏介自身も歌詞を口ずさんでいた。もうこれ以上何もいらないと思う。彼方の歌があって、自分のギターがあって、2人で奏でる音楽がある。それだけで今は十分だと思う。これは誰かに聴かせる歌じゃない。2人のためだけの歌だ。

 やがて、音楽はクライマックスに突入する。そのタイミングを見計らうかのように、空が一層明るくなった。夜明けが来た。まるで炎が燃え広がるように、真っ赤な空が2人の頭上に。そして真正面には、目を覚ました太陽が、赤く、神々しく輝いている。

 彼方の歌に熱がこもっていくのがわかる。奏介のギターにも力が入る。ちらりと彼方を見る。太陽にも負けず、輝いている。

 そうだ、その顔だ。音楽を心の底から楽しんでいる、今の彼方が見たくてギターを掻き鳴らしているんだ。ここに立っているんだ。

 ずっと、こうしていたい。彼方の歌に寄り添って、ギターを弾いていたい。だけど、終わりはあっという間に訪れる。

 ラスト1フレーズ。奏介は力の限り、ピックを持つ手に魂を込めた。

「——っ!!」

 最後、奏介は声にならない声で短く叫んだ。それから大きく深呼吸。額と掌に汗がにじんでいた。

 ピックが指先から落ちる。終わり。余韻。達成感。生まれたばかりの朝日が、2人だけを照らしている。

 2人で見た真っ赤な空。

 ああ、なんていい景色だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ