2 グレンの道標
数分前、西部に入ったと父が言った。
窓の外では、夕陽に焼ける荒野が広がり、遠くでぼんやりと山並みをかたどっている。
赤錆びた標識がその景色の中を通り過ぎていった。
《Interstate 10》
政府が消え、人が消え、制限速度も消え去ったハイウェイを、三台の車が疾走する。
いずれも土埃ですっかり汚れて、ボディには傷や凹みも多い。所々には、赤黒い痕もこべりついていた。
後部座席は絶えず上下に揺れる。
少年は、口の中に溜めた唾液を飲み込んで、軽く咳き払いした。
隣では妹がまだ寝ている。運転席の背もたれ越しに、父親の坊主頭が見えた。
助手席の母親が気づき、こちらへ身を捩った。
「喉乾いた? 水飲む?」
彼女が差し出したペットボトルに、ハンドルを握った父がちらりと目をやる。
「次いつ手に入るかわからないんだ。飲ませすぎるなよ」
たしなめる父の横顔を、母が疲れた目で見返す。
「分かってるわよ。そんなこと」
母がいま、息子に与えようとしているのは彼女の分の水だ。
「大丈夫」少年は小さく首を振ると、もう一度、口の中に溜めた唾を飲み込んだ。
『――アメリカにまだ生き延びている者たちへ』
備え付けのラジオからノイズ混じりの声がする。
『サンフランシスコへ向え。
我々は黒界連合軍。空の地球よりもたらされた汚染と変異に対抗する組織である』
彼らに最後に残された、無機質な音声。
『なるべく人の多い地域は避けるように。無人地帯ならばまだ汚染も少ない。ただし、主要のハイウェイには――』
母が無言でボタンを押し、ラジオのボリュームを落とした。
「もうすぐガソリンが切れる」
父が前を睨んだまま呟く。
「近くにスタンドはあるの?」
「……わからない。探すよ」
父は、片手でハンドルを握ったまま、足元からトランシーバーを取り出した。
何かを吹き込むと、縦に並んで走っていた三台の車がスピードを落とす。
「ん……」
座席の振動がやわらぎ、隣で妹が目をこすった。
「……ついたの……さんふらんしす……」
「まだだよ」
少年、グレンは、運転席から出ていく父の背中を眺めながら答えた。
「ここらのスタンドはやはり全滅だ」
「また乗り捨てられてる車から取るしかないな」
「いやしかし、もう数年は前に生成された燃料だろう。都合よく使えるかはわからんぞ」
「じゃあどうする」
「別の交通手段を使うしかない。農場に生き残ってる牛や馬がいるかも」
車から出た大人たちは、道路沿いのフェンスの前で、険しい顔で話し合っている。その間、母はトランクから子どもたちの防護服を取り出していた。
「もうすぐ街が近くなるから、これ着ようね」
「えーやだァあ!」
妹のサラが駄々をこねる。
対してグレンは黙々と渡された服の袖に手を通した。
「なんで着なきゃいけないの? どうしても?」
「着てないと体が痛くなっちゃうよ」
「わたし……これ着てる時の方が、頭痛いんだもん」
サラはいつもそう言う。グレンは、防護服の素材が肌に合わないのではないかと思っていた――が、
「いい加減にしろ! サラ。嫌なら車に置いていくぞ!」
戻ってきた父が問答無用で声を荒らげた。
サラは、びくっと肩を震わせた。唇がひきつり、目に涙が浮かぶ。
せきを切ったように、盛大に泣き出してしまった。
「ちょっと、あなた!」
甲高い泣き声に混じって、母の責める声。「仕方ないだろ!」父の怒声がする。
「ワガママを聞く余裕はないんだ。誰かが叱らなきゃわからない」
妹の鳴き声がさらに大きくなる。グレンは両親にバレないよう、小さくため息をついた。
大人たちは街へガソリンを探しに出かけた。
グレンとサラはふたりで車に留守番した。
「車の中にいるのよ。外には出ないで」
サラは、トランクに最後に残っていたスナック菓子を与えられて機嫌を取り戻していた。
グレンは窓の外を見ていた。
西日が沈み、荒野は夜の闇に包まれつつある。
ハイウェイに乗り捨てられた大量の車の一部が、草原の方まで転がっていた。
草原の向こうには小高い禿山がいくつか連なっている。
「ねえ、お兄ちゃん」
サラが肩を叩いてきた。お菓子の袋を差し出す。
中にはスナックがひと欠片だけ残っている。
「……おう」
グレンは手を伸ばしてスナックを口に放り込んだ。
サラは満足そうに座席に身を沈め、しばらく窓の外を眺めていた。
「お兄ちゃん、そと、出てもいい?」
ある時、聞いてくる。
「……駄目だ」
「出たい!」
「また父さんに怒られるぞ」
「すぐもどればバレないよ」
悪戯っぽく笑う。「駄目だ」グレンは取り合わず首を横に振る。
「なんで?」
「危ないからに決まってんだろ」
「お星さまが出てるんだもん。とおくにはいかないから。ちょっと外にでて、見るだけだよ」
「…………」
妹の顔が、また泣きに向かっている。グレンは仕方なく扉を開けた。
「三十秒だけだぞ」
「うん!」
飛び出したサラを追って、外に出ると、生ぬるい風が首に当たった。
草のざわめきと虫の音だけが響いている。
「オリオン座だよ!」
サラはまつ毛の多い瞳を輝かせ、ピンと伸ばした小さな手で、空を指した。
「……どれだよ」グレンは腰に手を当てて目を凝らす。
地上の明かりも、雲も無いのに、星はぼやけて見づらかった。
空全体を、薄雲のように暗い巨大な“地球”が覆っているのだ。
「あーあ……あれが無かったらなー……」
肩をおとしてぼやくサラを、グレンは横目で見た。
薄金色の細い髪が風でたなびいていた。
「もっと綺麗に見えるのに……」
それは、星に興味のないグレンにはさしたる問題ではなかった。
でも、妹が最期に望んでいたことだから、脳裏に深く焼き付いていた。
※
『……爆破による被害は基地全域におよび、軍による救助活動が続けられています。
現在の死者と行方不明者は合わせて10名。身元は確認中とのことです』
食堂のテレビには黒焦げた軍施設の空撮が映されていた。
「だからさ、軍はやっぱり“フリーセーバー”には早急に対処しなきゃいけないんだよ」
目の前に座るトーマスがフォークをかかげて言った。「今回の一件で確信は得たはずだ」トレーに最後に残ったニンジンを突き刺し、前歯でカリッと咀嚼する。
「奴らは過激派だよ。僕らと何もかもが、かけ離れてる。共存なんてできっこない」
「対処って、具体的に何をするノ?」
隣ではメイリンが、もう聞き疲れた顔でコーヒーのストローをすすっている。
「奴らの拠点を突き止めて攻撃する!」
トーマスがこれほど声を荒らげるのは珍しかった。彼の目も、メイリンと同様に、明らかに疲れて、寝不足で乾いている。
兵学校時代から内気で心優しい整備兵。
そんな彼が、自分でも意識しないうちに粗雑な態度をとってしまうのも無理はなかった。
昨日の午後、ふたりは件の爆破事件に巻き込まれた。それから徹夜で精密検査と事情聴取を受け、基地から解放されたのは今朝だった。
「ただでさえ欧州戦線でバカみたいな戦力割かれてるのに、フリーセーバーにまで手を回すとか、非現実的すぎヨ」
同時刻に軍および都市の放送局に、外部からの声明が送られた。
送り主は“フリーセーバー”という反黒界連合をかかげる集団。黒連の都市管理から自分の意思で外れた、“外の人々”だった。
「だからって、ほっとく訳にはいかないだろ。奴らが爆弾を設置した手口、聞いたか? あんな事されたらもう俺たちの善意が機能しなくなる!」
「はァー、そんな全員わかりきってること声高にいわないで」
さらにヒートアップするトーマス。メイリンの声に含まれる苛立ちがそろそろ限界を迎えている。
「とりあえずもう今日は帰って寝ろよ。トーマス。メイリンも」
そのタイミングで、グレンは声をかけた。
「次またいつ爆破されるかもわからないんだよ!」
トーマスはまだ目を見開いて訴えかけてくるが、
「いや……当分テロはないだろ」
「なんデ?」
メイリンが厚ぼったい目でジロリと睨んでくる。論理的根拠の無いことを言うと彼女は露骨に怒るのだ。
「爆破という手段で起こしうる奴らの目的はもう達成されてる」
ただグレンは今回、根拠を持っていた。
「盛大な事件を起こして注意を引くことに成功した。いままでは誰にも相手にされてなかった組織が。
黒界都市に住む全市民に、その存在を知らしめたんだ」
“フリーセーバー”は小規模組織であることは、これまでの動向から軍が推測したことだった。
「いまの都市を手当り次第に攻撃するほどの力は奴らにはない。まさか黒界連合と全面戦争してやるって魂胆でもないだろうからな」
「そうかなァ。今回の攻撃はもう宣戦布告に近いと思うけど」
トーマスの返しに、メイリンもうなずく。ふたりはまだ声明を聞いてはいないようだ。
「奴らの目的は“仲間を増やすこと”だ。主に、黒連未加入の人々を引き入れてな。黒連と対抗するだけの力をつけようとしてる」
「だったら! 余計にいま住処を見つけ出して叩いておかないと」
「……まあ、それはそうなんだけどな」
また加熱しかけているトーマスを見て、グレンはトレーを持ち、立ち上がった。
「俺たちができることは……」
『我々はテロリストの土俵には乗りません』
壁掛けのテレビの中で、見覚えのある顔が話していた。
短い黒髪に人懐っこい顔、藍色の軍服に身を包んだゴツイ男だ。
『フリーセーバーと交渉はしません。今後の対策としては、全都市の新たな入都者にさらに厳正な審査を設けます』
人類の英雄。ロバート・リンドヴルム大佐。
相変わらず実力と顔立ちがつり合っていない。
「交渉?」
メイリンが眉をひそめる。
『そして、今回のフリーセーバーによる残忍な犯行で傷を受けたすべての黒界人へ……我々黒連軍は、彼らに報いを与えます。必ず』
テレビの中で、リンドヴルムの瞳が鈍く輝く。
『すぐに皆様へ良い知らせをお届けすると約束します』
彼の声明はそうして締めくくられた。「リンドヴルム大佐……!」トーマスが興奮した面持ちで立ち上がる。
グレンも、静かに拳を握った。
三人は基地の食堂を後にした。メイリンはチャイナタウンの実家へ行くそうなので途中でわかれた。
グレンはトーマスとふたりで兵学校近くの寮に帰った。
「やっぱり大佐ははっきりした物言いをするから素直に推せるなあ~」
トーマスは先ほどの演説を聞いてご機嫌を少し直していた。彼がロバート・リンドヴルムのファンだということは兵学校時代から周知の事実である。
「そうだよ。やっぱりあいつらの拠点を見つけ出すことは急務だよ」
「……あぁ」
グレンにとっても、フリーセーバーのような組織は目的の弊害となるので同意見だった。
「ところで、奴らの黒連軍への要求はなんだった?」
トーマスはふと我に返ったように聞いてきた。「保有する非汚染域を明け渡すこと。新たな城郭都市の建造を停止すること……」グレンは歩きながら答える。
「……および“分断計画”を停止すること」
「いや……ソレって……矛盾してないか? 奴らは安全に暮らしたいのに……自分たちの地球が滅んでもいいってことなの?」
「さあな」
話しているうちに兵学校の前に着いた。
部屋の前で分かれる間際、「そういえば、昨日ある人に会ったよ」トーマスが言った。
「ある人?」
「その人に僕とメイリンは助けられたんだ。いや驚いたよ。実物見るのは初めてだったけど、ホントにすごい身体能力だね」
「何の話だ? もったいぶってねえで誰なのか言えよ」
グレンが首の後ろをかいて急かす。トーマスは周りに誰もいないことを確認し、「いちおう軍事機密ね」声をひそめた。
「誰にも言わないでよ」
「んなこと話すなよじゃあ」
「いや君は知って大丈夫。どうせ数日後には会うことになるから」
「……?」
「君が前言ってた、日本人の女の子だよ」
その言葉を聞いた時、グレンの思考は止まった。
「イタカ・アキラが、ボルツ試験に来る」




