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アンダー・アース 終末姉弟渡界記  作者: 遁遁拍子
第3章 黒界・サンフランシスコ 白界・ニニギ(上)
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20 ニニギ本土へ

 ※


 少年は泥の中にいた。

 道端に倒れた彼は物になったようだった。心臓が緩やかに動き、鼻から僅かに息が漏れる以外に、生命としての活動はなかった。


 大雨が降る。

 多くの者たちがぬかるんだ道を踏みしめていく。人や車や動物、そのうちのいくつかが、動かない少年の手足を踏んづける。

 やがて川が氾濫し、濁った水が大量の泥とともに道に流れ込む。

 それでも少年は動かなかった。何度か濁流に飲み込まれては、顔を出す、というのが水が引くまで続いた。

 幸か不幸か強制的に体内に入ってくる水は彼の命を少しだけ長らえさせた。


 全身を包む泥がやがて乾くと、少年はいよいよ道の一部のような外観になった。

 泥のわずかな隙間から行き去っていく人の足を見ていた。


 誰に向けてでもなく口の中で呟いた。

 小さく、か細く。

 世界の誰にも知られないところで、彼の命は尽きようとしていた。


『そこで寝ている坊や』


 その時、一人の足が、彼の目の前で立ち止まった。

 見上げると女だった。


『そう、あなたよ』


 全く見覚えがない、その女の切れ長の目には、なぜか少年が見えていた。


「かあちゃーん!!」


 甲高い声が暗闇を割いた。


「なんか変なの倒れてる――!」


 脇腹に、尖った何かで突かれる感触があった。


「ッ――」


 ホワイトは、すぐさま飛びのいて、攻撃者から距離を取ろうとした。

 訓練によって刻み込まれた反射だったが、ずぶ濡れた体はついてこなかった。


「……っぐ……」


 為す術なく砂に突っ伏したホワイトは、頭と肩を震わせるだけで、その場からまったく動けなかった。


「う――うわ、生きてる!」


 見上げた先にいたのは幼い子ども。鼻水を垂らして、枝を持っていた――それで脇腹をつついたのだ。


「母ちゃん! なんか変なやつが! 白くて変なのがいる!!」


「なあにー?」


 遠くから女の声がする。打ち寄せるさざ波の向こうから人影が歩いてくる。


「ガ……キ……」

 

 ゆっくりと口を動かすと声を出すことができた。ただし海水でしゃがれきって自分以外誰も聞き取れないような声だった。


「こ……こは……」


 ホワイトは見知らぬ砂浜で目を覚ましていた。


「……どこだ」


 ※


「ジローさん」


 目を瞑りかけていたジローは、背後から肩を叩かれてはっとなった。


「ん……あ……着いた?」

「は、はい。ボニートさんが、起こせって」


 白髪に人形のようなパシパエの顔が、こくんとうなずく。前を向くと、皮のジャケットを着たボニートの背中があった。

 港を出発し、半日ほどの時間が経った頃。

 波ひとつない海原が続く地平線に、ようやく陸地が覗いてきた。


 竜が高度を落としていく。ゆっくりと旋回しながら、切り立った崖の端にある開けたスペースに着地した。

 ボニートは竜の背から素早く飛び降りると、すぐに腹下の蔵からタラップを取り出した。


「降りろ」


 タラップを鞍にかけ、ジローとパシパエはようやく大地を踏みしめた。


「はあ~……!」


 力が抜けたようにへたり込むジロー。「……」パシパエはまだ警戒を解けず、杖を手に辺りを見渡す。

 今のところ敵らしき姿はない。


「ここがニニギ本土……誰もいないね」


 顔を上げたジローが呟く。


「今はな」


 ボニートは意味深に返して、「今日のところは宿に泊まる」淡々とトーラスを近くの小屋まで連れていく。

 いくつかの小屋が並んでいてその中には竜舎のような建物もあった。

 どうやらここは無人の離着陸場のようだ。

 扉が閉まると、ズバン!!と爆音がして、青い鱗のトーラスが悠々と出てきた。


「何をしたの?」

「あ? クソだよ」


 ボニートがクワで地面を掃きながら言う。確かに何とも生臭いニオイが漂ってきた。


「これ竜のトイレなんだ!」

「…………」


 パシパエは無言で鼻をつまんだ。ジローは目を輝かせて小屋をのぞき込む。


「竜ってウンチも速いんだね! 臭いも超クサイ」

「ジローさん! き、汚いです……!」

「でも、べつに海の上ですればよかったんじゃないの? わざわざトイレがいるの?」

「お前らがいなかったらそうしてる。コイツはクソした拍子に、客を落っことしたことがあるもんでな」


 ボニートは糞を片付け終えると、軽く手をはたいて戻ってきた。


「オリュンテアまでの道中、輸送にかかる費用だけは俺が持つ。

 が、あとの食費や宿代はすべてお前たちで払ってもらう」


 ふたりを見比べて言う。


「うん。もう聞いたよ」


 鼻を摘んだジローがうなずく。パシパエは、糞を掃除した手をそのままポケットに突っ込んだボニートに信じられない目を向けた。


「ならどうやって金を稼ぐかも考えたか?」


 ボニートは気にせず荷物を降ろし始めた。


「それは……いま考えてるとこ」

「ギルドにはもう顔が割れてるぜ。お前らが大立ち回りしたから、こっちでもかなり動きづらくなった」

「島で起きたことがもう本土にも知られるの?」


 聞き返すと、面倒くさげにため息をつく。

 パシパエの方を見ると、彼女も首をかしげていた。


「ギルドの内部設備は極秘だから俺もよく知らん。だが、アイツらの情報網の密度は尋常じゃねえ。

 今朝の一件、おそらく翌朝くらいには大陸全土の支部に共有されてるくらいに思っとけ」

「マジすか」


 ボニートはそれだけ言い残して、トーラスを竜舎に連れて行った。


「グアッグアウ!!」

「わかってる! ちゃんと魚はやるから大人しくしろっ」


「ウーン……お金……どうやって稼ごう」


 残されたジローは夕暮れに燃える海岸線をながめ、呆然とつぶやいた。


「賞金稼ぎには行けなそうだし……エフェクタさんから貰ったお金も、前金で払っちゃったししなァ」


 残りの金が入った皮袋を取り出すと、恐ろしく軽かった。

 中を覗く気にもならず上着のポケットに戻したところで、ぐぅぅぅ……と腹が鳴る。


「うう……お婆さんのシチュー美味しかったな……」


 今朝から、港で朝食をとったきりほとんど何も食べていない。

 戦闘で負った傷を治した分の栄養もまだ補給できていなかった。


「あっ、あの……わ私が魔物を狩ってくるというのはどうでしょう」


 パシパエがおずおずと提案する。


「あ、それいいね」


 ジローはすぐに振り向いた。


「この辺りの魔物って美味しいのかな」

「えっ? たっ、食べるのですか?」

「うん。え?」


 他に何があるのだろう。という顔でジローが返すと、パシパエは口角をヒクつかせていた。


「わたしは、あの……売るのかと……」

「魔物の毛皮って売れるんだ」

「……爺やは小さい頃、売っていたことがあると言ってました……けど」

「脂でべちゃべちゃだけどなあ……燃料に使うのかな」


 ジローは白界の社会常識をよく知らない。

 しかしそれと同じくらい、人生の大半を城に閉じこもっていたパシパエもまた、何も知らなかった。

「…………」無知なふたりは崖の上でしばし黙り込んでいたが、


「ま、とりあえず明日考えよう!」


 ジローが気楽に話題を切った。


「今日は朝から色々あったし、あんま頭働かないや。一晩ぐっすり寝てから考えよう!」

「……そっ、そうですね」


 パシパエも真似してなんとか笑顔を作った。

 故郷までの長い旅の始まり。気分は楽観的になりたいが、彼女の性格上、それはやはり難しかった。


「よしお前ら。今日はここで寝る」


 夕陽が完全に沈んだ頃、戻ってきたボニートはふたりに言った。


「寝るって……どこで?」

「その辺でだ」


 竜舎の隣にある空き地に視線を向ける。


「えーベッドで寝たいよ! 体バキバキなのにぃ!」

「知るかガキ! 夜は魔物が活発になる。森を抜けるのはリスクが高すぎる。トーラスも今日はスタミナ切れだ」


 ボニートはくすんだ茶髪をボリボリかいて、背負っていた荷物を空き地に降ろすと、


「食い殺されたかったらご自由に」


 優雅な動作で森の方を指した。

 深い闇に満ちた森では針葉樹が不気味にさざめいている。ふたりは肩を震わせて、いそいそと空き地に戻った。


 食べる物がない。

 リュックには朝の残り、乾いたパン一切れしかなかった。それをふたりで分けて食べた。

 竜舎ではトーラスがご機嫌で魚の缶詰にがっついている。

 ボニートは酒を飲んで、焚き火で鳥肉を串に刺して焼いている。


 いつとったんだろう、と思ったが、ジローが寝ている間に、銃で渡り鳥を撃っていたようだった。

 ジローは彼の腰に差された拳銃(リボルバー)を見ていた。


「…………」


 焚き火にしたたる油がパチパチと音を立てる。香ばしい匂いがふたりの腹を鳴らす。

 彼らの羨望の眼差しに気づいたボニートは、軽く鼻息をつくだけで、何も恵んではくれなかった。


 その夜、パシパエとジローは背中合わせでひとつの毛布にくるまった。

 ジローは杖を抱きしめていると、先端の石が黒ずんで来ていることに気づいた。

 魔力が切れかけているのだ。

 魔石は放射性物質であり、魔力(放射線)を出すことで安定した物質に変化する。

 魔石は消耗品なのだとジローはもうわかっていた。


 そして、杖はパシパエにとっても必要不可欠。

 明日以降、替えの魔石を手に入れなければならない。


「あの……」


 考えていると、背後から声がした。


「お……起きてますか?」


 か細く尋ねてくる。


「……うん。お腹空きすぎてぜんぜん寝れないや」

「……私もです」


 背中合わせで少し笑う。「あ……」パシパエがふと我に返ったような声を出した。


「ん?」

「いえ……今日……私……なんで竜が好きだったのか、思い出して」


 少しだけ興奮したように言う。「うん」ジローは静かに耳を傾ける。


「今日乗って……やっぱり思ったんです。つまり、その、空を飛ぶのって、すごく“自由”って感じがして……」


 たどたどしく紡(つむ)がれた少女の言葉に、「うん」ジローは相槌(あいづち)だけを返す。


「……ずっと、城(家)の中だけで育って……外のことを見たこともなかったんです。知っていたのは、爺やから教えられたことと、物語に書いてあったことだけ……。

 いつか私も、この物語の主人公みたいに、竜に乗って世界を飛び回りたいって…………」


 彼女はそこで言葉を区切った。


「なんでパシパエと友達になれたのかわかったよ」


 ジローが沈黙を破った。


「僕もシェルターにいた頃はひとりでずっと本を読んで、外の世界を知ろうとしてた。でも実際出てみたら……想像してたのとは違うことばっかり」


 寝返りを打ち、空を見上げる。黄金の粒をばらまかれたような満天の星を。

 この世界はやはり恐ろしい。

 恐ろしく複雑で、過酷で、美しすぎる。


「似た者同士だったんだね」

「…………ジローさん」


 パシパエは彼に背中を向けたまま、「本当に、ありがとうございます」か細く言った。


「何もしてないよ」


 ジローはいつものように笑う。


「本当に、パシパエやボニートさんがいなきゃ、何もできなかった」


 それからまた少しの間、沈黙が降りた。


「…………強くなりたいんだ」


 パシパエは、彼が寝返りを打った振動を背中に感じた。


「僕、もっと白界のことを知って、色んなことができるようになるよ。戦いはまだ当分、パシパエに頼っちゃうかもしれないけど。それでもいつかは。僕も」


 暖かい体温を感じて、パシパエもうなずく。


「……私も、もっと……」


 強くなりたい。ただの力だけではなく、

 自分が彼を守れると、自信をもって言い切れるくらいに。

 強い自分を持てるようになりたい。


「……ごめんなさい。この旅が終わったら……か……必ずアキラさんの元へ、お返ししますから」


 言葉にしてパシパエは誓った。

 すると背中にまた振動が伝わった。


「………………そのアキラってさ」


 振り向くと、無表情で空を眺めるジローの横顔があった。


「……僕の家族か、誰かのこと?」


 潮風で髪がめくれ上がって、縫合痕が見えた。



 ※


 スフイレ島、北部。そこは未だ人の手が行き届かぬ自然に支配された土地。

 深い森奥にある倒壊した屋敷跡から、老夫婦が救助された。


 衛兵と治癒魔法士たちに、夫婦は「盗賊に襲われた」と説明した。

 魔法使いである主人のクルモスが迎撃したが、屋敷を壊され、金品を奪われてしまったと。


 実際、倒壊跡には金品を探し荒らしたような痕跡があった。

 衛兵たちは、夫婦の言う通り、これを強盗事件として結論づけた。

 犯人たちは行方をくらまし、おそらく国外に逃げたと思われる――。


 さらに数週間後。


 森での魔物駆除依頼を受けた賞金稼ぎが、帰り道に偶然、屋敷跡に通りかかる。


 彼らは少しの間、そこで休憩し、

 休憩がてら物色し、盗賊が盗み残した金品を懐(ふところ)に入れた。


 そして、一人が“それ”を見つけた。


「ん?」


 瓦礫の隙間に落ちていた。

 それは、黒い石板(・・・・)だった。

 表面に精細なモールドがびっしり刻まれている、手の込んだ品物に見えた。


「なんだこりゃ……異界物か? オーイ!」


 高価なモノかもしれない。彼は反射的に仲間を呼びながら、


「どうした?」

「ジジババのヘソクリでも見つけたのか」


 呼びながら、石板の表面に、触れた。


「オイ。なんだってんだよ」


 仲間たちが駆けつけた時、彼は膝を着いて沈黙していた。「おいおい、そんなに惚ける程のモンか!?」声をかけられ、肩を揺すられて、ようやく顔を上げた。


「……あ? いや……」


 少しうつろな目は、仲間たちを捉えるとやがてはっきりして、


「ただのガレキだった」


 と、平然とした声で返答した。


「はぁ?」


 彼の手にした物が本当にただの“白い板”なことを確認した仲間たちは、「なんだよ……」幻滅(ゲンメツ)して離れていく。


「……あれ……」


 男は、手に持った石板を見て一瞬、違和感がよぎった。

 が、その正体を掴むには、前後の記憶が曖昧だった。


「……まァいいか」



『――フグアイ――デハナカッタ』



 耳元で、無機質な声がする。


「なっ――?」男はとっさに剣を掴み、背後を見た。


「何やってんだ! 行くぞ!」


 誰もいなかった。

 仲間たちは全員、先に歩いている。


「……あぁ……」


 辺りの木々がいやにざわめく。

 言葉にならない不安を覚えた男は、


「いま行く!」


 と手をあげて、仲間たちの元へ走り出した。

 その指先には、黒く光沢のある塗料が、ほんの少し付着していた。

 しかし男が気づくより先に、それは、男の肌に吸い込まれるように消失した。



「なにボーッとしてんだお前」

「森の精に拐(かどわ)かされたか」

「いや……すまん。なんか頭に違和感があったんだが、気のせいだった……」



 奇妙な声も、もうそれ以上は、男に聞こえることはなかった。





『アノムスメ――センキャクガイタ』




 |《第3章 終わり》

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