16 金と信頼
黒い鎧。
ジローとパシパエとともに白界に転移してきた、黒界連合軍の試作アーマーである。
「きゃあああああああああ!」
「ちょっ――とッ――待っ」
背中、腰、ふくらはぎなど、全身に配されたスラスターが青い光を放つ。
ロケット噴射のような爆音が響くが、推進剤のたぐいは出ていない。あくまでこれは魔石が魔力放射時に発する熱と光だった。
「待っ――――――てッ――!!」
地上の建物がまたたく間に小さくなっていく。
鎧の飛行は、周囲に爆風の余波を生み、しがみつく少年少女の顔面をめちゃくちゃに叩きつける。
「や、もがごっ――まっぶはっ待って! 鎧さん!!」
必死にもがきながら、ジローは鎧の胸を拳で叩く。
「追いたいっ――人がいる!! あの竜が行った方角に……!」
黒鎧は中空にピタリと静止。「おぐつっ!」凄まじい慣性がふたりを襲う中、ぐるりと辺りを見回す。
『3時方向、600メートルに飛翔異獣』
「はあっ、げぇっ、……ん? あ、そっ、それだ! 追って!」
『…………』
「なんで動かないの、早くっ、ホラ!』
『…………』
鎧は何故かしばらく黙っていると、おもむろに空中で体の向きを変えた。
再びスラスターを点火する。「ウッ!」ふたりが覚悟を決める間もなく、爆発的な加速をした。
ろくに目も開けられない状態が数分経過。
ある時、加速が止まる。
ふたりが気づいた頃、森の中にポツンとたたずむ廃屋の前に降り立っていた。
「おええええええええ」
「あぐええええええええ」
地上に降ろされたふたりはその場で盛大に吐いた。
三半規管が狂乱する。目が回るという次元ではない、いっそ意識を手放したい不快感の全身支配は、一段落するのにさらに数分を要した。
「はぁ……はぁ……うぅ」
パシパエが口を拭いながら杖を取り出す。
「……大丈夫。交渉するから」
同じようにげっそりした顔を上げたジローが、「鎧さんは待機!」と命じて、先に廃屋へ踏み込んでいく。
「…………」
パシパエは杖は構えたまま、後に続いた。
「ボニートさん」
「なっ!? どっ、なんだ!?」
室内は意外と広かった。
床のそこらにゴミや服や武具が積み上がり、数ヶ月閉じこもっていたような雰囲気がある。
ベッドに寝転がっていた男、ボニートがぎょっと振り向いた。
「おまえらっ、どうやって……」
男の背後には、あの深青色の鱗を持つ竜がいた。ギョロりとした黄色い目でこちらを睨む。
「グルルルルル……」
「ひっ……」
パシパエは反射的にジローの服の裾を掴んでしまった。
「来たのは僕たちふたりだけだよ」
ジローは両手を振って、警戒を解くように応えた。「あっ……」本来は自分が彼を守らなければならないのに。パシパエは慌てて杖を構え直した。
「本当に、依頼をしに来ただけなんです。
故郷のオリュンテアまで連れて行ってほしくて」
「故郷だと……?」
眉をひそめるボニート。
「話を聞いてくれませんか?」
「……他を当たれよ」
頭をボリボリかいて、廃材を組み合わせたような薄ベッドに座った。
「事情があるのか知らんが、俺は俺でいま依頼なんて受けてる場合じゃねえんだ。
ホレ、さっさと帰れ」
ベッド下から2リットルくらいの鉄缶を取り出す。
剣先でフタをこじ開けると、なんとも生ぐさい臭いがただよった。
「うっ……」
さっきの吐き気がぶり返しそうになるジローとパシパエ。
ベッドの傍で寝ていた竜が、興奮ぎみに鼻を鳴らしながら寄ってくる。
「よーし。いい子だトーラス」
「あの、お金は、お支払いします」
パシパエがおずおずと一歩前に出て言う。
エフェクタたちから貰った……老夫婦から奪った財産を、彼女は持たされていた。
ジャラリ、と硬貨の入った袋を取り出す。
「金だ?」
ボニートは缶詰の魚にがっつく竜の首筋を愛おしげに撫でる。
「いくら入ってる」と、ベッド脇のコップに残った古い酒を飲み干し、顔をしかめた。
「えっと……」
パシパエは袋の中を覗くが、見たこともない異国の硬貨でいくらかなど判別できない。
「フン。金の価値も分からんガキと商売の話する気はねえな」
ボニートは厳しい目つきで断じた。
「……すす……すみません」
城の中で、通貨とは無縁の人生を送ってきた彼女は、それ以上の言葉を無くした。
「すみません。僕たち、ここに来たばかりで、何も知らないんです」
ジローが代わりに口を開く。彼もシェルターで完全配給制の生活をしてきた身だったが、
「お手数なんですが、お金の価値を教えてもらえませんか?」
「ああ……??」
あまりの率直さにボニートは面食らい、数秒沈黙した。
「なんだ……お前」
娼館の前で会った時も感じた。
ジローは見ず知らずの大人や、この状況を、まったく恐れていない。むしろ前のめりに向かってくる。
「…………」
ボニートは缶詰を床に置き、竜をベッドから離れさせた。
「…………ここにそれ置け。ん」
空いたスペースを指して命じる。
「ありがとうございます! ほら、パシパエ」
「あ、は、はい」
なぜか了承された。パシパエは言われた通りに、まだ近くで魚にがっつく竜に若干怯えながら、袋をベッドに置いた。
「フム……」
無精髭を撫でながら、硬貨を一枚ずつ取り出していく。
「……ここらじゃ魚の缶詰一杯がだいたい5ミカだ。これ一枚が1ミカ」
と、いちばん小さい錆びた石っぽい硬貨を見せる。
「ミカって……」
「ニニギの通貨だよ」
さらに、それより少し大きい銅色の硬貨、銀色の硬貨、金色の硬貨を、順に並べていく。
「10、100、1000ミカ。
俺たち賞金稼ぎが人を一人殺して得られる報酬がだいたい1500から2000ミカ。
ニニギ通貨は信用度が高いから、他国でもある程度の価値がある」
と、極めて親切に説明をした。
ボニート自身も、報償もなしに自分がこんなことをしているのは意外だった。
「じゃあ……今ここにあるのは……」
「合計5625ミカだな」
「……それって……」
「舐められたもんだぜ」
ボニートは腕を組み舌打ちした。
「足りない、ってことですか?」
「ああ。まったくもってな」
ガシャッと硬貨を袋に戻しながら、
「ニニギからオリュンテアまでの片道で輸送プラス護衛なら、前金で2万ミカはもらう」
「に、にまん!?」
「報酬は計4万ミカだな。お前らみたいな“ワケあり”を運ぶのはそんぐらいリスクがあんだよ」
ジロリとふたりを睨んだ。
色々と察されていることを察して、パシパエが肩をすくめる。
「帰ってくれ」
「待ってください! たぶんエフェクタさんたちに言ったらまだお金は」
「金だけで判断してるわけじゃねえ。お前らにはそもそも信用がない」
「信用……?」
「商売ってのは信用がなけりゃまず成立しないんだよ」
ボニートは腕を組んだまま断言する。
「コイツならあとで約束を破らないと判断できる、客観的な評価がな。
で、俺はガキは信用しないと決めてる」
「……なんでです?」
彼の決めつけたような態度に、ジローが少しムッとして返す。
「ガキってのは想像力がない。だからどんだけ賢いフリしてても無謀なんだ。
そんで無謀ってことは、無責任と同義だ。自分で自分の始末をつけられないってことだからな」
ベッドに腰をおろし、ボニートは深いため息をつく。
「あれは……どっかの貴族息子を観光旅に連れていく依頼だった。
大陸を横断して一週間くらいのな。ただ……出発前にヤツは流行り病にかかっていたらしいんだが、症状が軽かったから、俺には黙って出発したんだ。
帰ってから医者に行けばいいと思ってたらしい。結果、道中で症状はみるみる悪化して、医者に見せた時にはもう手遅れだった。
ヤツは家に帰ることなく、両親は大激怒。
ヤツらこの俺の注意が不足していたとか抜かして、報酬を払わんどころか、俺の悪評を自分の領に広めやがったんだ!」
グググ……と拳を固く握りしめ、つい先日のことかのような熱量だった。
話を終えると、ポカンとしているふたりの顔をもう一度交互に見て、
「わかったろ。帰ってくれ」
疲れた顔で言った。
「…………」
ふたりは何も言い返すことができなかった。
パシパエはうつむき、「お……お邪魔しました」立ち上がる。
「待って」
が、ジローが引き止めた。
「あなたの言うとおりです。ボニートさん。僕たちの状況は、白界でもたぶん特殊です。この間まで……黒界にいました」
「あ?」
「鎧さん、入ってきて」
直後、背後の扉をいきなり突き破り、漆黒の全身鎧が現れた。
「なにっ??」とっさに腰のホルスターに手をやるボニート。
「誰だ! テメェ」
「落ち着いて。これは黒界の技術品です。僕たちが空の地球から来た証拠。
鎧さん、そこで動かずに立ってて」
『拒否します。敵性対象を制圧』
「ナンデェ!」
黒鎧はそのまま飛びかかってくる。「くっ!?」拳銃を応射するが、軽い金属音を立て弾かれた。
「グゥアアアアッ!!」
鎧が主人に到達する寸前、竜の巨体が割って入る。
突撃して鎧を弾き飛ばすと、そのままのしかかり、両足の鋭い鉤爪で踏み抑えた。
『…………』
黒鎧は怯まず竜の脚に手をかける。双眼が輝くとともに、ミシミシと凄まじい握力で引き剥がしていく。
「トーラス!」
「待って、鎧さん!」
両者の主が声を響かせた。
黒鎧の動きが止まる。
ボニートが、リボルバーの銃口をジローに向けていた。
「そのまま動かないで」
両手を上げ、ボニートを見つめながら、ジローは努めて平静に命じる。
「ボニートさんも、その銃を持っているならわかりますよね」
「……なに?」
「黒界からの“異物”は、白界では高く取り引きされている。精巧で実用性が高いからだ。
今の動きを見てわかるでしょう。この鎧を売ればかなりの値段になります」
老夫婦から受け売りを伝える。
ボニートは銃を構えたまま、眉間にシワを寄せた。
「つまり?」
「この鎧を、足りないお金の代わりにあなたに渡します」
ジローは目を逸らさずに言い切った。
「…………」
ボニートはしかめ面のまま黙る。
ほどなく銃をホルスターに直すと、「大丈夫だ。トーラス」と竜の頭を軽く撫でた。
竜はグルルルと喉を鳴らして、鎧から離れると、また缶詰をつつき始めた。
「なるほどな」
振り向くボニート。
「って、納得するとでも思ったか」
「……この鎧は本当に」
「だとしても。こんな代物、裏市でも見たことがねえ。値が付くかは未知数だろう」
「…………」
「…………はァ、なんでそこまで俺に依頼したがる。他にも運び屋はいるだろうが」
むしろ怪しいという顔で聞いてくる。
「白界でいちばん速いんですよね」
ジローが聞き返す。
ボニートの眉がピクリと動く。
「僕たちには時間が無いんです。最短、最速でオリュンテアに連れていってくれる、優秀な運び屋さんがいいんです」
「…………」
パシパエはうつむいた。
彼が急いでいるという理由、それは故郷にいるパシパエの“爺や”を助けるためだ。
「お願いします」
どうしてそこまで……私なんかのために。
「…………フン」
褒められたボニートは腕を組んで息つく。
不意打ちで褒められ、鼻の穴が若干膨らんでいるのを悟られないように。少しの間、天を仰ぐと、
「……はあ……わかったよ。受けてやる」
大きく息を吐いた。
「やった! ありがとう! やったパシパエ!」
すぐさま目を輝かせてガッツポーズするジローに「ただし」と釘を刺す。
「俺はいま裏市には顔を出せない。その鎧を売るのはお前らが自分でやれ。
……道中、“異界物”の取り扱いが盛んな国を通るから、そこの市場なら取り合ってくれるだろ」
「後からで、いいんですか?」
「ああ。この依頼は、お前らを信用したから受けるわけじゃないからな」
目を丸くするジローをじろりと睨み、面倒くさそうに頭を搔く。
「俺がどんだけ突っぱねても居座りやがって。受けるって言わないと永遠にソコにいる気だろうが」
コイツはおそらく相当な頑固者だ。
ボニートは確信していた。
聞き分けがないとか言うレベルではない。
自分が納得しない限り、絶対に引くことはない人間。
「あァ……まあ……うん」
ふてぶてしく腰に手を当て、顎を引くジロー。
「うんじゃねえよ。クソガキ」
「だって、ボニートさんは、僕たちの話を聞いてくれる気がしたから」
「あ?」
「僕たちのこと、心配してくれたから、色々教えてくれたんですよね」
実際、このたった数分の会話の中だけでも、世間知らずのふたりはだいぶ勉強になっていた。
ジローにも確信があった。
本当に白界最速なのかはわからないが、ひとつ確信して言えるのは、
このボニートという人物は、良い人だ。
「ムグ……」
彼は気まずそうに口をモゴモゴさせて、頭を激しく掻き続け、
「はァ~~……クソッ。ポリシーに反するぜ」やがて特大のため息をついた。
「とにかく。お前らを信用はしないが……そのバカ素直さを一応、僅かながら信頼して受けてやる。
くれぐれも思い上がるなよ」
びしっとふたりを指さす。
「大前提として自分の身は自分で守れ。
あと道中にかかるメシ代とか宿代はお前らが稼ぐなりして工面しろ。
俺はお前らの母親でも召使いでもねーからな」
缶詰を食い尽くした竜がゲプッと喉を鳴らした。
ジローとパシパエはひとまず安心して顔を見合わせた。
「はい!」
『……私は売られるのですか?』
床に倒れたまま動かずにいた黒鎧が呟く。
こうして旅の案内人が決まった。
※
翌日朝早く。
人気のない狭い港町に、一行は集まっていた。
「いや~よかったぜ。しらねー間に話がついたみたいで」
フォレストキャット似の猫獣人エフェクタが豪快に笑う。
その横では巨人のオリブが黙々と積荷を手伝ってくれていた。
「じゃっ、頼むな~ボニート」
「だからお前は誰だよ。マジで見覚えねえぞ」
困惑するボニートの背中をバシバシと叩いたエフェクタは、「コイツらを送り届けてくれ」ともう一度彼の目を見て念押しする。
「……わかってる」
ボニートも顎を引いた。
エフェクタはジローたちの方に振り向く。
「世話になったな」
「いや、こちらこそ! 感謝してもしきれないです」
ジローが覆い被せ、パシパエもこくんと大きくうなずく。
「おっお世話になりました! あと……さ、最後にひとつだけ、その毛並みをなな撫でさせていただくことって、できませんか?」
「あァ? なんだそりゃ。勝手にしろよ」
「うわあ……ありがとうございます……」
目を輝かせて、小柄なエフェクタのフサフサしたお腹を撫でる。
「僕もいいですか??」
と、ジローも駆け寄る。「あァいいが。お前ら最後にちょっとだけ話が……」エフェクタはチラリと目配せして、声を潜めた。
竜貨車に荷積みを終えたオリブが、「ふあ……」欠伸をしながら愛竜にエサをやるボニートに近づく。
人気のない通りにどこからともなく足音が集まってくる。
腰に剣をぶらさげ、小汚い防具を身につけ、酒の臭いを漂わせる男たちが……。
「んん~……?」
一方、海の方からも小舟が着いていた。
ふたりの人影が降り立つ。
ひとりは軍服姿の背の高い男。
もう一人は、小柄な上裸の少年。兜で顔を隠している。
「旦那ァ、あれかな? “鍵の目”」
親指と人差し指で作った円からパシパエを覗いて、少年はたずねる。
「……そうだ」
軍服が目を細め、少し遅れてうなずく。
「なんか近くにワラワラいんなぁ。とりあえずまとめて狩っていいっすか」
「……遊んで“目”を逃がすなよ。ブルー」
「了解ッス」
少年は手を腰に当て体を左右に捻ってストレッチしている。「……」数秒経ってもそれが終わらないことを察した軍服は、先に杖を取りだし、歩き始める。
「さてと」
少年は首を鳴らして軍服の後を追った。杖は取り出さず、代わりに腰帯のバックルに手をかける。
兜のスリットに紫の光が宿った。




