13 ホワイトとブルー
《ニニギ》
第二の地球、白界における東アジアの島国。黒界の地理上では日本列島に位置する。
M線濃度は低く魔物は少ない。
水に恵まれ農作に適した土地が多く、寒暖差が少なく住みやすい。近年、周辺地域からの不法移住者が増えている。
《黒神教》という土着宗教が存在し、国政を支配するほど強権化している。
ただしその力は首都《聖都》に集中しており、国土の大半を収めているのは教皇から権力を拝命した地方大名たちである。
※
濃霧に満ちた海を一隻の小舟が進んでいく。
狭い船内には、十人ほどの貧しい身なりの者たちが、肩を寄せあっている。
ニニギ本土への密航船だった。
《黒神教》に支配された本土は異種族や異文化を厳格に取り締まっており、他の民族が許可なく入ることはできない。
だが、本土と外の地域とでは生活水準がまったく異なる。
外の貧苦に耐えかね、多少のリスクをとってでも、本土に入り込もうとする者は後を絶たない。
白騎士は、そんな小舟に紛れ込んでいた。
もはや鎧もなければ杖もない。薄汚れたローブのフードを目深に被り、傍から見えれば魔法使いだとは思われないだろう。
任務は失敗した。
もう祖国には戻れない。
だが、ホワイトの体内には自らの位置を祖国に知らせる魔道具が埋め込まれている。
どこに入っているのかはホワイト自身にもわからず、取り出すことができないのだ。
おそらくこの地に派遣されるであろう、“次の刺客”に捕捉される、という事態だけは避けなければならない。
そこでニニギ本土に密航し、《ヤッカ》へ向かうことにした。
《ヤッカ》はニニギ列島中部に位置する配下国。
第二の地球との“接触”以降、国外から入ってきた多数の移民を取り込んで、力を増してきていた。
近年はついに、ニニギ政府の支配からの脱却を企てているという噂だ。
独立戦争が始まれば国内の混乱は必至。
治安が悪化し、街は混乱に溢れるだろう。
身を隠すにはうってつけだ。
『今日からあなたの名前はホワイトよ』
ふと、いつか祖国でかけられた言葉がよぎる。
ローブの下を生ぬるい風が吹き抜けた。
「…………」
名残惜しいのだろうか?
もう“あの方”に会えないことが。
ホワイトは自分に問いかけて、目を瞑った。
いや。違う。
“奴”を殺し損ねた。
そこに後悔があるだけだ。
穏やかに揺れながら進んでいた小舟は、
ある時、停止する。
まだ港にはついていない。
「……」
ホワイトは目を開けた。
本土に密航するリスク。
それは、ニニギの国境警備隊に捕まることだけではない。
「ご苦労さん~」
霧の中から現れたボロ船から、数人の男たちが飛び移ってくる。
ニニギ周辺の海は、密航者を狙う海賊たちの縄張りとなっていた。
「ひーふーみー……あ~大量だな。助かるよ~」
リーダーらしき男は鈍色の剣を肩に担ぎ、貧民たちに黒ずんだ歯の笑顔を向ける。
「おまけに全員、密航者。こりゃあ悪ゥい俺たちに人身を売買されちゃったりしても文句の言えねえご身分ってわけだ」
「あの……お……俺は……」
「ん?」
口を開きかけた漕ぎ手に近寄ると、おもむろにその首を斬り飛ばした。
「これで全員だな」
「ひっ……」
赤い飛沫が海面に撒かれ、遅れて落ちた首が水音と波紋を立てる。
胴体が貧民たちの足元に転がった。
床に広がる血溜まりから逃げるように、貧民たちは船の端に寄って縮こまる。
そんな中、一人だけ動かなかったホワイトが、盗賊の目に止まった。
「こいつァ珍しい。なかなかの上玉もいるじゃねえか」
人形のように整った顔を見た男が近づいてくる。
「嬢ちゃん。なぜ怯えねえんだい?」
鈍く光る幅広の刀剣をたずさえて、ホワイトを見下ろす。
「耳が聞こえねえのか? 目が見えねえのか? それとも……命知らずのバカなのか?」
顔をあげると、男の股の向こう側に、身を寄せ合う親子が見えた。
幼い息子を抱きしめた母親が、ホワイトを見ている。
「…………」
「黙ってちゃわからんよ。不良品なら、俺らで“処理”しなきゃならねえ」
男は仲間たちと視線を送り合い、下卑た笑みを浮かべた。
ホワイトは静かに腰を上げた。
「だからさっさと答え――」
男が視線を戻した時、その右頬をホワイトの手が掴んでいた。
「Ikachina Defra」
「――ええってててい痛ッッ゛――ッいい゛!!」
悲鳴は、徐々にくぐもり、顔面全体が風船のように膨れ上がっていく。
そしてある時、破裂した。
頭蓋が弾け、飛び散った脳漿が手のひらを赤く汚す。
「コイツっ、魔法使いか!!」
仲間たちが慌てて取り囲む。その中心で立ち上がったホワイトが、頬の返り血を拭った。
「うぐっ!?」
その右目が見開かれたのと同時、海賊の一人が呻いた。
「…………?」
ボコンッ、と男の胸部が振動する。「おっごっおおおぼぼっ」突っ立ったまま顔面をけいれんさせてうめく。
その目や鼻や耳、口からは、透明な液を溢れさせて。
「これは……」
唾液、ではない。
ゴボッとさらに大きな音がして、男が真っ赤な血を吐いた。
ボコンッ
ボコンッ
骨が砕け外れる音を響かせながら、男の喉が、異様に膨らんでいく。
どよめく貧民と海賊の目の前で、いつのまにか宙に浮かされた男の喉を、
何かの“固形物”が押し広げる。
皮膚が裂けるほど大きく開かれた口から、拳大の塊を吐き出した。
ビクビクと脈打ち、小舟の床で跳ねる。
それは紛れもない心臓だった。
崩れ落ちた男の背後に、少年がいた。
たったいま海から上がってきたような濡れたズボンに、筋肉質な上裸。
髪は覚めるような真っ青で、無骨な兜で顔を隠している。
「らしくないねぇ」
中性的な声が発せられる。
「優等生のホワイトくんが、みすぼらしいお姿……ッ」
「……ブルーか」
ホワイトが一歩後ずさると同時、「やろゥ!!」「やりがったな!!」背後から海賊たちが斬りかかってくる。
「このガキが!!」
「うるせえよ。ブ男どもが」
ブルーと呼ばれた少年が振り向く。
同時に腰帯の金属バックルにはめ込まれた魔石が、紫の輝きを灯した。
「Laminus」
詠唱とともに、空気が扇動し、少年の手のひらに透明な水の塊が生成される。
フワフワと不定形にただようそれは、
「Butsyato」
次の瞬間、急に意思が芽生えたように、勢いよく躍り出し、賊の口中に潜り込んだ。
「もがっ……!? もごごっ! ゴボッ」
抵抗する間もなく、水は彼の体内深くで激しく暴れ回る。
「“鍵の目”がいねえな。どうした?」
「…………」
「逃げられたか。じゃあ失敗したんだな」
「ッ~~ごぼぼっ! ごぼっ!!」
喉を押さえのたうっていた男は、「ゴポポッ……」やがて見開いた目から血涙を流して、動かなくなる。
「残念だぜ」
「なんだ……コイツら……」
「魔法使いだ……勝てるわけがねえ! 逃げるぞ!!」
残りの賊たちは顔を見合わせると、わらわらと海に飛び込んでいく。
「Laminus Tokarukh」
戦意を喪失した彼らにもはや追撃は必要ない……
と、思えたが、ブルーは容赦なく魔法を発動させた。
極限まで加圧された水が解き放たれ、空を引き裂くような振動音を響かせる。
透明な細い線が一瞬、賊たちの胴を横薙ぎにすると、
「悪いが、俺に一度でも不快感を与えた人間には、苦しんで死んでもらうことにしてる」
遅れて生じた断面から鮮血が噴き出した。
「きゃあああああっ」
「うわああ!」
ボチャボチャと、大小さまざまな臓物が藍色の海に撒かれた。
恐怖と困惑に染まった貧民の視線を受けながら、彼は、ホワイトに近づいてくる。
「任務を失敗した上、逃亡もしようとした。これはもう“あの方”でも救えないなァ」
「…………」
「だが、お前は役立たずだが、その“目”はまだ使える」
瞬間、ホワイトの方から動いた。
「Ikachina《イカチナ》」
右目の擬似魔鍵眼を作動させる。
鈍い痛みが突き上げるが、無理やりに操作を続行した。
「バカが! いまのお前で勝てると思っ――」
「Defrâ」
素早くブルーの懐に飛び込み、脇腹に魔法をぶち込む。
対象を高周波照射により破裂させる対人攻撃魔法――――の射線上に、あの親子がいた。
「ッ――」
高周波は親子の頭上を越えて、海面を撫で、バシュッと音を立て霧散する。
細かな水飛沫が散らばるが、ブルーは無傷である。
「……何のつもりだ?」
一瞬、困惑した彼はすぐに
「俺を舐めてんのか」
と顎を引いた。
兜のスリットの奥から激情をはらんだ視線が伸びる。
「……殺してやる。ホワイト!!」
手心をかけたと勘違いされたようだ。
ホワイトは、背を向け走り出す。「Laminus!!」ブルーの追撃が放たれる瞬間、
「Tokaru――くッ!?」
切り返して逆方向へ。
詠唱が途切れて、慌ててもう一度、となえ出すブルー。
こうなると魔法使いの攻撃は遅い。
ホワイトはそのまま海に飛び込もうとする。
だが寸前。
船首に何かが突き立った。
それは石の槍。直後――まばゆい光を放ち、炸裂した。
「ッ――」
大量の破片と炎が散らばる。
そばにいた貧民もろとろ巻き込まれ、血しぶきと、木片が飛散した。
「ぐっ、あ……!」
肩に破片が突き刺さり、ホワイトは床に転がった。
船底に空いた穴から海水が入ってくる。黒い水面に、血が流れていく。
「ホワイト」
撥水性のロングコートに、眼鏡をかけた男が、立っていた。
冷徹な三白眼で見下ろしてくる。
見覚えがあった。
たしか、新王の即位式に参列していた。クーデターに関わっていた魔法士だ。
王国軍少佐、ゼド・アラピュロス。
「もう一人はどうした? ドロメタス・エドピア・タルタロンは。死んだのか?」
「ゼドの旦那ァ!」
背後からはブルーが駆け寄ってくる。
「ッ――!!」ホワイトは意を決して、右目に指を突っ込んだ。
グチュ、ブチ――看過しがたい激痛が脳髄を突き上げる。
「ああああッ!」擬似魔鍵眼を抉りだし、男の足元に放ると、
倒れ込むように海に落ちた。
「あっ! なに逃がしてんスか!!」
ブルーがすぐさま後を追おうとする。
「あの野郎、俺を二度もおちょくりやがって……ッ!!」
「やめろ」
ゼドは冷静にしゃがみ込み、ポケットから取り出したハンカチで、“目”を拾い上げた。
「必要な物の回収は済んだ」
丁寧に包んでコートのポケットにしまう。
「何言ってんすか! ヤツを殺さなけりゃ!」
「目を失った《マリアン》にもはやできることなど無い。
忘れるな。今回の任務、本題は純正“魔鍵眼”の確保だ」
「……ケッ……」
拗ねた子どものように黙り込むブルー。
ゼドは死体が散らばる船内を見渡し、端で脅えて縮こまる貧民たちを捉えた。
「お前たち」
ギシリ、と足音を立て近寄ると、貧民たちがか細い悲鳴をもらす。
「密航の邪魔をして悪かった」
彼はポケットから、丸い土団子のようなものを取り出す。
「土練」
もう片手に持った槍形の杖を、先ほどの爆破で空いた穴に向けた。
魔法を発動。手にした土団子がサラサラと分解され、粒子となって船底で再結合し、穴を埋めた。
「ブルー。お前の魔法で水を船外に出せ」
「はァ? なんでっスか。こんなボロ船置いてさっさと行きましょうよ」
「いいからやれ」
命じながら、困惑する貧民たちに、「お前たち」もう一度声をかける。
「あの島から来たんだろう。港の位置には詳しいな?」




