12 旅の目的
メスの薄い刃が、ジローの手のひらにくい込み、血がしたたる。
「……どういうつもりだ」
白騎士の少年が、くたびれた表情で睨んでくる。
パシパエと同じ人形のような整った顔立ち。しかし道端の石ころでも見るような、冷たい目つきだった。
「そっちこそ」
しかしジローも引かない。大きな瞳に反意を露わにして、
メスがさらに食い込むのも構わず、
「パシパエの頑張りを無駄にするなよ」
顔を突き合わせ、しばらく無言で睨み合う。
「…………なぜそう……赤の他人の命に敏感になるのかわからんが……治安のいい環境で育ったんだな」
低く呟いて、少年がメスを手放す。「よかった」するとジローもすぐに、しかめていた眉根を緩めた。
「……その杖は《アザガト》の物だ」
少年は、固唾を飲んでふたりを見ていたパシパエが握りしめる、杖を指していった。
「コイツら夫婦は、おそらく……禁忌を犯し国を追われたアザガトの研究者だ。
この地に身を隠して研究を続けていたんだろう。
私たちのような通りがかりの人間を実験台にしてな」
老人の所持していた杖は、なめらかな白木でできていて、幾何学的な金模様が刻まれていた。
「……アザガト……」
パシパエも爺やから少しだけ聞いたことがあった。
北欧に位置する小国。白界でも随一の魔法研究が発展した国だ。
アザガト王族には黒い噂があった。
なんでも歴代の王が、数百年かけて“不老不死の魔人”を作ろうと人体実験していたとか。
その過程で多大な孤児や貧民の命が犠牲となったと言われている。
「案ずるな。王女。コイツらは死んでも当然のクズどもだ。傷つけたことを悔やむ必要も無い」
「…………」
「パシパエ、大丈夫?」
倒れた夫婦を見下ろしていると、ジローが覗き込んでくる。「あっ、へっ、平気です……」慌てて両手を振った。
取り繕ったわけでは無いが、ついそんな態度を取ってしまった。
「初めてじゃ……ないですし」
「……そっか」
ジローは一瞬、憂いげに瞬きする。だがそれ以上は何も言わずに、いつもの笑顔に戻った。
「助けてくれてありがとう。パシパエ」
「…………はっ、はい」
パシパエは、またあの感情を抱いてしまう前に彼から目を背けた。
「君はこれからどうする? まだ戦うの?」
「…………」
ジローに声をかけられた少年は、杖を握ったままのパシパエを見て、黙っている。
「あのさ」ジローは続ける。
「よかったら一緒に行かない?」
「えっ??」
ギョッとするパシパエ。
「いまの君は怪我してる。パシパエの目を奪えないんでしょ? なら、案内役としてついてきてもらえたらなって」
「…………フン……」
うつむいた少年は、やがて低く笑った。
「本当にバカ正直な奴だな」
呆れ笑いの顔を上げて、キョトンとしたままのジローを見る。
「当然、無理だ」
「そう……ざんねん」
「ただ……ここで殺しあったとして、あなたに勝つのは難しい。それも事実です。パシパエ王女」
片腕を失い、包帯でグルグル巻きにされた上半身に手をやりながら続ける。
パシパエはまだ警戒を解かず、息を詰めて杖を構えていた。
「ひとつ伝えておこう」
唐突に、少年は口にした。
「ヴァルカンはまだ生きている」
「……え?」
パシパエが目を見開くが、ジローにはその名の意味がわからない。
「誰?」
「うっ嘘……そっそ、そんなわけ」
ただ彼女は、杖を、指が白くなるほど握りしめていた。
「爺やが……そっそんなはずっ……ない」
首を振る。
だってあの時、彼は、自分の腕の中でもう冷たくなっていた。
「いま……《オリュンテア》国内では、新王政への反抗勢力が抵抗を続けている」
少年は無表情のまま話を続ける。
「旧王の復権をもくろむ奴らを束ねているのが、あの王国魔法士、《ヴァルカン》という情報が入った」
ヴァルカンとは、爺やの本名。
城の従者として勤める前、彼は王国軍に仕える魔法士だった。
「なんで……僕らに教えるの?」
瓦礫の下から自分の杖を掘り出したジローが、パシパエの心境を察知して、尋ねる。
「……このまま行方をくらまされるのが一番困るからな。
ヴァルカン……あなたの“爺や”は強い。が……それでも反抗勢力と、我らが王国魔法士の戦力差は歴然。殲滅されるのは時間の問題です。
わかりますね? 王女」
「なるほど」
手を叩くジロー。
つまり、パシパエが国に帰らざるを得ない口実を作ったというわけだ。
そのヴァルカンという人物を、彼女が見捨てられないと確信して。
「爺や……」
少年の思惑通りに、そしてジローの推察通りに目に涙を浮かべるパシパエ。
「……今度こそ彼を助けたいのなら、急ぐことだ。パシパエ王女」
少年は煤のついたローブを拾い、羽織った。顔を隠すようにフードを被る。
「もう行っちゃうの?」
「あぁ、私も殺されたくはないからな。ここは退くしかあるまい」
「待って!」
去っていこうとする背中にジローが声をかけた。
「きみの名前を教えて」
「…………なに?」
背中は立ち止まり、
数秒の後、少しだけ首を動かす。
「…………ホワイト」
「そうか……ホワイト。おかげで助かったよ。ありがとう」
ジローのお礼に、少年は返事をせず、森の中に消えていく。
「…………」
爺やの生存が真実かはわからない。
でも、確かめないわけにはいかない。
パシパエは、濡れた目元をぬぐい、唇を結んだ。
「ジローさん……わっ私」
「にゃおおおっ! にゃおっ!!」
と、ふたりの間に猫が駆け込んできた。
老夫婦の飼い猫獣人、フォレちゃんだ。
凄まじい形相で鳴きわめきながら、必死に何かを伝えようとしていた。
「ん? なになに……?」
肉球でシュッシュッと首輪を指している。
「あ、外して欲しいってことか。パシパエ、できる?」
「あっでも……私がやったら……フォレちゃんを傷つけてしまうかも……」
「……そうか」
惨劇を想像したジローが、仕方なく自力でなんとかする。
「鍵穴があるけど、解錠するには時間がかかりそうだ。接合部の方から壊そう」
継ぎ目をナイフでこじって、隙間を広げたら、花壇のレンガの上に猫を寝かせて首輪を固定する。
さらにナイフの先端を隙間に押し込んで、テコの力で広げていく。
「くっ……うぅ……う」
ほどなく金属が割れる。首輪を外されたフォレちゃんは、その場でうずくまり、
「――ううぉおおおッ!! ついにっ! 解放されたぞッ!!」
流暢な人間語で叫んだ。
「フォレちゃん……そんな普通に話せたんだ……!」
「当たり前だ。こんな首輪からの命令さえなきゃな。あァもう、二度と『ニャオ』とか言わねえ!」
彼女は、老夫婦の実験台にされ、人工の猫獣人にされた。フサフサした体毛に覆われ、猫耳もついていたが、元はただの人間なのだ。
「アタシの名前はエフェクタだ」
しっかり二足で立ち、胸に手を当てて、勝ち誇るように名乗った。
「エフェクタちゃん……?」
「お? いきなりちゃん付けか、クソガキ」
「あっ、あなたはその……どれくらいここに囚われていたのですか……?」
パシパエがおずおず尋ねると、「そーだな……」エフェクタは首をひねって斜め上を睨む。
「森奥の屋敷にジジババが住んでるって話を聞いてな。
いっちょその貯えてやがる資産を有効活用してやろうと盗みに入ったのが……もう2年前ほどか……」
「けっこう自業自得ではあったんだ」
「あの時はアタシたちもまだ若くてな……無謀……ってそうだ、ダーリン!」
そこでハッと我に返った彼女は、一目散に寝床小屋に駆け込んだ。
「ダーリン?」
顔を見合せ、ジローとパシパエも後を追う。
エフェクタが駆け寄ったのは、寝床小屋で倒れた灰色の巨人、オリブ。
「ダーリン! 生きてるかっ??」
声をかけられると、「ウッ……」とうめきながら薄く目を開いた。
ジローたちが屋敷の残骸から見つけてきた医療具を使い、オリブに処置をした。
ホワイトに刺された首の傷は深かったが、幸い分厚い皮膚と筋肉のおかげで、致命傷には達していなかった。
「ガッハッハッ! 改造されたことが……逆に命を助けられたとはな!」
「さっすがアタシのダーリン!!」
エフェクタと同じように首輪を外され、正気を取り戻した巨人が豪快に笑う。
性格まで矯正されていたのか、まるで別人だった。
包帯を巻き終えると、すぐさま立ち上がり、エフェクタとハグを交わした。
「よく無事でいてくれた……ハニー!」
「アンタもだよ……一時はもうこのまま解放されないかと……」
やがてふたりの鼻が近づき、熱い口づけを始めたので、ジローとパシパエは外に避難した。
一分後、口周りを唾液でベタつかせたふたりが出てきた。
「さんざん働かされたからな。たんまり頂いていくぜ……!」
残骸を物色し、金品のたぐいを手早く麻袋に詰めていく。
夫婦の荷馬車を出してきて、満杯の袋を次々と乗せる。
「はえ~……」
ジローはそのあまりに鮮やかな火事場泥棒にひたすら目を奪われていた。
「盗賊か……面白い職業もあるんだな……」
彼はいま、パシパエたちと同じ白界公用語を喋っている。
脳手術で強制的に話せるようにさせられたのだ。
「…………」
結果的には白界でのコミュニケーションが取りやすくなったが、
パシパエは複雑な気持ちで、足元に散らばるカルテに目を落とした。
そこには、とても人の手で描かれたとは思えない精細な人体の断面図や、白黒で描かれた、脳の立体図があった。
パシパエはさらに、その中に混じる奇妙な物体を見つけた。
真っ黒い“板”だ。
合わせて三枚ある。
表面は石材のようで、細かいモールドが無数に刻まれていた。
「……あれ……」
これ……どこかで見たことがあるような。
パシパエは石板を拾おうとして、その表面に――触れた。
――ヌチュ。
濡れた感触が指先に付着する。
「『おい!!』」
瞬間、頭の中に怒声が反響した。
「あっ……?」
「おい! 動けばかもの!」
ビリッ!
指先から鋭い痛み、ハッとなったパシパエは、拍子に石板を取り落とした。
瓦礫の隙間に滑り落ちていく。その行方を一瞬目で追った後、声のした方を見た。
「動け馬鹿者!!」
盗賊たちが何やら困っているようだった。
荷馬車に袋を乗せたはいいものの、それを引っ張る馬は、さっきの爆発で怯えてしまっていた。
巨人に尻を引っぱたかれると、悲鳴をあげてどこかに逃げていく。
「まったく……根性なしの馬が……」
仕方なく、オリブが代わりに車を引く係を担った。
「よし、ずらかるぞ!」
御者台に乗り込んだエフェクタが声をかける。
「パシパエ、行こう」
ジローが手を挙げて応え、声をかけてくる。
「……どうしたの?」
彼女は瓦礫の前に立ち尽くしていた。
「……いえ……」
石板に触れた指先は、ぬめりけのある黒い塗料のようなものが付着していた。
また毒物か何かに触れてしまったのか――。
一瞬、ヒヤリとしたが、指で軽く擦ると、サラサラと簡単に落ちた。
痺れも、痛みもない。
ほっと胸を撫で下ろす。
「……なんでも、ないです」
「さっさと乗れガキども!」
「……あ。ちょっと待って。あのふたりはどうするの?」
思い出したように、ジローが庭の片隅で横たわる老夫婦を指す。「行かないで……お願い……」片目を押さえた老婆がかすれ声で懇願してくる。
「……置いていかないで……」
「やめろ……早く行かせろっ……」
「だって、あの子たちが」
この期に及んでまだ夫婦で言い合っている。
「このまま黙ってれば、見逃してもらえるだろう……!」
実験体にされかけたとはいえ、助けてもらったのは事実。
死んで欲しくはない、というのはパシパエはもとより、ジローの思いでもある。
「……コイツらは金持ちだから、治癒魔法士を呼べば治してもらえる。死ぬことはねえ。死んで当然だけどな」
エフェクタはそんなふたりの心配を解消し、唾とともに吐き捨てた。
「オラ。さっさと乗れ」
「あの……どっ、どこに行くのですか?」
彼女をまだ信用しきれないパシパエが、おずおずと尋ねる。
「あァ?? 運び屋を探してんだろ? 助けられた礼に紹介してやるよ!」
猫耳の少女はどデカい声で豪語した。
「ホントに!」
「ああ任せな。白界最速の“竜乗り”を知ってるぜ」
そうしてジローとパシパエは、盗賊たちとともに屋敷を後にした。
「そんな! 行かないで!」
去り際、片目を押さえた老婆はふたりに手を伸ばしていた。
「お願い! 私たちのっ……何がいけなかったの!」
なぜか少し罪悪感を覚えながら、パシパエは荷台から首を引っこめた。
「反省するから……治すから! 一緒に暮らして! 置いていかないで……!」
「…………」
ジローの脳裏には、去り際に老人と交わした会話がよみがえった。
『あのォ、カリスってどこの地名か、教えてもらえませんか?』
父の杖を片手に尋ねた。
『国の名前ですか?』
杖の柄に刻まれていたメッセージの正体を確かめようとした。
『…………国じゃない。島だ。オリュンテアの南西にある……島の名前』
倒れた老人は、まだ少し怯えた様子のまま、教えてくれた。
『そこが父さんの……故郷?』
『……かは、わからないがな』
断言を避けるように付け足し、それから少し間を置いて、
『……私を恨んでいるか?』
と聞いてきた。視線はジローの頭の傷痕に向けられていた。
『私は……君のためを思って手術を施した。それは本心だ。
だが、不快にさせてしまったのなら、謝る。だから頼む、命だけは……』
『まさか。恨んでなんかないよ!』
ジローは笑顔で首を振った。
『言葉を喋れるようにしてくれて、むしろ最高だよ!』
ジローには、ふたりの気持ちが理解できた。
老人の、どうしても抑えられない好奇心。
老婆の、何を引き換えにしても癒したい孤独。
選んだ道こそ違えど、ふたりの根っこは自分と同質だった。
「――ありがとー!!」
だから彼はいま、荷台から身を乗り出して、小さくなっていく老夫婦にめいいっぱい叫んだ。
「ふたりのこと、忘れないよ! いつかまた会いにくるから!」
話せるようにしてもらった言葉とともに、
屋敷が見えなくなるまで、手を振り続けていた。
小高い山を越えるとほのかに潮の匂いがただよってくる。
ほどなく港町が見えてきた。




