9 鼻血
『このガキが勝手についてきただけだ』
それは、この部屋にはいない人物の声。
パシパエの中にだけ存在する、“彼女”の声。
「……やっやめて……! こんな近くで」
パシパエは、慌てて毛布を頭から被り、声をひそめた。
「お願いだから……ジローさんが見ている前では、話さないで」
隣のベッドに寝る少年の気配を意識しながら続けると、『フン。そんなにこのガキを気に入ったのか』おちょくるような返答があった。
「そういうことじゃ……いやっ、あのていうかべつに、気にいるとか」
『隠す必要はない。意味がないからな』
“彼女”は、そう耳元でケタケタと笑う。「く……」パシパエは顔をしかめ、眼帯を外された、右目のまぶたに触れる。
『自分でも言っていただろう。このガキの行動は、全て己が目的のため。
おまえを助けたのはついででしかない』
「…………そんなことは」
わかっている。
もう思い上がりはしない。
『ただまあ……想い人の安全を思うなら、このまま、おちおち寝るのもどうかと思うがな』
まぶたの裏の暗闇で、“彼女”の唇が諭してくる。
「だから違っ……なに?」
『いますぐ対処すべきことがあるだろう?』
毛布から顔を出す。『逆だ』と言われ、ジローとは反対側のベッドに振り向く。
そこには、見慣れない少年が寝ている。
いや、見慣れてはいる。
少年の顔は、なぜか自分に酷似していた。
「なんなの……この人……」
異様、としか表せない。
目の前の光景を現実とは思えない。
でも現実だから、
視界に入れていると、腹の底を揺さぶられるように、居心地が悪い。
『あの白い騎士の中身だ』
顔を背けたパシパエに、告げる。
『城の中では見たこと無かったが……。“鍵の目”を持っているということは』
「……私たちと同じ……王族……?」
だとしてもおかしい。
オリュンテア王族の兄妹は男が三人。
女が一人。
こんな兄も弟も、自分にはいないはずだ。
『やるなら今すぐにだな』
「…………やるって……何を」
『とぼけるな。殺すのだ』
「っ……」
パシパエが息を飲むと、『将来は玉座につく者が、人ひとり殺せないと?』“彼女”はまたおちょくってくる。
「…………私は……べつに……ぎっ玉座、なんて」
と言いつつも、脳裏には、さらなる否定がよぎる。
『何を言う。爺やと父に託されただろう』
パシパエがわかっていることは、“彼女”もわかっている。
『彼らの思いを裏切る気か?』
パシパエが曖昧に済ませようとするそれを、的確に言葉にされる。
『王に刃向かった逆賊を打ち倒し、祖国を取り戻せるのは、もはやお前しかいない』
常に見たくない現実を突きつけてくる。
『さあ、やれ。
覚悟が出ないのなら、妾が代わってやろうか?』
「どうしてあなたは……そんなに。私を、王にしたいの……?」
思わず聞いた。
それは自分には全く理解のできないことだった。
右目のまぶたの裏にいる存在を、自分ではなく“彼女”としか思えない理由でもある。
『……何をいまさら』
ニヤリ、とまぶたの裏で、赤い唇が裂ける。
『当然。むしろ、妾が王でないことが有り得ないからだ』
爛々と輝く、紫色の瞳に見据えられた気がした。
「ッ……」恐怖をかき消すように、ぎゅっと目を瞑り、また毛布を被った。
やっぱり認められない。
こんな“化け物”が、“自分”だなんて。
「爺や……」
もうここにはいない、唯一の心の拠り所にすがりながら、少女はその夜を耐え抜いた。
※
翌日。目を覚ますと、ジローが消えていた。
隣のベッドにも、中庭にもいない。
少し慌てたが、門前の小屋にいた馬がいないのを見て、思い出した。
昨夜、屋敷の主人である老人とともに、町に行く話をしていた。
ふたりとともに転移してきた――黒界の技術品を売るためである。
『あの鎧を私の知り合いの“異界物”を取り扱う商人に渡してやる。
それが売れたら、金は全額お前たちのものだ』
老人はそう言って、ふたりのオリュンテアまでの旅費の工面をしようとしてくれた。
どうやら白界では、黒界から転移してきた科学技術が高価で取引されているらしい。
熱心なコレクターがいるのだ。
『私もコレを二年ほど前に手に入れた』
『それは……』
自身もそうだという老人が取り出したのは、黒っぽくゴツゴツした手のひら大の装置。
たしか、黒界で“銃”と呼ばれるものだった。
『美しい工芸品だろう……それに武器としての機能性も高い。弾丸さえ作れれば、狩りに使いたいくらいだ』
少年に戻ったように、ウットリした顔で老人は言い、『こんな事にお金を使って』と隣の妻にため息をつかれる。
老人いわく、ふたりの持っていた黒鎧は、『かなりの値がつく見込みがある』そうだった。
「お兄ちゃんならもう出発したわ。大丈夫、オリブが付いてるから安心よ」
屋敷の本館に向かうと、朝食の準備をしていたお婆さんが教えてくれた。
「買い出しもするって言ってたから、帰ってくるのは日没ごろじゃないかしらねえ」
「そうですか……」
パシパエは寂しさを隠し息を吐いた。
「…………」
寝てたとはいえ、ジローさん、声もかけず行ってしまうなんて。
連れて行ってほしいとは言わないけれど、せめて一声かけてくれたらいいのに……。
「……って思うからいけないんだ……」
結局まだ思いを引き剥がせずにいる。
お婆さんには、日中、屋敷の中は好きに使っていいと言われた。
だが正直、どこにいてもあまり落ち着かなかった。
「こっちにいらっしゃい」
玄関前で座り込んでいると、庭からお婆さんが声をかけてきた。「はい」おずおずと立ち上がる。
「何をし……しているのですか?」
「菜園よ。ここで果物を育てて、町で売っているの」
屋敷の敷地内にある庭。
その一角にあるこじんまりした菜園には、鮮やかな花を咲かせる植物が育っていた。
「綺麗でしょ?」
「はい……」
純粋にそう思えた。
顔をほころばせたパシパエを見て、お婆さんも微笑む。
ふたりでジョウロをもって、植物たちに水をやる。
「昔はね、この屋敷に息子の夫婦も一緒に住んでいたの。いまは都会に出ていっちゃったんだけど。
可愛い孫がひとりいてねぇ……こうして、一緒に水やりしたものだわ」
遠い目をして言った。
「…………そっそうだったの、ですね」
パシパエも、王城で爺やと、他愛ない話をしていた頃のことを思い出した。
「気持ちは繋がってるって、思っていたのに。悲しいわよ。離れてしまえば連絡のひとつもよこしてくれないのよ。
だからパシパエちゃんも、大切な人はなるべく遠くに行かせちゃダメよ?」
植物たちを優しく愛でながら、お婆さんはそう話してくれた。
「……はい」
ジローのことが一瞬浮かんだが、すぐに黒界で待つアキラのことも思い出す。
そう、このままではいけない。
姉弟は離れていてはいけないのだ。
私が……何とかしなきゃ。
ジョウロの取っ手を、小さく握りしめた。
「あなた……何か他人には言えない事情を抱えてるみたいね」
ふと顔をあげると、お婆さんが覗き込んできた。
「えっ――」皺の多い顔の中心にふたつ。あまりに透き通った瞳に見据えられ、思わず肩を強ばらせる。
「大丈夫よ」
お婆さんは見透かしたように、くしゃりと笑う。
「苦しかったら、ぜんぶ投げ出して、逃げたって。あなたはまだ子どもなんだから」
「…………」
「家に帰りたくない理由があるなら、本当に、ずっとここに居たっていいのよ?」
と、草木の葉をめくりながら続ける。
さりげなく促すように。
「あ……ありがとうございます」
パシパエは、ジョウロを傾けていた手を止めた。
「でも……すみません。私はもう……逃げたくはないんです」
初めて見せる、固く強い声だった。
「……そう」
お婆さんは少し目を見開くと、すぐにまた優しく笑って、「ふ~……」伸ばした腰をトントンと拳で叩いた。
「そろそろ休憩しましょっか」
「……はい」
パシパエが返事をすると、庭の片隅で寝転がっていた猫獣人の少女が、ぴくりと顔を上げる。
「パシパエちゃん、そこに生ってる実、何か知ってる?」
老婆はパシパエの近くで生っている果実を指した。
「……なんですか?」
粒が寄り集まった姿形は、オリュンテアにもよくある、ベリー系の果実に似ている。
「よく熟れてるでしょ? よかったら、味見してみて?」
ただしその色は、見たことがないほど真っ赤だった。
「あ、は、はい」
親指大くらいの果実をひとつ、素直にもぎ取って、口に運ぼうとした。
「にゃウッ!! ニャオおっ!」
その瞬間、いつの間にか背後にいた少女が飛びついたきた。
「うわっ!?」
「ニャアウアアッ! ニャアウウウッ」
「こらフォレちゃん!」
「あっ……いっいえ、大丈夫ですからっ!」
パシパエは今度こそ彼女に慣れようと、あえて無抵抗に受け止めた。
「にゃおう!!」
すると猫耳の少女は、パシパエが持っていた果実を、爪ではじき飛ばしてしまった。
「……もう~……本当にいたずらっ子なんだから」
地面に落ちた果実を前足でゲシゲシする猫に、老婆が駆け寄っていく。
「…………」
パシパエはその様子を眺めながら、何気なく房からもう一粒、実をとった。
「ニャおおおっ! にゃぅぅぅぅッ!!」
「もうどーしたのフォレちゃん! いつもはこんなに悪い子じゃないでしょ?」
老婆に抱きかかえられたフォレちゃんは、それでもなお必死に暴れている。
「あっコラ」
腕の隙間から逃げ出し、パシパエにまた飛びかかってきた。
「あっあの……これが欲しいのでしたら、あっ、上げますよ! ほら」
パシパエは、必死な形相の猫の頭を撫でて、果実を手渡した。
するとすぐさま、彼女はまた実を地面に落として踏み潰す。
「……?」
たび重なる不可解な行動に、さすがに困惑してきた。
「パシパエちゃん。大丈夫ー?」
背後から老婆の声がする。
「……?」
パシパエは、目の前でうずくまる猫獣人の頭に、奇妙な縫合跡を見つけた。
いかにも猫らしい、とんがった耳が二つ。
ベージュ毛の隙間から生えている――。
――ように見えたが、違った。
その耳は、頭皮に|直接縫い付けられていた《・・・・・・・・・・・》。
「……あの、お婆さん? この子の耳って……」
「ニャアアアアア――ッッ!!」
今度の叫びは明らかに意思をはらんでいた。
パシパエが振り向いた瞬間、鉄色が目の前にあった。
ゴッ!
鈍音が体の芯に響く。
「あ゛っ……えぇ……?」
ボタタ……と熱いものが垂れてくる。地面に溢れたそれは、潰れた果実なのか、それとも血なのか。
判別するまもなく、視界はゆらぎ、意識は暗闇に落ちた。
「ふぅ……」
倒れた少女を見下ろし、老婆がスコップを置く。
トントンと拳で腰を叩いて……一息つくと、
投げ出された少女の両足を持った。




