7 老夫婦
最初に感じたのは暖かな重み――。
そこは、狭い寝室のようだった。
壁や床は木製で、表面を保護する樹脂か何かが塗ってある。
オレンジ色のランタンに照らされてほのかに光沢を放っていた。
ジローは、分厚い毛布をかけられて寝ていた。
隣のベッドにはパシパエがいた。
その向こうには、あの白騎士の中身――パシパエと瓜二つの少年の姿もある。
目を覚ます気配は無い。
二人とも怪我の処置はされているようだった。
ジローの頭にも、包帯が巻かれて、服も着替えさせられている。
化学繊維ではなく、ウールや麻などの天然素材で編まれた物だ。
ベッドの傍には彼らの持ち物、リュックや杖が置かれていた。
ひとまず杖を掴んで、部屋の外へ出た。
辺りは夜の闇に包まれていた。
ジローたちがいる小屋のすぐ隣には、大きな屋敷があり、窓から灯りが見える。
古いがよく手入れされた洋館。
ジローは、シェルターの旧暦資料で見た日本領事館や異人館の写真を思い浮かべた。
小屋と屋敷の間は、吹き抜けの渡り廊下。
そこを裸足で歩いていると、前方に人影が見えた。
「……ん?」
妙に背が高く見えるのは、ジローが小柄だから、ではない。
「ッ……」
それは、2メートルをゆうに越える、巨大な男だった。
「……あなたは……」
まるで鉱物のように肌がゴツゴツしている。
人間、なのか?
一瞬込み上げた恐怖をこらえ、質問する。
「……僕たちを……助けてくれたんですよね! ありがとうございます」
笑顔を作り、努めて友好的な感じで。
だが、遅れて気づいた。
ここは白界。こちらの言葉はむこうには通じない。
しかし、男は意味を汲み取ってくれたのか、無言で背後の扉を開けて、
ジローを招き入れてくれた。
入るなり、パタパタと足音が駆け寄ってきた。
「目が覚めたのねぇ! よかったわあ!」
現れたのは人間のお婆さん。どこからどう見ても、老いた女性の人間だ。
玄関先で立ち尽くすジローを、思い切り抱きしめる。
「うぐっ」
「大変だったわねえ。森で迷子になって……でも、もう安全よ。ここなら魔物も来ないわ」
「魔物……」
変異生物の、こちら側での呼び名だ。
「私が見つけた」
奥からもう一人、しわがれた声がする。
こちらは老人。気難しそうな鷲鼻、パイプを咥えている。
「あのまま、あそこで倒れていたら三人とも死んでいたぞ。まずは命の恩人に礼を言うべきじゃないのかね?」
険のある言葉とともに吐き出した煙が、ジローの顔の前にただよう。
「ちょっとアナタ。いきなり怖がらせるようなこと言うんじゃありません」
お婆さんは、キッと老人を睨んで、すぐに愛想のいい笑顔で振り向く。
「ごめんねえ?」
「いえ……あの、助けていただいて、どうもありがとうございます」
ジローは元気に頭を下げた。
すると、老人は眉間のシワをさらに深くした。
「なんだその言葉は」
「アラ……あなた……この辺りの子じゃないの?」
お婆さんも、未知の言語を喋られて、戸惑っているようだ。
ジローの方は、耳に着けた黒連軍製翻訳機のおかげで、ふたりの言葉は理解できている。
「こんな山奥に子どもだけで遠足か。親にどういうしつけをされたんだ」
「でも……お礼はちゃんと言ってくれたみたいよ?」
煙を吐いて廊下に向かっていく老人。「さあこっちにいらっしゃい」お婆さんが続いて、ジローを奥に案内してくれた。
豪勢なシャンデリアのかかった広間は、どこか落ち着く古木の匂いに包まれていた。
壁際で暖炉がパチパチと音を立て、大きな食卓が中心にあった。
「うわ~……」
鍋にシチューが煮立っていた。
お婆さんはそれを小皿に分け、「熱いから気をつけてね」と渡してくれた。
「私はポリュペ。こっちの無愛想なのは、夫のクルモスよ」
「フン」
「ありがとう! 僕、ジローっていいます!」
ジローは目を輝かせて受け取った。香辛料が多く使われているのか独特な匂いが鼻をくすぐる。
「ジロー……? それがあなたの名前なのね?」
「はい!」
大きくうなずくと、お婆さんも言葉が通じて安堵したように微笑んだ。
それからジローの傍らに目を向ける。
「その子はフォレちゃんよ」
「え? うわっ!」
いつの間にか足下に猫がいた。
いや、“猫のようなもの”だ。
愛らしい丸っとした顔つき、とがった耳と、フサフサした毛並み。しかし、身体は人間の”少女“だった。
「ゴロゴロゴロ……」
テーブルの下で喉を鳴らしながらジローを見つめている。
「なんだこの生き物はッ!?」
「獣人なの。ごめんなさいね。そのシチューが大好物でねえ」
「にゃゴッ、にゃあアッ!」
「こらっ、それはお客さんのよフォレちゃん。とっちゃいけません」
ジローの小皿を奪おうと手を伸ばしていたが、お婆さんにしかられて、シュンと身を引く。
暖炉のそばまで四足で歩いていくと、丸まって、眠ってしまった。
「……」
「それから、あっちは巨人のオリブ」
扉の前に立つ灰色の巨男を指して付け足す。
「大きくてビックリしたでしょう。ウチの門番を任せているの」
魔力に満ちた環境で独自に進化した種族たち。「へぇ~……」未知の白界文明の一端を目の当たりにして、ジローは感嘆した。
「さっ、冷めないうちに食べてちょうだい?」
「いただきまーす!」
湯気立つシチューには、玉ねぎと人参のような野菜と、何かの獣肉が入っている。
「どう?」
「ん、うん……なんか独特な風味だけど、美味しいです!」
食事を終えた頃、同じように目を覚ましたパシパエが、屋敷の方にやってきた。
「そう~、パエパエちゃんっていうのね~」
「はっ、はい、よろしくおお願いします」
同じように自己紹介をして、食事をご馳走になる。
白髪を耳にかけ、おそるおそるシチューを口に運ぶ。
その口調や表情は、元の控えめな態度に戻っていた。
魔法使いと戦った時のような不遜な雰囲気はなくなっている。
右目にはもう眼帯は着いていないが、まぶたは閉じられていた。
「いただきます……あつっ……」
「気をつけて」
いきなりシチューを飲もうとするパシパエに、ジローがスプーンを渡す。
「あっ、ありが……」
受け取った少女は、ジローの顔を見たとたん、驚いたようにそっぽを向いた。
「?」
「あっ、いえ、なんでも……」
赤みがさした頬を悟られないように答える。
「フフフ」
その様子を眺めるお婆さんが、「妹思いのいいお兄ちゃんねえ」と微笑む。
幸い、パシパエと老夫婦は言葉が通じるようだったので、ジローも通訳ごしに意思疎通ができるようになった。
「わ……私たち兄妹ではむぐっ」
「そーなんです! 可愛い妹で~」
否定しかけたパシパエの口に木スプーンを押し込み、ジローが肯定する。
「ひとまず……黒界から転移してきたことは伏せておこう。まだこの人達が異世界人をどう思ってるか分からない」
パシパエに顔を寄せて耳打ちした。
最初に黒連兵士たちと会った時のように、異世界人とわかった途端、攻撃される可能性もある。
念には念を、だ。
「あなたち向こう側からきたんでしょう? 大変だったわねえ」
……というジローの判断は、一瞬で無意味となった。
「なっ、なんで!?」
大げさにおののく、ジロー。
「わかるに決まってるだろう」
顔をしかめた老人がため息をつく。
「まずはその服だ」
ジローとパシパエは、自分の体を見下ろす。
着ているのは、廃墟の日本で手に入れたもの。ショッピングモールでセール売りされているような子ども服だった。
「あ……」
「それに、私がお前たちを見つけたと言ったろう。あの“大地の焼印”に倒れているところを」
「焼き印……」
ピンとくる。
おそらく、ポータルの痕。ジローたちもここまで散々見てきたあの“クレーター”のことだ。
「20年前ならともかく。いまはあれが空に繋がる“光”の痕だということぐらいこんな年寄りでも知ってる。残念だったな」
と、冷徹に言い放つ。首をすくめるふたりを見て、「ちょっと」またお婆さんが怒る。
「恐がらせないでって言ってるでしょう」
「フン。隠そうとしなくてもいい。べつに向こう側の人間に差別意識などはない。実際、会うのは初めてだが」
「驚きは……しないの?」
「それは驚いたとも。だが、それだけだ」
と、パイプをふかしながらうなずく。
「そうそう、最近は“向こう”と交流してる国もあるって聞くし、受け入れる心は大切よね?」
お婆さんも茶目っぽく言って目配せした。ふたりはほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあ…………あの、ここはいま白界のどこらへんなんですか?」
素性がバレた所で、ジローが質問を始める。
「ここはスフイレ島。国で言うと、《二二ギ》の南端にある」
ジローは相づちを打ちながら、黒連兵士たちから教わった白界の地理を頭に呼び起こす。
《ニニギ》。
たしか、黒界でいう日本列島あたりに位置する国だ。
その南端の島とは、おそらく沖縄に位置する所だろう。
座標は黒界にいた頃と変わっていない。
「向こうの人たちは、こっちに来ると魔力の毒で死んでしまうって噂があったけど、ウソだったのね」
お婆さんが食器を片付けながら呟く。
「あぁ……それは……」
ジローは少し考えて、
「僕たち白界人なんです」
と説明した。
嘘では無い。
「パシパエと僕は、元々白界生まれです。小さい頃に……ポータルに巻き込まれて……黒界に転移しました」
大げさに手を広げて、さらに立ち上がる。
「それから廃墟の世界で僕たち兄妹は6年間生きてきました……。辛くて死にたいと思うような目に何度も遭ったけど、希望を捨てずに、旅を続けて。
そしたら先日、偶然またあのポータルと遭遇して、僕たちはすがりつく思いで、飛び込んだんです」
胸に手を当て、エモーショナルな感じで話を展開する。「……そしたらここに」と締めくくると、ストンと座り直した。
「……そうだったの……」
しわの多いお婆さんの眉が、いかにも「可哀想」という形に垂れ下がる。
「大変だったのねえ……でも偉いわね。頑張ったのねえ」
「僕たちの本当の故郷は、《オリュンテア》という国です」
「んげほっ!!?」
老人がパイプを咥えたまま吹き出した。ゴホゴホと咳をして、妻から渡された杯を飲む。
「プは……」
「オリュンテアって……どこだったかしら」
ぽけっとした返しをする妻に「三栄大陸の真反対側だ!」と返す。
「ここからでは遠すぎる」
ジローもわかっていた。
オリュンテアは白界・南ヨーロッパあたりに位置する国。
アジア最東端に位置するニニギからでは、文字通りユーラシア大陸を横断する必要がある。
「……子どもだけで。どうやって帰るつもりだ」
「…………」
沈黙するふたりを見て、老人はパイプを置いた。
「いくつもの国境をまたぐ必要がある。途中には紛争地帯もある。
安全なルートを知る運び屋を雇うだけでも、相当な金がかかるぞ」
続けざまに言い放つ。パシパエがしゅんと俯く。
老人は妻に頭を引っぱたかれた。
「何する!」
「あんたはどうッしてそう不安にさせるようなことばっか言うの!」
「親切心だろう! 現状を整理してやってるんだ」
老夫婦の性格は真反対だが、
どうやら、こちらの身を案じてくれている気持ちは同じなようだ。
「ひとまず、僕たちは故郷に帰りたがってる兄妹ってことにしとこう……」
痴話喧嘩を横目に、またパシパエに耳打ちする。
もう耳が遠いのか夫婦の声がふたりとも大きいので、大変、密談しやすい食卓だった。
「でも、ジローさんは……黒界にアキラさんが。もっ戻らないと……」
「大丈夫。アキラならこっちに助けに来てくれる!」
空の地球に残してきた姉の顔を思い出し、断言した。
「たぶん黒連軍と一緒に。ただ時間はかかるだろうから……
僕はそれまでの間、白界で父さんを探すよ」
テーブルに立てかけた蛇の杖に、目線を落としながら言う。
「このままオリュンテアに向かおう。軍との合流場所をなるべく君の故郷に近づけるんだ。
そうすれば、軍も簡単には君を連れ帰ったりできないし、僕は道中で捜し物ができる」
結果的には、白界に来る前に考えていた計画が実現されたことになった。
『軍がこのままパシパエを拘束し続けるなら……それに僕たちの自由も奪うなら。何か手を打たなくちゃならない』
『手って?』
転移前の会話。軍の輸送機の中でアキラに言おうとしたのは、
『軍から逃れて姉弟とパシパエだけで白界に行く』
というもの。
パシパエにポータルを開く力があるとわかった時から考えていた。
黒連の目的はパシパエの力の軍事利用。
おそらく姉弟の力に関してもそれは同じ。
またどこかの軍事施設に匿われる手筈だったのだろう。
そうなってはジローの“父を見つける”という目的は果たされない。
“故郷に帰る”というパシパエの目的も。
「置いてきちゃったアキラには申し訳ないけど、軍から離れたおかげで白界側で自由に動くことができる」
今の状況を活かすべきだというのが彼の考えだった。
「……わ、私たちふたりだけで……オリュンテアまで行くのですか?」
ただし当然、無謀な話ではある。パシパエは眉を八の字にして聞き返してくる。
「……そうだね。僕たちだけじゃ厳しいかもしれない。だからまずはこの辺りの情報を集めて……旅の計画を練ろう!
できればお爺さんの言う通り、渡航に詳しい案内人を雇いたいけど……」
「あぁ……」
そうではなくて。とパシパエは言いかけて、口を噤んだ。
理由は上手く言えない。でも、不安の根幹はジローの計画が“無謀”だと思ったから、ではなかった。
「大丈夫だよ。心配ないって」
彼はそう言って、無邪気に笑う。
「君のことは必ず故郷に送り届ける。僕ひとりでも。約束は果たすよ」
唯一の肉親である姉と離れ、別世界に転移してしまった。
この状況を、いとも簡単に受け入れ、即断即決していく。
そんなジローの思い切りのいい態度は、いつも優柔不断なパシパエにとっては羨ましくもある。
でも即断即決は本当に、いまこの状況において、正しい選択なのだろうか?
「はい……」
パシパエが面と向かって言い出せることはなかった。
「お前たち、提案がある」
と、そこで老人が声をかけてくる。
「お前たちに金を出してやってもいい」
「本当ですか??」
ジローが聞き返すと、「あぁ……ただし条件がある」ニヤリと笑い、指を鳴らして合図する。
広間の入口から巨人がやってくる。彼が背負っていたのは……
「あの“鎧”を、私に譲れ」
漆黒の鎧。黒界連合軍の試作兵器だった。
※
「――てやる。それでまあ、運び屋を雇うくらいの金は手に入るだろう」
それから数分後。
話がひと段落したところで、パンッとお婆さんが手を叩く。
「とりあえず、今夜はもう遅いし、泊まっていきなさいな」
そうほがらかに笑って言った。「いいわよね?」「フン」老人も同意する。
その後ろでは巨人がいそいそと“鎧”を運んでいく。
「この辺りの夜は魔物が多い。いま外に出たら、町にたどり着く前に食われるぞ」
「なんなら、明日も明後日も、ここにいてくれたっていいのよ~?」
ジローとパシパエは顔を見合わせ、ほっと息ついた。
「ありがとう」
「ニャあっ! にゃゴあ!!」
「うわっ!?」
扉から出ようとした時、いきなり、あの猫の獣人が飛びついてきた。
ニャゴニャゴ言いながらパシパエの足にすがりついてくる。
「うわっあああ……」
「こらフォレちゃん!」
お婆さんが駆け寄ってくる。
「離れろ。獣」
低く命じ、少女は猫の頭を乱雑に押しのけた。
「ぎゃにゃっ!」
「……パシパエ?」
その振る舞いにジローが一瞬、戸惑う。「あっ?」パシパエは我に返り、「ごっごめんなさい!」バッと頭を下げた。
「こっ故郷には、獣人の方はいなくて。会うのは初めてだったので……」
「……いえいえ。怖かったでしょう。
こっちこそ急にごめんねぇ。ホラフォレちゃん、こっちにいらっしゃい」
「フゥゥゥ……」
猫はまだ怯えた様子で、お婆さんに連れられていく。
去り際、チラリと振り返ると、猫の目はまだこちらを見つめていた。
まるで何かを訴えかけるように、扉が閉まるまで、ジッと視線を離さなかった。
そして結果的には、この時、屋敷にとどまる判断をしたことによって、
彼らのその後の運命は大きく狂うことになる。




