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アンダー・アース 終末姉弟渡界記  作者: 遁遁拍子
第3章 黒界・サンフランシスコ 白界・ニニギ
44/49

6 道の決め方

 朝、まぶた越しで感じる陽光とともに起きて、カーテンを開け、伸びをする。

 窓を開けて、少し冷えた空気に身を引き締めたら、

 冷蔵庫から食パンを取りだし、トースターへ入れる。


 その間に洗面台へ。

 寝癖を整え、服を着替えて、焼けたパンにマーガリンを塗る。

 一人用の小さな丸テーブルでパンを食べながら……一息つく。


「ふう……」


 その瞬間、アキラは満ち足りていると感じる。


 支給品の真新しい靴を履いて、部屋を出た。


 看護師に連れられ、長い廊下の一番奥の診察室へ通される。


「身体に変わりはないですか?」


 不織布マスクを着け、目元も無表情な医者が、アキラの背中に聴診器を当てた。


 彼女の身体は黒界史にとって前例のない案件である。

 二週間に一度の通院を義務付けられており、血液検査、脳波検査、身体検査……コロコロと色々な処置を受けさせられた。


「……ん。あ」

「なにかありました?」

「この前……職場で……組み立て中の足場が倒れて、先輩が下敷きになりそうになった。で……」


 右の腕を差し出す。

 アキラがとっさに、その足場を受け止めて防いだ。みんなに感謝されて、嬉しくなったのを思い出す。


「そうですか。見てみましょう」


 医者がアキラの袖を捲り上げる。


「骨折したけど、もう治ってる」

「いつ頃治ったんだい?」

「その場で治った」

「……わずかな傷跡すらないのか。やっぱりとんでもないな」


 医者は少し笑って、「もういいよ」とアキラの腕を解放する。


「栄養補給は? 偏った食生活とか、してない?」

「してない。……肉は食べてないけど。タンパク質? ってやつさえ取れてればいいんでしょ」

「そうだね。魚介や豆からでも取れる。でも、なぜ肉は食べないんだい」

「……味が好きじゃないから」


 そう答えると、医者は眼鏡の奥の細い目を少し瞬かせた。

 事実なのだから仕方ない。

「……まあ問題ないだろう」医者は机のディスプレイの方に視線を戻していった。


「身体データに特に変わりはない。他に気になることは?」

「……最近、寝付きにくいんだけど」


 アキラは肩を抱いて、おもむろにそう漏らす。


「……ほう。まあ、急な環境の変化で、まだ心も体も慣れていないだろうからね」

「…………」

「誰だって最初はそうだ。よくある事だよ。私だって、生きてこの街にたどり着いたばかりの頃は、興奮状態で眠れなかった」


 医者はアキラに寄り添うように少し感情を込めた受け答えをした。「薬を出しておこう」と最後に付け足し、タブレット端末を操作する。


「ねえ、弟は? まだ見つからないの」

「それは……私は知ることはできない。気になるなら軍に問い合せてくれ」

「…………」


 アキラは軍から与えられた携帯端末を、ズボンのポケット越しに触る。


 自分だけの部屋。清潔なベッド。美味しい食事。自分を必要としてくれる職場。

 生活は満ち足りている。こんなにも心地いいはずなのに、


『父さんは向こう側から来た』


 胸の内には(モヤ)がかかったような不快感が渦巻き続けていた。


 ※《一週間後》


「ミリー」

「あ、はい!」

「建設課の人からー! 外線二番」

「はーい。お願いします」


 市役所のオフィス。

 ミリーの元に一通の電話が届いた。

 アキラの職場からだった。


「ここ三日も仕事に来てねえんだ。体調が悪いんだと」

「ああ……そうなんですね。それは心配ですね」

「あァ。今日は電話にも出なかった。あいつがいねえと仕事に遅れが出ちまう……」


 所長は、もうすっかりアキラを信頼してくれているようだった。

 少し嬉しい一方、続いて聞かされたのは予想外の言葉だった。


「……最近、あいつの顔、なんか今にも割れそうなガラス細工みたいなんだよ」

「え……?」

「一度、見に行ってやってくれねえか」


 電話を切るなり、ミリーは慌ててオフィスを飛び出した。


 私のミスだ。

 彼女の心の傷を軽く見てしまっていた?

 まだ仕事復帰は早かったのか?


 道中のケーブルカーで悶々と考えながら、集合住宅に着く。


「アキラさーん! 市のミリーです、大丈夫ですか!?」


 部屋の扉を何度もノックするが返答はない。「アキラさーん!?」さらに激しく叩いていると、


「……うるさいわよ」


 眠そうな声とともに、扉が開いた。

 パジャマ姿のアキラが出てきた。すごい寝ぐせだ。


「あっ……アキラさん……大丈夫、ですか?」

「どういう意味よ。……別に何も無いけど」


 歯磨きの途中だったようで、歯ブラシをジャコジャコ言わせながら喋る。

 部屋の中に入ると、支給品の服や食料品、飲料水などがぐちゃぐちゃに置かれていた。

 ワンルームの床にほぼ足の踏み場がない。


「あの……最近体調が悪いって聞いたんですけど」


 洗面台にペッと吐いて、コップの水で口をゆすぐアキラ。そのままガラガラとうがいもする。


「熱……えっと、風邪とかですか?」

「いや。べつに」

「じゃあ……どうして仕事を休んでいるんですか?」


 もう一度ペッと水を吐き出し、アキラはリビングに戻ってくる。


「何か、悩みが……」


 冷蔵庫から麦茶を取りだし、二つのコップに注ぐ。


「あ……どうも」


 ベッドに並んで座って、麦茶を飲む。

 この間アキラはミリーに一切目を合わせなかった。


「あの、アキラさん。何か悩んでいるなら、話してもらえませんか?」


 コップをテーブルに置いたミリーはアキラに向き直り、再度そう尋ねた。  

「……」それでもアキラは無言でそっぽを向いたままだった。


「あの……」

「べつに、何も悩んでないわよ」


 無感情に言って、コップを持つ手を、だらりと下げる。


「……本当に?」

「うん。……てかもし悩んでたとして、それを聞いてどうすんの」

「……えっ?」

「あなたは知らないでしょ。私がどういう人間で、どうやって生きてきたか。

 私の悩みなんて理解できないでしょ」

「…………」


 知っている。と言いたかった。でも、ミリーの知識とは、与えられた文面で見たものに過ぎない。

 実際に経験してきたアキラとでは、どう足掻いても埋められない差があった。


「…………」


 それでも。

 ミリーは膝に置いた手を握る。


「ちょっと、歩きませんか?」


 と、提案をした。


 サンフランシスコ郊外。

 住宅街の道をふたりは歩いていく。


 ミリーは行き先を特に言わなかったので、アキラは、彼女を後ろを追うように歩いた。


 しばらくは無言だった。


 新品の靴はまだ足に馴染んでいない。アキラがつま先に若干痛みを覚えていた頃、歩道沿いに川が見える。


「……たしかに私はアキラさんの家族でもないし…………」


 河川敷の手すりをなぞりながら、ミリーは口を開いた。


「同じ国の人間でもないです。使っている言葉も、背景も、文化も。何もかも違う。

 でも、話を聞くことはできます」


 それこそが最大の長所だというように、迷いなく言い切った。


「私は……話をすることで何も解決しないとは思いません。

 むしろそうしなきゃずっと分からないままじゃないですか」


 赤の他人の自分にここまで。

 本当に誠実な人だな、とアキラは思う。


「私、もっと話したいです。アキラさんと」


「…………私は……」


 彼女の気持ちに応えたいと素直に思った。

 でも、一度口を開きかけて、つぐむ。


 寄り添う感情があろうと、話せるかどうかはまた別だ。

 いま、この胸にある不快感が何なのか自分でもよくわからないのだ。

 言葉にしようとするたびに、喉のあたりで霧散していく。


「……………………弟が……見つからないの」


 もどかしく、絞り出すように発したのは、やはりそれだった。

 でも違う。それは不快の“核”ではない。


「わかってる。そんなにすぐ見つかるわけない……。

 ………………でも……この街ではもう誰も、私に戦えなんて言わない」

「……アキラさんは戦いたいんですか?」

「…………」

「何と?」


 異獣や、魔法使いのことを思い出し、首を振る。


「何とも戦いたくない」


 透き通る水面を眺めながら思う。

 こんな綺麗な生活にどっぷり浸かっていたら、もう血の臭いなんて二度と嗅ぎたくない。

 殺し合いの生活になど、戻りたくはない。


「でも……落ち着かないんですか?」

「……うん」

「そうですか……」


 ミリーはくるりと振り向いて、


「私が思うに、アキラさんはとても責任感が強いんだと思います」


 なぜか自信ありげに言う。


「私、最初にアキラさんの資料を見た時、感動したんです。こんなに強くて優しい人が、この世にいるんだって」

「……はぁ?」

「地下にいた頃から、弟さんのことずっと守ってこられたんですよね。

 自分だって同じ苦境に立たされていたのに。私、アキラさんのこと本当に尊敬してます」

「…………」

 

 丸ブチ眼鏡の中で、少し照れたように目を細めながら。

 歩調を緩め、アキラの隣まで来る。


「尊敬……」


 想定外で、的外れだった。

 べつに地下にいた頃は弟のことなんてどうでもよかった。自分のことしか考えてなかった。

 だから、簡単に殺そうとすることもできた。


「…………」


 そうか、地上に出てから、私は罪悪感で弟を守っていたのかもしれない。

 責任感だなんて、私は、そんな高尚(こうしょう)な人間じゃない。


「ミリー。私は」


 否定しようとしたその時、ミリーの歩みが止まった。


「ここです」

「え?」


 今度はアキラが振り向くと、ミリーが道沿いの古びた門を指していた。


「私、ここで生まれ育ったんです」


 《ファミリア孤児院》という看板があった。


「あら、あらあらあら!」


 よく手入れされた中庭に入ると、見覚えのある、ふくよかな女性が出迎えてくれた。


「おかえりミリー。アキラちゃんも、いらっしゃい」


 日本人コミュニティで会ったミチコさん。「ただいま、先生!」ミリーが親しげに駆け寄り、ハグをする。

 彼女の周りには小さな子供たちがいて、不思議そうにアキラを見上げている。


「このひとだれー?」

「ミリーの知り合い?」

「そう! アキラさんっていうんです」

「へー」


 ぞろぞろと子どもたちに囲まれて、「っ……」アキラはたじろいだ。


「ねー、アキラちゃんって足速い?」

「え? ……あー……まあ。速いわよ」

「よっしゃ! じゃあ鬼ごっこやろ!」

「えっ!」


 有無を言わさず手を引かれて、輪の中に加えられてしまった。

 そこから、エネルギー溢れる子どもたちのガチ鬼ごっこに、アキラはひたすら付き合わされた。


「みんな大きくなったねー。いま何人くらいいるの?」

「42人よ」

「おー、けっこう少なくなってきたね」

「これでもね」


 この20年間、黒界アメリカでは途方もない数の孤児が生まれ続けていた。

 ミチコが他数名とともに設立した《ファミリア孤児院》は今年で10年目になるらしかった。

 サンフランシスコの中では古い方で、街や軍隊にも出身者が多い。


「お疲れ様、アキラちゃん。こっちでお茶にしましょ」

「はぁっ、はぁっ……うん……」


 ヘトヘトになってミチコたちのところに戻ってくると、冷たい紅茶を出してくれた。


「なんであんなに元気なの……あの子たち……体力無限なの?」


 レンガ造りの本館のテラスで、木製のテーブルとベンチがある。

 ガラスのコップにつがれたアップルティーを一息で飲み干す。爽やかな香りが鼻を抜けていく。


「やるわねぇアキラちゃん。ウチのキッズと30分以上走れる人なんて、なかなかいないわよ? 雇いたいくらいだわ」


 ミチコはチャーミングに笑った。「はあ……」アキラはうなずきながらも、自分がなぜここにいるのかまだよくわかっていなかった。

 ここに連れてきた当のミリーは、いま小学生高学年くらいの子どもたちに勉強を教えている。


「…………」


 アキラが黙って紅茶を飲んでいると、


「ミリーから聞いたわ。最近、仕事に行けてないんだってね」


 ミチコが話しかけてきた。


「あの子もね、昔はけっこう悩んじゃう子でねえ。こうやって私とよく話してたの」

「ミリーが?」

「ええ。意外?」

「いや……何を悩んでたの?」

「……そうねぇ……」


 彼女は中庭を駆け回る子どもたちに目を向けながら続ける。


「あの子は……将来なんの仕事に就くかで悩んでた。自分は、どうやって生きていくべきなのかって」

「……役所以外にも候補があったの」

「ええ。なんだと思う?」


 振り向いて、尋ねてくる。空になったアキラのコップに紅茶を注いでくれる。


「……観光バスの……案内人とか」


 アキラが答えると、「あっはは! 似合いそうね」とほがらかに笑う。

 それから一拍置いて、「兵士よ」短く言った。


「とても向いてるとは思えないでしょ? でも、あの子本気で何日も、何週間も、それこそ寝れずに悩んでたの」


 彼女が語るミリーの過去は、アキラの持つイメージからは意外なものだった。

 ずっとこの街が好きで、市政に就きたい一筋だったと思っていたが。


「なんで……」

「ミリーと同い年の子はウチに7人いたんだけどね。あの子以外はみんな兵学校に入ったの」


 ミチコは少し寂しそうに言った。


「全員、自分からね」

「……そんなにみんな兵士になりたいの?」


 アキラには理解できなかった。


「立派な子達だわ。街を守るために、自ら過酷な戦場に立ち向かっていくなんて、誰にでもできることじゃない」

「……責任感、ってやつ?」

「色んな想いね。一言じゃ片付けられないくらいには複雑だったと思うわ」


 アキラの脳裏にはふと魔の森を共に歩いた若い兵士の顔がよぎった。グレンという名前で、白界や異獣に底知らない憎しみを抱いているようだった。


「私も、あの子たちを見送る時なんて声をかければよかったのか、いまだにわかってない」


 憧れや、愛国や、責任だけではない。

 復讐心。周りのムード。彼らが戦場を選んだのは、必ずしも100パーセント自分の意思とも言えないのかもしれない。


「ミリーがどうして兵士になりたかったのかも、本当の所は、あの子しか知らないのよね。

 あの子は小さい頃から血が苦手だったの。だから本人も向いてないと自覚していたはずだけど。それで結局は、別の道を選んだんだけど……。

 でも、何か決断しきれない気持ちがあったんでしょうね」

「…………ミリーが兵士になったら絶対死んでるわ」

「……そうかもね」


 アキラの素直な感想に、ミチコは苦笑して、それからこちらの目を見た。


「あなたは、自分が将来どうなっていたら、幸せだと感じると思う?」

「……幸せ?」

「そう、想像してみて」

「………………」


 アキラは、まったく予期していなかった質問に、黙り込んでしまった。


 今の幸せ。

 ではなく、

 未来の幸せ。


 それを考えることは、“いま”だけを必死に生き抜いてきたアキラにとっては、すごく難しかった。

 様子を伺っていたミチコは、


「好きなだけ、悩んでいいと思うわ。すぐに答えが見つからなくてもいい。

 大事なのは突き詰めて考えてみることよ」


 と、助け舟を出してくれた。

「……うん」その時、胸に渦巻いていた(モヤ)が少し薄らいだ気がした。


「もう行っちゃうのー??」

「はやいー!」

「ごめんって、また来るから」


 へばりついてくる子どもたちをなんとかなだめたミリーが、ミチコ先生と少し会話した後、アキラの方に戻ってくる。


「またいつでもおいでね」


 先生と子どもたちに見送られ、ふたりは帰路についた。


「どうでした?」

「ん……そうね。参考になったかも」

「それはよかったです」


 夕焼けの中、少し解れた空気で、他愛のない会話をしながら川沿いを歩く。


 黄金色にキラキラと輝く水面を眺めていたアキラは、ある時、目を瞑る。


「…………ねえ」


 立ち止まった。ミリーの方に向き直り、


「私、やっぱり軍に入ろうと思う」


 決意を伝えた。


(ジロー)を、|私が助けに行く」


 そうしなければ自分の未来に“幸せ”はない。


「私が負けたから、あいつは連れ去られたの。あれは私のミスだった。だから……」


 胸にうずまく(もや)。その中核にある小さく引っかかった後悔。

 これを今後も抱いて生き続けるのは、

 化け物と殺し合い、血にまみれて生きるよりも遥かに大きな苦痛になるかもしれない。


「せめて、私にできる最大限の努力をして、(あいつ)に近づきたい」


 自分が軍に入って何ができるか。どんな困難が待ち受けているかもわからない。

 この選択が正解かはわからないが、

 いま、本心からそうしたいと言えることだけは、間違いなかった。


「……そうなんですね。わかりました」


 ミリーは特に驚いた様子もなく、微笑んで受け入れてくれた。


「ごめん。せっかく仕事、紹介してくれたのに」

「いえ、アキラさんが決めた事なら一番いいですから」


 口ではそう言うが、やはりどこか寂しそうな目をしていた。


「……ミリーは後悔してる?」


 つい耐えられなくなって質問した。


「今の仕事についたこと」

「え?」


 彼女はアキラに、自分と同じ失敗をして欲しくなかったのではないか、と。

 するとミリーは神妙な顔になり、数秒黙って…………


「まさか!」


 と盛大に吹き出した。


「もしかして、先生から話聞いたんですね??」

「あ、うん」

「気にしないでください。ちょっと心配し過ぎるとこあるんですよね~、ミチコ先生。

 あっはははは!」


 お腹をかかえて、涙を拭って、


「さいっこうに楽しいですよ! この仕事は!」


 満面の笑みで断言する。


 自分だけ取り残されたという(かげ)りなど欠片も感じさせない。


 彼女はとっくに幸せを見つけていた。

 悩み抜き、苦しみ抜いた末に。


「……そう」


 アキラはようやく(モヤ)が完全に消えたことを自覚した。



 翌日。

 《ターミナル》と呼ばれるサンフランシスコ駐留軍基地におもむいていた。


 最初にこの街に来た時にも目にした、巨大な筒型の建造物。


 なんでも一日に一度、あの筒の頂上に、上空から垂らされた“軌道エレベーター”がドッキングするらしい。

 エレベーターの繋がる先にあるのは、二つの地球のちょうど中間点に存在するという、軍の多目的空挺空母 《スカイライン》。


 ジローが聞いたら仰天するような、“旧時代では考えられない超科学”だ。

 だが、ミリーが言うには、この二つの地球が重なる特殊な環境があって実現した技術なのだという。


「黒界連合軍には、陸、海、空軍の他に、界兵隊(かいへいたい)と呼ばれる軍が存在します。

 主な任務は“向こう側”での作戦遂行。そんな彼らの拠点となるのが《スカイライン》なんです」

「ふうん……」


 付き添いで来てくれた彼女が説明する。アキラが思い浮かべたのは、独房内で面会した軍服の男。


『安易に決めるべきじゃない』


 結局は、彼の親切心も無下にして戻ってきてしまった。

 まあでも、後悔はない。


「頑張ってくださいね! アキラさん!」


 検問所の前で立ち止まったミリーが、両手でガッツポーズする。


「……うん。ありがと」


 ここまでとても世話になった真面目な市職員に、アキラも手を振り返す。

 名残惜しさを悟られないよう、すぐに背を向けようとした。


「いつでも帰ってきてくださいね」


 その時、ひときわ優しい声音が耳を打った。


「ここはもう、あなたの故郷でもあるんですから」

「…………」


 なぜこの街の人たちは、これほどアキラの欲しい言葉を的確にくれるのだろう。


「私たち、昔はみんなひとりぼっちだったんです」


 その思いすら見透かしたようにミリーは付け足した。


「だからいまは誰もひとりにしないの」


 ソバカスの残る顔に、初めて見る大人びた微笑みを浮かべていた。

 それはかつて家族と故郷を失い、孤児となった彼女が欲していた、

 そしてまた別の誰かから与えられてきた、表情と言葉なのだろう。


 いまそれを受け取ったアキラは、もう一度うなずいて、今度こそ背を向けた。

 彼らの体温をまだすぐそばに感じながら、分厚いゲートをくぐり抜けていった。


 ※


「フーンふんふーん♪」


 《ターミナル》1階。さながら国際空港のごとき面積と高いガラス張りの天井を誇るフロア。

 しかしそこに行き交う人々は全てなんらかの軍関係者である。


 その少女も例外ではなかった。

 中学か高校生くらいにしか見えない背丈と、整った顔立ち。人形のようにさらりとしたショートの金髪。


「おい、あれ……」


 通りがかりの警備兵たちが、その姿を見て少し話し合う。一人が近づいてきた。


「お嬢ちゃん」

「ハイ?」


 少女が振り向くと、宝石のような青い瞳が男を見据えた。


「あー……えっとだな」


 少したじろいだ男は、その事に自分でも驚いたように頭をかいて、


「どこから入ってきたのかな? 家族との面会に来たの? はぐれちゃった?」

「あははっ……あ〜そう見えちゃいますよね~。スミマセン」


 少女は馴れたように目を細めて愛想良く笑う。


「私は黒連界兵隊、エリザベス・エルフマン少尉です」

「え? いやいや少尉って、面白いこというなァキミ……」


 また困ったように頭をかく警備兵は、少女のジャケットの腕についた徽章(きしょう)を見て、手を止めた。


「え……?」

「ゴメンなさい、今ちょっと急いでるので、失礼しますね~」


 少女はカチンと金属音を立てて手を合わせると、すぐにその場を去っていく。「おい!」みすみす軍の基地に侵入した子供を見送った同僚に、ほかの警備兵たちが駆け寄った。


「なに行かせてんだ。追うぞ」

「本物だ」


 呆然とする同僚の視線の先を、「あ?」と眉をひそめて見る。

 背を向けたまま手を振る少女の腕。そこにキラリと光る徽章は、間違いなく黒連界兵隊・少尉の物だ。


「あれで士官なのか……どこの隊所属だ?」



「あ、アキラちゃーん!」


 フロア入口前の人ごみで、アキラが立ち往生している所に、よく通る声がかけられた。

 見覚えのある顔が近づいてくる。


「ベス……」

「オッスオッス、ひさしぶり~!」


 《ボルツ》の少女兵士が、相変わらず馴れ馴れしく腕を組んできた。


「あんたがお出迎えとはね」

「んふふふ、嬉しいでしょ」

「まぁ……ムサ苦しい連中がくるよりはね……」


 アキラがこれまで会ってきた兵士は今のところ無愛想な割合が圧倒的に多い。ベスのような存在は軍内でもかなり希少なのではと思える。

 彼女の身長はアキラより頭ひとつ分ほど低く、アキラがボーイッシュな容姿をしていることも相まって、並んで歩くとカップルのように見えた。

 周りの視線が集まるのを感じたアキラは、さりげなく腕を引き剥がす。


「あ、もー、照れてるな」


 ツンツンと脇腹をつついてくるのは無視し、


「私のナイフはどこ?」


 前を向いたまま質問した。


「ナイフ? 軍に預けてたの?」

「ええ。返してくれるんでしょうね」

「正式に採用されたらね~」

「採用?」


 妙な言い回しに眉をひそめる。


「そ。これからアキラちゃんは試験を受けるの」

「はぁ? 聞いてないんだけど」

「私たち隊員はみんな突破してきたんだよ。安心して! アキラちゃんは特別スカウトだから~、筆記試験は免除!

 やるのは基礎技(うんどう)試験と、実技試験だけだよ。まあアキラちゃんなら強いし、楽勝でしょ♪」

「…………」


 他人事のように笑うベスに、無言でため息をつく。


 どうやら“軍に入る”ということを少々甘く見ていたらしい。

 しかもこれから自分が目指すのは、ただの軍隊ではない。


 ミリーから聞いた、黒界連合軍・界兵隊特殊作戦コマンドという分類。


 そのやたら長い名前は、

 向こう側の白界で《魔法使い》と戦う精鋭中の精鋭たちを意味する。


「最強のお姉ちゃんの力、存分に見せつけてやりなよ♪」


 対魔法士分遣隊、《ボルツ》の入隊試験が始まる。









 ※


 ポータルによる転移の物理的原理は黒界・白界どちらでも解明されていない。

 だからこれは、あくまで彼が体感した表現である。


 その瞬間、全身が一気に蒸発するような感覚に包まれた。


「あ――――」


 熱いと思う暇すらない。文字通り、瞬きにも満たない時間に、ジローの手足の感覚は消え、脳回路はショートし、

 意識はプツリと失われた。


 次に暗闇に発したのは、何かがざわめく気配。

 草と土の匂いがする。


「ん……いま……のは……」


 目を開け、周囲を見回す。

 夕陽もほとんど沈んで、ほの暗くなった森の中に彼はいた。


「……パシパエ!」


 黒ずんだ木の根のそばで、白髪の少女が倒れていた。

 首から下が黒い鎧に覆われている。彼女を拘束するために開発された黒連軍の試作型アーマー。


「くっ……」


 なんとか背中の非常開閉スイッチを見つけ出し、パシパエを救出。

 息があることを確認する。


 一安心したところで、ようやく違和感に気づいた。


 ふたりがいる場所を中心に、半径5メートルほどの地面が、焼け焦げた円を作っている。

 底の浅いクレーターのように。


「……まさか……」


 いや、ふたりではない。

 もうひとり。


 すぐ近くに倒れている。

 ジローはその鎧姿(・・)を見下ろした。


 脱げた兜の下にいたのは、(アキラ)と同い年か少し下くらいの少年。

 髪は長めのおかっぱ頭で、色はくすんだブロンド……だが、染めているようで、根元は白だった。


 顔立ちは端正で、パシパエに似ている。


「……」


 そう、とても似ている。

 肌の色、顔の骨格、鼻や目の配置も。

 まるでパシパエの性別だけをそのまま男にしたような。


「いまのが……《ポータル》か」


 見上げると、空には巨大な地球の像が見えた。

 どうやら連れ去られてしまったらしい。

 むこう側の地球。

 白界に。


「ッ――!」


 視線を戻した瞬間、少年の目が見開かれる。


「ぐあっ!」


 いきなり腹に頭突きされ、ジローは焦げた地面に転倒した。


「お前まで連れてくる気はなかった」


 間髪入れず馬乗りになってくる。その右目は、やはり普通とは異なる。

 黒目の部分が宝石のように鮮やかな紫色で、中心にある瞳孔は、円形ではなく六角形をしている。


「それが……“鍵の目”……ッ?」


 二つの世界を繋げる《ポータル》を開く、特異体質。

 パシパエの故郷の王族が持っているという話だったが……


「悪いな」


 白騎士の中身の少年は、ジローにとどめを刺さんと左手を振り上げる。


「……あ……」


 が、そこでその肘から先が無いことに気づいた。


「……クソ」


 ブシュッ、

 傷口から溢れた血がジローの頬にかかる。


 少年は低くうめくと、その目から急速に光を失い、ジローに覆い被さるように倒れた。


「…………あっ……た……助かった……?」


 脱力した、ジローの視界が、赤く染まる。


「あれ……」


 頭の後ろにゴツゴツした感触。

 ちょうど倒された時、地面から突き出た、岩か何かに頭をぶつけたようだった。


「あ~…………アキラ……」


 この世界(ここ)にはいない姉の名前を呼ぶ、自分の声がどこまでも反響する。

 そして、彼の意識もまた暗闇に落ちた。

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