2 アキラの新生活
『君の弟は我々が見つけ出す。君はもう、休んでいい』
「じゃあ、行きましょうか」
「え?」
上の空でそっぽを見つめていたアキラに、市職員のミリーは呼びかける。
「あぁ……うん」
基地に戻っていく兵士らを見送り、ふたりは、住宅地までのケーブルカーに乗り込んだ。
アキラは道中、建物や電柱、下水管に至るまで、あらゆる街の物を新鮮に見ていた。
その時、旧市街の雑多な街並みの向こうにある、異質な建造物に気づく。
それは、空に向かってそびえ立つ。
巨大な円柱形の“筒”だった。
「なにあれ……??」
指さしてミリーに尋ねた。肩を叩く力の強いこと。
「うぐっ……あれは、軍の基地ですよ。この街のシンボルのひとつで、毎日あそこに軌道エレベーターが通るんです」
ミリーは動揺しながらも丁寧に教える。
「けっこう大迫力で見物なんですよ」
「きどう? エレベーター?」
「あ、まあ……ちょっと難しい話ですよね、追々説明します」
話しているうちに駅に到着。
そこに赤い車体がやってくる。
「なにこれ??」
アキラはまたおののいた。
「大丈夫。ただのケーブルカーですよ。ほら」
先に乗り込んだミリーが手を差し出すと、アキラは少し口をムッとさせ、自分から乗り込んだ。
ゆっくりとケーブルカーが走り出す。
車内の窓から、また興味深げに街を眺める。
だが、ミリーにはその瞳がどこか空虚に思えた。
「この街では全市民に最低限度の生活が保証されています。
基本の衣食住は市から提供されますが、それ以上を望む場合は、市内通貨を使って自分で購入していただくことになります」
「つうか……」
「お金のことです。健康な市民には市が仕事を案内します。
この街ではみんな働いてお給料をもらってるんですよ」
「……はぁ……」
「最初の半年間は市からの補助金が出るので、その間に自分に合った仕事を見つけましょうね」
ケーブルカーを降り、住宅街を歩く。
ミリーの説明にも、アキラはあまりピンと来ていないようだ。
ちょっと一気に話しすぎたかな……。
たしか彼女は小学校までの教育しか受けていなかった。
ミリーは資料を思い出して、心の中で反省した。
「ここです」
住宅街の外れにある小さなアパートの一室。
それが市がアキラに与えた家だった。
「基本的な家具、食品と衣服は中に用意してあります」
ミリーがカバンから合鍵を取り出し、ドアを開ける。
まだ使われてない新築特有の木材と塗装の匂いがした。
1Kの狭い室内にはベッドと机、棚がひとつずつあった。
「トイレ、エアコン、キッチンは備え付けです。お風呂と洗濯は一階の共同スペースにあります。奥の窓からベランダに出られますけど、見ますか?」
ミリーはカーテンを開けながら振り向くが、アキラはぼうっとしていた。
綺麗な白い壁に手を触れて、ふらふらと室内を歩き、ベッドに腰を下ろす。
「…………はぁ……」
そのまま脱力し寝転がった。
「最高…………」
「え?」
「わかったわ。ぜんぶ。ありがとう」
天井を見上げたままそう言う。
表情はミリーからは逆光になって見えなかった。
「えっと……他に……ご質問はないですか?」
「ないわ」
耳につけていた翻訳機も外し、枕元に放ってしまった。
「そうですか……わかりました」
ミリーはまだ話し足りなくはあったが、今日はこれまでと判断。
資料をカバンに仕舞った。
「じゃあ、ゆっくり休んでください。明日のお昼頃にまたお伺いしますね」
去り際にもう一度声をかけたが既に聞こえていないのか無視された。「……」軽いため息をついて、ミリーは部屋を出ていった。
「………………」
バタン、と扉の閉まる音がして、室内が完全に静かになる。
アキラは天井を見つめながら、清潔でサラサラしたシーツの感触を全身に堪能した。
「はぁ…………」
ようやく手に入った。安心できる自分だけの空間。
目を瞑り、手足をベッドいっぱいに広げる。
その日は何の気兼ねもなく、ただ気持ちよさだけに包まれて眠りについた。
※
“その男”がアキラに会いに来たのは、基地に収容されてから二日ほど経ってからだった。
アキラは焦っていた。
何度か脱走を試みた。
が、施設内の道があまりにも入り組んでいたために脱出はできなかった。
結局は兵士に見つかってまた独房に戻される。
兵士たちの視線は一様に冷たかった。
アキラを知らない彼らは、まるで獣を見るような目を向けてくる。
睨み返そうとして、ふと我に返った。
素手で鉄扉をこじ開け脱走するような、今の自分は、はたして人間と見られてしかるべきだろうか。
いまの地上世界――黒界は、終末の危機に瀕してはいるが無秩序ではない。
社会がある。
それにより構築される常識や観念も。
彼らと敵対せず生きていくには、これから先も身の振り方に慎重にならなければいけない。
そう気づいてからは、大人しく待っていた。
すると扉は向こうの方から開いた。
「出ろ」
小銃を携えた兵士に連れられ、面会室に通される。
「やあ!」
若い軍服姿の男が待っていた。
大柄な体格に見合わない童顔。
人の良さそうな笑顔で、強化ガラス越しに手を振る。
「本当は握手したいんだけど……すまないね。こんな場所に何日も閉じ込めて」
少し雰囲気が弟に似ている感じがした。
二人は向かい合って椅子に座る。
「あんた誰」
アキラは、腹の底に眠っていた焦燥を再び思い出していた。
「ジローはどこ。見つかったの??」
身を乗り出して尋ねる。「そうだな、一刻も早く知りたいよな」男は両手で制しながら、咳払いした。
「すまない。結論から言うと。君の弟はまだ見つかっていない」
と、告げた。
「ポータルの発生した位置から、白界の《ニニギ》という国にいることだけが、かろうじて推測できている段階だ」
「は……? ならさっさと、そこに連れて行ってよ。私が見つけるから」
アキラはすぐさま立ち上がり、ガラスににじり寄った。
「それはできない」
男は手を前に出したまま冷静に答える。
「なんでよ。あんたたちは持ってるんでしょ、向こう側に行く方法っ」
それは機内でカイダ隊長からも聞かされていた情報だった。
軍は既にその方法を独自に開拓していると。
「……たしかにあるが、そう簡単に使える手段ではないんだ。入念な予測と準備を必要とする」
男が発したのは、重い声音だった。
嘘を言っていないと肌感でわかる。
息を吐き、短く刈り上げられた黒髪を撫で付け、男は続ける。
「パシパエ王女が《ポータル》を使ってくれたら一緒に戻ってこれるはずなんだが……使えないのか、使わないのか。
いずれにせよ、君を白界に連れていくことは現状、難しい。それは、我々の抱える手段のリスクの問題なんだ。わかってほしい」
両手を組み合わせ、アキラの目を真っ直ぐ見つめてそう言う。
「…………」
そんな態度を取られてしまったら、こちらも椅子に座り直すしかなかった。
「……じゃあ、私が軍に入ったらいいの」
ポツリと漏らす。「それは」男は一瞬ぐっと身を乗り出して反応する。
が、アキラの顔を見て「いや」と首を振った。
「安直には決めない方がいいな。君の今後の人生を決める決断だ」
「…………」
「軍に入るということは、大衆のために心身を捧げると誓うことだ。君にその覚悟ができているかい?」
親切心で諭すような口調で言う。
「……私は……」
アキラは答えられなかった。
互いに沈黙し、空気が重くなってきた所に、男がピンと指を立てた。
「ま! とりあえず、待たせてすまなかった。君を街に入れる許可がようやく出たんだよ」
「……街って?」
「サンフランシスコ。かつて、人類復権の第一歩が踏み出された場所だ。我らが黒界連合の首都だよ」
両手を広げて高らかに宣言する。
「はぁ……」
アキラは頭の後ろをポリポリかいた。
ここにジローがいたら「すごい!」と目を輝かせて興奮していたんだろうが、
生憎アキラは知的好奇心などとは縁遠い人間だ。
「……あんまり響いてないみたいだね」
「まあね。ていうか、あんたが誰なのか、まだ聞いてないんだけど」
「あぁ、そうだったね」
男はハッと我に返り、紺色の軍服の襟元を慌てて正す。
「私はロバート・リントヴルム大佐。
対魔法士特殊分遣隊……ボルツの司令官を任されている」
「ボルツって……たしか、ベスが言ってたヤツ?」
脳裏の片隅に残っていたそのワードをアキラは引っ張り出してくる。
「そうだね。部下とは仲良くやってくれたみたいだね」
金髪碧眼の小柄な少女が頭に浮かんできた。
あの優秀ながらどこか異質な雰囲気をかもしていた兵士の、リーダー。
それが目の前のこの男か。
「ともかくよろしく、アキラくん。また近々会うことになるだろう」
人懐っこい笑みを浮かべ、大柄な青年は部屋の出口へ向かう。「ねえ、私は」その背中に慌てて声をかけた。
「……私はこれから何をすればいいの」
男は振り向いて、顎に手を当てる。
「ん……私個人としては、平和に市民として生活して欲しいんだがね」
声のトーンを落とし、言葉を切る。
アキラが顔をあげるのを待って、神妙な面持ちで続けた。
「君の弟は我々が見つけ出す。君はもう、休んでいい」
それでもまだ不安げなアキラを残して、リントヴルムは部屋を出た。
「お待たせ」
「いえ」
待機していた女性士官が無機質に会釈する。
二人で廊下を歩いていく。
「なぜあの場でスカウトしなかったのですか?」
前を向いたまま、士官が事務的に問いかけてくる。
「いやぁ、なんか話してたら哀しくなっちゃって」
リントヴルムは頭をかいて苦笑した。
「人類史にも類を見ない戦闘力ですよ。あれは、良い魔法士狩りになります」
「んーでもな~……かなり繊細な子だよ。戦うのも嫌いだろう。
本人もその事に気づいて迷ってるみたいだったし……いま引き入れるのは得策じゃない」
おもむろに立ち止まり、軍帽を被り直した。
「いまは、ですか」
「ああ、遠征まではまだ時間がある。彼女にはゆっくり、この世界のことを好きになってもらおう」
「……そんなにまどろっこしいことをする必要あります?」
眉をひそめる部下に、
「もちろん。“黒界への忠誠心”は我々と共に戦う第一条件だからね」
「…………」
笑顔で返す。その表情や声音に、含みや建前は一切無い。
ただ真っ直ぐ本心だけを発し続ける。《ボルツ》の隊長はそういう男だった。
「安心したまえ。いずれは必ず我々の仲間になるよ。彼女は」
こうしてアキラは正式に、黒界連合加盟都市・サンフランシスコに招き入れられた。




