3 防護服のない街
ピンポーン、
嫌に甲高い音に、貼り付いたまぶたをひっぺがす。
閉じたカーテンの隙間から伸びる光の筋を感じて、アキラは顔をしかめた。
「ん……ぅ……」
新品の白い布団の中で身を捩る間も、インターホンが鳴り続けている。
「なにぃ……」口の端についたヨダレを拭って、パジャマ姿のまま玄関に向かった。
扉を開けると若い女性が立っていた。
丸ブチ眼鏡、赤茶色の髪に、ちょっとそばかすの残る白い肌。
「おはようございます。ミリーです!」
親しみやすい笑顔で、首から下げた名札を見せてくれる。
ああ、昨日の、街の職員とかいう。そういえばシェルターにいた頃もそういう職業があったなと思い出した。
「アキラさん、もうお昼ですよ。まだ寝てたんですか」
「えぇ? あ~……うん……」
まだぼうっとする頭で曖昧に受け答えするアキラに、「外に出ましょう!」ミリーはハツラツとした声をかける。手に持っていた観光ブックを開いて見せた。
「今日はまず、この街を見て回りましょう。黄金ルートを用意してますよ!」
その態度をまぶしいと思う感覚に、ふと懐かしくなった。
四月下旬、サンフランシスコはからりとした快晴。日曜日の中心街はどこも人通りが多い。
人混みという現象に久しく遭っていなかったアキラは、行き交う人に肩をぶつけては謝り、靴を踏んずけては謝った。
ミリーを見失いそうになっては、
「こっちです!」
と手を上げる姿を見つけて、慌てて追いかける、ということを続けていた。
街の人々はアキラの挙動不審も特に気にしていないようだ。
また、日の下を歩いているのに誰も防護服を着ていない。
「今更だけど……生身でこんなに外歩いてて平気なの?」
「それはもう、ご心配なく」
胸を張ってミリーは答える。
「この都市内のM線濃度は毎時0.06ヴェール、極低レベルに保たれていますので」
「……どうやって……」
地上で、汚染を回避する。地下で暮らしていたアキラには信じられない話だ。
「フフフ……」眼鏡をカチャリと直して、ミリーは街を囲む壁を指した。
「あの壁は何のためにあると思いますか?」
「……そりゃ……異獣が街に入らないようにしてんじゃないの」
「それだけではないんです。《プッシュバッカー》という装置があの中にあります。
街上空に外向きの気流を生成して、空気のカーテンを作ってるんです。
おかげでこの街には微細な汚染粒子ひとつすら入れないんですよ」
「……ふぅん……」
アキラが淡白にうなずく。
ミリーは満足気に鼻息を吐いたが、少し遅れて「あっ」と声を上げる。
「すみません、正しくは……汚染物を完全に除去できるわけではないんですけど。なので壁や街中にも空気清浄機が設置されてて……」
「いや、いいわよべつに、そこまで詳しく求めてないから」
冷めた返答にミリーはショックを受けたようだった。「そ、そうですか……」そのシュンとした声に、突き放した側のアキラの胸もちくりと痛む。
「じゃ……このまま繁華街を見て回りましょう!
それから港町、チャイナタウンと見て、軍の基地地帯の前を通って、ツインピークスへ。
丘の上から夕日を眺めましょう。ディナーはサプライズも用意してますよ!」
「サプライズ?」
「お楽しみです!」
サプライズなら言わない方がいいのでは、と思ったが口には出さなかった。
繁華街には雑多に店が立ち並ぶ。
ショーケース越しに高級そうな婦人服を眺めていると、
「あそこでお昼ご飯を食べましょう」
ミリーが提案してくる。どうも、この街で一番有名な郷土料理の店らしい。
「こんにちは~」
「おう、ミリー! 役所の仕事はどうだ?」
「いま仕事中だよ、ロックスさん」
店内は休日ということもありそこそこに込み合っていた。
恰幅のいい店長が厨房から声をかけてくる。手狭だが清潔なカウンター席に座った。
「ここは海鮮料理が絶品なんですよ」
辺りには子連れの家族や、カップルの談笑が反響している。
「この街は初めてかい?」
目の前の厨房から店長が話しかけてくる。水の入ったグラスを置きながら、
「出身は?」
「えっと……」
「いや、冗談だ。あんたがどこから来たかなんて一ミリも興味ないさ」
「えっ」
褐色肌に大粒の汗を浮かべた顔でウインクする。
「この街を思う存分楽しんでくれ。ホレ、まずはこいつだ」
せかせかと動かしていた手元ではいつの間にか料理が二つ完成していた。
ふっくらした大きなパンの中に、白くトロリとした魚介と野菜のスープが入っている。
「きましたよ、この街の伝統料理なんです」
ミリーが目を輝かせて、携帯で写真を撮る。
「……フウン……」
食べ物なのに可愛らしいそのフォルムは、アキラの女子心を妙にくすぐった。ミリーの真似をして、スプーンでパンの穴をほじくって食べる。
なんとも言い表せない複雑で濃厚な旨味と、パンの優しい酸味が口いっぱいに広がった。
「ふむ……ふぁむ! ふぁむあむあ!」
思わず語彙力ゼロの感想が漏れた。
「ははっ、豪快な食い方だな」
口周りを白くしながら一心不乱に食べるアキラを見て、店長はほがらかに笑った。
「俺の料理の美味さが分かるやつなら大歓迎だ。またいつでも来てくれよ」
午後はケーブルカーに乗り、ダウンタウンをさらに下っていく。すると街並みが無骨に、物々しくなり、軍の施設が多くあるエリアにやってきた。
「黒連軍の基地は街の外壁沿いに置かれているんです。
サンフランシスコは北と東西は海に守られているんですが、これから行く南方面は汚染域から陸続きなので特に警備が厳重です」
軍エリアを抜け、坂道を登る。ツインピークスと呼ばれるそこは、街の中心に位置する二つの丘である。
「ここから街が一望できるんですよ!」
ちょうど夕焼けが差してくる頃だった。広大な壁に囲まれた街並みがオレンジ色に染まるのを見て、アキラは素直に美しい光景だと思った。
「昔はもっと綺麗だったんです」
隣に立つミリーが呟く。
「壁が無くて、海も見えて……いまも、安全と景観を両立する街づくりで頑張ってはいるんですが……」
「……その頃は知らないけど。これも充分、綺麗よ」
アキラの返答に、彼女は照れたように微笑んだ。
その後、夕食に向かう。アキラの自宅がある方向に行く中で、市役所の庁舎も見ることができた。
旧暦時代から変わらない建物を使っているというそれを眺めてから、さらにしばらく経って、ケーブルカーを降りた。
「ここは?」
「ジャパンタウン、日本人のコミュニティがある場所です」
「日本人がいるの?」
「この街には元々日系アメリカ人が多くいまして。汚染後、日本からの生存者も受け入れていたんです」
そのエリアの街並みは他の場所とは空気が少し違う。
「…………」
ここに自分と同じ日本人が……。
人通りが少ない道を歩き、まだ実感が湧かないまま、ひとつの建物に入る。
視界が開けた瞬間、
「ようこそ!」
パンッ、とクラッカーが弾け、ぎょっとしたアキラを、若い男女が出迎えた。
速やかにトンガリ帽子と「本日の主役」のタスキを着けられる。「あ……え……?」アキラはミリーに助けを求める視線を送る。
「みんな、アキラさんが来るのを楽しみにしていたんですよ」
彼女に促され、奥の広いフロアで集まる人々の輪の中に入った。
そこには立食式のディナーが既に用意されている。「待ってたよ!」「よろしく!」杯を片手に、愛想の良い笑顔を弾けさせる彼らに声をかけられる中、
「久しぶりだな」
落ち着いた声音が耳を打った。
ひとり、椅子に座ったままの大柄。面の皮の厚そうな仏頂面に、ぎこちない微笑みを浮かべた男。
「……カイダ隊長」
アキラも見慣れた、無愛想な軍人と再会した。




