4 予兆
その光は、初めは眩いほど強く、
次第に小さく弱まっていき、ほどなく消えた。
「……な……んだ……いまの」
光源は、杖の先端にはめ込まれた、紫色の石。
母から最期に渡された形見。ジローが持ち歩いていた、何の変哲もない歩行補助具の、はずだった。
まず幻覚を疑った。
木製の柄をぺたぺたと触り、石に触れると、指先でジュッと音がした。
「熱っ……ちい!?」
慌ててひっこめる。
「でもっ……てことは幻覚でもない」
だが、独りでに光る天然石など本でも読んだことがない。
「なんだコレ……」
いままで大して気にしてこなかった。ただの飾りだと思っていた。
だが冷静になったいま…………これはいったい、“なんの石”なのだろう。
『お父さんの物よ。いつか役に立つ』
ふと母の言葉がよぎった。
「…………父さん……?」
馴染みのない呼称だった。
ふたりの父親は、物心ついた時からいなかった。
ジローがまだ幼い頃、シェルターから脱走したらしい。
理由はわからない。ある日突然、誰にも何も告げずに、地上に出ていったのだ。
この杖だけを残して。
「……なんで……」
腹の底から何かが湧き上がってくる。それは凍えるような寒気ではない。むしろ逆だ。
ずっと忘れていた懐かしい熱だった。
暗く狭い世界の外殻に、小さなヒビが入った気がした。
そのとき頭上でパチチ、と音がした。
「おっ……?」
一瞬、部屋から光が消え、すぐにまた明るくなる。
電灯はいつもと変わらないボンヤリした白光を灯していた。
「……接触不良か?」
眉をひそめたジローの耳に、今度は廊下からけたたましいブザーが飛び込んできた。
除染室の外扉が開いた音。
アキラが帰ってきたようだ。
ジローはひとまず父の形見の杖をついて、部屋を出た。
壁にかかった線量計の数値が上昇している事にはまだ気づかなかった。
※
「あぁ……暑っつい……」
ノロノロと開いた外扉をかき分けるようにアキラは除染室に入った。
すぐさま壁のスイッチを押し、洗浄機を作動させる。
高圧ノズルが放水を始め、全身に付着した血と汚染物を洗い流す。
送風機による乾燥工程が終わると、内扉が開き、ジローが入ってきた。
「おかえりィ」
「……ん」
防護マスクを脱いだアキラは肩にかけたクーラーボックスをごとんと落とす。
ジローが開けて中を見る。
「あれ……なんで二匹分あるの?」
「二匹いたからよ」
弟の問いに最低限の返答をし、血なまぐさい部屋をさっさと出た。
脱ぎ捨てた下着を洗濯カゴ付近に放り投げ、シャワー室に入る。
栓をひねると熱いシャワーが吹き出し、全身の汗が洗い流されていく。
更衣室の棚から綺麗に畳まれたタオルを取りだし、髪と身体を拭いて、洗濯済みの服に着替える。
ドライヤーで髪を乾かしたら貯水室へ。
除染水をタンクから汲んだ水を飲んでいると、どこからともなく、肉の焼ける匂いが漂ってきた。
「…………」
ジローが料理をしているらしい。夕食か、あるいは朝食か、昼食か。
その辺の感覚はアキラにはもうよくわからない。
せっかくの風呂上がりにまた肉の臭いなど嗅ぎたくないので、さっさと自室に戻った。
安定剤だけを飲み、ベッドに身を沈める。
布団に全身をしっかり包ませると、意識が吸い込まれるように、一瞬で眠りに落ちた。
夢は見なかった。
自分という存在が溶けてなくなってしまったように、何も見えず、何も聞こえない。
それがアキラには心地よかった。
もうずっとここにいたい。
目覚めたくない。
現実に……戻りたくない……。
『お願いだから約束して』
だが、そう感じた時、決まって声がする。
母の息遣い。昇降機の扉の隙間から見た表情までが鮮明に浮かぶ。
『これから先、どんなことがあっても――――――』
背後から追いついてきた“奴ら”が、母を襲う。鮮血が自分の頬を濡らし、その喉から溢れる絶叫をかき消すように、滑車が猛回転して――。
ガチャリ、と背後で音がする。
「アキラー? 晩ごはんできたよー」
暗闇に外光が差す。
無遠慮な声が部屋に入ってくる。
「ん……ぐ……」
アキラはベッドの中で身をよじった。
「……だから……ノック……」
願望は決して許されない。
目を覚ますしかない。
そういう“約束”が、彼女の脳裏には刻み込まれている。
最下層における最も広い倉庫を、ふたりは“リビング”と呼んでいる。
主に食事に使うので、最も清潔に保たれた部屋だ。
有り合わせの料理道具を集めたキッチンが壁際にあり、中央にテーブルがある。
隅には古びたスピーカーが置かれていて、ジローの好きな音楽が何曲か繰り返しで流れていた。
「今日は肉野菜炒めです!」
最下層におけるふたりの主食はもっぱら異獣の肉である。
最下層に閉じ込められた当初は備蓄食糧を食べていたが、最初の一年で尽きた。
ジローが農業プラントの予備パーツから小さな栽培室を作り、野菜を育て始めたが、それだけでは毎日の食糧はとてもまかなえなかった。
文字通り“苦肉の策”として異獣を狩るようになった。
放射線により変異した生物の肉。
そんな汚染物の塊のようなモノを食べて大丈夫なのか、という不安は当然ある。
だが実際、入念に火を通し除染した肉は、食しても身体に異変は起こらなかった。
今のところ、ではあるが。
「いただきまーす!」
「……ただきます」
ジローが威勢よく手を合わせた。
アキラも義務感でそれに倣う。
肉野菜炒めを口に運ぶ。味付けは栽培室の大豆からジローが作っている、自家製の醤油と味噌である。
「…………」
両者の豊かな香りに紛れて、消しきれない獣臭が鼻に抜けてくる。
なるべく息をしないように咀嚼し、コップの水をあおって飲み込んだ。
「ねェ、次はいつ狩り行く?」
そんな姉の様子にお構いなく、ジローは肉を頬張りながら尋ねた。
その手元には、ビタミン錠剤の入ったケースが置かれている。
「ついて行きたいって話ならダメよ」
「そう言わずにさあ、聞いてよ。いい作戦、思いついたんだ」
「……作戦?」
「狩り場に罠を仕掛ける。で、奴らの動きを止めた所を、仕留める! ね、いいだろ」
テーブルからぐっと身を乗り出し、ハリのある声で主張した。
「……何度も言わせないで。あんたの役割は留守番」
アキラは身を反らしながら、箸で肉を皿の端にのけて、野菜だけを口に入れる。
「なんで? 今より楽に狩りできるよ」
「関係ない」
「ないことはないでしょ」
「しつこいわね……ダメっつったらダメなの。お互いの役割には口出ししないって、約束でしょ」
ダメ押しに付け足した言葉によって、ジローはニヤケ面を消し、しょんぼり身を引っ込めさせた。
「……でも」
が、またすぐに口を開く。
「上にいる異獣をたくさん狩ってさ、減らしていけば、いつかは地上に出られるかもしれないじゃん」
口を尖らせて、今度は将来の展望に結びつけてきた。
「そしたらさ、父さんを探しに行くことだってできるよ」
またいきなり突拍子もないことだ。
「こんなとこで死ぬまでふたりっきりなんて、アキラもイヤでしょ?」
「出られないわよ。この上に何匹奴らがいると思ってんの」
「断言することないだろォ。やってみなきゃわかんないよ」
奴らと戦ったこともないくせに。
という文句は、アキラは口には出さなかった。
「……だいいち、あいつがまだ生きてるわけないでしょ」
代わりにフォークを置いて、弟の目を見る。
「何年前だと思ってんの。出ていったの。私たちがまだ物心つく前よ」
妻子を捨てたクズ男を「父さん」などと呼ぶ気は毛頭ない。
「あんただって、習ったでしょうが。地上はもう人が生きていける場所じゃない。仮に出られたとしても、そこにはもう、人はいないのよ」
そう断言して、コップを勢いよくあおった。
喉にしつこく残る肉の臭いを洗い流したところで、「でもゼロじゃない」と声が返ってきた。
「…………は?」
強い光を宿した瞳が見つめ返してくる。
嫌な予感がした。
「誰も、隅々まで調べたわけじゃない。地上のどこかには……僕たちみたいな生き残りが他にもいる可能性も……ゼロじゃないよ。まだ」
そんなことを言い出したら確率という概念の意味がなくなる。
にもかかわらず、彼の目はこの世界に、まだ可能性などというものがあると本気で信じていた。
驚くほど楽観的に、
だがあくまで冷静に、
事実として。
「…………」
とっさに目を逸らした。
「そう思いたいなら好きにすれば」
食器を持ってすっくと立ち上がる。
「ごちそうさま」
「ちょっと待ってよ。食後の一戦は?」
「やらないわよ」
ジローがサッと取り出したトランプを一瞥で拒否。
テーブルを離れようとしたそのとき、示し合わせたように、スピーカーから流れていた音楽がふと、止まった。
タン、タン、
シンクに垂れる水滴音が、静まったリビングに響く。
「ちょっと、なにそれ……」
アキラは視界の端に違和感を覚えた。
「おわっ!」
テーブルにたてかけられたジローの杖が、眩い“光”を放っていた。
「まただ!」
「また?」
「いや、さっきもこの石が……」
姉に説明しようとして、ジローはさらに別の違和感に口を噤んだ。
同時にアキラも気づいていた。
ふたりは天井を見上げた。
そこには、バチバチと音を立て激しく点滅する電灯があった。
いつもと明らかに様子が違う。
と思ったとき、それはふっと光を失い、そのまま二度と点かなくなった。
同時に、そこら中ありとあらゆる光も、すべて消えていた。
シェルターは暗闇に包まれた。




