3 ジローの杖
シェルター最下層。
そこは、暗く湿った通路と倉庫がどこまでも続く巨大地下空間にして、
姉弟の家である。
元々は、上層に暮らしていた住民たちの使う道具や、食糧の備蓄、各設備の補修パーツや医薬品などが整理・保管されていた巨大倉庫だった。
姉弟は当時11と7歳の頃、この最下層に閉じ込められた。
以降6年間、倉庫の一部を自分たちの生活空間にちまちまと改装しながら暮らしていた。
「ちぇ……またダメかぁ」
もはや“家”と呼んでまったく差し支えないほどに、この巨大空間はふたりの生活に馴染み、必要不可欠となっていた。
アキラが異獣との戦闘を終える一時間前、除染室の前で姉を見送ったジローは独り肩をすくめていた。
「ついていくくらいいいじゃん。ねえ?」
と、ブツクサ文句を垂れながらもマスクを外し、防護服を更衣室に戻す。
「ま。いいや。ヨシ!」
切り替えの速さも最下層で生きていく上での処世術のひとつだった。
埃をかぶったラジカセのスイッチを入れると、静まり返っていた廊下に、音楽が流れ出す。
選曲の理由は特にない。
ジローはこれが誰の何の曲かも知らなかった。
しかし最下層に保存されていた地上時代のテープの中では、往年の名曲だと確信していた。
なぜなら、良すぎるから。
心の動かされ具合が頭抜けているから。
「ふんふんふん~、ふんふふ~~ん、ふんふふ~んふん」
鼻歌まじりに、姉の部屋に放り散らかされた下着やタオルを洗濯カゴに入れていく。
それらを洗濯室に持っていき、幾本ものロープでがんじがらめにされたオンボロ洗濯機に叩き込む。
スイッチを入れると、凄まじい唸り声を立てて回転し始める。いまにもロープを引きちぎり、その場から逃げ出しそうな勢いだが、
「ウン、コイツはまだ整備は不要だな」
ジローは猛獣と化した洗濯機を残して、その場を後にし、次に倉庫から掃除機を引っ張り出してきた。
不織布マスクを着け、右手に掃除機、左手にゴミ袋。
背中にトングを背負った完全武装で廊下に繰り出す。
掃除機を杖代わりに歩き、床に落ちた埃を吸い取りつつ、大きなゴミはトングで拾っていく。
「は、ばっくしょい!」
ハウスダストアレルギーのジローには必須の日課だ。
それから脚立を立てて、天井の換気扇の蓋を開ける。
手袋とゴムヘラを装着し、フィルターにこびりついたゴミを削ぎ落としていく。
このゴミは換気ダクトを通じて上層から入ってきている物だった。
シェルターの換気システムは、全層に張り巡らされたダクトによって、常に新しく綺麗な外気を循環させている。
ただ、各層の間にある清浄機は着実に老朽化してきており、最近は、微細な汚染物が最下層にも流れ込みつつあった。
放置すれば身体はゆっくりとM線に侵されていく。
現状、清浄機を直接修理しに行くのは困難なので、こまめなフィルター掃除で対策するしかなかった。
掃除を終えたらすぐに手袋とゴムベラを、汚染ゴミ用の鉛袋に包んで捨てた。
地下水を五重の濾過システムで除染し貯めているタンクから、水を一杯飲んで、ようやくひと息つく。
「ふぅ~……」
最後に栽培室に向かった。
「はぁ~~……やっぱり太陽はサイコーだな!」
白く眩い光を受け、ジローは大きく伸びをする。
天井が高くひらけた栽培室は、このシェルター最下層で唯一、人工の日光を浴びることのできる空間だった。
人間が地下で生活する上での問題はいくつかあるが、そのひとつが日光不足である。
人は日光を浴びることで身体に必要な栄養素を作る。
代表的なのはビタミンDなどだが、それらが不足するとまず骨が弱くなり、身体の発育にも支障が出る。
ジローが歳の割に背が小さいことも、加えて足が悪いことも、
成長期の大半を最下層で過ごしたことが原因だった。
「みんな今日も元気かぁ~?」
ケージで仕切られた温室では数種類の野菜を水耕栽培している。
『オウ、ジロー待ってたぜ!』
野菜の種子は、シェルター建造当時から倉庫に保存されていたものだ。
いつの日か、地上に出ることを願った先人たちの遺産だった。
『遅いよ~』
『はやくほら、こっちに来て顔見せてちょうだい』
「ごめんごめん~、いまいくよ!」
日光浴をしながら、茎をそっと撫で、葉の色を確かめる。
ついでに野菜たちと会話するのがいつもの日課だった。
『今日もアキラに断られたのか?』
「そうなんだ……僕、もう12なのに、まだ狩りについてっちゃダメだってさ~」
もちろん全てジローの妄想だが、それを指摘する者もまた当然、ここにはいない。
『あれは絶対、意地を張ってる。お前の思い通りにしたくないだけなんだ』
『いや、何か外に隠し事があるのかも?』
『ともかく、説得する手を考えなきゃね!』
『よし! 今日の夕飯時に決行だ!』
一通り温室を見て回った頃、脳内会議の結論も出ていた。
ふいに天井の光が弱くなり始めた。
日光灯の時間設定が夜になったのだ。
部屋全体がうっすらオレンジ色に包まれていく。
「そうだな――」
壁に写る自分の影が、大きく視界に伸びてくる。
それを見た瞬間、ジローは腹の底から何かが込み上げるのを察知した。
「とあっ!」
とっさに上を向いた。
「あ~~し、ヨシ、セーフ!」
こぼれかけた滴を、眼球の奥に無理やりひっこめさせる。
ぐいぐいと袖で目元を拭うと、
「……じゃ……おやすみ! みんな!」
野菜たちに別れを告げ、
「……また明日」
足早に栽培室を後にした。
自室に戻るなり杖をベッドに放り投げ、奥の本棚に近づいた。
その過程で積み上げられた本とガラクタの山がいくつか崩れたが、元から床には大量に散らばっているので、特に気にしなかった。
あらかじめ決めていた一冊を引き抜く。
ガラクタだらけの床に寝転がって、湿気で貼り付いた表紙の埃を払うと、題名があらわになった。
『第二地球冒険記』。
表紙の裏には美しい風景画がある。
雄大な空と、山と森の大地。繊細な色調で描かれた大自然のちょうど真ん中で、黄金色の光が、輝いている。
隅に小さく文字が綴られていた。
『私にとっての世界がどれだけ変貌しても、変わらないものはある。
あの光のためなら私はまだ生きられる』
幼い頃から母が読み聞かせてくれた、地下生まれの子どものために書かれた、地上の本だ。
地理や気候、生態系、汚染以前にあった各地の歴史や文化がわかりやすく鮮やかに描写されている。
それらの大半は客観的な文章だったが、この表紙裏に書かれた小さな一文だけは、
筆者の感情が溢れたように記されていた。
「は~……やっぱりいいな~……地上は……!」
ジローは床の上で目を瞑り、風景を想像した。
どこまでも広がる空。陽光に照らされ輝く大地。
透明な川、緑の森、そこに住む多種多様な生き物たち……色とりどりの世界。
「母さんも……地上は空気が美味しいって言ってたもんなァ…………どんな味なんだろ」
薄く目を開けると、そこには灰色の天井があった。
「…………甘いのかな」
ゆっくりと、視線をベッドに向ける。
そこには、さっき投げた杖がポツンと置かれている。
いつも肌身離さず持ち歩いている、母が残した形見。
木製の柄には、蛇が絡みついたような黒い模様が刻まれている。
持ちやすいように湾曲した杖頭は、蛇頭の彫刻となっていて、その口内には、親指大の美しい水晶石がはめ込まれていた。
ジローは一人で寝る時、いつもこの杖を抱いて寝ていた。
そうすると不思議と心が安らぐのだ。
木目の肌触りが人の手に似ているからかもしれない。
まるで昔、母さんの腕に抱かれていた頃のように、ぬくいのだ。
「ふぁ……」
ちょうど自然な眠気がやってきたので、彼はそのままぎゅっと杖を抱きしめた。
まぶたの重みにまかせて、目を瞑ろうとしたその時……異変は起きた。
「…………ッな、あ!?」
その現象は、彼の腕の中で発生した。
杖の石が“光”を放っていた。




