23 解錠
「もっとスピードあげてってば!」
「無茶言うな! どんだけ障害物あると思ってんだよ!!」
魔の森に兵士たちの怒声が響く。木々の合間を縫うように一台のバギーが疾走する。
叫び合うベスと運転席のグレン。
一方荷台にいるジローは、背後に迫り来る魔法使いに目を向ける。
見た目はあの“鎖の魔法使い”で間違いは無い。血で汚れたローブを纏っており、片方しかない手に杖を握った淑女。
「言っとくけど、私はもうこれ撃つくらいしかできないからね!! 捕まったら終わり!」
「意味ねーご報告ありがとよ!!」
「…………」
ただその首には、見慣れない金属の輪がはめられていた。
猿のように機敏な動作で、木の枝を飛び移りながら追跡してくる。
「……なんか様子が変だぞ」
あの魔法使いが“異常なこと”自体は最初からと言えばそうだ。しかし、いま彼女の顔にへばりついているのは明らかに正気とは思えない形相だった。
なかば白目を剥き、ヨダレを撒き散らして、まるで獣のようだ。
「延長戦ですわ――ぼうやたちッ!!!」
彼女に付与された魔法 《隷獣操》は、本来人間への使用は禁じられている。
人間の体では、魔力による神経干渉の負荷に耐えられないからだ。
杖に、光が宿り、再び地面から無数の鎖が生成される。
俊敏に伸縮し、バギーに殺到してくる。
「かわして!!」
「はぁ!? どうやっ」
「こうだよっ!」
ベスが手を突っ込んでハンドルを切った。木の幹に車体を擦り付けながら急カーブする。
「きゃっ!!」
ジローとパシパエは振り飛ばされないよう必死にしがみついた。
背後で鎖によって木々がズタズタに貫かれる。
「うっ……!!」
鎖たちはまだ追尾してきていた。バギーの数メートル後ろにピタリと貼り付くようにカーブしてくる。
違和感の正体に気づいた。
「多い……!!!」
その数は見える限りでも15本以上。しかも、地面に潜ったり出たりしながらどんどんと増え続けている。
「どうなってんだよ!! あいつッ、さっきまで本気出してなかったのかよ!?」
「グレン! 前!!」
バックミラーを見ていたグレンが視線を戻すと正面に巨樹の幹が迫っていた。「っ!!」とっさにハンドルを切る。
再び急カーブ。また荷台から吹き飛ばされそうになるジローとパシパエ。
ジローは杖を取り落としそうになって、なんとか掴み直す。
「…………」
「じっ、ジローさん?」
「…………マジかよ」
彼が父の形見に目を落として沈黙している間、グレンも目の前に続く光景に絶句していた。
バギーが入り込んだのは、切り立った崖沿い。直進する先に道はない。
崖下に落ちる。
かといって、森に戻る方角からは無数の鎖が回り込んできている。
「どうする……おい、どうすんだって!!」
「…………」
「お前ら黙んなよっ!!」
「パシパエ。こうなったら君だけが頼りだ」
その時、ジローが振り返り、自分の杖をパシパエに持たせた。
「え……」
「そうだね。ここはお願いっ、パシパエちゃん!」
小銃を撃ちながらベスも声をかけてくる。
「いや、むむむり、むっ無理ですっ」パシパエはバッと杖から手を離し、必死に首を横に振った。
「無理じゃない。できるよ」
同じリズムで首を縦に振るジロー。再度ぐいっと、杖を手の中に押し込む。
「いっいや、本当に、むっむ無理なんです! 私がいま何かしたら……もも、もっと悪い事態に……!」
いままでずっとそうだった。
脳裏には血に塗れた大広間が焼き付いている。
あの時の雪の冷たさ、爺やの手の固さ、むせ返る鉄の臭いも。
「大丈夫! そんな事にはゼッタイならない!」
だがそのイメージにもジローは割り込む。遠慮のない大声で、断言する。
「なっ……なんで言い切れるんですか!?」
「だって、最初に会った時、助けてくれた。
あの時、僕は傷ひとつつかなかった。つまり君は自分の力を制御できるんだ! あの時みたいにやれば!!」
「えっ……ええ……??」
「なんでもいいから早くしてくれッ!!!」
グレンが絶叫する。断崖がすぐそこまで迫っている。
「パシパエ。過去に後悔があるなら、塗り替えてやろうよ」
まだ躊躇している少女を真正面から見つめて、ジローが一括する。
「塗り……替える……?」
「前を向いて、一歩踏み出してみよう。
大丈夫。万一ヤバそうになったら、僕らがなんとかして止めるからさ」
そこで少女はようやくはっとなった。
『その謝罪にはなんの価値もない。ただ、あなた自身の罪悪感をほんの少し和らげるだけだ』
何も変えようとしてなかった。
この罪悪感を解決することと本当に向き合ってこなかった。
その態度こそが最大の罪だった。
目の前では少年が無邪気に笑う。
眼前に死が迫っている状況でも、彼の声音はいつもと変わらず明るく、温かい。
「とりあえず一回やってみようよ。ね!」
この人に応えられなければ、たぶん私は本当に、生きる価値が無くなる。
「落ちる落ちる落ちる――――ッ!!」
「いいから行って!!」
唸りを上げながら背後に迫り来る、無数の鎖が、バギーを貫く寸前。その車体は断崖の突端を踏み切り、宙に飛び出した。
「うああああああああああああ!!」渓谷に絶叫が響き渡る。
瞬間、パシパエは杖を握る手に力を込めた。
同時に、彼女の右目を覆う眼帯と、杖の石が、光を発した。
「Ranoth hachis!」
車体の下に、“道”がせり出してくる。
崖壁の脆い土と石の再結合によって形成されたそれはタイヤが触れた瞬間に崩れ始めるが、
「くぅぅぅぅぅぅぅッ!!!」
パシパエは絶えず魔力を追従させ、新たな道を生成し続けた。
「うぉおおおおおお!!」
搭乗者たちのアドレナリンは限界突破。
文字通り魔法の架け橋を渡りきったバギーは、ゴスッと軽い衝撃とともに地面に降りた。
「すげえッ!! なんだ今の!?」
そのまま疾走するバギー。グレンが振り向き、鼻血でも吹き出しそうな勢いで叫び散らす。
「やったねパシパエちゃん!!」
「すごいっ! できた、できたよ!!」
興奮冷めやらぬベス、ジローにも褒められ、「は、はいっ!」パシパエの顔もおのずとほころんだ。
生まれて初めて、この力を使って、安心した。
眼帯の締め付ける痛みもまるで気にならないくらいに。
「よっしゃ!! このまま逃げ切っ――」
グレンが再びアクセルを踏もうとした瞬間、目の前に閃光が落ちた。
「ッ――――」
遅れて、凄まじい爆音が鼓膜を突く。衝撃波と火花が散り、バギーは弾き飛ばされて横転した。
「間に合ったか…………」
雷のごとき速度で着地した白騎士が呟く。その傍らに、崖から鎖を使って降りてきたドロメタスも合流する。
「ドロメタス殿。治癒魔法をお願いします」
「……手間がかかる主人ですわねえ」
白騎士の痛々しくちぎれかけた腕に杖を向けようとして、「グッ……」唐突に目を見開いた。
「ッ……ゲホッ……ゴハッ……」
胸を抑え、激しく咳き込む。口から大量の血泡が溢れる。いつの間にか彼女は全身は蒼白になり、腕や首筋の血管が浮き上がっていた。
明らかに身体に異常を来たしている。そんなドロメタスに対し、
「早くしてくれますか?」
白騎士はただ冷酷に要求する。
「クソ……何が……ッ」
横転した車内でグレンがうめく。ベスが肩で荷台を持ち上げて、下敷きになっていたジローとパシパエを引っ張り出してくれた。
「もう追いついてきたみたいね。二人とも、下がっててくれる?」
朱色の鎧姿は息を切らしながらも、動揺はせず、すぐにふたりを庇うように手をかざす。
白い包帯がグルグル巻きになった腕が、ジローの目の前に来る。
「……はぁっ……はぁっ……」
思考するジローの視界に、さらに二人の魔法使いの姿が入り込んできた。
白騎士は、既にドロメタスの治癒魔法で傷を回復し、無傷に近い状態に戻っている。
奴が生きてここにいるということは、アキラは――。
「ジローさん…………」
絶句するジローの表情を見たパシパエは、彼から渡された杖に目を落とした。
「わ……私……が」
まだ、足が震える。背筋を冷や汗が流れて止まらない。
目の前には、まるで死の象徴のような、あの純白の鎧姿が迫っている。
『無理じゃないよ。できる』
だが胸の中には、既に暖かな光があった。
その絶対的な原動力に背中を押され、
今度こそ自分の意思で。
「私が……なんとかします」
その場の全員が息を飲んだ。「パシパエ……」声をかけようとしたジローは、少女の決意した顔を見て、口を噤んだ。
「いいのですか」
代わりに、白騎士が冷淡な声をかける。
「あなたがそこで、“鍵の目”の力をふるえば、まず後ろの者たちも巻き込まれますよ」
彼の言うようにジローたちはいま、パシパエから近すぎる場所にいる。
逃げられる状態でもない。
「その覚悟がありますか?」
「……おい……」
グレンが不安げにうめくが、ジローは「大丈夫!」と断言した。
その大きな瞳がこちらに確かめる視線を送る。パシパエは受け取って、小さくうなずいた。
「…………うーん……」
様子を眺めていたベスが深いため息をついた。
「こりゃあ……あとで本気で怒られるなぁ~」
おもむろに腕のアーマーに手をやる。装甲がスライドして現れた液晶端末を操作する。
すると軽快な電子音がして、パシパエの右目を覆っていた眼帯のロックが外れた。
「こっちは私が守るから。思いっきりやっちゃって!」
親指を立てたサインを受けて、パシパエは顎を引き、魔法使いたちに向き直る。
「……ドロメタス殿。防御態勢を」
「承知しましたわ」
ドロメタスは深く息を吐くと、ゆらりと立ち上がる。
口の端に血をこびり付けたまま、杖を地面に突き刺し、鎖を出現させた。
白騎士も身体に電流を纏い、二人は完全な臨戦態勢に入った。
「…………」
ジローたちが固唾を飲んで見守る中、パシパエは眼帯を右目から剥がす。
と、それを地面に落とし、
バキリと踏み潰した。
「ようやく――」
あらわになった右目は、杖の石とまったく同じ、鮮やかな紫色。
丸い瞳の中に六角形の瞳孔がある。
「妾の出番だな」
そして少女の顔貌には、数秒前とはまるで別人の、
自信に満ちた笑みが貼り付いていた。




