21 少女の正体②
物心のついた時から加害者だった。
城に出入りする者たちは皆、自分を目にすると、さりげなく離れていく。
大臣、衛兵、召使いの一人一人に至るまで。
父すらも、パシパエに近づかれることを嫌がり、会うことも許可されなかった。
家族が一緒に食事を取る場にもパシパエは呼ばれず、自室で独りで食べていた。
彼女を避ける理由は誰も口にこそしないが、はっきりしていた。
親殺しの王女。
自分に向けられる軽蔑と恐怖。時には悪意にも染まる彼らの視線を、常に浴びて生きてきた。
『何をしてる』
膝を着いて、顔を上げると、兄が見下ろしていた。
『大変失礼しました。お見苦しいところを』
爺やが代わりに謝罪する。
『相変わらず躾がなっていないな。ヴァルカン』
第一王子アイエイテスが、城にいることは稀だった。
『コイツを早く退かせ』
彼は既に、国軍の若き長として第一線で活躍している。
氷のように冷たい目で命じる。『申し訳ございません』爺やは再度、深々と頭を下げて、
『姫様』
パシパエを立ち上がらせる。
兄は目を合わせることなく、兵を引き連れ、隣を通り抜けていく。
『あっあの……』
とっさにその背中に声をかける。
『にっ兄様……あの、ご……』
少し面倒くさそうに兄は振り向く。
組み合わせた両手を忙しなく動かしながら、パシパエは、詰まる言葉をなんとか絞り出した。
『ご……ごめんな……さ……』
『…………………』
だが、顔を上げた時、兄は既に背を向けて去っていた。
『あ……』
その時、彼がどんな表情をしていたかなどは、とても想像できなかった。
想像したところで手遅れだった。
『パシパエ。おまえは黒界に逃れよ』
城が、兄率いる兵士たちの襲撃を受けた日。
父は娘を呼び出し、言い聞かせた。
『私は狂ってなどいない。あやつらに我がオリュンテア王国を掌握させてはならない。
この二世界を滅ぼす事態となりかねん』
一度だって自分に期待などしてくれなかった王が。
見向きもしなかった父が、追い詰められた間際、頼ってきた。
『いままで、すまなかった…………もはやお前が最後の望みだ』
頼ってくれた――パシパエは、嬉しかった。命の危機に瀕して、その胸に初めて、使命感というものが生まれた。
自分にも生まれてきた意味があったのだと、初めて思うことができた。
『必ず戻ってこい。むこう側の民と協力し、この国を取り戻すのだ』
『……はっ……はい』
愚かにも、自分は恐怖の対象以外の何かになれると。
みんなが認める王女になれると、思ってしまったのだ。
『姫様……ご無事ですか……』
『あっ……あぁ……』
幾重にも重なった死体。
雪に埋もれ、冷たくなった爺やを抱えていると、
『やっぱりそうか』
また頭上から声がする。
『お前が殺したんだな』
その目は、底知れない憎しみに暗く鈍く光っていた。
『お前が母上を……』
「ごめんなさい……ごめんなさいっ………」
いま、血溜まりに突っ伏し、少女はうめく。
「ごめんなさいっ……!」
言葉で記憶をかき消すように。乱される心を沈めて覆い隠すように。
何度も叫ぶ。
それでも脳裏には鮮明な光景が焼き付いている。
あの目。
追い求めていた仇をついに見つけた、達成感すら滲んだ表情。
罪も本性もすべて見透かされた。
「ごめんなさいって……ッ……」
思い出すな。よぎるな。呼び起こすな。
頼むから……。
「……ごめんなさいって……言ってるでしょ……ッ……」
「はい。ですからいったい何をそんなに謝っているのですか」
気づけば、背後に人の気配がある。
「前々から疑問だった……“それ”にはなんの意味があるのですか?」
体温を感じさせない中性的な声。
チャプ、と硬い鎧のブーツが、血溜まりに踏み込んでくる音がする。
「いや、意味などない。あなたがいくら謝罪しようと、失われたものが戻ることはない。
その行為にはなんの価値もない……ただ、あなた自身の罪悪感を、ほんの少し和らげるだけだ」
言葉がするすると、抵抗なく入ってきた。
「なんと利己的な人間なんだ」
チャプ、チャプ、足音がパシパエの隣を通り過ぎ、正面に回り込む。
白く無表情な兜が、こちらを見下ろしていた。
「平和を願うのなら死になさい」
スリットの奥から瞳が見える。
なんの感情も含まれていない、作り物のように冷たい目だった。
「傷つけた者たちに償いたいのなら、もう誰も傷つけたくないのなら、死になさい。
あなたが悩んでいることは、あなたが死ねばすべて解決する」
ただ黙々と現実だけを突きつける。
この人が言うならそうなのかと、有無を言わさず納得させられるような。
「ご自分でそれを望んでいたのでしょう」
「……………………」
「ならばもう、終わりにしましょう」
握りしめていた手の力が抜ける。
「………………はい…………」
うな垂れた少女の首を、白騎士は無造作に掴んだ。
右目を覆う眼帯に指をかける――――。
『諦めるな!!!』
その時、怒声が暗い森を貫いた。
『諦めるな!! パシパエ!!』
「何ッ……!?」
最初、幻聴かと思った。
でもその声は、頭上のスピーカーから実際に発せられていた。
耳をつんざくような大音量に、白騎士が硬直する。
『いま君が一人なら、空を見れる所に移動して! 僕らがいる場所の“合図”を上げるから!』
攻撃かと思ったのか、周囲を警戒している。その困惑した様子にパシパエは思い出した。
「何を……言ってる……」
この人には黒界の言葉はわからない。翻訳機をつけたパシパエと、いま、木の影から歩いてきたドロメタス以外には。
『いま敵といるなら、空に魔法を撃ち上げて合図して!
すぐそこに助けに行くから。それまで、死ぬ気で生き延びろ!!』
「ホワイト!!」
ジローから貰った翻訳機を付けていたドロメタスが、呼びかける。
「ターゲットを――!」
白騎士が即座、パシパエに手を下そうとする。しかしその時、既に彼女の黒い眼帯には、“光”が灯っていた。
「Kathanôma」
眩い白光が瞬いたと思うと、両者の間に巨大な炎の塊が突如出現する。
「ッ――」
白騎士が後ずさった直後、それは頭上を覆う枝葉を焼き払いながら飛翔し、
はるか上空で大爆発を起こした。
「王女……」
熱風と衝撃波で森全体がざわめき震える中。
「くっ……!」パシパエは血溜まりから手足を引き抜き、全力で走り出した。
「パシパエ王女ッ!!」
恐怖に突き動かされたわけでもない。自分でも、なぜそうしたのかわからない。
ただ無我夢中で、木々の合間を駆け抜けた。
魔法を撃ちあげた瞬間、空に見えた。
青い信煙の方を目指して。
「逃げるなッ!! いい加減、諦めろ!!」
『諦めるな!!!』
同じ内容の音声がそこら中のスピーカーから響き渡っている。どうやら森全体に繰り返し流れているようだ。
『死ぬ気で生き延びろ!!』
パシパエの足元が独りでに盛り上がり、鎖が飛び出してくる。
「うっ……!?」
とっさにジャンプして、坂の下に転がった。
「あいっ!」
思い切り頭をぶつける。
目の前にあったのは、そこらでもひと際巨大な樹の幹。
「お前――ッ」
白騎士が追いついてくる。パシパエは無我夢中で巨樹にしがみつくと、
枝を掴み、上へ上へと登っていく。
「おまえを殺して眼を奪う!」
怒りに満ちた声音とともに、白騎士が身体に激しい電流を纏う。
一瞬でパシパエのいる枝上まで飛び移ってきた。
「ッ……」
逃げる暇すら与えず襲いかかる。
だが、繰り出された貫手が彼女に到達する寸前。
人影が飛び込んできた。
「なッ……」
見慣れない鎧姿が、パシパエを守るように枝上に立っていた。
向かい合う白騎士とは対照的に、全身が吸い込まれるような漆黒に染められている。
「あなたは……」
「よくここまで逃げたわね」
聞き覚えのある声だった。
「やるじゃない」
ぶっきらぼうでちょっと恐いけど、
繊細で優しい少女。
「あ……アキラさん……??」
「先に行ってて」
「えっ――?」
振り向いた黒鎧姿のアキラは、いきなりパシパエの胸を押し、枝から突き落とした。
「うわああああああっ!?」
数十メートルの高さを落ちていく。
その下に無骨な四輪バギーが滑り込んでくる。
「ナイスタイミン――グぅッ!」
荷台で待ち構えていたジローが両手を広げて受けとめた。
「ああっ!」
「うえぐっ!!」
ドン、ゴン、という激しい振動。
「成功か!?」運転席のグレンが振り向く。
「大丈夫ッ! 行って!」
ジローが荷台からなんとか叫び返すと、バギーはアクセル全開でその場を離脱した。
「クソ……なんだあれは!?」
その一部始終を見ていた白騎士は、困惑しながらもすぐに追撃をかけようとする。
しかし、銃剣を手にした黒鎧が立ち塞がる。
「あんたらの相手は私」
「貴様……」
ジリジリと睨み合う二人の鎧姿。
白騎士は一瞬思考をめぐらせた後、
「ドロメタス殿……奴らを」
「――承知しました」
主人の命により《遵従の輪》が反応し、ローブを翻した淑女がすぐさまターゲット追跡に向かう。
黒鎧がそれを阻止せんと動き出した時、今度は逆に白騎士が割り込んだ。
「どこに行く」
フルフェイスの兜を、黒鎧の双眼のヘルメットをぶつけるようにしながら。
「相手をしてくれるんだろう?」
「チッ――」
「うぐ……」
「ジローさん! だ、大丈夫ですか??」
パシパエを回収し、バギーは木々の合間を走り抜ける。
彼女を受け止めた衝撃に全く耐えられなかったジローは、荷台にうずくまっていた。
「ごめんなさい! わっ私、なんで、こんなこと……」
パシパエは、自分の行動をまだ理解できていなかった。
確かに白騎士の言葉に納得したのに。終わらせようとしたのに。
なぜまだ自分はここにいるのか。
「あんなに皆さんにごごご迷惑をかっかけた、のに……またっ……生きようとして…………」
「何言ってんの。それが悪いことなわけないじゃん」
遮るようにジローが口を開く。膝を着いて、こちらに向き直る。
「え……」
「昔に何があったとしても、生きようとすること自体が悪いはずない。
それだけは絶対に間違いない」
そのとき、木の根を踏み越えた車体が大きく揺れる。「うわっ!」「きゃっ!!」少年と少女の体は大きく跳ね、覆い被さるような体勢になる。
「無事でよかった」
息がかかるほどの距離で顔を見合わせた。
「……なんで……ですか……」
「だって、友だちだから。僕たちが地上に出てきて、初めてのさ」
初めて会った時と何も変わらない、人懐っこい笑みを浮かべる少年。
その大きな瞳に見つめられた時、少女の胸はひときわ大きく鼓動した。
「あ――」
それまで経験したことの無い、締め付けられるような、鈍い痛み。
「ん?」
雪のようなパシパエの白肌に、ほのかな紅みがやどる。
ジローは眉をひそめ身を離した。
「大丈夫? なんか顔色が……」
「えっ? あぁ………い、いや……」
とっさにそっぽを向く。が、いつまでも鼓動は治まらない。
全身が原因不明の熱を発していた。
「おふたりさーん!」
そんな彼らに向けてベスが呼びかける。
「いい雰囲気なとこホント悪いんだけど……伏せて!!」
荷台に膝立ちした彼女は、グレネードランチャーを構えていた。
ジローがパシパエを伏せさせた直後、
ボシュ、という音でグレネードが発射。
襲い来る鎖の前で炸裂する。
爆風で狙いの逸れた鎖たちが、道路脇に次々突き刺さった。
自然公園時代の看板が吹き飛ばされる。
コンクリートの破片がフロントガラスに散乱し、「うおっ!」グレンがハンドルを握りながら身をかがめた。
「スピード緩めないで!! すぐ次来るよ!」
「わ、わかってる!!」
彼らの背後に、さらなる大量の鎖を引連れた狂淑女が迫っていた。
「逃がしませんわ――坊やた――ちッ」




