21 諦めるな
物心のついた時から加害者だった。
城に出入りする者たちは皆、自分を目にすると、さりげなく離れていく。
大臣、衛兵、召使いの一人一人に至るまで。
父すらも、パシパエに近づかれることを嫌がり、会うことも許可されなかった。
家族が一緒に食事を取る場にもパシパエは呼ばれず、自室で独りで食べていた。
彼女を避ける理由は誰も口にこそしないが、はっきりしていた。
親殺しの王女。
自分に向けられる軽蔑と恐怖。時には悪意にも染まる彼らの視線を、常に浴びて生きてきた。
『何をしてる』
膝を着いて、顔を上げると、兄が見下ろしていた。
『大変失礼しました。お見苦しいところを』
爺やが代わりに謝罪する。
『相変わらず躾がなっていないな。ヴァルカン』
第一王子アイエイテスが、城にいることは稀だった。
『コイツを早く退かせ』
彼は既に、国軍の若き長として第一線で活躍している。
氷のように冷たい目で命じる。『申し訳ございません』爺やは再度、深々と頭を下げて、
『姫様』
パシパエを立ち上がらせる。
兄は目を合わせることなく、兵を引き連れ、隣を通り抜けていく。
『あっあの……』
とっさにその背中に声をかける。
『にっ兄様……あの、ご……』
少し面倒くさそうに兄は振り向く。
組み合わせた両手を忙しなく動かしながら、パシパエは、詰まる言葉をなんとか絞り出した。
『ご……ごめんな……さ……』
『…………………』
だが、顔を上げた時、兄は既に背を向けて去っていた。
『あ……』
その時、彼がどんな表情をしていたかなどは、とても想像できなかった。
想像したところで手遅れだった。
『パシパエ。おまえは黒界に逃れよ』
城が、兄率いる兵士たちの襲撃を受けた日。
父は娘を呼び出し、言い聞かせた。
『私は狂ってなどいない。あやつらに我がオリュンテア王国を掌握させてはならない。
この二世界を滅ぼす事態となりかねん』
一度だって自分に期待などしてくれなかった王が。
見向きもしなかった父が、追い詰められた間際、頼ってきた。
『いままで、すまなかった…………もはやお前が最後の望みだ』
頼ってくれた――パシパエは、嬉しかった。命の危機に瀕して、その胸に初めて、使命感というものが生まれた。
自分にも生まれてきた意味があったのだと、初めて思うことができた。
『必ず戻ってこい。むこう側の民と協力し、この国を取り戻すのだ』
『……はっ……はい』
愚かにも、自分は恐怖の対象以外の何かになれると。
みんなが認める王女になれると、思ってしまったのだ。
『姫様……ご無事ですか……』
『あっ……あぁ……』
幾重にも重なった死体。
雪に埋もれ、冷たくなった爺やを抱えていると、
『やっぱりそうか』
また頭上から声がする。
『お前が殺したんだな』
その目は、底知れない憎しみに暗く鈍く光っていた。
『お前が母上を……』
「ごめんなさい……ごめんなさいっ………」
いま、血溜まりに突っ伏し、少女はうめく。
「ごめんなさいっ……!」
言葉で記憶をかき消すように。乱される心を沈めて覆い隠すように。
何度も叫ぶ。
それでも脳裏には鮮明な光景が焼き付いている。
あの目。
追い求めていた仇をついに見つけた、達成感すら滲んだ表情。
罪も本性もすべて見透かされた。
「ごめんなさいって……ッ……」
思い出すな。よぎるな。呼び起こすな。
頼むから……。
「……ごめんなさいって……言ってるでしょ……ッ……」
「はい。ですからいったい何をそんなに謝っているのですか」
気づけば、背後に人の気配がある。
「前々から疑問だった……“それ”にはなんの意味があるのですか?」
体温を感じさせない中性的な声。
チャプ、と硬い鎧のブーツが、血溜まりに踏み込んでくる音がする。
「いや、意味などない。あなたがいくら謝罪しようと、失われたものが戻ることはない。
その行為にはなんの価値もない……ただ、あなた自身の罪悪感を、ほんの少し和らげるだけだ」
言葉がするすると、抵抗なく入ってきた。
「なんと利己的な人間なんだ」
チャプ、チャプ、足音がパシパエの隣を通り過ぎ、正面に回り込む。
白く無表情な兜が、こちらを見下ろしていた。
「平和を願うのなら死になさい」
スリットの奥から瞳が見える。
なんの感情も含まれていない、作り物のように冷たい目だった。
「傷つけた者たちに償いたいのなら、もう誰も傷つけたくないのなら、死になさい。
あなたが悩んでいることは、あなたが死ねばすべて解決する」
ただ黙々と現実だけを突きつける。
この人が言うならそうなのかと、有無を言わさず納得させられるような。
「ご自分でそれを望んでいたのでしょう」
「……………………」
「ならばもう、終わりにしましょう」
握りしめていた手の力が抜ける。
「………………はい…………」
うな垂れた少女の首を、白騎士は無造作に掴んだ。
右目を覆う眼帯に指をかける――――。
『諦めるな!!!』
その時、怒声が暗い森を貫いた。
『諦めるな!! パシパエ!!』
「何ッ……!?」
最初、幻聴かと思った。
でもその声は、頭上のスピーカーから実際に発せられていた。
耳をつんざくような大音量に、白騎士が硬直する。
『いま君が一人なら、空を見れる所に移動して! 僕らがいる場所の“合図”を上げるから!』
攻撃かと思ったのか、周囲を警戒している。その困惑した様子にパシパエは思い出した。
「何を……言ってる……」
この人には黒界の言葉はわからない。翻訳機をつけたパシパエと、いま、木の影から歩いてきたドロメタス以外には。
『いま敵といるなら、空に魔法を撃ち上げて合図して!
すぐそこに助けに行くから。それまで、死ぬ気で生き延びろ!!』
「ホワイト!!」
ジローから貰った翻訳機を付けていたドロメタスが、呼びかける。
「ターゲットを――!」
白騎士が即座、パシパエに手を下そうとする。しかしその時、既に彼女の黒い眼帯には、“光”が灯っていた。
「Kathanôma」
眩い白光が瞬いたと思うと、両者の間に巨大な炎の塊が突如出現する。
「ッ――」
白騎士が後ずさった直後、それは頭上を覆う枝葉を焼き払いながら飛翔し、
はるか上空で大爆発を起こした。
「王女……」
熱風と衝撃波で森全体がざわめき震える中。
「くっ……!」パシパエは血溜まりから手足を引き抜き、全力で走り出した。
「パシパエ王女ッ!!」
恐怖に突き動かされたわけでもない。自分でも、なぜそうしたのかわからない。
ただ無我夢中で、木々の合間を駆け抜けた。
魔法を撃ちあげた瞬間、空に見えた。
青い信煙の方を目指して。
「逃げるなッ!! いい加減、諦めろ!!」
『諦めるな!!!』
同じ内容の音声がそこら中のスピーカーから響き渡っている。どうやら森全体に繰り返し流れているようだ。
『死ぬ気で生き延びろ!!』
パシパエの足元が独りでに盛り上がり、鎖が飛び出してくる。
「うっ……!?」
とっさにジャンプして、坂の下に転がった。
「あいっ!」
思い切り頭をぶつける。
目の前にあったのは、そこらでもひと際巨大な樹の幹。
「お前――ッ」
白騎士が追いついてくる。パシパエは無我夢中で巨樹にしがみつくと、
枝を掴み、上へ上へと登っていく。
「おまえを殺して眼を奪う!」
怒りに満ちた声音とともに、白騎士が身体に激しい電流を纏う。
一瞬でパシパエのいる枝上まで飛び移ってきた。
「ッ……」
逃げる暇すら与えず襲いかかる。
だが、繰り出された貫手が彼女に到達する寸前。
人影が飛び込んできた。
「なッ……」
見慣れない鎧姿が、パシパエを守るように枝上に立っていた。
向かい合う白騎士とは対照的に、全身が吸い込まれるような漆黒に染められている。
「あなたは……」
「よくここまで逃げたわね」
聞き覚えのある声だった。
「やるじゃない」
ぶっきらぼうでちょっと恐いけど、
繊細で優しい少女。
「あ……アキラさん……??」
「先に行ってて」
「えっ――?」
振り向いた黒鎧姿のアキラは、いきなりパシパエの胸を押し、枝から突き落とした。
「うわああああああっ!?」
数十メートルの高さを落ちていく。
その下に無骨な四輪バギーが滑り込んでくる。
「ナイスタイミン――グぅッ!」
荷台で待ち構えていたジローが両手を広げて受けとめた。
「ああっ!」
「うえぐっ!!」
ドン、ゴン、という激しい振動。
「成功か!?」運転席のグレンが振り向く。
「大丈夫ッ! 行って!」
ジローが荷台からなんとか叫び返すと、バギーはアクセル全開でその場を離脱した。
「クソ……なんだあれは!?」
その一部始終を見ていた白騎士は、困惑しながらもすぐに追撃をかけようとする。
しかし、銃剣を手にした黒鎧が立ち塞がる。
「あんたらの相手は私」
「貴様……」
ジリジリと睨み合う二人の鎧姿。
白騎士は一瞬思考をめぐらせた後、
「ドロメタス殿……奴らを」
「――承知しました」
主人の命により《遵従の輪》が反応し、ローブを翻した淑女がすぐさまターゲット追跡に向かう。
黒鎧がそれを阻止せんと動き出した時、今度は逆に白騎士が割り込んだ。
「どこに行く」
フルフェイスの兜を、黒鎧の双眼のヘルメットをぶつけるようにしながら。
「相手をしてくれるんだろう?」
「チッ――」
「うぐ……」
「ジローさん! だ、大丈夫ですか??」
パシパエを回収し、バギーは木々の合間を走り抜ける。
彼女を受け止めた衝撃に全く耐えられなかったジローは、荷台にうずくまっていた。
「ごめんなさい! わっ私、なんで、こんなこと……」
パシパエは、自分の行動をまだ理解できていなかった。
確かに白騎士の言葉に納得したのに。終わらせようとしたのに。
なぜまだ自分はここにいるのか。
「あんなに皆さんにごごご迷惑をかっかけた、のに……またっ……生きようとして…………」
「何言ってんの。それが悪いことなわけないじゃん」
遮るようにジローが口を開く。膝を着いて、こちらに向き直る。
「え……」
「昔に何があったとしても、生きようとすること自体が悪いはずない。
それだけは絶対に間違いない」
そのとき、木の根を踏み越えた車体が大きく揺れる。「うわっ!」「きゃっ!!」少年と少女の体は大きく跳ね、覆い被さるような体勢になる。
「無事でよかった」
息がかかるほどの距離で顔を見合わせた。
「……なんで……ですか……」
「だって、友だちだから。僕たちが地上に出てきて、初めてのさ」
初めて会った時と何も変わらない、人懐っこい笑みを浮かべる少年。
その大きな瞳に見つめられた時、少女の胸はひときわ大きく鼓動した。
「あ――」
それまで経験したことの無い、締め付けられるような、鈍い痛み。
「ん?」
雪のようなパシパエの白肌に、ほのかな紅みがやどる。
ジローは眉をひそめ身を離した。
「大丈夫? なんか顔色が……」
「えっ? あぁ………い、いや……」
とっさにそっぽを向く。が、いつまでも鼓動は治まらない。
全身が原因不明の熱を発していた。
「おふたりさーん!」
そんな彼らに向けてベスが呼びかける。
「いい雰囲気なとこホント悪いんだけど……伏せて!!」
荷台に膝立ちした彼女は、グレネードランチャーを構えていた。
ジローがパシパエを伏せさせた直後、
ボシュ、という音でグレネードが発射。
襲い来る鎖の前で炸裂する。
爆風で狙いの逸れた鎖たちが、道路脇に次々突き刺さった。
自然公園時代の看板が吹き飛ばされる。
コンクリートの破片がフロントガラスに散乱し、「うおっ!」グレンがハンドルを握りながら身をかがめた。
「スピード緩めないで!! すぐ次来るよ!」
「わ、わかってる!!」
彼らの背後に、さらなる大量の鎖を引連れた狂淑女が迫っていた。
「逃がしませんわ――坊やた――ちッ」




