13 暗雲の中
薄曇りの空を舞い散る雪が、天井に空いた穴から、大広間に入ってくる。
いまや床一面に白く降り積もった中、少女は頬の冷たさに目を覚ました。
周りには無数の、人との形をした物体が埋もれていた。
それはもう人ではない。
鈍色の鎧姿たちは、手や足がちぎれあるいは内臓が出て、雪面の所々を赤く染めている。
『あっ……あれ?』
我に返った少女は、拍子に手に持っていた杖を取り落とした。
『あっ……あ?』
『……パシパエ様……』
そのとき傍らで聞き馴染みのある声がした。
『じいや!?』
慌てて雪を掘り起こすとしわくちゃの手が出てきた。
『じいやっ!!』無我夢中で引っ張る、ズルリ、ブチ、という感触が伝わる。
『あ……』
しわくちゃの手は、いとも簡単にちぎれた。赤い雪の向こうに見慣れた老人が倒れている。
『ご無事ですか…………』
『じいや……じいや! どっ、ど、どうしよう……ごめんなさいっ!!』
呼びかけても、揺すっても、彼はもう、何も答えてくれない。
『あぁ、あ……う……』
呆然と両手を見つめる。べったり濡れた血が指の間で糸を引いている。
ぬめりけのある感触に、原罪がフラッシュバックする。
『やっぱり、おまえが殺したんだな』
頭上から声がした。
「っ――――」
目覚めると、そこは狭い貨物室だった。
いつの間にか眠って、夢を見ていたようだ。びっしょりと汗をかいていた。
「…………」
シーツのぐちゃぐちゃになったベッドから降りて、窓を見る。外にはどこまでも続く晴れ空の景色が広がっている。
黒連軍の輸送機の中だ。
部屋には窓と扉がひとつずつ。偽装船の船室とよく似ている。
当然、扉はロックされていた。
「…………」
また戻ってきてしまった。
だがパシパエは落胆と共に、どこか安堵も感じていた。
自分の存在でトラブルが起き続ける現状に彼女は疲れ切っていた。
もはや、最初から隔離されていた方が安心できる。
「……帰りたいなんて……」
謝るチャンスがあるかも、なんて。
本来自分はそんなことを望む資格などない人間だった。
あの姉弟と出会い、少し絆されてしまったが、
自分が何を冒したのか考えれば……許されるはずなどない。
右目の眼帯に触れながら、それをやっと思い出してきた。
「パシパエ」
そのとき扉がノックされ、覗き窓に見慣れた少年が顔を出す。
「じ、じジローさん…………」
「さっきぶり!」
屈託のない笑みを見せるジロー。その顔を見た瞬間、パシパエの胸の奥の温度がまた少し上がってしまう。
「あっアキラさんは……おふたりともご無事ですか??」
「なんともないわよ」
ずい、と横からショートカットに猫目の少女が出てくる。
「あぁ……よっよかった……本当に、よかったっ」
パシパエは安堵のあまり崩れ落ちそうになりながらベッドを出る。
「……もっもしかしたら魔法使いと、すす、遭遇してしまったのでは、ないかと……」
「会ったわよ。さっきのモールで。たぶん瓦礫の下敷きになってる。ぶっ倒してやったわ」
「え? 僕も初耳なんだけど」
ジローも大きな目をさらに見開いて驚く。
パシパエはふたりに駆け寄ろうとした足をはっと止めた。
「…………」
「どうしたの?」
「……あの……ま……巻き込んでしまって、ごめんなさい」
深々と頭を下げ、まずふたりに謝罪しなければいけないと思った。
「私と関わったから……こんなことに」
「いやいや。むしろ、またこんな所に閉じ込めさせちゃって、ごめんね」
ところがジローはむしろ悔しそうに両手を振った。
「最初に言ったでしょ。私たちは自分のために関わったのよ。何が起こってもあんたに責任はない」
アキラも生真面目にうなずく。ふたりとも、パシパエの危惧などまったく気にしていない様子だった。
「約束は忘れてないからね」
「や、約束……?」
「そうだよ。君を故郷に連れていく」
ジローは分厚い窓越しに、パシパエを真っ直ぐ見つめて宣言した。
「え……」
まさか。
こんな状況でもまだ諦めていないのか。
「いやぁ~いいねえ~。少年少女の友情! って感じで」
姉弟の後ろから、金髪青眼の女兵士、ベスが姿を見せた。
「早く済ませてくれよ」と隣で茶髪の兵士グレンが言う。その両手には二つの大きな袋が抱えられていた。
「……そうですねー……じゃあ」
ベスはズボンのポケットからカードキーを取り出した。
ガチン、とロックが解除され、分厚い扉が重い音を立てて開く。
「お菓子パーティしよっか♪」
一同に向かって宣言した。
「いや、ちょっと待て。ちょっと待って」
薄暗い通路。大袋を持ったグレンの戸惑った声が響くが、ベスは聞く耳を持たない。
「それ、ベッドの上に置いてくださいね~」
袋は彼女の指示で貨物室から持ってきた物だ。「尋問用の道具」と言われていたが、中身を開けると、色とりどりのお菓子が出てきた。
「うわあ!」
「なっ? なんでこんなモンが軍用機に積まれてる……」
「私、お菓子とコミックがないと死んじゃう体質だからさ。特注」
「中身ぜんぶ菓子か?? 尋問道具じゃねえのかよ!」
「そんなつまんないことしないよ~。基地に着くまでの間ヒマだし、これ食べながらみんなでお喋りしたいなって」
ベスはさっそくポテトチップスの袋を開けながら応える。「やった!」ジローが目を輝かせて飛びつく。
すっかり騙されたグレンは、わなわなと肩を震わせた。
「パシパエの個室を……勝手に開けるなんて……危険すぎるだろ。
しかも姉弟も一緒に入れるなんて明らかに度が過ぎてる……これは、隊長に報告させてもらうからな」
そう宣言するなり通路に出る。
「ご自由に~」
彼女は既にチップスを一枚咥えながら手を挙げた。
「みんな甘いのとしょっぱいの、どっちが好きー?」
「選べるの? じゃあ甘いのがいい!」
「いいよ~。おふたりは?」
「……しょっぱいの」
「では……あっあ甘い物で……いただきます」
ベスはくるりと振り向き、三人にそれぞれお菓子を選ばせた。「いただきまーす」ジローが板チョコレートをかじり、肩を震わせる。
「うまっ……え? あま、甘……!? 甘……!!」
最下層にいた数年間、ほとんど甘味を味わって来なかった彼には、脳が混乱する感覚だった。
「これが高級スイーツってやつかッ……!」
「実際チョコはいまマジで高いからね~。お目が高いな少年♪」
「…………」
目を見開いて包装紙の裏の成分表示を凝視する。
対して、カラフルなキャンディーを渡されたパシパエは、いまはとても口にする気にはなれなかった。
アキラも同じで、せんべいを持ったまま仏頂面で静止している。
「ホラホラ遠慮しないで、毒なんか入ってないよ」
「……本当でしょうね」
ベスに促されて、彼女らは仕方なく、自分のお菓子を口に運んだ。
「甘っ……!」
「うまっ」
「私、ボルツっていうちょっと特別な隊に入っててさ。白界にも何度か行ったことあるんだよね」
ベスはパーティ開けしたポテチをベッドに置きながら話し始めた。「へぇ~」ジローがすぐに食いつく。
「向こう側って……どんな感じだった? こっちと全然ちがう?」
「そうだね~、うん。向こうにはいま大きな国が10個あるんだよ」
コンソメ味のポテチを幸せそうに咀嚼しながら、ベスは続ける。
「ユーラシア大陸の真ん中らへんから、ヨーロッパにかけて発展した文明が集中してる。
詳しい情勢はまだ調査中だけど……戦争や侵略も、けっこう頻繁に起こってるみたい」
と付け足した。「そうなんだ……」口の周りをチョコまみれにしたジローが感嘆する。
「パシパエちゃんがいたのは、《オリュンテア王国》だよね?」
唐突にたずねられ、「え……」パシパエの思考はフリーズした。
心の声も見透かしたように青い瞳が細められる。
「あなたの話してる言葉を解析したら、その国の方言と一致したの。当たり?」
隣でパシパエが拳を握りしめる気配がして、「……?」せんべい一袋を平らげたアキラがふと顔を上げる。
「あなたはどうしてこっちに来たのかな」
愛想の良い微笑をたたえたまま、ベスが再度尋ねる。
「えっと……」
キャンディーを片手に、目を逸らすパシパエの顔を見て、「あははっ、そんな固くならないでよ~」と笑い声を弾けさせる。
「問い詰めるみたいでごめんね? でもあなたを正式に保護するために、教えてほしいんだよね~。
べつにその回答で何かが変わったりはしないから、安心していいよ? いま素直に言ってくれたら、お互い楽だと思うんだけど……」
「…………」
「こっちに来たのは計画なのかな。それとも、事故だったのかな?
魔法使いに追われてたみたいだし……向こうで何かトラブルでも起きたのかなあ?」
パシパエの顔がみるみる青白くなる。汗が顎を伝って流れるが、唇は貼り付いたように開こうとはしなかった。
アキラは、廃墟街で断片的に聞かされた少女の家族とのことを思い出した。
「もしかして……あなたが何か、しでかしちゃったとか?」
ベスがカマをかける。骨ばった小さな肩がびくりと跳ねた。
「それでこっちに逃げてきたの?」
青い瞳がさらに細められる。
長い白髪が少女の肩から垂れ落ちる。「あ、の……!」耐えきれなくなって、口を開こうとした、その時。
「話さなくていいよ」
ジローが横槍を入れた。「べつに尋問じゃないんだよね? コレ」と、チョコを咥えたまま、ベスの方に振り向く。
「うん。そうだね」
少年の、大きな焦げ茶色の瞳が、青い瞳と見つめ合う。
「じゃあ嫌がってる人に無理やり話させようとするのは良くないよ」
「そうだよね~~! ごめんごめん! 好奇心旺盛すぎてさぁ~……私つい踏み込みすぎちゃうんだよね」
明るく謝ったベスは、「もうこの話はやめるね? パシパエちゃん」とそれ以上言及してくることはなかった。
一方、廊下に出たグレンは壁に備え付けられた子機で、隊長にこの事態を報告していた。
「非常事態です。あの《ボルツ》の女が、勝手にターゲットの部屋に入って、尋問を始めました。しかも、姉弟も連れ込んでいます」
『…………そうか』
だが返ってきたのは極めて薄いリアクションだった。
「そうかっ……て……いいんですか? 危険ですよ。あいつらが暴れたらどうするんですか」
『そうなったら、我々にはどうしようもない。ベス少尉しか止められないだろうな』
「……いや……そりゃそうですけど……」
『《ボルツ》の指揮系統は我々とは異なる。口出しすることはできない』
「……でも……お菓子パーティしてるんですよ」
『好きにさせとけ。基地に着くまでの間だけだ。それよりもボルツとターゲットの会話を……』
一瞬沈黙が入る。
『……いや、そのまま監視を続けろ』
と言い残して、通話は切れてしまった。「…………」グレンは納得いかないまま受話器を戻す。
「好きにさせる? 理解できねえ」
白界人は全員、人の形した化け物だ。
扉の窓越しに少女と姉弟を見ながら、憎々しげに呟いていた。
「白界の人や物がこちら側に来る方法は、大きく二つあるんだ」
部屋の中では、ベスが次の話題に移っていた。
「ひとつは自然発生型ポータル。20年前一斉に現れて、二つの世界をつなげたヤツ。
今でも世界中にクレーターが残ってて、たまに突発的に開いたりするの」
ジローは地上の生存者を捜索する過程で見つけたクレーターを思い浮かべ、その時感じた本能的な危機感を想起させた。
「地震みたいな感じだね」
「もうひとつは?」
アキラが既に五袋目のせんべいを開けながら言う。
「もうひとつは……人為的に生み出されたポータル」
「それって、隊長も言ってたやつだよね。向こう側にはポータルを開く技術があるっていう……」
「そう。その原理や技術はこちら側ではまだ解明できてないの。
だからパシパエちゃんに、ぜひ聞いてみたいと思ってたんだけど~……」
ベスはちらりと視線を送りながら言った。
全員の視線を受け、パシパエは申し訳なさそうに目を伏せる。
「わっ私、こっこちらに来た時の記憶が、かなり……曖昧で……」
「へえ……それは、ポータルを通った時の副作用とか?」
「い、いや……ど……どうなんでしょうか」
「もういいんじゃない? この話はさ」
また問い詰め始めようとしたベスに、ジローが見かねたように割って入った。
「覚えてないことを何度聞いても仕方ないしさ」
「そう? 知りたくない?」
ベスはすました顔で聞き返す。
「アキラちゃんとジローくんのお父さんが、どうやって黒界に来たのか」
「知りたいけど、こういうやり方で聞き出すのは嫌だ」
そんな弟の態度をアキラは少し意外に思った。
昔から、友達も作らず四六時中本を読んでいるようなヤツだった。
好奇心の探求しか興味が無かった弟が、いまはそれより目の前の少女の感情を優先している。
「……そっか」
パシパエが何かを隠しているのか、それとも本当に何も知らないのかは、ここでは判断は付かない。
だが、何か彼女の目にずっとある怯えは、どこか“加害者側”のモノである気が、アキラはしていた。
それはきっと、ジローには察せられない。ベスもわかっていない。その場でアキラだけが気づいたパシパエの“本性”の一部だった。
「おい、もうそろそろいいだろ」
その後しばらく談笑を続けていると、グレンが部屋に入ってくる。
「そうだね。残りは基地についてから……」言いかけてベスがふと窓を見た。
いつの間にか外の空には灰色の雲が満ち始めている。
「曇ってきた?」
ジローが何気なく呟いたとき、機体が揺れ始めた。
「うっ……!?」
その場にいた全員が周りの物にしがみつく。
雨粒が窓を殴りつけるようにぶつかり、激しい雷鳴が聞こえてきた。
「なに??」
「嵐だ……! こんな急にくるんだ~」
動揺するアキラに、ジローは興奮した様子で返す。「いや……これは…………」一方、ベスは何か悟ったように独り呟いた。
「どういうことだ? なんで雲がいきなり?」
「計器に反応はありませんでした」
コクピットの操縦士たちも混乱していた。
わずか十秒程度のことだった。灰色の雲は機体の背後から忍び寄るように、唐突に現れた。
いまや計器には、四方を取り囲みながら無数に増殖した積乱雲が表示されている。
「いったいどこから……」
「高度を上げろ!」
ノックもなくドアを開け、駆け込んできたカイダが叫んだ。
「奴らだ……魔法使いが、来た!!」




