2 アキラの銃
前方の床を照らしながら進む。
この手動発電式ライトの光では、数メートル先もよく見えない。ただ壁や床、天井の至る所に、乾いた血痕がこびり付いているのはわかった。
腕に着けた線量計によれば、現在ここのM線濃度は毎時200ミリヴェール。
防護服無しでは人が人の形を保てなくなる環境である。
暗闇を100メートルほど進むと隔壁にぶつかる。その壁面にも、やはりおびただしい赤痕があった。
アキラはそこで荷物を下ろした。
リュックから瓶と包みを取り出す。『期限切れ』のラベルを破り、数日前食べ残した肉塊を、隔壁の前に置く。
それから瓶を開けて、中のどす黒い液体を肉にまぶしかける。
こちらは二人の血だ。もう数ヶ月も前に採ったものなので、ひどい臭いがしたが、“奴ら”はこれが大好物なのだ。
エサの準備を終えると、猟銃を取り出し弾を込めた。
「ふんっ……!」
手動解放レバーの基部にパイプを突き刺し、力づくで動かす。
「ぐぅぅぅっ!」ガチ、と奥でロックが解除され、重い隔壁が開いた。
数メートル後ろのバリケードまで下がり、廃材の隙間から銃を構える。
ライトは消しているので視界は黒一色である。しかし既に闇慣れしたアキラの目は、隔壁前のエサをしっかり捉えていた。
「………………」
獲物が現れるまでの時間は日によってバラバラである。30分で来るときもあれば、2時間以上待つこともある。
「……………………………………」
ひたすらじっと待つ。
この間の体調は、絶えず悪い。防護マスク内の湿気と空気の悪さでほのかに頭痛がするし、同じ体勢で長時間いるせいで、体の節々も痛んでくる。
咳やクシャミをしたくても、音を立てることは命に関わるので我慢するしかない。
「……フゥゥ…………」
音を立てない最小限のため息を吐く。アキラはこの時間が一番嫌いだった。
早く、“奴ら”が来るのを祈りながら……。
「ぴするる────」
今日は幸い、1時間ほどで来た。
線量計の数値が跳ね上がるのと、その音が聞こえてきたのは、ほぼ同時だった。
「ぴす――ぴする――――」
通路の奥からやってくる。
体長、2メートル強。二対の手足で這うように歩く。人のような形をした、だが明らかに人ではない生き物。
「ぴする――――」
エサに近づくと、しきりに匂いを嗅ぐ。何の肉か注意深くたしかめるように。
アキラは猫目を細め、照準を定めながら慎重に銃把を握り直した。
ピク、
何かに気づいたように生物が硬直する。直後その顔面がガパリと裂けた。
「ァ――――」
ぞろりと並ぶ鋭利な歯があらわになり、肉塊に思い切りかぶりつく。
と、同時に、アキラは引き金を引いた。
「──ァア――アア――ア!!」
銃声がとどろき、血しぶきが上がる。
生物は悲鳴を上げながら上体を仰け反らせた。
が、倒れはしなかった。わずかに急所を逸れたようだ。
「チッ……」
大型獣用のスラグ弾でも、確実に脳天に当てなければ殺しきれない。
即座にフィンガーレバーを操作し、次弾を装填する。
「ァ――アゥウウヴヴ……!!」
顔の下半分を吹き飛ばされた生物がこちらに向き直る。その傷口の肉がみるみる盛り上がり、再生されていく。
「ァアア――!!」
今度こそ見つけた本物の人間へ向かって、一目散に飛びかかる。
そのタイミングを待っていたアキラはすかさず引き金を引いた。
発射された弾は今度こそ正確に、標的の脳天にめり込んだ。
「……ァ……」
巨体が静止し、つんのめるように倒れ伏す。
アキラはすぐにバリケードから顔を出し、獲物に近づいた。
銃は構えたまま、床に投げ出された手足を注意深く蹴って、反応がないことを確認する。
「……フゥ……」
ようやく一息ついて、銃を脇に置いた。
何度やっても、この緊張には慣れない。
ひとまず血抜きをしようと、亡骸の前にしゃがみ込んだ瞬間。
「――――ぴす」
――再びあの音がする。
顔を上げると、闇の向こうから人型の影がもう一匹、現れていた。
「ッ……!」
とっさに銃に手を伸ばす。
生物ののっぺりした顔面が、愉悦を浮かべるように裂けた。
「ォアアアアアアアア!!!」
銃を構え直すより早く飛びかかってくる。
鋭い歯を銃身で受け止めながら押し倒された。
「かっ――は──!!」
バリケードを突き破り、背中をしたたか床に打ち付ける。肺の空気が押し出されて苦酸っぱい味が口に広がる。
「――――ぁ――」
視界がぐわんとゆらぐ。
意識が遠のいていく――。
『お願いだから約束して』
ぼやけた記憶で懐かしい声がした。
沈みかけた意識が、誰かの手によって急速に引き戻される。
「――――ぅ――」
目を開けると、視界いっぱいにボタボタと何かが垂れてきていた。
唾液だ。
防護マスクの目と鼻の先で、巨大な口が散弾銃にかじり付いている。
「ガ……ガガァガ!!」
凄まじい体重が全身にのしかかって来ていた。
「う……ぐッ……!!」
右手に、渾身の力を込め、銃を押し返しつつ、左手で腰のナイフを抜く。
銃身に噛み付いている顎に思いきり突き刺した。
「ギィッ──────」
奥深くまでねじ込み、掻っ切る。吹き出す返り血をもろに浴びながら息をとめた。
巨体が怯んだ僅かな隙間に、折りたたんだ両足を入れ、腹を思い切り蹴り上げると同時に跳ね起きる。
後ろによろけた生物の口に、間髪入れず銃口を突っ込み、ねじ伏せた。
「ガッ、ギィアアガ、アアアガ――!!」
「おとな……し……く……」
もがく巨体を全体重で踏み押さえながら、フィンガーレバーを閉じ、弾を装填。
「死ねッ……」
ボフッ、
くぐもった銃声とともに鮮血が床を汚した。
巨体はビクンと跳ねて、動かなくなった。
「…………はぁっ……はっ…………んぐっ。ぷは…………」
喉元まで込み上げていたモノをなんとか飲み込み、マスクについた血を拭う。
「はぁっ…………はぁっ……ふぅ……」
ドクドクと大きな血流音が鼓膜を支配している。胸に手を当て、深呼吸してなんとか落ち着かせる。
ようやくおさまったころ、銃口を引くと、ごぽりと大きな血泡が吐き出された。
リュックから解体道具を取り出す。
ナイフで頸動脈を切り、血抜きを終えたら、
大きすぎる胴体は避けて、四肢のみを手早く切り出していく。
作業中、辺りには殺人的な血臭が立ち込めるが、脳の不快回路をシャットアウトして続行した。
「………………」
無心。無心だ。いま正気になったら確実に吐く。
もはや慣れた動作でノコギリを動かし、捌いた肉を次々クーラーボックスに放り込んでいく。
異獣を殺し、肉を切る。
もう何年も繰り返している。身体に染み付いた工程。
明日も明後日も、同じことを続ける。
「…………」
一週間、一ヶ月、一年…………十年。
ダメだ。無心だ。
手を止め、真っ赤に染ったグローブを見下ろした。
『お願いだから約束して』
このシェルターに生きる人間が自分と弟だけになった日。
母にいわれた言葉がよみがえる。
『これから先、どんなことがあっても……生きることだけは諦めないで』
なぜあんな酷い言葉を残したのだろう。
もう誰もいなくなった。
こんな暗く狭い場所で、弟とたった二人だけで。
「なんで……」
なぜ、まだ生きなければならないのだろう。
マッチを一本すって、余った亡骸に落とす。
既に生物としての面影もなくした肉の塊が、パチパチと音を立てて燃えていく。
それをしばらく眺めた後、クーラーボックスを担ぎ上げた。
いつもと変わらない足取りで、アキラは弟の待つ家への帰路についた。




