2 図書館
三好タエコ、29歳は石埋市シェルター唯一の司書である。勤め先は学校併設の図書館。
先代司書は彼女の母だった。
母はシェルターが建造された当初からここに務めていたが、数年前に身体汚染の症状が悪化し、他界した。
以降はタエコがひとりで司書を担っている。
『……本日のM線濃度は毎時0.08ヴェール。やや高い数値となっています。
暫定被曝量の多い方は外出を控えてください』
ラジオからくぐもった声が流れる。
埃と紙の匂いが満ちる狭い館内は、平日とあって人気はない。
大人たちは各々与えられた仕事で忙しく、子供たちも、近年は本より新設のゲームセンターやカラオケに夢中のようだ。
タエコの仕事は、待つ仕事だ。自分から誰かが本を読みに来てもらうよう働きかけることはできない。
一日誰とも喋らないこともザラにあるがへつに寂しくはない。タエコはひとりが好きだった。
アラサーで独身だが、いまさら婚活する気も、友達を作る気もなかった。
これから先も私は気軽なおひとり様人生を送る……いや、満喫していくのだ!
という吹っ切れた覚悟と、期待感を持っていた。
「こんにちは、タエコ先生!」
この少年がやって来るまでは。
ガラリと大きな音で扉が開き、小柄な少年が入ってくる。
「……ジロー君、何回もいってますが館内では静かに」
「あっゴメンなさい」
「あと、私は先生ではなく司書です」
「そうでした、ゴメンナサーイ」
彼は本棚を見て回ると、重そうな図鑑を引っこ抜いて、「うんしょ……」カウンター前の椅子に座った。
「コレ読んだことある? タエコ先生、元素図鑑だって」
「……そうですか」
彼の名はジロー。いま小学一年生らしい。
ここ最近、毎日のように図書館へやって来る。
普通に気の良い司書なら優しく受け答えするのだろうが、タエコは正直、子どもが苦手だった。
何を考えているのかよくわからないし、遠慮や配慮といったコミュニケーション能力が欠落している。
「毎日遅くまでここにいて……親御さんには心配されないんですか?」
「大丈夫。図書館なら居ていいって」
「…………」
こっちが迷惑だとかは考えないのか。
「あまり本ばかりに集中しすぎるのも関心しませんよ」
タエコは毎度、さりげなく図書館以外の遊び場所に誘導するようなことも言ってみていた。
「たまには外でお友達と遊んだりとか……」
すると彼はこう答えた。
「ん~、それは、そうだけど。
でもこっちの方が、やらなくちゃいけないことだから」
「……本を読むことが、ですか?」
「そう、地上に出たとき困らないように!」
大きな瞳を輝かせて言い切る。
「地上?」
何を言ってるんだ、この子どもは?
「うん! タエコ先生も無理だと思う?」
「え? いや……なぜです?」
「学校のみんなはね、無理だっていうんだ。お母さんもお姉ちゃんも、担任の先生もね……いい夢だねって言ってくれるけど……本気でできるとは思ってくれない」
「……そうですか」
うなずきつつ、タエコも現実的な夢とは思えなかった。
地上には母を殺した放射線が満ちている。とても人が生きていけるような環境ではない。
シェルター内にも、一部、未だに地上復興を掲げる派閥はいる。だがタエコは、現在の安定した地下生活を壊すリスクを考え、反対派の立場に立っていた。
「お母さんたちも不安だと思いますよ。地上は危険ですから」
「うん。でも、みんな危険だって言うから、誰かがやらなきゃいけないんだ」
タエコが一般的な返しをすると、ジローは迷いなく即答する。
「このシェルターだけの生活じゃ、いずれ資源が尽きたら終わりだ。僕たちの世代までは大丈夫かもしれないけど、僕たちの子どもは、もう生き残れなくなる」
いつの間にか小学生らしからぬ神妙な顔つきになっている。
「……リアクターは半永久炉ですよ。あと数世代は持つというデータがあります」
「でも、それを整備できるパーツは有限でしょ? しかも湿気とかで年々劣化が進んでるって、母さん言ってるんだ」
「…………」
「燃料の地下鉱物を採取してる鉱床だって、いつ底をつくのか、正確な予想は誰にもできてない。
安定した地下生活は、いつ崩れてもおかしくない」
頭の中で考えていたことにそのまま反論されたので、大人のタエコも少しムッとなった。
「だからこそ、無駄使いできないのでしょう。地上の調査には莫大な資源と人員、何より時間がかかります。
そんな成果も見込みも立たない事業に、数少ない私たちの時間を浪費するくらいなら、いまある設備の省エネ化や新発電力を研究した方がよっぽど……」
……しまった。
子ども相手に言いすぎた。慌ててジローの表情をうかがう。
「えへへ……」
しかし彼は無邪気な笑顔を浮かべていた。
「やっぱりタエコ先生は、僕とちゃんとお話してくれるね!」
「……ム……」
こういう自分の反応が、少年を余計に焚き付けてしまっているのだ。
反省しよう。
「失礼します……」
また扉が開く。か細い声とともに、眼鏡をかけた初老の男性が入ってくる。
「田島先生!」
ジローがパッと顔を上げる。
「ああ……伊高くん。今日も例の勉強かい」
その大きな声に、化学教師の田島は痩せた肩を跳ねさせた。額に脂汗を浮かべながら、抱えてきた分厚い冊子の束をカウンターに置く。
「ご苦労さまです」
タエコは俯きがちに挨拶した。
「すみません、またこんな沢山借りてしまって……戻すのが大変だ」
「いえ。構いませんよ。どうせヒマですし」
「あぁ……そうですか、はは」
何度会っても頑なに事務的なタエコに、田島は接し方を困っているようだった。
「それにしても、今どきこんなに資料を使うんですか?」
なので、こちらから会話を繋ぐ質問をする。
「いやーはは……まぁ子供たちはそんなに興味ないみたいですけどね……でもやっぱり、教える立場としてはなるべく取りこぼしを減らしたくて」
そんな彼の態度には、タエコは一定の尊敬を抱いていた。
「……そうですか」
「先生! この本なんですけど、質問いいですか?」
広くなった額をハンカチで拭う彼は、ジローに服の裾を引っ張られていく。
「あ……すみません、資料は自分で戻すので……そのままにしておいてください」
「いえ。私ではもう答えきれないので、むしろ相手してあげてください」
気にさせないように言うと、田島も遠慮がちにうなずいた。「いいですか?」ジローが図鑑を見せながら尋ねる。
「このウランっていう元素なんですけど……」
「ふむ……」
タエコは二人の会話を片耳で聞きながら、眼鏡をかけなおし、机に並んだ資料の整理を始めた。
この三人の組み合わせは、最近よく発生するようになっていた。
特段、何かを話すというわけではなく、仲良しというわけでもない。
ただお互い良い意味で、関係性が深くないことから、逆に気を使わずに済んでいた。
孤独を感じないというのは、嘘だ。
タエコはふと思った。
いま、安心している自分がいる。母が亡くなった後のタエコにとって、もはやこの関係性だけが、唯一といっていい人との繋がりだった。
「なるほど、だからこういう名前なんだ~」
寂れた図書館で、少しずつ凍えていた彼女の心に、温かみをもたらしてくれた。
この少年が、来てくれたから。
キーンコーンカーンコーン。
5時のチャイムが聞こえる。
ガララ、という音で、また扉が開く。
「…………」
しかし、誰も入ってこない。
田島とジローは本に集中している。
「……まだ開館してますよー?」声をかけたその時、古びたラジオからくぐもった音声が発した。
『たったいま、第一層から緊急連絡がありました。繰り返します、第一層に異獣が侵入――』
図書館の外でサイレンが鳴り響き、ジローと田島が慌てて顔をあげる中、
「――ぴする」
扉の向こうから生じた聞き馴染みのない異音が、タエコの鼓膜を撫でた。




