1 襲撃の日
「待ってよ……うそ……うそだよね」
「アキちゃん……」
「うそっ!! 無理っっ、ぜったいムリ!!」
震えが止まらず、涙が溢れてくる。
昇降機から出ていこうとする母の腕にしがみつく。
「ぜったい無理っ……母さん、お願い、うそって言ってっ!!」
「ごめん」
「だってっ、そんなの、お母さんまでいなくなったら、私たちだけで、どうやって生きてけばいいの!!」
「……ごめんね……」
母はただ謝り続け、アキラを抱きしめた。
「なんで……?」
隣で弟がぼう然と呟く。
その日、姉弟は地の底に堕ちた。
※
青々とした芝生広場がある。
噴水の周りで小さな子どもたちが遊んで、ベンチには休憩する老夫婦の姿がある。
就業時間のチャイムが鳴ると、広場を囲むレンガ造りの庁舎から職員たちが出てくる。
彼らは解放感に満ちた顔で談笑しながら、広場の外に連なる住宅街へと帰宅していく。
どこにでもある地方都市のような景色。
しかしその頭上にあるのは、青い空ではなく、灰色の“天井”である。
巨大な人工日光灯が時間経過と共にゆっくり移動しながら、眩い光で、街や人を照らしている。
《石埋市地下シェルター》。第二層、居住エリア。
その日もいつもと変わらない平和な午後だった。
「真っ直ぐ帰れよー。寄り道すんなよー」
シェルター唯一の小学校は、広場の片隅にある、モダンな形状の校舎である。
真新しいベージュ色の廊下を抜けた先、五年生クラスの教室では、すでに生徒たちが帰り支度を始めている。
「アキラー、帰ろーっ」
窓の外を眺めながらアキラが教科書をしまっていると、ふたりの女の子が話しかけてきた。
サクラとユミ。
いつも一緒に下校する友だちである。
「ああ~……ゴメン……放課後、コシ先に仕事頼まれてて」
11歳のアキラは立ち上がりながら、頬をポリポリと掻いた。
「えー、またあ?」
「マジでゴメン~!」
「アキラが謝ることないよ。越岡先生が悪い」
眼鏡をかけたサクラがキリッと眉をしかめて断言する。
「学級委員長になんでも押し付けるんだから、あの人。私が前学期の時もそうだった」
「私たちも手伝うよ」
「ほんと?」
「当たり前でしょ。ここでアキラ一人だけ置いて帰るとか、マジ心痛むし」
いつもお茶らけたお団子ヘアのユミも、今日は真面目なトーンでうなずいた。
「……サクラぁ……ユミぃ~!」アキラは目を潤ませ、二人を抱きしめた。
「も~ふたりとも愛してるっ」
「うわ~重~っ」
「なあ、アキラ、ちょっといいか?」
抱きしめ合う三人の外から、低い声が投げかけられた。
振り向くと、ツンツンした髪の男子が、無愛想な顔で突っ立っている。
「何よユウト、なんか用?」
部外者に対し、ユミがつっけんどんに言い返す。「いや、その……」ユウトは自分から声をかけたにもかかわらず、なぜか気まずそうに目を逸らした。
「アキラはこれから仕事があるんだけど。私たちと一緒に」
「あ……そうなの?」
「うん。まあ」
「そっか…………じゃあまたの機会に」
「いや、何言おうとしたのよ」
いそいそと立ち去ろうとする彼をアキラは呼び止める。
顔を背けたユウトの耳がやや赤くなっていた。
「……二人きりで伝えたいんだよ。できれば」
尻すぼみに小さくなる声に、ユミとサクラが顔を見合わせる。
「は……どういうこと?」眉をひそめるアキラ。その両脇から、
「そういうことなら行っといで!」
「ウンウン! 仕事は私たちでやっとくからさ!」
「え? え?」
急に豹変した二人がぐいぐいと背中を押してきて、彼女をユウトの前に突き出した。
「アキラ、ファイト!!」
「なにが??」
ユミとサクラは、なぜか興奮した様子でぐっと親指を立てていた。
「……じゃ……こっち来て」
ユウトは覚悟を決めたように深く息を吐くと、廊下に出ていってしまう。
「ホラホラ!」
「えぇ~……」
アキラは何がなんだかわからず、とりあえず彼の後を追った。
「いったいなんなのよ、私、仕事あるんだけど」
人気のない校舎裏。エアコンの室外機の前で、ユウトは立ち止まった。
学校ではあまり話さないが、ユウトとは家が隣同士で、いわゆる幼なじみだ。
「いや……その……」
こんなに歯切れの悪い彼は、いままで見たことがない。
普段はもっとバカみたいにはっきりした性格なのに。
「あのさ……」
室外機の音にも負けそうな声で、ユウトは背を向けたまま話し始める。
「もし……おれが、お前のこと……好きだっていったら、どう思う?」
「は?」
何を言われたか分からず、キョトンとなった。
「どういう意味?」
「だから……いや」
ユウトは覚悟を決めたように顔を上げ、アキラの目を真っ直ぐ見つめた。
「君の事が好きです。……恋愛として。だから……おれと……」
バッと頭を下げ、手を差し出してきた。
「付き合ってください!」
「………………」
アキラは一瞬、ポカンとなった。だが理解するにつれ無表情になり、
「あー……」
「…………」
「……ふぅん。そうなんだ」
「…………だ……ダメ?」
「…………なんでさぁ……そんな急に、そんなこと言うわけ?
私たち昔から知り合いだったけど、あんた、そんな素振り見せたことなかったよね」
「…………ゴメン。本当は……一年くらい前に言いたかったんだけど……」
「…………」
「なんかこわくて」
「…………じゃあなんで今頃?」
「お前の、同じ組の飯田がさ」
「ん?」
「あいや、いまのやっぱなし」
「は? なに?」
「だからっ……いやぁえっと……つまり、と……」
「…………」
「取られるんじゃ、ないかって、思って」
「はぁ? 何それ。飯田くんに? 何その妄想、キモッ」
ちなみに彼は今学期からクラスの副委員長で、アキラの補佐役としてよく話すが、それ以上の関係はない。
「私が聞きたいのはそういうことじゃないんだけど」
「じゃあ……何が聞きたいの」
「なんで私なんかを好きになんのよ。意味わかんない。
クラスに他に可愛い子、いっぱいいるでしょ」
「い、いや、アキラがいちばん可愛いよ!」
ユウトは必死な顔で言ってくる。それに対してアキラはすました顔のままため息をつき、二の腕をポリポリかく。
「……嘘。自分でもわかってんだから。
私、目つき悪いし。愛想良くないし。男子からなんて呼ばれてるか知ってるでしょ」
「いや、いやいや、それはアイツらがバカなだけだって。目つきだって……ホラ、猫っぽくて可愛いだろ」
「……髪だって、みじかくてオシャレじゃないし」
「めっちゃ似合ってるだろ!」
「…………真面目な……感じなのに…………勉強あんまできないし」
「それは俺もそうだよ! むしろ、だからこそっていうかっ」
「……」二の腕をかく手が止まる。
嘘は言っていない。アキラにはわかる。この少年は、昔からそんな器用なことはできない。
「あの……というのは、苦手だけど、逃げずに頑張ってる所が……」
「………………あとは」
「えっ?」
「あとは」
「あ、あとは?
あとは……えっと…………運動めっちゃ得意なとことかも……めっちゃ良いと思うし……でも目立つのは恥ずかしがってるとことか……可愛いし。
給食のおかわりジャンケン、本気で楽しんでるとことか……。発表で間違えたの、次の日まで気にしてるとことか……。
怒るとすぐ泣きそうになるとことか」
「……バカにしてんの?」
「あ、ごめん! そういうことじゃ」
「もういいよ」
そこまで言わせた時点で、もう答えは出ていた。
「…………はい」
ぎゅ、と、人差し指で、差し出されたユウトの手の指を掴む。
「えっ…………ほんとに!?」
「……うん」
「マジで?? やった!!」
ユウトはガッツポーズして吠えた。
「ちょっと声デカイっ」
「あ……ゴメン」
「ばかじゃないの」
アキラは顔をうつむけながら返した。
汗ばんだ手をさりげなくスカートで拭き、爆発しそうなほど熱くなっている表情は、絶対に悟られないように。
「あ……じゃあ……よろしく、お願いします」
はっと我に返ったユウトは、なぜかかしこまった敬語で、ペコリと頭を下げた。
「……こちらこそ」
アキラも、同じように礼をする。
ゆっくり頭をあげると、ちょうどユウトと目が合った。その時初めて、お互い真っ赤になった顔を見合わせた。
で、どちらからともなく吹き出した。
それからしばらくの間、校舎裏に二人の小さな笑い声が響きあっていた。
三好タエコ、29歳は石埋市シェルター唯一の司書である。勤め先は学校併設の図書館。
先代司書は彼女の母だった。
母はシェルターが建造された当初からここに務めていたが、数年前に身体汚染の症状が悪化し、他界した。
以降はタエコがひとりで司書を担っている。
『……本日のM線濃度は毎時0.08ヴェール。やや高い数値となっています。
暫定被曝量の多い方は外出を控えてください』
ラジオからくぐもった声が流れる。
埃と紙の匂いが満ちる狭い館内は、平日とあって人気はない。
大人たちは各々与えられた仕事で忙しく、子供たちも、近年は本より新設のゲームセンターやカラオケに夢中のようだ。
タエコの仕事は、待つ仕事だ。自分から誰かが本を読みに来てもらうよう働きかけることはできない。
一日誰とも喋らないこともザラにあるがへつに寂しくはない。タエコはひとりが好きだった。
アラサーで独身だが、いまさら婚活する気も、友達を作る気もなかった。
これから先も私は気軽なおひとり様人生を送る……いや、満喫していくのだ!
という吹っ切れた覚悟と、期待感を持っていた。
「こんにちは、タエコ先生!」
この少年がやって来るまでは。
ガラリと大きな音で扉が開き、小柄な少年が入ってくる。
「……ジロー君、何回もいってますが館内では静かに」
「あっゴメンなさい」
「あと、私は先生ではなく司書です」
「そうでした、ゴメンナサーイ」
彼は本棚を見て回ると、重そうな図鑑を引っこ抜いて、「うんしょ……」カウンター前の椅子に座った。
「コレ読んだことある? タエコ先生、元素図鑑だって」
「……そうですか」
彼の名はジロー。いま小学一年生らしい。
ここ最近、毎日のように図書館へやって来る。
普通に気の良い司書なら優しく受け答えするのだろうが、タエコは正直、子どもが苦手だった。
何を考えているのかよくわからないし、遠慮や配慮といったコミュニケーション能力が欠落している。
「毎日遅くまでここにいて……親御さんには心配されないんですか?」
「大丈夫。図書館なら居ていいって」
「…………」
こっちが迷惑だとかは考えないのか。
「あまり本ばかりに集中しすぎるのも関心しませんよ」
タエコは毎度、さりげなく図書館以外の遊び場所に誘導するようなことも言ってみていた。
「たまには外でお友達と遊んだりとか……」
すると彼はこう答えた。
「ん~、それは、そうだけど。
でもこっちの方が、やらなくちゃいけないことだから」
「……本を読むことが、ですか?」
「そう、地上に出たとき困らないように!」
大きな瞳を輝かせて言い切る。
「地上?」
何を言ってるんだ、この子どもは?
「うん! タエコ先生も無理だと思う?」
「え? いや……なぜです?」
「学校のみんなはね、無理だっていうんだ。お母さんもお姉ちゃんも、担任の先生もね……いい夢だねって言ってくれるけど……本気でできるとは思ってくれない」
「……そうですか」
うなずきつつ、タエコも現実的な夢とは思えなかった。
地上には母を殺した放射線が満ちている。とても人が生きていけるような環境ではない。
シェルター内にも、一部、未だに地上復興を掲げる派閥はいる。だがタエコは、現在の安定した地下生活を壊すリスクを考え、反対派の立場に立っていた。
「お母さんたちも不安だと思いますよ。地上は危険ですから」
「うん。でも、みんな危険だって言うから、誰かがやらなきゃいけないんだ」
タエコが一般的な返しをすると、ジローは迷いなく即答する。
「このシェルターだけの生活じゃ、いずれ資源が尽きたら終わりだ。僕たちの世代までは大丈夫かもしれないけど、僕たちの子どもは、もう生き残れなくなる」
いつの間にか小学生らしからぬ神妙な顔つきになっている。
「……リアクターは半永久炉ですよ。あと数世代は持つというデータがあります」
「でも、それを整備できるパーツは有限でしょ? しかも湿気とかで年々劣化が進んでるって、母さん言ってるんだ」
「…………」
「燃料の地下鉱物を採取してる鉱床だって、いつ底をつくのか、正確な予想は誰にもできてない。
安定した地下生活は、いつ崩れてもおかしくない」
頭の中で考えていたことにそのまま反論されたので、大人のタエコも少しムッとなった。
「だからこそ、無駄使いできないのでしょう。地上の調査には莫大な資源と人員、何より時間がかかります。
そんな成果も見込みも立たない事業に、数少ない私たちの時間を浪費するくらいなら、いまある設備の省エネ化や新発電力を研究した方がよっぽど……」
……しまった。
子ども相手に言いすぎた。慌ててジローの表情をうかがう。
「えへへ……」
しかし彼は無邪気な笑顔を浮かべていた。
「やっぱりタエコ先生は、僕とちゃんとお話してくれるね!」
「……ム……」
こういう自分の反応が、少年を余計に焚き付けてしまっているのだ。
反省しよう。
「失礼します……」
また扉が開く。か細い声とともに、眼鏡をかけた初老の男性が入ってくる。
「田島先生!」
ジローがパッと顔を上げる。
「ああ……伊高くん。今日も例の勉強かい」
その大きな声に、化学教師の田島は痩せた肩を跳ねさせた。額に脂汗を浮かべながら、抱えてきた分厚い冊子の束をカウンターに置く。
「ご苦労さまです」
タエコは俯きがちに挨拶した。
「すみません、またこんな沢山借りてしまって……戻すのが大変だ」
「いえ。構いませんよ。どうせヒマですし」
「あぁ……そうですか、はは」
何度会っても頑なに事務的なタエコに、田島は接し方を困っているようだった。
「それにしても、今どきこんなに資料を使うんですか?」
なので、こちらから会話を繋ぐ質問をする。
「いやーはは……まぁ子供たちはそんなに興味ないみたいですけどね……でもやっぱり、教える立場としてはなるべく取りこぼしを減らしたくて」
そんな彼の態度には、タエコは一定の尊敬を抱いていた。
「……そうですか」
「先生! この本なんですけど、質問いいですか?」
広くなった額をハンカチで拭う彼は、ジローに服の裾を引っ張られていく。
「あ……すみません、資料は自分で戻すので……そのままにしておいてください」
「いえ。私ではもう答えきれないので、むしろ相手してあげてください」
気にさせないように言うと、田島も遠慮がちにうなずいた。「いいですか?」ジローが図鑑を見せながら尋ねる。
「このウランっていう元素なんですけど……」
「ふむ……」
タエコは二人の会話を片耳で聞きながら、眼鏡をかけなおし、机に並んだ資料の整理を始めた。
この三人の組み合わせは、最近よく発生するようになっていた。
特段、何かを話すというわけではなく、仲良しというわけでもない。
ただお互い良い意味で、関係性が深くないことから、逆に気を使わずに済んでいた。
孤独を感じないというのは、嘘だ。
タエコはふと思った。
いま、安心している自分がいる。母が亡くなった後のタエコにとって、もはやこの関係性だけが、唯一といっていい人との繋がりだった。
「なるほど、だからこういう名前なんだ~」
寂れた図書館で、少しずつ凍えていた彼女の心に、温かみをもたらしてくれた。
この少年が、来てくれたから。
キーンコーンカーンコーン。
5時のチャイムが聞こえる。
ガララ、という音で、また扉が開く。
「…………」
しかし、誰も入ってこない。
田島とジローは本に集中している。
「……まだ開館してますよー?」声をかけたその時、古びたラジオからくぐもった音声が発した。
『たったいま、第一層から緊急連絡がありました。繰り返します、第一層に異獣が侵入――』
図書館の外でサイレンが鳴り響き、ジローと田島が慌てて顔をあげる中、
「――ぴする」
扉の向こうから生じた馴染みのない異音が、タエコの鼓膜を撫でた。




