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アンダー・アース 終末姉弟死線記  作者: 遁遁拍子
第1.5章 姉弟幼少編
13/37

3 プロローグ

 マンションを出たアキラたちの前には凄惨な光景が広がっていた。

 逃げ惑う人々、飛び交う怒号。閑静だった住宅街は、いまや完全な無秩序にとなってうる。


「落ち着いて避難してください! 異獣は我々が駆除します! 避難所へ!」


 警備隊が必死に呼びかけるが、市民は聞く耳を持たない。みんな、あれだけやった避難訓練も忘れて、恐怖に突き動かされているようだった。


「――ラ、アキラ。アキラ!」

「えっ?」


 ぐい、と手を引っ張られ、我に返る。

 ユウトの顔が目の前にあった。


「アキちゃん! ヨウジさんから離れないで!」


 母が呼びかけ、前方にはユウトの父ヨウジの大きな背中がある。


「ユウト、アキラちゃん、周りの注意は俺がするから気にしなくていい。俺の後ろについてくることだけに集中するんだ」


 彼は子どもたちを先導し、パニックの街中をずんずんと歩いていく。進むごとに周りの悲鳴と叫び声が激しくなり、アキラは思わず目を瞑った。


 街の中心部、芝生広場へ。そこも凄惨だった。

 芝生は真っ赤に染まり、人が転がっている。光のない目を開いたまま、もう動かない。


「…………はっ……はあっ……!」

 

 手足が無くなったり、顔や胴体の肉が剥がれて、骨や内臓が見えていたり。それらの派手な破損状態は、まるで理科室の模型のように鮮やかで、非現実的だった。

 みんな、数分前まできっと、普通に暮らしていたのに。普通の人間だったのに。

 もう人間ではなくなってしまったのだ。

 ――理解した瞬間、アキラの心臓が急激に締め付けられ、視界がぐにゃりと歪む。


「ううっ…………」

「アキラ! 大丈夫か!?」

「アキちゃん、深呼吸して……!」


 吐き気にしゃがみ込んだ彼女を、母とユウトが支える。


「ふたりとも……なんで平気なの……?」


 むせ返るような血臭の中、ヨウジは銃を構え警戒する。


「この辺りは帰宅中の市民が多かった。異獣の集団は一帯を食い尽くし移動したようです」

「学校も襲われたんでしょうか……」

「……奴らは人が密集した場所を狙う。可能性はあるでしょう」


 大人たちはこんな惨状を前にして平然と会話している。まったく理解できない。


「学校……」


 その言葉に、アキラは放課後学校に残ったふたりの親友を思い出した。


「……サクラ……ユミ……!」


 彼女たちは、アキラの代わりに先生に頼まれた仕事をしていた。


「そんな、どうしよう……私のせいで……」

「大丈夫だ。警報が鳴ったら、先生がみんなを避難させたはず……」


 ユウトが冷静に言う。だが彼の顔もやや青くなっていた。


「…………」


 もし自分がユウトと一緒に行ったせいで、二人が異獣に襲われていたら……。

 そう考えるとアキラは、彼と手を握り合うことにためらいを覚えた。


「二人とも、俺から離れるなよ」


 ヨウジが子どもたちに念押しして、一行は学校へ向かった。


 学校に到着すると正門周辺には血も死体もなかった。


「図書館は裏門側だな?」

「うん……!」


 敷地内に入るが、やはり異獣には遭遇せず進む。

 みんな襲われてはいないのか?

 友だちは……サクラとユミは無事なのか。

 アキラの胸には焦れったい不安がつのっていた。


「はぁっ、はあっ……!」


 ほぼ同じ頃、図書館から逃げ出したジローが裏門にたどり着いていた。

 彼は恐怖と絶望に屈し、ただひたすらにあの化け物から逃げることだけを考えて――はいなかった。


「待ってて、タエコ先生……!」


 彼は必死に大人を探していた。自分一人では図書館に残ったタエコを助けられない。

 だからせめて、彼女が生き延びる僅かな可能性にかけて、助けを呼んで来ようとしていた。

 そこに、ちょうどアキラたちが現れる。


「あっ」

「ジロー!」


 母がすぐさま駆け寄った。

「お母さん! お姉ちゃん!!」ジローも母の胸に飛び込む。


「大丈夫?? 怪我は??」

「ないよ……先生が、先生が助けてくれたんだ。歴史の田島先生が身代わりになって、それでそのあと、タエコ先生が逃がしてくれて……」


 息が切れてうまく説明できない。

 

「とにかく避難しましょう」

「ダメだよ! タエコ先生を助けなきゃ!」

「え……?」


 ジローは揺るぎない眼差しで母を引き止める。


「ジローくん。それは無責任だ」


 周囲を警戒していたヨウジが厳しく言う。


「残念だがその人はもう助からない」

「そ、そんなこっ」

「生身の人間が異獣に襲われて、無傷で逃げられる可能性はゼロに等しい。

 そして、少しでも傷を受ければそこから汚染される。この意味はわかるね」


 ジローは口を開けたまま絶句した。


「その人は、君を逃がすために命を捧げた。君にできることは、その人の分まで、何がなんでも生き残ることだ」


 ヨウジはジローの肩に手を置いて言うと、「防護服を着て。避難所に行こう」と来た道を引き返し始めた。


「じゃあ、ほら……ジロー」


 母が防護服を差し出すが、ジローは動かない。

「いい加減にしなさいよ」とアキラが叱るが、ユウトが制した。


「あんたは間違ってないよジロー」


 すると母はジローに向き合い、


「でもね……たとえ人として間違ったことをしても、私はあなたとアキラを守らなきゃいけない。

 だから何としてでもあなたを連れていく」


 息子の目を見つめて強い口調で宣言する。

 するとジローは、ふっと肩の力を抜き、小さくうなずいた。

 母親から渡された防護服を黙々と着る。俯いたその表情は、唇を強く噛み締めていた。


 避難所は居住区域ごとに別けられており、街の東西南北の外壁沿いに4か所存在する。

 指定の避難所に到着すると、門前には十数人が並んでいた。アキラたちが最後の避難者のようだ。


「なんとか間に合ったみたいだな……」


 列の最後尾に並ぶ。先頭では、警備隊員が市民の防護服を一人一人点検し、傷や破れ目がないか確認してから門に案内している。

 門内にあるコンクリート製のだだ広い空間には、配布のブランケットを羽織った防護服姿がぎっしりと詰まっているのが見える。


「じゃあ……伊高さん、子どもたちと一緒に入ってください。俺はまだやることがあるので」


 ヨウジは母にそう言って、猟銃の負い紐を担ぎ、列から外れる。


「異獣と戦うんですか?」

「ええ。まあ。仕事ですから」


 心配そうに声をかける母に、淡々と応える。既に覚悟の決まった男の冷静な目に見下ろされ、彼女は続く言葉を飲み込んだ。

「父さん!」そこに息子のユウトが駆け寄った。


「ユウト。自分の責任を忘れるなよ」


 ヨウジは息子を抱きとめ、ガシガシと乱雑に頭を撫でて言い聞かせる。「はい……」ユウトは背筋を正してうなずきながらも、まだ父親の顔を名残惜しく見上げていた。


「なんだよ、俺が死ぬとでも思ってんのか?」


 ヨウジは気楽なトーンで茶化すように笑った。


「いつも言ってるだろ。人を助けて自分を助けられない奴は二流だってな」

「……わかってる。父さんは一流の男、だよね」


 ユウトがようやく父から身を離した頃、「あ……」アキラは列に並ぶ大人たちの隙間から、前方にいる見知った顔を見つけた。


「サクラ、ユミ!」


 他の生徒と先生と一緒に列に並んでいた。ふたりは呼びかけに驚いて振り向く。


「アキラ!?」

「よかった……二人とも無事でっ」


 怪我もしてない。元気そうな様子に胸を撫で下ろした。「そっちこそ……!」向こうも同じ気持ちらしく、大きく手を振って応えてくれた。


「心配してたんだよっ……アキラ!」

「……うん……!」


 すぐに駆け寄ろうとしたが、その時、母に肩を掴まれた。


「な、なに?」

「来た」

「……え?」


 母の短い言葉に、全員が静まる。彼らの視線先、住宅街の景色の奥に、うっすら黒い点があった。

 それは、次第に大きくなってくる。

 急激なスピードで。

 こちらに一直線に近づいてくる。


「うっ……!」


 警備隊員たちが慌てて銃を構える。


「みんな早く入れ!!」


 列に並ぶ人々は混乱し、「ええ??」「うわあ!」とあせってどんどん前の者を押し始めた。

「ちょっとっ!」サクラとユミも、後ろから大人たちに押されて門の中にねじ込まれていく。

 隊員が異獣に向けて銃を撃つ。

 だが制度の低い弾は狙いを逸れ、地面や建物の壁に当たる。


「クソッ!!」


 ヨウジも舌打ちして、猟銃の狙いを定めて撃った。


「ギィッ、ォアアアアッ!!」


 異獣の肩に着弾するが、その走力はまったく緩まない。

 あっという間に数十メートルの距離まで迫ってくる。


「急げ急げ!!」

「早く閉めろよっ!!!」

「うわあああああ!!」


 人々は半狂乱で門に詰め寄った。だが門の内側からも、扉を閉めようとする人がいて、両者が衝突している。


「ッ――」


 瞬間、母はジローとアキラの手を引いて、門から離れた。

 ヨウジも銃を撃つのを止め、ユウトを抱きかかえて、同じ方向に逃げる。


「まっ、待って――!」


 咄嗟の判断だったが、その行動によって彼らは運良く狙いから外れた。


 いま異獣の眼前には、数百の人間が団子状態になっている避難所の門があった。


「ォアアアアッ!!」


 標的は確定した。

 走力を上げ、立ち塞がる二名の隊員を軽々弾き飛ばすと、閉まりかけの鉄門の中に飛び込む。


「う……ああああ!! 来たぁ!!」

「たすけて!! いやぁいい!!!」

「おい押すなって!!」

「やめて!! 押さな……ぐッ」

「おい踏んでる踏んでるっ」

「奥に行け奥に!!」

「違うってッ! やめ、痛っ……!!」

「痛い痛い痛い!!!」

「やめて!! お願い押さないでッ――」


 互いに押し合い、踏み合い、押し潰し合いながら、人々は限られた空間の奥に殺到する。その行為が無意味だとわかっていても、誰も止めることはできなかった。


「サクラ――――ユミ――――!!」


 アキラの二人の親友もまた、荒ぶる人波にあえなく飲み込まれていった。



「あ……あ……」


 目の前で、人々が蹂躙されていく。たった一匹の異獣におびえて、互いが互いを突き飛ばし、踏みつけ、押し潰していく。


「立ちなさい!」


 呆然と眺めていたアキラを母が一喝し、乱暴に腕を引く。


「こっちだ!」


 息子を連れたヨウジが呼びかけ、母はジローを抱えながら、アキラを立たせて後を追った。


 一行は避難所を離れ、住宅街から街の端へ向かう。途中、殺された警備隊員の遺体が転がっていた。


「……別の避難所まで行くのは無理だな」


 ヨウジは遺体が駆除部隊の者たちだと確認し、静かに告げた。


「もはや第一層、二層は奴らに占拠される。最下層に逃げるしかない」

「でも……あそこはただの保管庫ですよ」

「予備の避難先としても想定されています。頑丈な隔壁、物資も潤沢にある。他に道は無いでしょう」


 建物の影から出る直前、ヨウジが「止まって」と制する。街中には獲物を求める異獣がそこかしこで徘徊していた。


「ここからは慎重に進みます。子どもたちの手を離さないで」


 アキラは母に手を引かれながら呆然としていた。

 サクラとユミが、死んだ。

 これから先も、大人になっても、ずっと一緒にいられると思っていた友達が。


「アキラ……」


 ユウトが心配そうに声をかけてくる。


「大丈……」

「大丈夫なわけないでしょ」


 アキラはうつむいたまま、彼を突き放した。


「あんたに呼ばれなかったら……私は……今日もサクラとユミと一緒に帰れたのに…………あんたが呼んだから……っ」


 無茶な言い分だとはわかっている。それでも誰かにこの理不尽な怒りをぶつけずにはいられなかった。


「…………ごめん……」


 ユウトは静かに謝るだけだった。その態度に追い討ちのような自己嫌悪を覚えた。

 ごめんなさい。あなたのせいじゃない。

 そう素直に言えたらどれだけ良かったか。

 でもアキラはこんな時、しょうもない意地を張ってしまう。素直になれない側の人間なのだった。


 一行は最下層への通路入口にたどり着く。そこには既に先客がいた。

 若い男が一人と、老夫婦。

 男は近づいてくるアキラたちに気づくと注意深く睨みつけた。


「あんたらは……」

「避難所が襲われて逃げてきたんだ。あなたたちも?」

「俺はそうだ」

「私たちは……足が悪いので、避難所まで行けなかったんです」


 老婦人が答え、夫もうなずく。

「でもよかった。まだ無事な子どもたちがいて」うつむくアキラたちの方を見て優しく笑いかけた。


「あんたら、防護服に傷はねぇだろうな」


 若い男は険のある口調で聞いてくる。

「無いよ」ヨウジが毅然と答えた。


「全員、奴らと直接接触はしていない。早く中に入ろう」

「ちょっと待て。確認させろ」


 通路に入ろうとするヨウジを男は止めた。


「そんな事してる場合はないと思うが」

「場合なんだよ。俺のいた避難所じゃ傷を隠してた奴がいたせいで、大惨事になったもんでね」

「だがチンタラしてる間に奴らが来たらどうする」

「いいですよ。確認してもらいましょう」


 母が割って入り、二人の間を取り持った。

 ヨウジは不満げに鼻を鳴らして、「ほらよ」と両手を開げた。


「フン」


 若者は全員の防護服を注意深く点検した


「……よし」

「気は済んだか?」


 ヨウジが少し嫌味っぽく言う。

「……ああ。入れよ」若者はぶっきらぼうにうなずいて、皆を中に入れた。

 全員が入ったのを確認すると、彼は入口の隔壁についたコントロールパネルに近づく。


「おい、何してるんだ」

「閉鎖する」


 肩を掴もうとするヨウジの手をはねのけ、パネルを操作しながら答える。

「まだ誰か来るかもしれないよ」とジローも口を挟む。


「そうかもな。けど、こうしないと奴らも入ってきちまうだろ」

「……」


 若者はあくまで理性的に返答をした。ヨウジは無言で表情を固めるが、「でも……」ジローはまだ引き下がる。


「ねえ、残ってる人たちはどうなるの?」

「ジロー」

「うるせえなッ……んな事行ってる間に……ほら来たぞオイ!!」


 不安げに尋ねてくる息子を母は無言で抱き抑えた。

 その時、隔壁の向こう、少し離れた建物の影から、一匹の獣が姿を現した。


「あれは……」

「クソッ!!」


 その獰猛な赤い目をこちらに向けるなり、走り始める。


「閉めろ!! 早く!!」

「わかってる!!」


 ヨウジに急かされ若者は必死にパネルを操作する。だが、異獣の足の方が速い。


「……逃げるぞ!」


 ヨウジは即断し、若者をパネルから引き剥がした。「行け行け!」その場にいた全員が、彼の怒声に背中を押され、通路の奥へと走り出す。


「なにすんだよ!」

「ここはもう間に合わん、次の隔壁まで下がる! そこを閉鎖するんだ!!」


 パニックになりかけた若者がハッとなる。ヨウジはうなずき返すと、


「おばあさんを背負え!」


 と命令しながら、自分は老夫に駆け寄った。


「なんっ、ああ……クソ!!」


 若者も老婦人を背負って走り出す。


「お若い方、ごめんなさいね……」

「うるせえじっとしてろ!」


 全員が通路を必死に走る。


「ォアアアアッ!!」


 異獣は案の定、隔壁が閉まり切る前に突き破って、通路に侵入してきた。

 狭い壁や天井に巨体を擦りつけながら追いかけてくる。


「ううっ……!!」


 アキラは脇腹がつりそうになってきた。母はジローを背負って前を走っている。位置的には、アキラが全員の中で最後尾にいた。


「はぁっ……はぁっ……!!」


 異獣の足音、息づかいが、後ろからどんどんと近づいてくる。

 追いつかれたら……

 追いつかれたら、食われる。


 生暖かい死の気配を感じて、彼女の脳裏に、奴らに襲われた無数の亡骸がフラッシュバックした。


「ううっ……」


 背筋に冷たい汗が流れる。考えるほど足が余計にもつれそうになる。

 いつもなら楽勝で走り抜けられる距離が、いまは途方もなく長く感じる。


「――大丈夫だ!!」


 そんなアキラの背中に、いつの間にか隣にいたユウトの手が触れた。


「前だけ向け! いいから走れ!!」


 彼はアキラの背中を思い切り押す。その勢いで、彼女は加速した。


「ふっ、んんっ……!!」


 涙ぐみながら必死に走る。「そうだ!!」すぐ隣でユウトが並走する。

 彼はずっとアキラを鼓舞し続けてくれた。


「その調子……あと少し!!」


 隔壁まで数メートル。

 アキラは目を瞑り、両足に全身全霊の力を込めた。


 その瞬間、彼女はさらに加速し、自分でも驚くほどの速さであっという間に隔壁をくぐり抜けた。


「はぁっ……!!」


 息を切らしながら振り向く。

 ユウトが走ってきている。そのすぐ後ろに異獣が迫る。


「ユウト!!」


 お爺さんを下ろしたヨウジが慌てて振り向く。

 異獣がユウトの背中に大きな手を伸ばす。


 ユウトは、汗ばんだ顔を歪めながらも、なんとかギリギリで閉まりかけの隔壁をくぐり抜けた。


「はぁっ……はっ……な……っ、大丈夫だったろ……?」


 その場で膝をつきながら皆に笑顔を見せる。

 だがアキラや父親たちはまだ必死に、こちらに駆け寄ろうとしていた。


「ァアアアアアア!!!」


 閉じきる寸前の隔壁に、異獣の手が挟まっていた。

 両手を隙間にねじ込み、無理やりこじ開けるようにして体を入れてくる。


「あ――――」


 巨大な手がユウトを捕まえた。「うっああ!?」小さな体が隔壁に引きずり戻されていく。


「ダメっ――!!」


 一番近くにいたアキラがとっさに彼の腕を掴んだ。

 しかし力でかなうはずもなく、そのまま異獣はユウトを隔壁の隙間から引きずり込み、アキラをも引き込もうとする。

 その瞬間、つっかえていた異獣の体が外れたことで再度隔壁が閉まり、ユウトの右腕を両側から挟み潰した。


「あ――あああああああッ!!」


 閉じた壁の向こうから、悲鳴が響き渡る。

「あ……」アキラは切断された手首を持って尻もちを着いた。


「うそ、そんな……」

「ユウト!! クソッ!!!」


 すぐさまヨウジが駆けつけてくる。パネルの前に立つ若者に突進するような勢いで「開けろ!!」と命令した。


「もっ……もう手遅れだ! いまさら開けても――」

「いいから開けろ。殺すぞ」


 凄まじい形相で睨みつけられ、「ひっ」と若者は小さな悲鳴を漏らして退く。


「いま助けてやるからな!!」


 ヨウジは銃を手に、パネルを操作しようとする。

 その手を「待って!」と怒声が止めた。


「お願い…………やめてヨウジさん」


 母だった。腕にジローを抱え、必死な形相をしていた。


「…………ッ……」


 いまここで隔壁を開ければ彼女らがどうなるか。ヨウジは血走った目で隔壁と皆を見比べる。


「…………すみません。伊高さん」

「待っ――」


 再度、コントロールパネルを操作し、隔壁を開こうとした。


「――ダメだ――――――父さんッ!!!」


 その時壁の向こうから声が響いた。


「ゆっ、ユウト――」

「ぁあ開けるなぁあああああ!!!!」


 12歳の少年が出したとは思えない、凄まじい絶叫だった。


「絶対にぃいッ――ぜったいに開けるなぁあああああああああああああ!!!!」


「あ…………ぁあぐ……」ヨウジは膝を震わせて崩れ落ちた。


「あぁ…………父さん、ここにいるぞ…………! ずっとついてるからな……!!!」


 隔壁にすがり付く。涙と鼻水にまみれた顔で、そう呼びかけること以外に、もはやできることはなかった。


「……う…………ん………………」

「ユウト……!!」

「………………………………」


 何度も、何度も、返事が聞こえなくなっても、息子の名前を呼び続けた。


 その呼び声も途絶えたころ、重い沈黙が落ちていた。

 誰一人、口を開く者はいなかった。

 

「…………」


 アキラは呆然とその場にへたりこんでいた。


「…………伊高さん」


 不意にヨウジが立ち上がる。母がびくりと肩を震わせた。


「吉田さん……あの……なんと言えばいいのか……」

「気にしないでください」


 魂の抜けたような声音だった。

「行きましょう。皆さん」そう言って、皆の視線を受けながら通路の奥へと歩み始める。

 若者は気まずそうに顔を背ける。老夫婦は目に涙をためていた。

 ジローは母にしがみつき、母は、ヨウジの背中に伸ばしかけた手を途中で止めた。


 アキラは、ユウトの腕とナイフを抱えて、母のすぐ後ろを重い足取りで追った。

 もう何の言葉を発する気力も起きなかった。

 すべてがどうでもよくなっていた。


「……次の角を曲がった奥に……最下層に繋がるエレベーターがある。電力は生きてるから、まだ動いてるはず……」


 念仏のようにつぶやくヨウジ。先頭を歩く彼の表情は誰も見れなかった。

 だが曲がり角にたどり着いたとき、彼は立ち止まる。


「……どうしたんだよ」


 若者が声を上げると、ヨウジは深いため息をついて、


「みんな……自分の目で見てくれ」


 角の向こう――薄暗い通路の奥には、二つの巨影があった。

 異獣だ。

 どうやってここまで入ってきたのか、という疑問はすぐに消え去った。


 その巨体には、所々に防護服の破片がへばり付いており、首元には防護マスクがぶら下がっていた。

 そして、足元には数人の遺体がある。おそらく一行よりも先に、最下層に逃げようとした人々……。


 つまり、あの異獣も――――。


「…………」


 一同は立ち尽くす。


「一体ならまだしも……二体となると、俺も足止めできない可能性が高い」


 ヨウジは猟銃に弾をこめなおしながら言う。正直、いまの彼の状態では一体の相手すら難しそうだった。


「クソッ……」


 若者が壁を殴りつける。「ああッ……終わりだ、なんでこんなことに…………」

 老夫婦は何やら小声で会話してる。

 母は二人の子どもを抱き寄せた。


「もう掛けるしかない。全員で奴らに突撃し、一人でも多く突破する」


 ヨウジは銃のフォアエンドを操作し、薬室に弾を装填しながら言った。

 彼が全員に向き直った所で、「いいかな」と老夫が手を挙げた。


「……どうしました?」

「妻といま話して決めました。みなさんにも提案があります」

「……?」


 老いた男はそう前置きしてから、ヨウジ、若者、自分の妻の顔を一度ずつ見て、

 それからアキラとジローに目を向けた。


「……我々大人四人で敵をひきつけ……子どもたちとお母さんを送り届ける。というのはどうでしょうか」


 静かに、力のこもった声音で言う。


「…………」

「は……は? なんだよそれ」


 沈黙するヨウジ。対して若者はすぐに反発した。


「何言ってんだよ、ジジイ、それって……」

「子どもは最後の希望です。なんとしても守らなければ」

「ふ……ざけんなっ! そのために俺たちは犠牲になれってのかよ」


 彼は角の向こうの奴らに聞こえない範囲の、最大限の大声で言う。


「勝手なこと言うんじゃねえっ。俺だってまだ死にたくねえんだよ、ガキだけ特別扱いなんざ……っ」

「わかった。ならこうしよう」


 そこにヨウジが割って入る。


「君と、伊高さん一家を送り届ける。俺とご夫婦が囮だ。それならどうだ?」


「そりゃ……」若者は口ごもる。


「そ……それなら……いやっ、それならっていうか」

「よし」

 

 ヨウジは間髪入れず彼に近寄ると、「ナイフは持ってるか?」と尋ねた。


「いや……」

「じゃあ俺のを渡しとく。いいか」


 若者に自分のナイフを握らせると、その手を上から強く握り締めたまま、


「子どもと母親を、あんたが守るんだ。頼んだぞ」

 

 顔を近づけて念を押しした。若者は脅されたようにコクコクと頷いた。


「皆さん……そんな……」


 蚊帳の外に置かれていた母は遠慮がちに声をかける。


「いいんですよ。どのみち、老い先短い命ですから」


 老夫は優しく笑いかけた。


「むしろ未来を繋げるために使えるなんて光栄だ。あなたはどうか、お子さんたちと一緒にいてあげてください」

「……っ……本当に…………」

 

 母はもはや言葉も出ず、深々と頭を下げた。


「じゃあ……まず俺が突っ込んで、一体目を押さえる」


 角の前に立ったヨウジが言う。


「二体目は、ご夫婦に頼みます。その……」


 その先の言葉を倫理観が詰まらせる。

 汲み取った夫婦が「わかりました」とうなずいた。


「……では。その後は伊高さんたちが行ってください。

 我々に何があっても、立ち止まらないで」


「はい」「おう」母と若者が返事する。


「よし。じゃあ…………行くぞ」


 ヨウジの合図と同時に、

 全員が角から飛び出した。


「うぉおおおッ!!」


 まずヨウジが大声を出して注意を引く。二体の異獣が振り向いた。


「いまだ!」


 次いで、他の者たちが走り出す。

 ヨウジは背後をちらりと確認した後、手前の一匹目に銃の照準を定め、撃った。


「ギィアアッ!!」


 血しぶきが上がり、異獣が怒り狂って彼に突進する。

「ぐッ!」ヨウジの大柄な体をいとも簡単に弾き飛ばし、壁に叩きつけた。


「ォアアアアッ!!」


 一方、二体目はアキラたちの方に迫ってくる。

 老夫婦が前に出た。

 彼らは、異獣の手に捕まり、一瞬で地面に叩きつけられた。


「くっ――――」


 鮮血が舞う中、母は目を瞑って、ジローを抱え、アキラの手を引きながら、二人の亡骸を食らう異獣の横を通り抜けた。


「ううっ……」


 次いで、その後ろを若者も通り抜ける。


「ォオオ……」


 瞬間、異獣が彼らの方を見た。


「なっ、んでだよ……!」気が変わったのか、叩き伏せた老夫婦を置いて、逃げた若者たちの方を追いかけてくる。


「ォアアアアッ!!」


 凄まじい速度。一瞬で距離を詰められる。


「ッ――――」


 捕まる――。

 瞬間、若者は前を走る子どもと母親の背中を見ながら思考した。

 彼女を追い抜けば、まだ自分は助かる。


 彼は限界まで走力を上げた。


 母親を追い抜き、通路の奥に見えるエレベーターに向かって、一目散に走る。


「あっ――」


 そのとき小さな悲鳴がして、つい振り向いてしまった。

 母親のすぐ背後に異獣が迫っていた。

 必死に逃げる彼女の背中に、巨腕の鋭利な爪が振り下ろされる――


「――クソ」


 若者は苦悶に表情をゆがめ、ヨウジから託されたナイフを握りしめた。

 足を止め、引き返す。母親に覆いかぶさろうとする異獣に突進する。


「えっ――??」

「行けよ!!」


 彼女にそう叫び、自分は体当たりで異獣を押し戻した。

 異獣はうっとうしげに彼を弾き飛ばすと、仰向けになったその胴体を思い切り踏み潰す。


「ご――はっ――!!」


 若者の口から尋常ならざる量の血が溢れた。

「あっ……ぐ……」朦朧とする意識の中、最後の力をふりしぼり、獣の足にナイフを突き立てる。


「死ね……クソ……野郎……」


 ほどなく、彼の目から光が消えた。


「ァァ――」


 異獣がその頭に牙を立てようとした瞬間、銃声が轟き、顔面が吹き飛んだ。


「はぁっ……はっ……」


 血煙の中に立つヨウジは、半身を血で染めながらもまだ銃を構えていた。


「…………ははっ……ったく……」


 乾いた笑いを上げながら、巨体を蹴り退かし、その下敷きになっていた若者の亡骸に近づく。


「…………根性見せやがって」


 血まみれの手を伸ばし、半開きになっていた彼の瞳を閉じさせた。


「…………はぁ…………はぁ………………ふぅ……」


 それから、その場で膝を着いた。

 二体の異獣を倒した代償。彼の半身は既に腕がちぎれ、引き裂かれた腹から臓腑(ぞうふ)が垂れていた。

 

「…………ふ……」


 ほどなく完全に脱力し、地に伏せる。


「……ユウト…………」


 血溜まりを見つめながら朦朧(もうろう)とつぶやく。


「父さん…………が……」


 最期の表情は、苦痛と共にどこか満足を宿していた。



「はぁっ――はぁっ――!!」


 一方、母はアキラとジローを連れ、なんとかエレベーターにたどり着いた。

「ふぅっ……うぅ……」後ろで起きたことを見る勇気はなかった。彼女はすぐさまエレベーターのボタンを押し、扉を開けると中に二人を押し込む。


「お母さん…………」


 ジローは不安げに母の手を握っていた。対して、アキラは呆けたような無表情だった。


「二人とも……よく聞いて。いい?

 下に降りたら、このドアが閉まらないように何かで止めて。通路に出たらすぐに隔壁を閉じて。除染室の使い方は、学校で習ったからわかるよね」


 母は苦しそうな表情で説明する。その様子の違和感に、次第にアキラの目に生気が戻り、見開かれていった。


「なんでそんなこと言うの?」


 彼女は母に尋ねる。


「なんで、お母さんも一緒に来るのに、そんな説明するの?」

「…………」


 母の顔は、いつの間にか青白くなり、額にはびっしりと汗が滲んでいた。

 彼女は小さく息を吐いて、


「私は行けない」

 

 肩を動かし、自分の背中をちらりと見せた。

 そこには大きな裂傷があった。


 彼女は、先ほど異獣に捕まりかけ、間一髪で若者に助けられたが、

 その際、異獣の爪の先端によってわずかに背中を切り裂かれていた。


 いまその傷からは、どす黒い血が滲み出て、周辺の肌が変色し始めている。


「…………うそ」


 アキラのうめきに、「え……?」ジローはまだ事態が飲み込めず、二人の顔を見比べている。


「行けないの……」


 母は汗ばんだ顔で言い聞かせた。

 アキラは学校での授業を思い出していた。生物科の田島先生が言っていた。


『放射線がなぜ我々にとって有害なのか。それは生物の体を通過するとき、その遺伝子を破壊してしまうからとされている。

 ただし、これは通常の放射線の話だ。いま地上を包んでいる新種の放射線……《M線》は、生物の遺伝子を破壊ではなく“変異”させる。

 どんな生物でも、例外なく、“別の何か”に変わってしまう』


 思い出すごとに、彼女の動機は激しくなってきた。


「待ってよ……うそ……うそだよね」

「アキちゃん…………」

「うそっ!! 無理っっ、ぜったいムリ!!」


 震えが止まらず、涙が溢れてくる。なんとか母の腕にしがみつく。


「ぜったい無理っ……母さん、お願い、うそって言ってっ!!」

「ごめん……」

「だってっ、そんなの、お母さんまでいなくなったら、私たちだけで、どうやって生きてけばいいの!!」

「……ごめんね…………」


 母はそれ以上何も言えずに、ただ二人の子どもを抱きしめた。


「……いや……だ……」

「お母さん……? なんで……まだ大丈夫でしょ??」


 泣き崩れるアキラ。ジローは困惑しながら訴える。


「浅い傷なら、ちゃんと手当すれば助かるって……学校で習ったよ。

 大丈夫だよ、まだ、助かるよ、僕がやるからっ」

「…………」

「治せるよ。僕が、お医者さんになるから。それで、お母さんのことぜったい助けるからさあっ!」


 明るく元気づけながら母の背中を見ると、

 すでに傷を中心に、全体が毒々しい赤紫色に染まりつつあった。


「ッ……」


「……お願いがあるの」


 母はふたりの抱擁を解く。 胸に回していたリュックサックを開けて、一本の杖を取り出す。


「これ……持って行って」


 呆然とするジローに握らせた。


「お父さんの物だよ。いつか役に立つ」


 それからふたりの手を振りほどき、素早くエレベーターから出ていった。


「まっ、まってよ!!」


 ボタンを押す。ブザーが鳴り、扉が閉まり出す。

 ジローが飛び出そうとするのを、アキラはとっさに手で制した。


「姉ちゃん?? なんで??」


 なぜ止めたのか、自分でもわからなかった。

 ただ、そうしなければならない未知の使命感が、そのとき彼女の胸には芽生えていた。


 アキラは精一杯の気丈な顔で母を見つめた。

 母もアキラを見つめ返してうなずき、


「ふたりとも、お願いだから約束して」


 閉まりゆく扉の隙間から、子どもたちに向かって語りかけた。


「……これから先……どんなことがあっても…………生きることだけは諦めないで」


 その両の瞳から、堪えきれない滴がこぼれる瞬間、

 扉が閉鎖され、エレベーターは下降を始めた。


「お母さん――お母さん――!!!」


 必死に叫ぶ弟の声は、激しい滑車の駆動音にかき消されてしまった。

 もう誰もその声には応えてはくれない。聞いてくれる者すら、いない。


 姉弟はこうして地の底に堕ちた。

 そして、6年の月日が流れた。






 ――――姉弟は地上にいた。


 山林の奥に紛れたシェルターの出口は、ちっぽけでとても目立たなかった。

 遠目からでは景色と同化してほぼ見つけられない。

 アキラたちは、近くの小川から見つけてきた目立つ形の石を扉の前に置いた。


「いつか、もっと大きなお墓を立てよう」


 少し見つめた後、ジローは石から離れた。


「ここにみんながいたって、いつまでも忘れられないように」


「……うん」


 アキラもうなずく。

 これから長い旅が始まる。でも、故郷(ここ)を捨てるわけじゃない。

 必ず戻ってくる。

 どれだけ時間がかかっても。


 アキラは目印の石にぺたりと手を触れる。


「……いってきます」


 そして手を離し、弟とともに歩き始めた。

 未知なる、外の世界へ――。


 |《第一.五章 終わり》

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