月なんていらない
僕は妙に頑固な子どもだった。
小学校の理科で習うまでは、僕は地球が一つの平面上にあると固く信じていた。なぜなら地球が球体だったら、転がったボールはどこまでも転がっていってしまうから、と穴だらけだが、一応子どもにしてはそれっぽい理屈を持っていた。
理科で習ったときは、地球が球体だなんて間違った考えを学校でも教えるのか、と憤慨した覚えがある。当時の担任は僕の説得に苦労したことだろう。
しかし自分の中の凝り固まった常識が覆されたことにより、多少は考えが柔軟になった…と思う。
また、月の動きや星座の配置を学習したことによって天体に興味を持つようになった。
その影響で、時折夜空を見上げることはあったが、都会の夜空はいかんせん星が見えない。
鮮やかに輝く月が主役で、弱々しく輝く星は月の引き立て役にすぎないとも思っていた。満ち欠けする月を見てそれで満足していた。
そして夏休みのあるときに、父が僕と弟をキャンプに連れていったことがあった。
1泊するだけの簡単なキャンプだったが、僕と弟は初めての野営を年相応に楽しんだ。
もたつきながらもやっとこさでテントを建てた。トンカチで自分の指を打ってしまわないか慎重になりすぎたせいであまり戦力にはなっていなかった覚えがあるが。
また、キャンプといえば飯盒炊爨とバーベキュー。真っ黒に焦げたご飯と肉の味はよく印象に残っている。苦かった。
さらに、そのキャンプ当日の夜は、運命というか何というか、ちょうど新月の日だった。
夕食の片付けを終えると、僕の頭上には気づかぬ間に夜空が広がっていたのだった。
いつも存在を主張している月は影も形もなく…いや、月は闇に溶け込んでるだけで、影はあるのか。
ともかく月がない。
その代わりに、神様が今夜は大サービスとばかりに星をぶちまけたように、夜空には星が散らばっていた。
いわゆる満点の星空だ。
僕は生涯でこれ以上の星空を見たことは未だない。
星の輝きは、僕の心を優しくも儚い、しかしながら強い光で満たした。
弟にもこの夜空を見るように言ったが、「うん。きれいだね」というそっけない感想だけだった。お前は風情を感じられないのか。風情を。
一方父は嬉しそうにニコニコしながら星座の解説をしてくれた。ひょっとすると、あえてこの新月の日を選んでキャンプに来ていたのかもしれない。
キャンプから帰ってからも僕の心から星空の感動は消えなかった。しかし、その瞬間を思い描いて夜空を見上げても、星々の輝きはどうしても見劣りしてしまう。
ならば田舎へ行けば星がよく見えるか、といえばそうでもない。たとえ、明るすぎる都会から離れたとしても新月の日以外は星の輝きが月の光に侵食されてしまう。
つまりはあの星空を毎晩欠かさず見ることはこの地球上に住んでいる限り決して叶わないわけだ。
もちろん月は綺麗だ。月なんていらないと思うようになったのは。
夜空に浮かぶ月を眺めていたことは、確かに家出のきっかけであり、電車であいつに僕の家で理由を指摘されたときには、そのことを『なんとなく家出した』ということで一応済ませたが、僕の家出した理由は『なんとなく家出した』、などという曖昧なものではなかった。
うまく言語化できないけれども、あのときの僕の心には確実に家出を決意するに足る気持ちと、理由があったのだ。
そしてその気持ちは月の輝きが消え去ることで収まるのである。
だから願いを叶えてくれるというそいつに、僕は言ったのだ。
「月を消してほしい」
と。




