月を消し去る魔法
「月を消してほしい、それがあなたのお願いなのね」
僕は、そうだ。とばかりにゆっくりと頷いた。
「正直ドン引きなのだけれど」
と言って、 そいつは苦笑した。
ドン引きとか、人の願いに対して失礼だなおい。願いをかなえてあげましょうっていったじゃないか。
「お願いっていっても、私が想定していたのはキスしたいとか胸を触らせてほしいとかそういうのだったのだけれど」
宇宙人とのキスだなんてぞっとするな。
そいつの口から触手が出てきてホラー映画みたいな展開になる気がする。
「だいたい月を消してほしいだなんて。月がなかったらどうなるのかあなたは知っているのかしら。月がなかったら、潮の満ち引きがなくなって、地球の自転は8時間周期。8時間周期なんかになったら四六時中暴風警報よ。地軸も傾くし、何もいいことなんてないわ」
「いいことならあるぞ。毎日星が綺麗に見える」
「実際に消えたりしたら、天体観測をしている場合ではなくなると思うのだけれど。四六時中暴風警報だっていったわよね?」
小さな子供に話すように、念を押すようにそいつは僕に語りかけた。
へいへいわかりましたよ。月は消せませんね。
…それきり会話は途切れた。
僕は気まずさを誤魔化そうと、再び夜空を見上げた。もちろん夜空には星の光を打ち消して煌々と輝く月の姿があった。
やがてそいつは口を開いた。
「あなた、そんなに月を憎らしく思っているの?」
「もちろん」
「どうして憎らしく思っているのかしら」
「月の光で、周りの星が見えないじゃないか。星々の輝きを潰していることが許せない。毎日でも僕は美しい星空を眺めていたい」
「それでも新月が毎月あるじゃない。私は、満天の星空はたまに見るからいいものだと思うの」
僕はその質問には答えず、むすりと黙り込んだ。僕が何をいっても、そいつが僕のこの感情を理解してくれることはないだろうから。
黙秘を決め込んだ僕にどう対処したものかと、そいつは困ったような顔をして、しばしうーんと考えたかと思うと提案した。
「じゃあこういうシチュエーションはどうかしら」
そいつは指先を空へ向けた。空を見ろ、ということだろうか。
シチュエーション?
僕はそれに大人しく従って、夜空を見上げた。
普通、空にはついさっきと変わらぬ星々の輝きが空に貼りついているはずだった。
そして月も、太陽の力を借りて、星々の光を塗りつぶしているはずだった。
だがそうなってはいなかった。
月が欠けていた
皆既月食が始まっている。数瞬前まではたしかに月はほとんど満月の状態で輝いていたはずだ。
「きっと見るのは初めてでしょう。月食はもちろん知っているわよね? 特別に見せてあげるわ。
どう?感動したかしら。
たまに見る月食もいいものでしょう?
ところで、月がなければこんな現象を見せることは叶わなかったわ。そこのところはどうお思いで?」
そうやって、そいつは…いや、そいつ呼びをするのもいい加減失礼だろう。宇宙人差別(?)かもしれない。
訂正しよう。そうやって、野々崎は僕に語りかけた。
「…そうだな。たまに見る月食も悪くない」
野々崎ははにかんで笑った。さすがに夜空よりは美しくなかった。
そして、あと数十分もすれば月が赤く染まると教えてくれた。
僕は月が赤く染まるまで、しばし待つことにする。
適当な大木にもたれかかって、ただひたすらに夜空を眺めていた。
ちょうど今夜は皆既月食でしたね。皆既月食を一目見ようと、寒い中1時間ほどがんばってました。
凍える。




