月は欠けてただそこに
カツカツ、と硬質なチョークの音が教室を支配している。
未だにエアコンの設置されていないこの時代遅れな学校では、夏は窓を全て明け放つことになっている。
退屈な授業など聞き流し、廊下側の席から数人のクラスメイトの頭部を透視するようにして外を眺める。そこから見えるのはグラウンドの砂と晴れ渡った青空だった。
いつもならば雲が流れている様子を眺めているだけで時間がつぶせるものなのだが、晴天なので、今日はそれができない。
もうあれから一週間ほど経った。
あの後、野々崎の言った通りに赤い月を観測できた。
しかし僕は皆既月食を観察しているうちに寝落ちしていた。
朝日が昇り、目覚めた時には、もう野々崎の姿はなかった。
書き置きもなしにだ。別に気にはしていないが。
第二の宇宙人が現れることもなく、なんだかんだで僕は家出を満喫していたのである。
博多ラーメンを食べ、讃岐うどんを食べ、もみじ饅頭を食べ、八ツ橋を食べた。
僕の家出、完全に食い倒れ旅行だな。
ってのはどうでもよくて、それより大変なことがあった。実はあの皆既月食が、世界的なニュースになっていたのだ。
なんでも皆既月食は不自然な動きで軌道がずれたことによって起こったうえ、その軌道もすぐに元に戻ったのだそうだ。
あの皆既月食、そんな大掛かりにやっていたのか…
きっとたぶんメイビー僕に責任はないと思うが、ずっと先の未来へ後遺症が残っていないかとても不安になる。
それを想像すると良心が痛んで辛い。
やがて1日の授業が終わり放課後となった。
「葉波、一緒に帰ろ!」
背中に、誰かが突進してきた。振り向かずとも誰なのかは分かる。涼宮だ。
一人で素早く帰宅したいのだが、僕の潜伏スキルをもってしてもそれは毎度叶わない。どういうことですか。
「一人で帰るっていつも言ってるだろ。あと、そのタックルをやめろ。割と痛いんだぞ」
「いいじゃない。減るものじゃないし。あんた家出してて、最近学校にいなかったんだから一緒に帰っても構わないでしょ」
ニヤニヤと笑いながらこの暑いのに涼宮は僕の肩に腕を回してくる。
こいつには羞恥心というものがないのか全く!
いや、意外とひんやりとして…じゃなくて、セクハラだセクハラ。
おい男子ども、憎々しげな目でこちらを見ていないで僕を助けたらどうだ!
振り払って逃げてもいいのだが、すぐ追いつかれてさらに状況が悪化しそうな予感があった。
そしてなんとなく涼宮には永遠に勝てない気がする。
腕力でも、瞬発力でも、学業でも、あるとあらゆる方面でな。
「葉波、一つ質問していい?」
「なんだよ」
「月は好き?」
「…別に嫌いではない」
「そう。よかった」
涼宮は僕の肩においていた手を頭へと移動させ、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「なんの嫌がらせだこれは」
「違うよ。褒めてるんだよ」
今の僕の応答が、こうやって褒めることにつながるとは到底思えないが…
なぜか涼宮はご機嫌になったようで鼻歌を歌っている。
頭の手の感触に違和感を覚える。以前も似たようなことがなかっただろうか。
しかしその疑惑は思考の奔流にザザーと流されていくのであった。
太陽はまだ沈まない。
僕は汗だくだくで、涼宮は暑さを意にも介さないように灼熱のアスファルトの上を歩いていく。
もうすぐ夏休みだ。
ふと見上げれば、今日も青空には月が出ていた。
ずいぶん前回の投稿より時間を開けてしまいましたが、完結します。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
もしも感想をいただけると作者は狂喜乱舞します。
では別の作品で。




