依頼者
おれがエクトル邸で暮らし始めてから一週間が過ぎた。
早いもので、この生活にも慣れてきている自分がいる。
人間の適応力に驚かされるばかりだ。おれ魔族だけど。
とりあえずの仕事で、おれは今エクトルの工房の店番をしている。といっても、客なんて滅多に来るものじゃなく、ぼけーっとして過ごしているだけだ。エクトルは家事をしてくれるだけで助かるって言ってたけど、これで給与貰うのは申し訳ない。
そして、今日も今日とて店番である。
もう昼前だが、当然客は1人も来ていない。
昼食の準備でもするかとカウンターから離れようとしたその時。
不意に店の扉が開いた。
おれは驚きつつも定番の言葉を発する。
「いらっしゃいませ……って、ん?」
店に入ってきたのは、年端もいかぬ少女であった。
というか幼女であった。背も胸もおれより小さそうだ。
その頭には獣耳が。お尻からはモフモフした尻尾が。
うん、いわゆる獣人とやらだろう。きつね似の。
亜麻色のは長く、ふわふわだ。
そして幼女の身につけている和服が、どことなく高貴そうである。
「汚らしい店じゃのぅ。まあよい。店主はお主か?」
「あ、いえ。わたしはただの店番ですが」
なんか偉そうなんだけどこの子。
もしや本当に地位の高い子なのか?
この狐娘は一体何者なんだ。
「店主はどこにおる? 話がしたい」
「店主のエクトルなら工房で作業中ですので、少々お待ちください。ただいま呼んできますので」
「うむ。わらわは疲れたゆえ、そこの席で休ませてもらうぞ」
言うやいなや、遠慮もなく狐幼女はそのもふもふな尻尾を抱いて隅の椅子に腰かけた。
おれはあのもふもふてーるを触りたい衝動を抑えつつ、この工房の店主であるエクトルが作業している工房へと向う。
事情を説明し、おれは表にエクトルを連れてきた。
エクトルも狐娘を見て、最初はちょっと驚いているようだったが、すぐにいつもの調子に戻った。
「可愛いお客さんだね。今日はどうしたんだい?」
「ほう。わらわの姿を見ても動じぬか。ふふん。中々見どころのあるやつじゃのぅ」
「その耳と尻尾、可愛いよね。よかったら後で触らせてくれる?」
「な、ななな! 何を言うか! わらわの神聖なる耳尾に触るなどと……!」
と、慌てふためいている狐っ子の背後から忍び寄り、おれはその尻尾を鷲掴みにした。
だって、もう無理。限界。
目の前にね、もふもふがね、あるというのにね、触らずにいれようか。
無理だね。絶対無理。意識しなくても勝手に手が伸びるよ。
「お、おおお! もふもふだ!」
昇天一歩手前である。
そのもふもふは、おれの手を優しく包み込んでくれる。
この尻尾を枕にして寝たら、どんなに気持ち良いだろうか。
想像しただけで涎が溢れ出てくる。
「や、やめんかぁー! わらわの尻尾は神聖で気軽に触ってよいものでは――ひゃん!! お、お主! 遊んでおろう!? 罰があた――ひゃううっ」
「止められませんね。しかし、尻尾を触られたらくすぐったいんでしょうか」
「うーん、僕にも判らないよ。ただ一つだけ言えるのは、最高に気持ち良いってことだね」
いつの間にか移動していたエクトルが、おれの隣で満足げに頷きながら尻尾を堪能している。
「クセになりそうです……」
「僕もだ……」
――もふもふもふもふ。
――もふもふもふもふ。
――もふもふもふもふ。
「――って、いい加減にせい!!」
立ち上がるのと同時の唐突な狐娘の渇で、おれとエクトルは驚いて尻もちをついてしまった。
いや、これはただの渇じゃない。何か不思議な力で吹き飛ばされたんだ。
「び、びっくりしました……」
ゆっくりと立ち上がり、何が起きたのかと考える。
魔法だろうか。ファンタジー世界だし、その可能性は高い。
「わらわはワノクニの妖孤。今のは妖術じゃ」
「妖術……」
魔法じゃないのか。
「ワノクニって言うと、遥か東にある島国のことだよね。どうしてこんな場所に来たんだい?」
エクトルがそうきくと、狐娘は腕組みをし、目を閉じた。
「ようやく話を聞く気になったようじゃな。というより、お主らがおかしなことをせねばもっと早くに話は進んでおったであろうが」
「す、すみません。つい、手が伸びてしまい……」
「……まあよい。早速だが本題に入る。――っとその前に、自己紹介をせねばならんな。わらわはクノ。わけあってこのエルクラークを訪れた」
「僕はエクトル。こっちがマーハ。よろしくね」
「うむ。では改めて本題に入るとしようかの。わらわは工匠殿に頼みがあってここに来たのじゃ。ひとまずコレを見てほしい」
そう言うと、クノは何やらビンのようなモノを取り出した。
その容器には、少量の液体が入っている。色は黄緑で見るからに怪しい。
「これは?」
「液体じゃ」
「うん。それは見たらわかるけど」
と、エクトル。
「黄緑色の液体じゃ」
「それも見たら判りますね」
と、おれ。
しばらくの間沈黙が流れる。
なんだか気まずい。
「コホン。それは言えぬ。ただ、これと同じモノを創って欲しいのじゃ」
「これと同じ、って言われても、ねぇ……」
エクトルは難しい顔で葛藤し始めた。
それもそうだろう。見た目は単なる黄緑色の液体。それがどんな効用をもたらすのか、はたまた作用を持つのか、さっぱりわからないのでは創りようがない。
「それがどんな液体なのか、クノは知っているんだよね?」
「知ってはおる。だが、言えん」
「どうしてだい? それが判らないと、さすがに僕も創りようがないんだけど……」
「い、言えぬものは言えぬのじゃ」
そう言うクノの頬はなんだか赤い。
もしかして、恥ずかしがっている?
雰囲気だけだけど、そんな気がする。
「うーん、困ったなぁ」
まいった様子のエクトル。
まあ、エクトルに依頼したいのに、その詳細を言えないというのはおかしな話だ。何か理由があるとしても、これでは手を貸せない。
「工匠でも、何なのかが判らない物は創れないよ? 本当に欲しいのなら、ちゃんと言ってくれなきゃ」
「……やはり、言わなくてはダメか?」
クノの表情は暗い。
「わらわはここ1週間、エルクラークを渡り歩いた。色々な工匠に頼んでみたが、誰1人としてこの薬を創ってはくれぬ。この薬の効用が何なのかを言ったら、皆、笑ってわわらを追い出した」
「そ、そうだったんだね。でも、そう言われると逆にその液体の詳細が気になるんだけどな」
「わらわも判っておるのじゃ。だが、もはやこれにすがることしか出来ぬ。この薬を使うことでしか、もうわらわは……」
下唇を噛み、悔しそうにするクノ。
さすがにここまで来ると、可哀想になってくる。
おれもただ見るだけというわけにはいかない。
ここは交渉してみようじゃないか。
「じゃあ、こうしませんか? わたし達はクノの依頼を正式に受けます。ちゃんと書面に書き出して、証明書を作るんです。内容はその液体の複製。そうしてしまえば、わたし達は気軽にクノを笑って追い出すようなことはできません。だから、その後でその液体の詳細を説明して欲しいんです。内容さえわかれば、やりようはあるはずですからね」
「おお、なるほど。だ、だが、ううむ……」
それほど恥ずかしいのか、クノは唸っている。
ホント、その液体は何なんだ。気になるぞ。
「大丈夫。受けた仕事はちゃんとするよ。創れるかどうかは、まだわからないけどね」
よしよしとクノの頭を撫でるエクトル。
ピクリと動く狐耳が愛らしい。おれもやりたい。
「わかった。マーハ殿の案を受け入れよう」
「決まりだね。マーハ、紙とペンを持ってきてくれる?」
「了解です」
エクトルに頼まれたおれは、カウンターの引きだしから紙とペンを持ってきた。
「ありがとう。それじゃ僕が証明書を作るから、ちょっと待っててね」
そう言うやいなや、エクトルは机で証明書の作成に入った。
待つこと数分、エクトルは簡易的な書面を作り上げた。
「出来た。それじゃあここにクノの名前を」
「うむ」
エクトルから髪を受け取ったクノは、書面に名を記した。
これで、おれ達はクノの依頼を正式に受注したことになる。
あの液体がどんなものでも、エクトルは創るよう努力しなければならない。
「というわけで、教えてくれる? その液体が一体何なのか」
「わかっておる。わかっておるが……、笑わぬか?」
「笑わないよ。ね、マーハ」
「はい。笑いませんよ」
「そうか。では、わらわも腹をくくろう。――この液体はいわゆる薬なんじゃが――」
クノは一拍置いてから、
「背を伸ばし、その……む、胸を大きくする効用がある、と言われておる」
――しばしの沈黙。静寂。
エクトルを見ると、目を丸くしていた。
でもまあ、うん。
前世には厚底ブーツとか、パッドとか? あったわけだし?
妖孤でも女の子だし、そういう悩みもあるということだろう。




