夜空の下
ゆさ、ゆさ、ゆさ、と揺れる身体。
鼻の前には、くすぐったい物がある。
でも、良い香りだ。ずっとかいでいたくなる。
「……ん」
頭が痛い。
でも、この優しい振動はなんだか心地良い。
このまま寝ていようか。
天使と悪魔が言い争っている図が脳裏に浮かぶ。
「マーハ?」
良い気分でいると、近くから声が聞こえてきた。
エクトルの声だ。落ちついた、優しい声音。
そこで今の状況に気付いた。
おれはどうやらエクトルにおんぶされているらしい。
「わたし、は……」
まだ頭にクラクラ感が残っている。
お酒を飲んだ後の、あの感じだ。
そうか。おれは飲み過ぎて、そのまま寝てしまったのか。
「無理して起きなくて大丈夫だよ。もうすぐ家につくしね」
「ご、ごめんなさい……。こんな醜態……」
まさか、あの程度で酔い潰れるとは思いもしなかった。
この身体は、前世程お酒に強いわけではないらしい。
まあ、女の子の身体だし、当然か。
ちゃんとその辺考えて飲むべきだった。
「気にしなくていいさ。――それにしても、気持ち良い風だね。夜だけど、寒くなくて涼しい。僕はこの季節が一番好きなんだ」
小さな水路の水の音が、やけに大きく聞こえる。
それだけ辺りは静寂に包まれているということだろうか。
遠くには山々が、その向こうには恐らく広大な海が広がっていることだろう。港なんかもあったりして、賑わっているに違いない。
だけど、ここはゆったりとした時が流れている。
まるで、世界に2人きりのよう。
月明かりが、おれ達を見守ってくれているような。
そんな感じ。
「落ちつきますね。なんだか、生まれ故郷みたいで。そんなわけないんですけど」
「でも、その気持ちは判るよ。僕も、すごく」
ノスタルジックな気分とは、このことだろう。
お酒で熱くなった頬に、この夜風はすごく気持ち良い。
オレリアさんは既に別れたのか、姿が見えない。
恋人にでもなったようだ。
本当に、2人だけの――。
「って、わああああああ!」
急に恥ずかしさが込み上げてきたおれは、エクトルから飛び降りた。
よくよく考えたら、これ色々とやばいシチュエーションじゃないか! 大学生か! 酔った女の子をお持ち帰りするリア充か! おれはお持ち帰りされる側だけども!
「ど、どうしたんだい急に?」
「い、いえ気にしないでくださいいきなり恥ずかしくなって叫んでしまったこととか内心変なこと考えていたこととか全部気にしないでどこかに放り投げて記憶を消去してくださいお願いしますそうしてくれないとエクトルに顔向けできません本当です許してください何でもしますから!」
「ちょ、落ちついてマーハ! 言ってること支離滅裂だよ!」
「支離滅裂だとしてもどうかお願いしますわたしはそんな人間ではないのです信じてくださいそうじゃないともう恥ずかし過ぎて穴にでも埋まらなければ済まないくらいになってしまいます!」
頭が混乱している。
何か色々とすごいこと発言しているようだが、これも全て酔っているせいだ。おれの意思とは関係ないことだ。
「あ、危ないっ」
千鳥足のせいか、よろけてずっこけそうになったおれをエクトルが抱きとめてくれた。
――ぽふん、と。
おれはエクトルの胸の中にすっぽり埋もれてしまう。
穴じゃないけど、こっちも心地良いな。
なんて、人の温もりを感じている場合ではない。
「ほら言わんこっちゃない。もうすぐ着くからさ。僕がおぶっていくよ」
「そ、それだけは勘弁願いたいのです……」
さすがのおれにも矜持と書いてプライドというものがある。
一応元男だ。それが男におんぶされて喜んだなんて思うと、いたたまれない。主におれの精神衛生上よくない。というか単に恥ずかしい。
「ダメ。ほら」
エクトルはしゃがんで、背中を向け両手でウェルカム態勢。
断りづらい雰囲気だ。どうしよう。
「そんなにふらついているんだから。コケて怪我してもしらないよ?」
「う……」
確かに、コケて怪我すればもっとエクトルに迷惑がかかる。
それはよくない。非常によくない。
「何でも言うこときくんでしょ? なら、僕に乗って」
「そ、それは卑怯ですよ……」
「でも、マーハが言ったことだよね?」
「はい……」
そうでした。言いました。何でもするって言いました。
でも、これじゃ元も子もない。酔ってたから許して。
「さ、早く」
「わかり、ました」
もうこうなったらヤケだ。
リア充シチュエーションを受け入れるしかない。
ていうか、一度しちゃってるんだし今更か。
「あまり重くないよね、マーハって」
エクトルにおぶってもらって早々、そんなことを言われた。
「そうですか? 自分では、よくわからないので……」
「女の子だもんね」
「そう、ですね。女の子、ですもんね、わたし。魔族、ですけど」
女の子、か。
まだこの世界に来てからあまり時間は経ってないけど。
おれは、女になったんだ。
それは紛れもない事実で。
今更ながら不安定な存在だと思い知らされる。
「マーハはマーハだよ。魔族だとか、性別だとか、そういうのじゃなくてさ。マーハっていう1人の存在なんだ。何者にも代えられない」
「エクトル……」
おれの不安を悟ったかのような言葉に、おれは少しだけドキっとした。
「なんてね。僕の師匠がよく言ってたんだ。エクトルはエクトルだって。捨てられた子であっても、お前はワシの子だってさ。よく言ってくれたんだ」
「お師匠様が?」
「うん。僕を拾ってくれた人だよ。凄く強くて優しい人だった。僕も、この人みたいになりたいって思った。憧れなんだ」
「良い人だったんですね」
「そうだね。僕の恩人であり、育て親であり、工匠の師でもあった人だから。目標だよ」
「目標……」
おれには、あるだろうか。
夢や目標。これがないと、ただ無為に生きてきくだけの存在になってしまう気がする。前世のように、淡々と生を浪費していくだけの毎日に。
「マーハも見つけるといいよ。目標とか、夢とか。将来何になりたいとかさ。マーハだけの、ね。それだけでも、世界は変わって見えると思う」
「わたしだけの夢……」
「うん」
言って、エクトルは夜空を見上げた。
おれも、それにならって空を見上げる。
夢、目標、か。
おれにも、そういうのが出来る日が来るだろうか。
いや、ないとダメなんだ。じゃなきゃ、前世と同じなんだから。
今はまだ曖昧でもいい。純粋に思っていることを糧に生きよう。
――この人の、エクトルの役に立ちたい。
きっと、この想いがいずれ……。




