第四試合 連れ出されました。 (後編)
2013/05/12 に前編をかなり加筆しました。未読のままこちらを読まれても話が訳分からなくなりますので、もし未読の方がいらっしゃいましたらお手数をおかけしますがそちらからお願い致します。
____バイクを走らせ、約20分。
到着したのは兄がこの前見つけたというお勧めのオムライス専門店『オムライスキー』。
…………えーと、まぁ、あれですよね。味に店名は関係ありませんしね。うん。
ネーミングセンスは兎も角、出発前に兄が行先を告げた時シンさんもタケさんも「美味い」と太鼓判を押していた店である。「美味い」って……この不良さん達、以前来たことあるのか。私のリクエストに応えてくれたのは嬉しいけど、このメンバーでオムライス専門店って……なんか物凄い違和感が。
案の定店員さんやお客さんもこちらをチラチラ見ている。最初は驚きの表情、そして次にうっとりとした表情、で、最後に不信の視線。あ、最後は勿論私に対してです。フード被りっぱなし、そして更にその下に帽子まで被ってるとか十分怪しいのは重々承知しております。マナー違反だとも認識しております。でもこれは取れないのです……すみません。
顔をほんのり赤くしたウェイトレスさんに案内された入り口から一番遠い奥のテーブルへ着席。皆でわいわいメニューを選び始めた。水とおしぼりを持ってきてくれている間、ウェイトレスさんが兄達に意味深な視線を送っていたのだが彼らは見事にスルーしている。恐らく同じような場面を何度も経験しているのだろう。凄い。慣れって凄い。
「ソウ決まったか? あ、それ? 美味そう。後で俺のと一口交換な」
「いや、テメェの食えよ。ソウちゃん明らか嫌がってんじゃねぇか」
「もう一つ頼めば良いんじゃない? リョクなら余裕でしょ。ね、ソウちゃん」
____しかし、空気をちょっと読んでもらえないだろうか。
アプローチをスルーした挙句、更に皆がやたら私に構ってきてくれるものだからこちらだけウェイトレスさんの視線が痛い。私も空気の扱いで宜しくお願いしたい。気を紛らわせるため、私はちびちびと水を飲み始めた。
注文を終え、哀愁を漂わせたウェイトレスさんの背中を見送る私……何だか申し訳なくなってくる。うちの過保護な兄達がすみません。
待っている間もあちこちから容赦なく視線が刺さる。今回このメンバーで飲食店に入ったのだが正直もう来たくはない。コンビニ弁当を幹部室に持ち寄った方が味は劣れども絶対私の精神上良いと思う。私は身体を若干縮めながらなるべく影を薄くする事に努めた。オムライス食べるだけなのに何で私がこんな目に……っ! 納得いかない!!
針の筵になって待つこと10分。地獄を耐え切り注文したオムライスが私の前に運ばれてきた。
____ふわふわ卵、とろりと掛かったこの店自慢の特製ケチャップソース……私が注文したのはベーシックなオムライスだ。他にもキノコのオムライスやデミグラスソース、ホワイトソースなど様々な種類があったのだが、私は迷うことなくこれを選んだ。極限にまでお腹が空いているとき何故だか無性に原点の味を食べたくなる。
目に鮮やかな赤と黄色の原色。この綺麗なコントラストは見ているだけで幸せになるが、やはり食べた時が一番幸せだ。
私はキラキラとした目を向け、徐にそれをスプーンで掬い、一口頬張った。
「――――……っ!!」
美味しい!!
その一言全てだった。口に入れた瞬間蕩ける卵、酸味のある味わい深いこの特製ケチャップソース、少しバターの風味が効いたチキンライス……兎に角オムライスの全てが私の舌を楽しませてくれる。私は一口一口丁寧に味わいながらオムライスを攻略していった。オムライス、めちゃくちゃ美味しい……!!
食べている間は視線も気にせず食べられた。それ程までにこのオムライスは素晴らしかったのだ。最後の一口を喉に通し、私は満足の溜息をつく。
「ごちそうさまで……」
食事の最後の礼儀を、と手を合わせて小声で言おうとしたのだが思わず中断する私。
何故か慈愛の眼差しが三組こちらへ注がれていた。目の前と隣に好々爺が合計三人もいる。
よく見れば三人とも皿が綺麗に空になっていた。皆私より多く注文していたのに流石男の人、速いなぁ……って、あれ。ちょっと、ちょっと待って下さい。いつから見られていたのですか? まさか、間抜け面で大口開けて食べている所をずっと見られていたのですか……!?
「米粒付いてんぞ」
固まる私の頬に付いていたらしい米粒を兄が指先で攫っていく。
それをシンさんとタケさんに笑われたところで私の限界は突破した。一気に顔へ熱が集中する。
「__っ!! ちょっとお手洗い行ってきます……っ!!」
うわぁあぁあぁああ!! 恥ずかしいぃいぃいい!!
小声で叫ぶという無駄に器用な芸当を披露した私はそそくさ席を立った。
本当はダッシュしたいところだが店内なのでそうはいかない。さながら競歩でトイレへ向かう。トイレは自分たちのいた席から反対側にある。近くにあればすぐ駆け込めるのに……っ!!
一刻も早くあの場を離れたいと焦っていた私は周りへあまり注意を配らないまま角を曲がった。
「――っ!」
____その結果、身体の前面に軽い衝撃。誰かにぶつかってしまったようだ。
咄嗟に謝ろうと口を開けたのだがそのまま停止する。目の前には着崩した学ラン。そしてこの校章……うん、見覚えがある。というかうちの校章だったりする。
背中に冷たい汗が流れた。これは非常にマズイ、と踵を返そうと思ったのだが、その前に腕を掴まれ阻止されてしまう。
「――――よぉ……奇遇だな?」
そして頭上から降ってきたこの声に鳥肌が立った。私はこれを知っている。忘れるはずもない____この声、間違いなく朝倉氏……っ!!
叫びたくても叫べないこの状況にジワリと涙が浮かんだ。すぐ近くに兄たちがいるというのに呼べないというこのジレンマたるや……!!
ってか何で貴方もこんなとこいるんですか!! まさか流行!? オムライスって不良な方の流行なの!?
腕を振り解こうと力を入れるがびくともしない。抵抗らしい抵抗も出来ず、私は朝倉氏に子牛の如く連れ出されていく。たたたた、助けてぇ!!
途中、ウェイトレスさんが不思議そうにこちらを見て向かって来た。あれだけ目立ったのだ。私の事も覚えてくれていたのだろう。もしかしたら兄達に連絡が行くかもしれない……天の助け!!
内心歓喜の涙を流し、万歳三唱した____が、声を掛けてくれるハズだっただろう直前、彼女は真っ赤にして固まってしまった。偶々、帽子の下から一瞬だけ見えたのだが、この不良、ウェイトレスさんに色気ダダ漏れの流し目をくれたのだ。流し目一つだというのに、一瞬だというのに壮絶にエロスが漏れていた。何だかいけないものを見てしまった気さえする。エロイケメンの能力、半端ない……じゃなくてこのままじゃヤバい!!
どうにかして逃げようと考えるが一向に策が浮かばず、結局兄達に見つけてもらうことも出来ぬままあっさりと駐車場へ連れ出されてしまった。
朝倉氏のバイクを目の前にし、私は固まる。何処へ連れて行かれるのだろうか。うぅうぅうう、乗りたくない……。
「乗れ」
死の宣告……!!
出来れば此処からなるべく離れたくない。遠くへ行きたくない。何とか乗らずに済む方法はないだろうか。ここらでプラプラしていればきっと私がいなくなった事に気が付いた兄達が見つけてくれるハズ。
渋って中々乗ろうとしない私。しかし、しびれを切らしたらしい朝倉氏から容赦ない追撃が加えられ、呆気なく答えを出した。
「担がれて乗るかちゃんと後ろに乗るか……どっちが良い?」
……謹んで後ろに乗らせて頂きます!
____バイクを走らせ腹時計で約10分。
辿り着いたのは喫茶店だった。……何で喫茶店?
止まったバイクから降りた朝倉氏がこちらへ両手を差し出してくる。
……今、彼が兄と被った。これはきっとバイクから私を下ろす動作だ____って、これはマズイ!
私はハッとし、その手を避けて一人で飛び降りた。危うく抱き上げられるところだった。そんなことされては顔が見えてしまう。危ない危ない……!
しかし何だろうこの人。強引な部分は多いが、たまに甲斐甲斐しいというか優しい姿がチラリと垣間見える。
実は先程もその意外な一面は見えた。バイクで走る前、腹に腕を回せと言われた朝倉氏の命令を私は頑なに拒み、バックレストを後ろ手で必死に掴んだ時の事だ。
舌打ちをして諦めた彼にホッとした後、もしかして振り落とされるのではないかと私は大いに心配した。今まで見てきた光景から彼ならやるかもしれないと思ったのだ。バイクで走行しながら人を鉄パイプで殴った事や骨折をして戦意を亡くした不良へ更に強烈な蹴りを入れていた事などなど、彼の悪魔じみた所業の数々を私は知っている。私をバイクから振り落とすなど彼にとっては何でもないだろう。
しかしそれは杞憂に終わった。振り落とすどころか、驚くほど丁寧な運転だったのだ。スピードはそれほど出てなかったし、曲がる前はミラーでチラチラこちらを確認する様子を見せながら緩やかに減速して曲がっていた。私は驚愕した。彼の所業ももちろんだが、普段彼が恐ろしいスピードで荒々しい運転をするのを知っているだけに。
今も私が逆らった事を怒るでもなく彼は私の腕を引っ掴み、入店した。
カランカランと扉に付けられたベルが鳴る。初めて訪れる店に私はキョロキョロと周りを見渡した。席はカウンター席と4人掛けのテーブル席が3つ。個人経営らしいシックな雰囲気のこの店は落ち着くようで落ち着かなかった。理由は言わずもがな、一緒にいるのが朝倉氏だからだ。意外な一面を見せられた私は混乱しつつもさっきから冷や汗が止まりません……!!
縺れそうになる足を何とか動かしてウェイターさんに案内された席に向かい合わせで腰を下ろす。
直ぐに帽子取られて正体暴かれると思ったのにそれもない。私は少し拍子抜けしながら、抵抗することもなく運ばれてきた水を一口飲んだ。だってどうしようもないしね……あ、これレモン水だ。美味しいなうふふふふ……。
「何が良い?」
目の前に差し出されたメニューを恐々と受け取り、中をパラパラ眺め始める。先程オムライスを食べたばかりだし食べる気は無かったのだが、ある一点で私の視線が留まってしまった。コーヒーゼリーにアイスクリーム、そしてパフェ____……そのときめきを覚えざるを得ないデザートの羅列に私の心はいとも容易く捕えられる。今、きっと胃にスペースが空いた。……デザートくらいならば、入る!
しかしそこで重要な事に気が付いた。私、お金ない。あぁ、でもこのカフェオレパフェとかいうの本当においしそう……!! 喫茶店のコーヒーって美味しいし、このパフェもきっとおいしいはず……アイスも自家製とか書いてあるし……!! コーヒーゼリーも乗ってるし……!!
食べたい。物凄く食べたい。だがやはりお金がなければ食べられない。私は後ろ髪を引かれる思いでじりじりとメニューを閉じた。ここにはまた来ればいい。……あ、でも朝倉氏が出入りしていると知っているこの店に来る度胸は私にはない。う、うぅぅううぅう……!!
「――――クク……っ」
不意に前方から発された音が心の中で大号泣する私を一瞬で現実世界に呼び戻した。聞こえてきたのはクツクツという悪魔の笑い声……うひぃいい!! 怖いぃいい!!
カタカタと震える手で支えていたメニューを朝倉氏に取られる。そして怯える私を気にするでもなく、彼は通り掛かったウェイターを呼び止めて勝手に注文をし始めた。
「コーヒーとこのパフェ一つずつ」
このパフェ、と指がさすのはまさしく私が恋焦がれてやまないカフェオレパフェ。
何故わかった!?
しかし、何度も言うように現在私はお金を持ってない。……あれ、ヤバい。これって無銭飲食にならないかな? いや、そもそもこれは私の分? 私が食べたいと知っていて目の前で食べるんじゃ…………あ、有り得る。この悪魔ならあり得るよ……!!
「俺は甘いの食わねぇよ。金は払うから心配すんな」
その言葉に私はピシリと固まった。
何故わかった!?
私ってそんなに分かりやすいだろうか……若干落ち込んでしまう。
そしてパフェを食べられるという喜びと朝倉氏が怖いという怯えもあったりするものだから、もう色々な気持ちがごちゃごちゃして何が何だか分からなくなる。この現状も私の気持ちもカオスだ。そして中でも突出してわからないのが本日の朝倉氏の言動だ。この方、ホントどうしたのだろうか。変な物でも……いや、それはないか。
妙に優しい朝倉氏にこちらも調子を狂わされる。私は黙って俯いたまま視線をうろうろと彷徨わせた。
そんな落ち着かない私に無慈悲な追撃。……気のせいでなければ朝倉氏から視線を感じる。いつからだろうか。只でさえ居た堪れないのに……!!
何か喋ってこの妙な雰囲気を壊したいがそれは出来ない。2人の間に長い沈黙が落ちた。
……いい加減、気まずいっ!!
「お待たせしました」
手汗を掻き始めてもう限界だと思ったその時、救世主が現れた。
私はいつの間にか止まっていた息を吐き出す。この苦痛な沈黙をぶち破ってくれた彼に私は心から感謝した。
私の前にパフェ、そして朝倉氏の前にコーヒーが置かれる。朝倉氏は運ばれたコーヒーにミルクのみ投入した。あれ、ミルク入れるんだ。彼は何となくブラックかと思っていた。……まぁどうでも良いけども。
兎に角、この雰囲気に耐えられない。目の前のパフェに集中するため、私はパフェスプーンを握りしめた。
いそいそとカフェオレ色をしたアイスの部分を掬い取り、口へ運ぶ。口へ入れた瞬間、滑らかなクリームの甘みとコーヒーの微量な苦みが広がり、そしてスッと溶けていった。思わず顔が緩む。
美味しい……っ!!
「今日、昼休みから行方不明な奴がいるんだけど」
「ぐっ!!」
油断しているところになんて爆弾を落としてくれるのだろうか。
噴き出しそうになるのを何とか押えた自分を褒めたい。えーと、それってもしかして私の事ですよね!?
動揺を誤魔化すようにパフェを食べまくる私。味わえたのは最初の一口だけだった。オムライスの時は無心で食べられたが、流石にこれは無視できない。折角の美味しいパフェが緊張のあまり味がしないとか哀しすぎる。……うぅ、泣いても良いでしょうか?
私の動揺と心の葛藤を知ってか知らずが、朝倉氏は気にするでもなく言葉を続けた。
「そいつの逃げる姿が面白くてな」
へ、へぇ……私は全っ然面白くないですけどね!! ってか追いかけまわしてる理由ってそれ!? すんごい迷惑ですよ!?
思いかけず聞かされた新事実。逃げる姿が面白いってどういうことだろう。走り方? それとも追い掛け回す事自体? ……あ、後者ですよね、はい。どんだけドSなんですか。いや、ドSだろうなとは思ってましたけど……!!
続きを聞くのが怖い、聞きたくない。断じて聞きたくないのだがドギマギしながら次の言葉を待ってしまう。
私の正体はバレてるのだろうか? 知りたいような知りたくないような……でも気になって仕方がないのだ。
心臓がはち切れそうなこの空気にまたもや沈黙が落ちる。パフェを食べて涼しいはずなのに緊張のせいで汗が止まらない。こういうの本当にやめてほしい。気絶しそうになる。
耐えきれなくなった私はパフェを食べる手を止めて顔が見えない程度、帽子のつばの下から上目使いに目の前の人物をチラリと見た。
____わ、笑ってる……ッ!?
ニッコリ、ではない。片方の口角だけ上げたニヒルなやつだ。ここここ怖い……!!
蛇に睨まれたカエルの気持ちが今ならわかる。私は瞬きすら出来ずにそのまま固まってしまった。
その間抜けな得物を捕食せんと蛇が徐に口を開ける。
「お前の正体、予想はついてる……が、確信は無ぇ。気になってんだけど――――どうすっかなぁ……?」
いつの間にか私の左手が捕まっていた。咄嗟に払おうとするが鈍い痛みが走って思うように動かせない。____そうだ、今日転んだときに痛めたのだった。おまけに先程バックレストを必死に掴んでいたものだから悪化してしまったのだろう。相手はさほど力を入れているように思えないのに、痛みで振り払えない。
「――――っ!!」
まごまごしている内にもう片方の手が帽子へ伸びてきた。
逃げなきゃ、と思うのに私は目を見開きそれを凝視する。スローモーションのようにゆったり流れる光景。
…………息が、できない。周りの音が聞こえない。
自分の心臓の音しか、聞こえない。
これを取られたら、正体がばれたら____どうなるの?
「――――時間切れ、か」
ボソリと零れたその言葉と共にこちらに向かっていた手が止まった。
ゆっくりと手が逆戻りしていく。同時に離される左手。
手が解放されたところで私は素早く身を引いた。え、何? よく分からないけど……助かったの?
離された私の手にはジワリと汗が滲んでいた。先程まであった朝倉氏の温もりはもうない。詰めていた息を吐き出し、安堵した。……そう、確かに私は安堵したのだ。しかしそれだけではない気がする。……これは、何?
呆然とする私。訳が分からない自分の気持ちを探っていたのだが、急に身体がフワリと浮き思考が中断された。
「無事か!?」
心配の滲んだその声は____兄のものだ。
兄が助けに来てくれた。その無駄に逞しい腕に抱えられて言い知れぬ安堵に包まれる。もう大丈夫。馴染み深い兄の腕の中は無条件でそう私に思わせた。
助かった____でも。
「――――いっ!?」
遅いよ!!
私は渾身の力を込めて兄の向う脛を蹴っ飛ばした。
そもそも兄が私を連れ出したせいで捕まったのだ。お腹は膨れても朝倉氏に捕まっては意味がない。いや、お腹が満たされたのは感謝してるけど、でも、でも……!!
「おまっ……、――――…………あー、……その、悪かった」
結構痛かったのだろう。文句を言おうとした兄だったが私の顔を見た途端、息を飲んで中断した。謝られながらよしよしと頭を撫でられ、折角頑張って留めていたというのに涙腺が呆気なく崩壊してしまう。私は顔を兄の肩に押し付けた。そうだ、全部兄が悪い。今自分が訳分からないのも全部全部兄が悪い。押し付けた所から涙が吸い込まれていく。鼻水だって付いてしまえ。
「…………テメェ、――」
「何もしてねぇよ」
何度か私の頭を撫でた後、兄が何かを言い掛けた。しかしそれを遮り鼻で笑いながらそう返す朝倉氏。
何もしてない!?
そんなわけない、と思ったのだが思い返してみても特に何も思い浮かばない。あれ?
多少強引に連れて行かれたが、暴力を振るわれたわけではないしセクハラもなかった。寧ろ優しくされてパフェを食べただけだ。しかも奢りで。
____それに結局帽子は取られなかった。兄が来てくれたとはいえ、取る機会はいくらでもあったというのに。最後だって、簡単に取れたはずだ。
何故取らなかったのか分からないけど……もしかしたらこの人、そこまで怖い人じゃないかもしれない。
私は兄に抱えられたまま肩越しにゆっくり朝倉氏を振り返った。
顔が見えては不味いので此方から見えるのは口元までではあるが私を見ているのが確認できる。取り敢えずこれだけは伝えなければ。
勿論声は出せない。迷った挙句、私は口パクを試みた。……しかし、一人口をパクパクして何をやってるんだろうと言い知れぬ羞恥心に襲われ、相手の反応を確認しないままそそくさと兄の肩へ顔を再び埋める。伝わって無ければもうそれで良い。
「何間抜け面してんだよ」
「……うるせぇ」
一人悶えている内に聞き捨てならない事が聞こえた。
朝倉氏の間抜け面……!? 気になる。物凄く。しかし私はもうそちらへ顔を向ける勇気はない。というかその前に見れない…………残念すぎる……っ!!
「あぁ、そういやそいつ、腕に怪我してる」
この人は何度私を驚かせれば気が済むのだろうか。
悔しさに歪めていた顔が今度は驚愕の表情に変わる。まさか気付いていたとは思わなかった。
いつから気が付いていたのだろうか。先程手を掴まれたとき、力が入ってなかったのは怪我に気付いていたから? 人を平気で殴り飛ばす不良が何でそんなに気を遣うの? 私、敵じゃなかったっけ?
何で、優しくするの……?
「マジか!?」
怪我とかどうでも良くなるくらい動揺していたが、兄が大げさなくらい心配して聞いてくるので慌てて頷く。
私の反応を確認した兄は瞬時に殺気を纏わせ朝倉氏を睨み付けた。私を抱えている腕にも力が加わる。……あれ? 何か勘違いしてない?
「俺じゃねぇよ。……早く行け」
朝倉氏も同じことを思ったらしい。
彼がこの怪我に無関係なのは事実だ。……いや、間接的に関係あるのかもしれないが彼に直接負わされた怪我ではない。私は兄の肩でコクコクと首を動かしてその言葉に同意した。
私が認めたことで信じたのだろう。兄は一つ舌打ちをし、治療を優先させたのかそれ以上何も言わず出口に向かって歩き出す。
「――――また奢ってやる」
喫茶店を出る直前、ベルに紛れてそんな言葉が聞こえた気がした。
____この後、喫茶店に残った朝倉氏が自分の右手を柔らかい眼差しで眺めていたなんて、私は知らない。
『ごちそうさまでした』
長かった……!!
これで終わり!! ……と見せかけて、おまけ編に続きます。すみません。