8.おつかい④
しかし丁寧に玄関の扉を閉めていたバーニーは、動揺するステラを不思議そうにする。
「あなたは、いつもこんなものを使っていただろう。思い出して、町中の店から買って回って運び込んだ。またあとで届く」
「は……?」
「おつかい、違ったか?」
こてん、と首をかしげるバーニーにステラはわなわなと震えた。
彼の話をそのまま信じるならば、でかい図体の男が、かわいらしくファンシーなものを買い集め、ステラの家に届くように手配した。ということになる。
これで町中にステラの家にバーニーが住み込んだことは知られてしまった。
それだけでなく、この派手で幼い少女が好むようなものをステラが頼んで買ってもらったという風評被害まで振りまいてくれたのだ。この男は!
ギリギリまで彼の存在を周囲に知らせないでいるつもりだった思惑はきれいに消し飛んだ。
一気に頭に血が上ったステラは、取り繕う余裕もなくまくし立てた。
「私は自分の私物を揃えなさいって言ったのよ!? そもそもこんな高級なものどうやって買ったの!? まさか私の付けにしたわけじゃあ……!」
その可能性に思い至りステラはざあっと青ざめる。
ちらっと見ただけだが、確実に宝石の類いまで混ざっている。幼い頃の贅沢生活のせいで目が肥えているから、価値は嫌というほど理解できた。
そんなものしがない治癒師のステラの給料で払える訳がない。
「か、返してきて! 私はこんなの払えないわ!」
だがしかし、バーニーはなにを言われているのかわからないように瞬くだけだった。
「金はあると言ったぞ」
気負いのない声でそう言われてもにわかには信じられない。
「ま、まさか全部、一括で……?」
「まだある」
バーニーが懐から出した財布には、ごろごろと銀貨どころか金貨まで入っていて、ステラは卒倒しかけた。が、なんとか納得する。
どうやら本当に、自分の金で買ってきたようだ。
頭痛がしてきたが、ステラは大きく深呼吸をして理性をかき集めると、バーニーを見上げた。
「なら、あなたが使えばいいわ」
「あなたのために揃えたものを、なぜ俺が使う?」
自分のことは端的にしか話さないくせして、ステラが関わったとたん言葉が流ちょうになるのはどういうことなのか。
この男の意図がまったくわからなくて、ステラの頭は爆発寸前だった。
地団駄を踏みたいしわめきたい気分だったが、心身に刻みつけられた修道院での矯正がそれを許さない。
結果、ぎゅうっと唇を引き結ぶしかない。
相変わらず不思議そうなバーニーは、大量の荷物の中から一つ箱を取り上げて開けた。
そして中に並んでいた小さな褐色の粒――チョコレートを、ステラに差し出した。
「俺のものは全部あなたのものだ。好きに使えばいい。態度だってそうだ。俺と距離を取る必要はない」
敬語のことを言っているのだろうか。距離を取らないわけにはいかない。
(だって、あなたは私を憎む正当な理由があるんだから)
憎まれるのは当然だ。けれどそれでもステラはなるべく生きていたい。
だから現状もっとも脅威である彼の機嫌を損ねたくなくて、へりくだる。生存戦略だった。
それでも差し出されたチョコレートに、ステラはゴクリとつばを飲む。
チョコレートなんて、もう何年も食べていない。それこそ十年前に逃げ出した日が最後だ。
大好きだった、甘いお菓子が今目の前にある。
ちらりとバーニーを見ても、試されているのかどうかわからなかった。
現状ステラの命は彼に握られている。その彼が、距離を取るなと言っている。
昔のような態度は言語道断だ。
(でも、そう、言うなら、一個だけ……)
恐る恐るステラがチョコレートを一つつまんでも、バーニーは怒ってはたき落としたりしなかった。
そのまま、震える口に含む。
体温で溶けたチョコレートは、懐かしい蕩けるような甘さと香ばしさをもたらした。次いで少しの苦みがなめらかに舌の上で踊る。
こんなにおいしいものだったのか。
つかの間うっとりとしたステラだったが、バーニーがさらに箱を差し出して来るのにはっと我に返る。
「いくらでもあるし、クッキーとマカロンもあるぞ」
どことなく得意げに見えるのは気のせいだろうか。
クッキーとマカロンの山は非常に魅力的だったが、こらえ性のない子供時代と今では違う。
なんとかクッキーから視線を剥がして、ステラはバーニーを見上げた。
「……あなたは、同居人になるんでしょう。なら、こんなに尽くす必要はないわ」
言葉を崩すのは、とてつもなく勇気が必要だった。
けれど少なくとも、この青年は現状ステラをすぐに害する気はないらしい。
カイロスから助けてくれるくらいには。
長期戦になるのなら、ステラもずっと気を張っているわけにはいかない。なら、少しは歩み寄ったほうが自分のためにもなる。そう、考え直したのだ。
ステラの緊張もよそに、バーニーはほのかに表情を明るくなるが、少し不満そうだ。
それでも、怒りはしないらしい。
ならばと彼が口を開く前にこう続けた。
「でも、チョコレートはおいしかったわ。ありがとう」
するとバーニーは琥珀の瞳を輝かせた。虹彩の中で火花のような煌めきが散る。
あの頃褒めたときと変わらない、喜びの表し方だ。
「撫でてはくれないのか」
ステラが一瞬見蕩れた刹那、そんな風に言われてぐっと心がえぐられた。
(た、確かに言いつけをちゃんと聞けたときは、ご褒美に撫でてあげていたけれど、犬同然に撫で繰り回すだけだったわよ!? そんなのが欲しいの!? 激やば時代と同じように振る舞わないか試してるの!?)
思い出したせいか、なぜか彼の腰で犬の尻尾がぶんぶん揺れてるように思えてしまう。
「あのぅ……それはそのう」
顔を引きつらせて言葉を濁していたら、バーニーは頭を下げる。
まるで撫でられるのを待つように。ステラが見ている中で、さらりと赤い髪が肩口から流れていった。
駄目だ、無理だ。ステラは目まぐるしく考えた末に、彼がまだ持つチョコレートの箱が目に入った。
そこから一つ取ると、勢いよくバーニーに差し出した。
「あの頃はあの頃。ほら、あなたが買ってきたんだから、食べなさいよ」
これでごまかされてくれないだろうかと祈っていると、バーニーが顔を上げてチョコレートを見る。
ステラは、受け取り拒否されるか、もらうにしても彼が手のひらを出して来ると思ったのだ。
しかし、近づいてきたのは、赤い髪に包まれた形の良い頭で。
日に焼けた顔が精悍に整っているのがよく見えたと思ったら、指先が温かくなる。
バーニーの唇に咥えられていたのは、ステラが持っていたはずのチョコレートだ。
口で直接取られたのだ、と気づいたときには、チョコレートは彼の口の中に消えていた。
「ご褒美を貰えるよう、役に立つ」
ステラは指先を引っ込めて叫んだ。
「そ、そんなこと教えた覚えないわ!」
声が震えてしまっていたし、顔が真っ赤なのは間違いない。彼の口に呑まれかけた指先は、発火したように熱い。
(わからない、自分の犬だったはずなのにこれっぽっちも!)
ステラは前途多難さに内心頭を抱えるしかなかったが、ぐうと腹が鳴る。
一瞬自分かと思ったが、腹を押さえたのは、バーニーのほうだった。
「っご飯にしましょう! ああそう! 食費は払ってちょうだいね!」
「っああ」
「あと、今はステラで通ってるの。ご主人なんて呼ばないで。それからあなたが買った物についてもどうするか話し合うわよ」
「わかった」
ステラが足音を立てて奥へと入っていくと、バーニーがついてくるのを感じる。
背後に感じる気配が懐かしい、と思いかけるのをステラは必死に堪えたのだった。




