3.みつけた③
豪速で鍵をかけるなり、間髪入れずに駆けだした。
半ば無意識に、逃亡に必要な最低限の荷物をまとめた持ち出し袋をひっつかみ、全速力で玄関から真反対の部屋に向かう。
その間も心臓は暴れ回るような鼓動を打っている。
(やばいやばいやばいやばい!)
心は混乱と焦りで乱れきっていた。
一番会いたくなかった存在だった。
なぜここにや、どうやって突き止めたのか、などの疑問はとにかく後回しだ。
とにかく一分一秒でも早く逃げなければいけない。
(だって彼は、私がノータリンだった我が儘姫時代に、犬としていじめ倒した奴隷なのよ!?)
ぶわっと焦りで息が乱れる中でも、ステラの足は勝手に動いていた。
空き部屋の窓を開けて火事場の馬鹿力で抜けだし、共用の中庭に出るなり再び走る。
家の間を通り抜ければ、裏路地に出られる。
そうすれば、土地勘のない者はたどり着けないはず。
ステラが路地へ向けて駆けだそうとした刹那、頭上から大きな影が降ってきた。
ずだんっ! と、重い音をさせてステラの進路を阻んで着地する。
撒いたはずの青年、バーニーだった。
屋根を乗り越えて来たのだと直感的に理解する。
たたらを踏んだステラに、まるで見せつけるようにゆっくりと立ち上がったバーニーは首をかしげた。括られた真っ赤な髪が、ぞろりと滑り落ちる。
「追いかけっこかご主人」
影になった顔の中で、琥珀色の瞳だけが炯々と輝いている。
その姿が自分を追い詰める悪鬼にしか見えなかったステラの心が絶望に染まる。
不意を突いたはずなのに、軽々と追いつかれてしまった。
もう、逃げられない。
かくなる上はこれしかない。
ステラは決死の覚悟で、むき出しの地面に両膝を突き、東洋で最上級の謝罪の姿勢……土下座した。
「申し訳ございませんでした!!!」
地面に額をこすりつけたステラは、そのまま一気にまくし立てる。
話していないと恐怖に押しつぶされそうだった。
「幼い時分の行動とはいえ、あなた様にした数々の仕打ち誠に申し訳ございませんでした! 愚かで卑しく、獣以下の私めがお願いできる立場ではないことは重々承知しておりますが、どうか、命だけはご容赦くださいますことを平に平にお願い申し上げます……!」
もちろんこの間も、顔を上げずに地面に押しつけたままだ。
正確には、地面に突いた手に額を乗せている。こうすれば、いきなり頭を踏みつけられても、痛い思いは最小限にできる。
こんなに震えていても、ちゃんと謝罪できるのだなと、ステラは内心少し驚いた。さすがに何度も実践しただけはあった。
どうなるだろうか。他の人間ならともかく、この青年に命乞いができるとはステラは思っていない。
一秒でも長く生きて、この状況を打破できる手がかりが欲しい。
沈黙が永遠のように長かった。
どくんどくんとステラの心臓が痛いほど鳴る緊張の中、視界の端で、バーニーの足が動く。
ようやく降ってきたのは、のどかな声だった。
「? 命の危険があるのか?」
(今まさにあなたに対してですが!?)
という悲鳴をステラはなんとか呑み込んだ。
さらにざりと音をさせて彼が膝を突くのが見えて、身を固める。
「大丈夫だ、俺は強くなった。あなたを守るくらいは十分できる」
「つよ、く……?」
「剣闘場で一番になった。だいたいの人間は殺せる。――それより地べたは冷たいぞ、座り込むのはよくない」
言うなり、バーニーはステラの体を抱え上げたのだ。
「ッ!?」
うずくまる成人女性を持ち上げるのは苦労するはずなのに、そんなそぶりはまったくなかった。そのままバーニーはステラを横抱きにしてしまう。
ステラは暴れかける体を押さえるので精一杯だった。
一つでも抵抗する様を見せたら、なにをされるかわからないという恐怖が勝った。
どこに連れて行かれるのか、絶望の中で身を固めていると、彼が大股で向かったのはステラが出てきた窓だ。
抱えたまま悠々と窓をくぐったバーニーは、なにもない空き部屋を通り抜け、居間に行くと辺りを見回す。
一人暮らしの家だ。大した金目のものはない。むしろ金目のものが目的なら全部持っていって良いから解放してほしい。ステラが祈っていると、バーニーはなぜか一人掛けのソファにステラを丁寧に下ろした。
なにもされなかった。だがしかしまだ誰にも見られない場所に移動しただけかもしれない。
油断はできないと、ステラは身を固めるしかない。
(これから拷問とかも十分あり得る)
だがバーニーはステラをソファに下ろしたきり、目の前に立ったままだ。
恐る恐る彼を見上げると、赤々とした髪を背に流した彼が無表情で見下ろしている。
怖い、怖すぎる。
沈黙に耐えきれなくなったステラは、声を上げた。
「あの! なぜ、こちらに……?」
ステラの居場所を知る者はいない。自分が入れられた修道院の場所ですら、表向きは公表されていないのだ。
彼一人で探し出したとはとうてい思えなかった。
バーニーの琥珀の目が、少し輝いたように見えたのは気のせいだろうか。
「『待て』をしたが、ご主人は迎えに来なかった。俺はご主人の犬なのに」
期待していた答えではなかったが、その言葉にステラの黒歴史が鮮やかに蘇る。
確かに「待て」をしたのだ。自分が逃げるために。




