2.みつけた②
アヴァリス伯爵家は、人身売買をはじめとした違法取引、詐欺、横領、恐喝、暗殺……おおよそ人間が行うありとあらゆる悪逆を成してこの国の影に君臨した貴族の名だ。
当時のステラもまた家の権力を笠に着て、我が儘放題贅沢三昧をした、横暴な姫だった。
ただそんな栄華が長く続くわけもなく、十年前に現王に代替わりをしたとたん、あれよという間に罪が暴かれた。
そこを長兄は挽回しようと、うっかり国王暗殺を企ててしまったのがダメ押しになった、らしい。
捕まった長兄はそのまま処刑。母親は愛人と言う名の奴隷に毒を盛られ、自慢の美貌が爛れた末に狂い死に。
父は、往生際も悪くステラと数人の奴隷をつれて逃亡したが、結局捕まり、一度入ったら二度と出られない地下監獄に入れられた。今は死ぬことも許されず、死因を問わず、今まで自分が虐げ尊厳を冒し、傷つけ殺してきた者達が負った外傷を味わい続けているという。
刑期が終わればようやく死を迎えられて報道されるはずだから、十年経った今でも音沙汰はないから、刑罰は終わっていないのだろう。
父親ながら業が深いものである。
だが、持て余されたのは残された子供である次兄とステラだ。
普通なら国王暗殺を計画した者は一族郎党まで処刑である。
しかし腐っても貴族であるアヴァリスの子供達には、希少な魔法特性が宿っていた。
この世の神秘である魔法を使うのに必須の才能は、今では貴族の中でも持つ者が少ない。
父親は自在に雷撃を起こせたし、長兄は火で焼き尽くせた。
これがあったからこそ、アヴァリスは多少の悪徳は見逃されていたといえる。
だからこそ、国は惜しんだ。
結果、その特性を国内で利用し更生を促すという名目で、次兄とステラはそれぞれ国一番戒律が厳しい教会と修道院に放り込まれた。
ステラは当時十歳。
もちろん、今まで我が儘放題だったステラは荒れに荒れた。
好きな時間にお菓子を食べるどころか、食事も決められた時間だけ。自分のことは自分でしなければならない。誰かに当たり散らしたくとも、ぶたれるのは自分のほう。
たった十歳の子供にとっては厳しいものだった。
だが修道院は容赦なく、ステラの甘ったれた根性をたたき直したのだ。
いくら泣いても、怒っても、わめいても、修道院長は容赦しなかった。
どのようなことをアヴァリスがしでかし、それがいかにこの国では許されないことなのか。
ステラがどれほど恨みを買い、ステラが一つ言動を間違えるだけで、安全どころか命を脅かされるか。
守ってくれる者は誰もいないことを、一つ一つ手段を選ばず教えてくれたのだ。
今思えば、ステラの置かれた境遇は危うい均衡によって成り立っていて、修道院長にはステラを使いものになるようにしろ、という圧力があったのだろう。
それでも厳しく指導されたその結果、ステラは自分がいかに甘ったれで我が儘で、獣以下の恥ずべき行動をしていたのかを思い知ったのだ。
今では感謝をしているし、アヴァリスの末娘だった頃は、立派な黒歴史である。
そもそも魔法が使えなければ、ステラは即座に被害者達の恨みを晴らす生贄になる。
自分の立場を嫌というほど理解したステラは、文字通り死に物狂いで魔法の修練を積み、治癒魔法の才を開花させた。
それからすっかりおとなしくなったステラは、慎ましく勤勉に周囲に迷惑をかけず、謝罪の心を忘れずに生きてきた。
その結果二年前、ステラが十八歳の頃、ちょっとした騒ぎをきっかけに、修道院長からのお達しで還俗を許された。実質の釈放だ。
あれだけの悪逆を成したアヴァリスの子としては、破格の待遇だった。
以降、上達した治療魔法を役立てるため、ステラはこうして市井で治療師として生活をしている。
だがけして罪が許されたわけではないと重々承知していた。還俗を許されたのは、修道院が襲撃されて、怪我人が出たからだ。
恨みは連鎖して逃れられない。
ステラにとって、修道院は監獄であると同時にステラを守る城壁だった。
アヴァリスが背負った恨みは深く、十年経った今でも褪せていない。数え切れないほどの憎悪が向けられている。
けれど、ステラも諦めるつもりはない。
目立たず、慎ましく、地味に、少しでも長く、生きながらえるのだ。
くだんの冒険者の出待ちを心配していたが、幸いにもそのようなことはなく、ステラは安堵する。
夕暮れ時、勤務を終えたステラが帰る家は、街中にある一軒家だ。
こじんまりとはしているが、居間を中心に、台所と寝室とバスルームなどの設備がそろっている。一人で暮らすには広すぎ、けれど家族で住むには部屋数が足りないと長らく空き家になっていたそうだ。
アヴァリス家時代からすれば納屋も同然だが、人一人が暮らすには十分過ぎるのだと知った。
家事は全部一人でしているが、修道院時代にすべて仕込まれているから問題なかった。
帰ってすぐ、ステラは玄関脇にかけている鏡で己の顔を確認する。
栗色の髪を地味にひっつめ、目元は前髪で隠れ、頬にはそばかすが散っている。
その姿に、かつて妖精姫と呼ばれた面影はない。
頬には毎日化粧でそばかすを散らしているし、地毛は銀髪だが、染料で染め続けていた。少し落ちても多少なら白髪だと思ってくれるだろうが、気は抜けない。
染料も化粧も落ちていないことを確認して、ステラはようやく息を吐ける。
「あの脳天気冒険者……私がどれだけ気を遣っているか知りもしないで好き勝手して……!」
居間の一人掛け用ソファに体を沈めたステラは、ぶつけられなかった悔しさとおぞましさをぶちまけた。
修道院から追い出されて約二年、方々の街を渡り歩いて、ようやく見つけた就職先なのだ。
院長はステラに新たな身分を用意してくれたとはいえ、過信はできない。
ジラルドは即戦力であればステラの素性をうるさく聞いてこない、ありがたい雇い主だった。
あの職場をできる限り手放したくない。しかし、ここでもしもめ事になれば注目を浴びることになり、ステラの不自然な経歴に目を向ける者が現れるかもしれない。
どんな些細なことでも、なにが原因でたどり付かれるかわからない。
リスクはできるかぎり避けなければならなかった。
「なんとか、穏便にあきらめさせなくちゃ……なるべく穏便な方法で」
もうステラは、普通の娘なのだ。平穏な毎日のために、相手を排除したり殴ったりしない解決方法を探さなければならない。
決意をすると、ぐう、と腹が鳴る。
締まらない空気に思わず笑ってしまった。
もうくたくたで頭が回っていなかったが、ステラは立ち上がった。
「まあ、腹が減ってはなんとやら、ね」
もう、声を上げればごちそうが出てきた日々は遠い記憶の彼方だ。
すでに自分で食事の準備をするのが身に染みついている。
「朝作ったスープにパンでいいか。別に毎日違うものを食べなくても平気だってわかったのは、収穫だったわ」
あとは奮発して、買い置きのオレンジを剥こうか。
甘い菓子はステラの給料で買うには高くて、もう何年も食べていない。
こういうくさくさした日には、マフィンやクッキー、チョコレート。ゼリーやパウンドケーキに、マカロンなどありったけの甘いものを食べていた。
(――あるいは)
思い出しかけたステラは、それを記憶の底に沈める。
ステラはもう常識をよく知る一般人なのだ。恥ずべき行いなど絶対しない。
台所でスープの鍋をレンジの火にかけようとしたとき、玄関のノッカーの音が響いた。
そのときステラはまたか、と思ってしまった。
夕食どきだから、近所の一人暮らしの老婦人がおかずをお裾分けにきたのだろう。
なにぶん老婦人は、治療院の常連のため、へたに断ると角が立つのだ。
ほどよく人が居る街だが、やはり独り身の女は注目を浴びやすく、うまく断れないせいでずるずると関係が続いていた。
しかたがない、とステラは玄関へ向かうと、もはや習慣になっている鏡で自分の姿を確認してから、扉を開いた。
あとから、この常ならぬうかつさを悔やむ。
「はーあ、い?」
二重鍵を開けて扉を開くと、ステラの前に壁に阻まれた。
いや、壁ではない。視界を埋めるほど大柄な男が立っているのだ。
反射的に顔を上げて、ステラはぽかんとする。
燃えるような赤がそこにあった。
夕日が差し込んでいてもなお溶け込むことのない純粋な赤が、うねるように彼を彩っている。
それが肩に流された長髪だということに思い至り、次いでその持ち主に魅入られる。
精悍な美貌だった。太い眉に鋭い目、まっすぐ通った鼻梁が雄々しい。
頬に傷があってもそれが野性味として受け入れられるだろうと、容易に想像がついた。
立派な体格を簡素な旅装に包み、背には大剣を負っている。
物腰からなにまで一切の緩みがなく、歴戦の傭兵と言われても納得できる。
見たことのない青年のはずだった。
こんな片田舎に似合わない偉丈夫など知らない。
なのにステラは、赤々とした髪に記憶が刺激された。
幼い頃、この赤を気に入っていた。
『――赤いからなまえはそうね、』
「バーニー……?」
ステラの口からすべりだした単語に、青年はゆっくり瞬く。
その光彩は琥珀色のきらめきを持っていた。
薄い唇の端が、ほんの少しだけ上がる。
「ご主人、久しぶりだ」
聞いたことのない低い声で紡がれた言葉を聞いたとたん。
ステラは即座に扉を閉めた。




