23.おいで①
数日後、洗面台に立ったステラは、専用の落とし剤を使って、慎重に髪の色を落としていく。
くすんだ茶色の水が排水溝に流れていくにつれて、銀の艶を取り戻していった。
布で拭いて乾かせば、鏡に映るのは元の銀髪の娘だ。
そばかすの化粧もしていないから、一層美しく、鮮やかな水色の瞳が鏡越しに見返してくる。
本当にこれでいいか、不安はある。それでも、もう決めたことなのだ。
一つ息を吐いたステラが洗面所を出ると、バーニーが待っていた。
彼はステラを見るなり、嬉しそうに目を細める。
「星の色だな。やっぱりご主人は綺麗だ」
「綺麗だから飼われる訳じゃないでしょ」
ステラが斜に構えた物言いをしても、バーニーは小首をかしげるばかりだ。
「当たり前だ。ただご主人がキラキラしているのを見るのが好きだった」
素朴な答えにステラのほうが口をつぐむしかない。
周囲にはもてはやされていたが、自分の髪に興味はなかったし、アヴァリスが崩壊してからは罪の象徴になった。
けれど、少しだけ胸を張れそうな気分になってしまいそうなのが悔しい。
「……行くわよ」
「ああ」
ステラ達が向かったのは、同じ宿に泊まっているヴェルシュの部屋だった。
我が家が使い物にならなくなってしまった上捜査などの関係で、一旦ヴェルシュと同じ宿に避難していたのだ。
化粧をしていないステラを見たとたん、ヴェルシュは少し目を見張る。
「なんです?」
「そんな顔をしていたんだな、と」
素直な反応におかしくなりつつ、彼が座る椅子とテーブルを挟んだ向かいの席に座ったステラは、まずは頭を下げた。
「襲撃の口裏合わせをしてくださって、ありがとうございました」
はっきりと顔をしかめたヴェルシュだったが、嫌悪は浮かべなかった。
「……別に。あの三人組は余罪が多くあった。元々極刑は免れなかった人間だ。君を調べた痕跡は残っていたが、自警団がお前にたどり着くような証拠はなかった。正当防衛として収拾できる範疇だ。それにしたって、やり過ぎではあるが、な」
言いながらヴェルシュが見たのは、ステラの背後に立つバーニーだ。
座らないのか、という視線での問いかけをされたが、ステラは無視した。
ステラが襲われた事件は、強盗を同居人である冒険者が撃退したという話で落ち着いた。
なにせ実行犯が全員死んでいるため、ステラ達の証言以外調べようがなかったのだ。
襲撃者達は、アヴァリスから解放されたあと真っ当に生きられなかったらしく、後ろ暗い生活をしていたようだ。
アヴァリスに復讐心を募らせた者同士で合流し、今回の件につながったらしい。
だが、ヴェルシュがここまで協力的になってくれるとは思ってはいなかったため、ステラは密かに驚いた。
だからこそ、こうして会って交渉しようと考えたのだ。
「ですが、私の居場所はすでにバレたと考えて良いでしょう。そこでクルーゾー様に提案があります」
「なんだ」
「バーニーを騎士団で働けるようにする代わりに、私の保護を求めます」
ヴェルシュの眉間にぎゅっとしわが刻まれる。
「……なぜそうなる」
「わからないとお思いですか。たかが一騎士団員が出奔した程度で、わざわざ連れ戻しに人員を割いているんです。騎士団か、王家か……どちらかは知りませんが、バーニーをアヴァリスの負の遺産から脱却した象徴としたいのでしょう?」
ひくりとヴェルシュのこめかみが痙攣したことで、ステラが間違っていないことを理解した。
バーニーは奴隷であり、剣闘士だった。才能を見いだされたと言えば聞こえは良いが、「アヴァリスの」とつく彼はひどく扱いづらい不良債権だ。
十年経った今でも、アヴァリスの名は汚濁と穢れに満ちた、ある種のタブーになっている。
被害者である襲撃者達がまともに生きられなかったほどには。
「バーニーを子爵令息にしてまで『アヴァリスの支配から解放され富と名声を掴んだ英雄』みたいなイメージが欲しいんじゃないですか。それくらい、まだアヴァリスの影響が根強く残っていて、それを王家は封じ込められていない」
修道院から出てから、ステラは遡れるだけの新聞を読んだ。ここ最近の新聞だけでも、摘発した組織がアヴァリスの残党だった、盗賊の一味がアヴァリスの子飼いだったなど、十年経ったとは思えないほど話題に事欠かない。
それだけ、この国はアヴァリスを駆逐できていない。まだ過去になっていないのだ。
「だから、バーニーを広告塔にしたいのでしょう? アヴァリス家に直接虐げられてきて剣闘奴隷にまで落とされたのに、その腕一つで成り上がり、貴族に見いだされて騎士にまでなった青年。とても映える経歴を持っているもの。彼が活躍することで、たとえアヴァリスと関係があろうと出世できて幸せになると喧伝したい。あなたも、団長様から目を掛けるように言われた、違う?」
ヴェルシュは今までになく怯んだように口をつぐむ。
だからステラは弁舌を続けた。
今回の目的はやり込めることではない。お互いに建設的に取り引きをしたいのだ。
「望み通り、バーニーに命じて、英雄として活躍させるわ。バーニーは私の言うことだけは聞く。あなた達は、最高の騎士を手に入れられるわよ」
「だとしても、二心あるとわかっている騎士を誰も使おうとは思わないぞ」
苦々しげに言うヴェルシュの悪あがきに、ステラはぱちぱちと瞬いただけだ。
「あら、だからこそよ。それに、あなた達のほうが得るものが大きいのよ。だって、最高の治癒師まで付いてくる上に、アヴァリスたる私を餌として利用できるのだもの」
とうとうヴェルシュの顔が歪んだ。
否定できないだろう、とステラは堂々と胸を張る。
彼はすでにステラの本来の実力を知ってしまっている。四肢をなくしても短時間で繋げられるほどのすさまじい治癒師は、教会に囲い込まれ、なかなか出てこない。
騎士団という常に危険と隣り合わせの現場で生きている以上、無視できないはずだ。
「アヴァリスが生きていて、御しやすい若い娘だったら? かつての悪徳を忘れられない人間は、担ぎ上げようとするでしょう。私を見張っているだけで、あなた達があぶり出したい残党を一気に見つけられるわ」
ステラはけして、伏してお願いする側ではない。対価を要求できるだけの利益を渡せるのだ。
なんら臆することなどないと、まっすぐ背筋を伸ばして見据えているとヴェルシュは大きく息を吐いた。
「急にふてぶてしくなったな。このままバーナードとアヴァリスから逃げようと思わなかったのか」
その問いに、ステラはくすりと笑った。
「あら、私は逃げるいわれがないのに、逃げ回るのっておかしくないかしら? だって幼い私を生かしたのはあなた達なのに。だから私を生かした責任を取ってもらうのよ」
アヴァリスはステラを縛る足かせだ。それでも、見方を変えれば唯一無二の価値でもある。
ならばとことんまで利用してみせよう。もう誰にも奪われないように。
自分の物は、自分で守るのだ。
悠然と足を組んで、ステラが手を上げると、バーニーが身をかがめて手に頬を寄せてくる。
「それに、私の犬の優秀さを見せびらかすのも、主人の楽しみでしょう?」
微笑む自分は、きっとヴェルシュにはアヴァリスの悪逆そのものに見えるだろう。
それでいい。もう無益に自分を偽るのはやめたのだ。
そんなステラを、バーニーはうっとりと見つめている。
髪が手を撫でるのがこそばゆい。
ヴェルシュは嫌な物を見たと言わんばかりに顔をしかめたが、結局こう答えた。
「一旦、持ち帰る。だが、ブルクス団長は許可するはずだ。本当にバーナードがまともに働くようになるならだ」
念を押すのは、おそらく最後の悪あがきなのだろう。
確かにある程度の保証は必要だ。と納得したステラは、バーニーを見上げた。
「優秀な騎士の振り、できるわね」
「あなたが言うのなら。見本は目の前にあるから、できる」
間髪入れず是と返すバーニーに満足しつつも、ステラは少々意外に思った。
目の前ということは、ヴェルシュのことか。
確かに四角四面そうだが、正義感はたいそう強く、心底嫌悪していたはずのステラの言い分でさえ、こうして一定の聞く耳を持つ。愚直なまでに公正な人物だ。
騎士らしいといえば、彼のような人物を言うのだろう。
(だから私みたいなのにつけ込まれるんだけど……あら)
内心独りごちていたステラは、ヴェルシュの顔が見る間に赤らんでいくのをまじまじと見た。
「なっ、お前、一度もそんな風に……」
「あら、バーニーに認められて嬉しいの?」
「なあっ!? そ、そんなわけないだろう」
隠しようもなく顔を真っ赤にして狼狽えるヴェルシュは大層愉快で、ステラの口角は上がる。
これは良い弱みを見つけた。
当のバーニーはいぶかしげにするばかりだ。
「褒めた覚えはないが」
「うるさいうるさい! ともかくお前達、団長の許可を得るまではおとなしくしていろ。――簡単でも、別れはすませてこい」
真面目なトーンには、ステラへのいたわりが含まれていて。
こういうのをお人好しと言うのだろうなぁと、ステラは居心地の悪さにちょっとだけもぞもぞとした。
王都への連絡は恐ろしいほど早く済み、ステラは会合の一週間後には王都へ旅立つことになった。
治療院を逃げるようにやめることになったのを少しだけ申し訳なく思いながら、別れの挨拶をする。
勤め始めてほんの数ヶ月での退職は、嫌な顔をされるかと思えば、ジラルドをはじめとした治癒院の面々も患者達も名残を惜しんでくれた。
「騎士様が訪ねてきたときから、薄々わかっていたよ。オンブルさんは身を隠さなきゃいけない事情があって、こんな田舎で働いてくれたんだろう」
ジラルドの言葉に、バルバラもマリーもうなずいている。
見ているのはステラの戻った銀髪で、ステラは口をつぐむしかなかった。
自分は彼らが思うような悲劇の姫君ではない。犯罪者であり、誰からも憎悪される人間だ。
きっと本当のことを話せば、こうして優しく掴んでくれる手も、沢山くれた餞別の品も消え去ってしまうのだろう。
それくらいのことを、アヴァリスはした。よく知っている。
「ありがとうございました」
けれど、一生話せないことがあったとしても、胸にこみ上げてくる感謝の気持ちを口にすることは許してほしかった。
治癒院を辞したあと、馬車に乗り込んだステラは頬を伝っていく雫を感じた。
みっともないな、と思う。
向かいに座るヴェルシュはあからさまに狼狽える。決まり悪さがひどくなって、ステラは顔をそらした。
すると隣に座るバーニーがゆっくり瞬いたあと、ぽつりと言った。
「ご主人は、すごくがんばったんだな」
「……うん」
ただ寄り添ってくれる、大きな犬のぬくもりが今は少しだけありがたい。




