20.行け②
「クルーゾー様は、七歳の頃、なにしていらっしゃいましたか」
唐突な質問に、ヴェルシュが顔をしかめる。
理解できないとありありと顔に書いてあったが、それでも考えるように視線をさまよわせる。
「そんなもの庭で騎士ごっ……いや、家庭教師について学んでいたに決まっているだろう」
騎士ごっこしていたのか、とステラは微笑ましく思った。
七歳は庇護されるべき存在だ。常に大人がいて、正しい方向に導かれる。それが普通だ。
「私が七歳のときは、兄や父の友人に遊ばれないよう、どう逃げるか頭を絞っていました」
「は……? 遊ばれ……?」
「あ、わかりませんか。昔の私は美少女だったので、少女を性的に可愛がったり痛めつけたい趣味の大人が、よく隙を突いて私の部屋に侵入してきたんです。そういう大人は、手を出す気が失せるほど、自分が被害者になるかもしれないと思わせるほど、私を残酷に見せるのが効果的でした」
「!?」
絶句するヴェルシュに、ステラは苦笑した。
「他にも、少しでも気を抜くと使用人達に報復されるから、安全を確保しなきゃいけないし、毎日食事に毒が入っていないかはずっと気にしていました。私にとっては、暴力が身を守るすべで、それ以外の方法を知らなかったんです」
「は、両親はっ……くそだったが、家庭教師とかいただろう!?」
にわかに信じられないとばかりに声をうわずらせるヴェルシュの発想が純朴で、いっそ可愛いなとステラは微笑ましくなる。
「家庭教師なんて、一週間持てば良いほうですよ。みんな誰かしらの不興を買って死ぬか、逃げ去るかのどちらかでした。それくらい、私が生きていた世界は、先に殴らなければ殺される場所だったの。それこそ生まれた時から十歳で捕まるまで」
「……」
言葉もないヴェルシュに、ステラはいっそ穏やかに語った。
「大人は、敵だわ。信じられるのは自分だけ。してはいけないことをしてでも生き延びた。でも、家がなくなって、今まで自分を守っていたことは、『悪いこと』だと嫌というほど教え込まれて、謝罪しろって言われた。ふふ、私がアヴァリスだった時代は、誰も近づいてこなかったのにね」
「……それは、世界がひっくり返っただろうな」
ぎこちないとはいえ、ヴェルシュに相づちを打たれるとは思わず、ステラは少し驚いた。
「でも、ちゃんと謝ろうと思ったの。悪いことをしたら謝る。それがアヴァリスから出てはじめに学んだことだったから。修道院の皆が言うとおり、清貧に生きて、罪人の子であることを忘れずに、生かしてくださるすべてに感謝をして、慎ましく這いつくばって謝り続けた。――でも誰も許してくれないの」
土下座を求められたら、何度でもした。
冷たい床でも、頭を踏みつけられても、泥を投げられてもずっと頭を下げ続けた。
治癒魔法で傷病患者を救えと言われたら、毎日毎日、魔力がつきるまで奉仕した。
食事を抜かれても、ひもじさと惨めさを覚えても、歯を食いしばって耐えた。
こうして贖罪を続けていれば、いつかステラも、同じ修道女として――普通の人として認めてもらえると信じて。
(けれど、そんな日は、こなかった)
「何度要求に応えても、何度謝罪をしても、修道女達は足りないと言って、私をアヴァリスの悪魔としてあつかった。次第に、彼女達は私を使って奉仕活動を怠けるようになったわ。その矢先に私が襲われる事件があって……。だから院長の判断で、私は修道院から放逐された」
最後は悪魔と罵られながら育った場を去ったのだから、皮肉なものだ。
きっと次兄も同じような境遇だったのだろう。
善良な人であるはずの人々に助けてもらえず、ずっと悪魔だと罵られ、搾取され続けた末に、ステラよりも早く限界に達して――殺されたのだ。
だから、ずっと聞いてみたかったのだ。
修道院という小さな枠を出た先の、普通の人に。
凍り付いた表情をするヴェルシュに、ステラはいびつに笑ってみせた。
「ねえ、教えてほしいの。学ぶことさえできなかった子供が、世間の善悪がつくと思う?」
「……おも、わない」
「なら、私はいつまで償ったら普通の人になれるの?」
「……」
ヴェルシュは答えることはなく、黙りこくった。
ああ、やっと言えたとステラは少しだけ気が楽になる。
結局アヴァリスから抜け出しても、ステラにとって世界は変わらず地獄だった。
皆ステラに己の欲望を押しつけ、奪ってきた。
はじめは傲慢なアヴァリスの悪魔としての生き方を。
次は、罪人として糾弾できて、偽善的な正義を得るための生贄の役割を。
いつか許されると信じて、ひたすら贖罪をし続けてきたけれど、もう十年だ。
アヴァリスの悪魔として生きた時間を超えても許されない現実に、ステラは疲れ切っていた。
それにしても、話しすぎたなと決まり悪さが戻ってくる。
ただ少しだけ、ヴェルシュに意地悪をするつもりだったのだ。
彼はずいぶん真っ当に生きてきた青年のようだから、このようなことを打ち明けられても、答えられずに黙るしかないだろうと予想していた。
案の定、彼は俯いて膝で拳を握りしめている。
(こんな風に意趣返しをしたくなるところが、私が許されない要因なのかしら)
答えは一生出ないだろう。
しょうがない、助け船を出してやろうと、ステラが人好きのする微笑みを浮かべかけたとき、ヴェルシュが顔を上げた。
そしてあまりにまっすぐステラを見つめるものだから、驚いた。
「バーナードも、そうだったのか」
「はい?」
「あいつがその……お前に仕え続けようとしているのは、お前と同じようにそれが異常なことだと理解していないから、か?」
その発言に目を見張る。
真意がわからずステラが警戒するなかで、ヴェルシュは勝手に納得したようだった。
「いや、別に肯定しなくて良い。それなら、彼が頑ななのも理解できると思ったまでだ。忌ま忌ましくとも、あいつの中では、君はまだ主人なんだな」
深い深いため息を吐く彼が、さすがに気になってステラはおずおずと聞く。
「騎士団に、いたって、聞きましたけど。彼はどんな風に過ごしていたんですか」
怒鳴り返されると思ったが、しかしヴェルシュは今までになく、平静に応じてくれた。
「バーナードはいつも生き急いでいた。私は、剣闘士時代のあいつを見たことがある。最も危険な魔物のおとり役をしていて、生き延びれば十分なのに、短剣一本で仕留めていたな。子供心に憧れた。その頃から髪は長かったな」
ヴェルシュが、意外なほどバーニーのことを幼い頃から知っていることに驚いた。
だがステラもはじめは捨て石として剣闘士デビューしたことは知っている。古い新聞の一覧で見た。
「騎士団に来たときに、あの剣闘士だと気づいて、心底心強いと思ったよ。剣闘士上がりだと裏でそしられても、たゆまぬ努力を続ける姿は尊敬できた。だが休日はいつだって剣闘場に繰り出していて、理由を聞けば『迎えに来てくれる人がいるかもしれないから』だ。誰かに馬鹿にされようと、雑に扱われようと気にしないあいつが、必死になるのはその『迎えに来てくれる人』だった」
お前のことだよ、とヴェルシュの目が言っていた。
「バーナードが探していたのはアヴァリスの悪魔と知ったときはなんでって思ったよ。周囲がいくら捨てられたんだと突きつけて、自分のために生きろと説得しても『〝待て〟をされたから』の一点張りだ。しまいには、こうして自力で見つけ出してしまった。しかも仲良く暮らしている? なぜ、自分を虐げて、最後には捨てた相手をそんなに思えるんだ」
「それは、私が一番知りたいことだわ」
声が震えていないか、ステラは自信がなかった。
どうしてあんなにステラに執着をしているのか。
傷つけたはずだ。虐げたはずだ。そして、捨てたはずなのだ。
ステラの信用を得た上で、最高のタイミングで裏切って復讐するためならまだわかる。
だが今の彼に、そんなことをする気がないのも伝わってきてしまう。
するとヴェルシュが小さく笑みをつくる。
そうして笑うと、ずいぶん品良く見えた。もしかしたらかなりの高位貴族出身なのかもしれないと、どうでも良いことを考えた。
「だがな、バーナードが、一度殺すと決めた相手を殺さず見逃したのを見たのは、今回がはじめてだ。それで、少しわかった。あいつの意識はおそらく奴隷のままなんだ」
「……」
ステラは開きかけた唇を途中で引き結ぶ。
(たぶん、少し違う)
奴隷なら、逆らわない。考えない。アヴァリスではそういう風に調教した。
だから、もし奴隷が捨てられたとしたら、野垂れ死ぬか次の主人の元に引き取られて使われることに疑問を持たないはずだ。
自ら考えてステラを探しに来たバーニーは、明らかに外れている。
褒めてほしいと必死に考えて行動し、ステラの関心を希うバーニーはきっと――……。
(犬の、ままなんだ)




