13.毛づくろい⑤
掛ける言葉を見つけられずにいると、バーニーはふと思い至った顔で周囲を見渡す。
目を向けたのは裁縫箱だった。
「ご主人、鋏を貸してもらえないか」
「いいけど、なにをするの?」
「もう必要ないから、切る」
裁ち鋏を差しだそうとしたステラは、バーニーのあっけらかんとした回答に硬直した。
彼が手に握っているのは、赤い髪の束だ。
なにを切るかは明白だった。
「もったいない綺麗なのに!」
とっさに叫んだステラは、裁ち鋏を引っ込めた。
しかも裁ち鋏で切ろうなんて無頓着が過ぎる。断じて許すことができなかった。
ステラは叫んでから、拒絶する権利などないことを思いだしさっと青ざめる。
けれど、バーニーは受け取ろうとした手を止めると、うっすらと笑った。
無邪気ささえ感じられる気の抜けた笑みだった。
「ご主人は、俺を選んでくれたときもそう言った」
確かに言った覚えがある。
バーニーを選び出したのは、目の覚めるような見事な赤毛が気に入ったからだ。次点で並べられた奴隷の中で、最も御しやすそうだったからだ。
「でも、勝手に名前まで付けたのよ? しかも髪を伸ばすことまで強要したわ。ひどいことをあなたにしたのよ」
そう、バーニーのあの瞬間まであった人生を軽々と否定し、人としての尊厳を無視した発言だったはずなのだ。
ステラの訂正の意味がわからないとばかりに、バーニーは透き通った目を向けてきた。
「大勢の中から俺を選んでくれた。俺だけを特別にしてくれたのだろう?」
なぜバーニーは、大事な思い出のように語るのか。
「そ、そのあとだって、理不尽な我が儘しか言った覚えしかないわよ」
「俺ができると思って任せてくれたのだろう。できないのなら俺のせいだ」
あまりにまっすぐな目で言われるものだから、ステラのほうが怯んでしまった。
十歳にもならない我が儘な娘が、そんな小難しいことを考えるわけがない。
「困らせるのが、楽しかったのよ」
「困ったところまで、喜んでくれたのだろう? なのにできたら褒めてくれた。嬉しかった」
バーニーが言う「褒めた」は本当に「よくできたわね」など言葉をかけたり、撫でてやったりするだけだ。どんなに命がけの命令でも、それだけだった。
バーニーにとっては地獄の日々だったはずだ、なのに、なんて嬉しそうな顔で言うのだろう。
「それに、俺が損なわれたら、怒ってくれた」
持ち上げた髪をそっと撫でるバーニーの姿に、ステラの喉がひく、と鳴る。
たしかに、一度そのようなことがあった。
バーニーは当時の屋敷内でも幼いほうで、ステラの犬という立場も相まって地位としては底辺に位置していた。
なによりステラ自身が彼を雑に扱っていたから、使用人達の鬱憤晴らしの標的にされたのだ。
自分がこれだけ辛い目に遭っているのだから、多少他者を痛めつけても許されるだろうという理論である。
主が主なら使用人も使用人の、今思い出してもろくでもない家である。
バーニーはステラの見ていないところで、暴行はもちろん、不必要な雑用を押しつけられるなど嫌がらせをされていた。
そして挙げ句の果てに、バーニーの赤い髪を切ったのだ。
当時のステラは、無残に切られた赤髪を見た瞬間激高し、加担した使用人全員を処分した。
全員髪を丸刈りにした上での奴隷落ち。
あまり良い値段で売れなかったと家令には文句を言われたが、同じ目に遭わせなければ気が済まなかった。
そしてバーニーには言わなかった罰として、鞭でたたき、ステラのものだとわかるよう、いつでも位置がわかる魔法がかかった首輪を付けさせた。
「理不尽だったでしょうが」
我ながらひどいと思う。こんなものに恩義を感じるものではない。
ステラが複雑な心境に陥っているのに、バーニーは首を横に振る。
「俺を特別にしたのは、ご主人だ。物の俺を選んで、犬にした。私の犬だと言ってくれた」
「だからそれは――」
それが嬉しいと、全身で訴えてくる彼に、ステラは反論しようとして、ふいに気づいてしまった。
ステラは、バーニーが十歳で自分の元に来る以前の生活を知らない。
親が奴隷で、生まれたときから奴隷として教育されてきたことくらいだ。
ステラの言葉で特別になったという彼は、どんな時を歩んできたのだろうか。
それを聞きかけて――……ステラは唇を引き結んだ。
(知ったところで、彼を虐げたことには変わらないのに。なら、仕方がなかったんだとか思って罪悪感を薄めようとしちゃだめよ)
けれど、こうして過去の思い出をバーニーがなんのこだわりもなく話すことに、ステラは少しだけ、救われている。
罪と束縛の象徴だったはずの赤い髪を、大事に扱っていることも。
バーニーの髪を伸ばせば見つけてくれるというもくろみは当たっていた。
ステラも、その髪を見て真っ先に彼を思い出したくらいには、惜しいと思っているのだから。
「ご主人?」
「座って、待っていてくれる?」
呼びかけてくるバーニーにそう言ったステラは腰を上げる。
自分の部屋で目的のものを持って戻ってくると、バーニーはソファーの前に敷いてあるラグの上に行儀良く膝を突いて座っていた。
やっぱりそこなのだな、と予想していたステラは驚かず、持ってきた物――ブラシと櫛、そして髪の手入れに使う香油をサイドテーブルに置いて、ソファに座り直す。
「背中を向けて。私が乾かしてあげる」
「!」
バーニーは目を丸くして硬直する。
珍しくすぐには動かなかった彼だが、ステラが手に香油を構えているのを見るなり慌てて背を向けた。
良いらしい。ステラは手に香油を取ると、バーニーの髪に塗り伸ばした。
大きな背中がびくりと震える。隆起した筋肉が動くのが奇妙に面白く見えた。
奔放な髪は、湿った今はおとなしい。自分の手入れと同じ要領で、櫛を使って油をなじませたあと、魔法で微風を起こして丁寧に乾かしていく。
危害を加えられるほどの力はないが、こういうことができるのは、魔法を使えるようになって良かったと思う。
そうして少しずつ乾いていくごとに、髪が跳ねが出てくるのが面白い。
ブラシで梳きながら丁寧に風を当ていると、はじめ身を固めていたバーニーからどんどん力が抜けていく。
ブラッシングの合間に見える上半身には、大小様々な傷が残っていた。これらすべてが彼が生き延びるために負ったものだろう。
この髪を伸ばしたのと理由は同じ。ステラに見つけてもらうために。
「はい、終わり」
綺麗に乾いたバーニーの赤髪は、以前にも増して燃えるような色を持っていた。
ほのかに女性的な花の香りがするのは、ステラの使う香油のせいだ。
綺麗に手入れした髪はランプの光に艶を持って一層美しく、達成感を覚えた。
くるりと半分だけ振り返ったバーニーは自身の髪に触れる。神妙な面持ちだったのが少々おかしい。
「……さらさらだ」
「ちゃんと手入れをしたら、もっときれいになるわ。魔力もため込みやすくなるから」
髪の質が魔力の貯蔵度合いにも関わってくる。
そう思って告げてみると、バーニーは髪を撫でながら言った。
「俺じゃ、ご主人みたいな手入れは無理だ」
「じゃあ切る?」
試すようにステラが聞くと、彼はぎゅっと赤髪を手で包み込んだ。
食事のときと同じ、大事なものを扱う仕草だった。
「いいや、切らない」
そうか、切らないのか。バーニーの琥珀の瞳がステラを見る。
バーニーは切らない。けれど、ステラは今のままが許せない。
ステラは仕方ないとばかりに肩をすくめた。
「なら、仕方ないわね。私がしてあげる」
切らせないための言い訳作りは、茶番みたいなやりとりになった。
けれどバーニーは嬉しそうに口元を緩めた。
自分からしかけたくせに決まりが悪くなったステラは、ブラシを遣ってバーニーの赤髪をくしけずり、せっかくだからとまとめていく。
すると、バーニーの視線がステラの頭……その髪を滑った。
「俺は、ご主人の髪も綺麗だと思っていたぞ」
「……目立つから、バレないように染めてるのよ」
「だから、顔も変えてるのか」
一人納得するバーニーにステラは口を閉ざした。
修道院から出てまずはじめにしたのは、髪を染めることだ。顔の印象を変える化粧もずっと続けている。
幼少期しか知らない者なら、気づかれない自信があった。
なのに、この男はステラにたどり着いたのだ。
それが意味することはなんなのか。
バーニーはブラシで梳くたび気持ち良さそうに目を細める。
ステラは眺めながらも、なにも言わなかった。
こんな平穏が続くわけがないとわかっていても、今は見なかったふりをしていたかった。




