12.毛づくろい④
バーニーを犬から人間に戻す、と決めたステラだったが、驚くほど平穏だった。
ご飯を食べて、それぞれの職場に行き、終わったらバーニーに迎えに来てもらい、ご飯と湯を使って、時折他愛のない話をしてまた眠る。
休日には、連れ立って食料の買い出しに出すらする。
その姿を見かけたらしいマリーに「で、結婚はいつなの?」と催促される始末だ。
バーニーはバーニーで変わらず冒険者ギルドで仕事をしていた。
ステラは彼の実力がどんなものなのか理解していないが、毎回ステラが帰る頃には姿を現すのは、どんなからくりなのだろうと疑問に思う。
だが、しっかりと食費は払い続けてくれているため、まあいいかと放置していた。
相変わらずステラに復讐をするそぶりもみせない。
どころか、こう聞くようになった。
「なにか、役に立つことはないか」
バーニーは犬であることに固執している。だから役に立つ有能な犬であることを示したいのかもしれない。
理由が察せられても、バーニーが望むような我が儘な振る舞いは却下だ。
かといって、曖昧にはぐらかせば、また初日の買い出しのときのような惨事が引き起こされかねなかった。
悩み抜いた末、ステラは家の細々としたことを頼んでみた。
「なら、ご飯を作れるようになってみなさいよ。まずは朝ご飯ね」とか。
「大物シーツ洗い、大変だからやってくれる? あっ破っちゃだめよ!?」とか。
「自分の部屋の掃除は自分ですること。お風呂掃除とかもしてみるかしら」とも提案した。
物理的にステラ一人では難しい食料の買い出しは、バーニーを伴うのは習慣になっていたが、細々とした家事は受け入れられはしないだろう。
しかし、バーニーはステラに「お願い」をされるたびに、真摯に取り組んだのだ。
「ご主人、やり方を教えてもらえるか」
そうステラに問いかけては、ほのかに表情を緩めさえして、はじめはぎこちないながらも一つずつ課題を乗り越えていった。
数週間経った今では朝食の準備はバーニーの役割になり、掃除は多少甘いが手直しは不要になった。
だけでなく家事をすれば喜ぶと思ったのか、さらに率先してできることを聞いてくるようにすらなったのだ。
しかも勝手にするのではなく、ステラに必ず聞いてくる。
だから、ステラは以前よりも生活の質が上がっただけで、なんら困ることがない。
強いて困っていることを上げるなら、バーニーが相変わらず床に座ろうとすること。
バーニーが買ってくるおやつがステラの舌になじんでしまい、少々頬のあたりがふっくらとしてしまったことだろうか。
前者は仕方なく毛足の長いラグを買ってきて敷いてやった。
以前から足元が寒々しかったからまあいいかと思ってのことだったが、バーニーはことのほか喜んでいた。
「ご主人が、俺のためにくれた物、だな」
単純に罪悪感に駆られたからだったため、そこまで喜ばれると居心地が悪い。
お菓子で太ったことは、痩せ気味だったから許容範囲だとは思いたいが、このまま気が緩んでしまえば今後に響きそうで怖い。
(でも、追い出す、という選択肢はないのよねえ……)
飽きない限り、あるいは目的を達成しない限り、ステラが物理的に彼を退けられることはないのだ。
ため息を吐いたステラは、お気に入りのソファで思案する。
時刻はもう夜で、ステラもくつろいだ部屋着に着替えて、繕い物をしていた。
返品できなかったドレス類の加工をしていたのだ。
過多だったフリルを取り外し、袖の形をなんとかすれば、出勤用の服として使えそうだ。
この繕い物も、修道院にいたときに習った。自分の服は自分で直さねば着られないのだ。
特にステラはよく服が破けていたから、否応なく上達した。
仕立てるまでは行かないが、服になにかを付け足すなどはできるようになった。
生活する上で地味に役に立っている。
修道院の生活はステラに生きるすべをたたき込んでくれた。
その要領で細々とした細工を施していると、ぬっとバーニーが戻ってきた。
風呂上がりの彼は暑いのか、かろうじて下履きは履いているが、惜しげもなく見事に隆起した上半身をさらしている。
こうして半裸でうろつかれても、まったく気にならなくなってしまったのは娘としてはどうかとステラは思う。
ただステラもさすがに半裸にはならないものの、こうして気の抜けた姿をさらしているのだからお互い様だ。
遠い目になりながらも、ステラはふと、彼の髪に目が吸い寄せられる。赤い髪が濡れたことで艶を増し、滝のように背中に流れ落ち、肌に張り付いている。
長い髪は女性的に見られそうであるし、男性が伸ばすだけでは滑稽に感じられそうだったが、バーニーにはそれ自体が彼を飾る装飾品としてよく似合っていた。
惚れ惚れするほど見応えがある光景だったが、本人は鬱陶しそうにタオルでがしがしと拭いていた。
この国では、男性が髪を伸ばすのは、珍しくない。魔力の貯蔵に役立つからだ。
とはいえないよりはマシという微々たる量のため、冒険者などは動きやすさを重視して短く整える者のほうが多い。
バーニーは利便性を優先する質のように見えるから、なおさら不思議だった。
「ねえ、なんで髪を伸ばしているの? そんなに手入れに気を遣ってもいないみたいだし」
ステラが素直に疑問を告げると、バーニーはぱちぱちと瞬いた。
次いで、今もタオルに包んでいる髪を持ち上げてまじまじと見る。
まるではじめて、自分の髪が伸びていることに気づいたような仕草だった。
その反応に困惑していると、髪の束を持ち上げたバーニーがぽつりと言う。
「あなたが、俺をどこでも見つけられるように、目印に伸ばしていた。これはあなたが一番気に入っていたから」
すいと、彼が指で髪を梳く仕草は丁寧だ。
ステラはぎゅうと心臓を掴まれたような心地になる。
痛みに似たそれは罪悪感に似ていた。そういうことにした。
(そこまで、思わせて、いたんだ――)
バーニーだって、見つけてもらえる可能性は低いことは薄々理解していたことだろう。
けれど、伸ばし続けた。女性でもここまで髪を伸ばすのは途方もない時間がかかる。少なくともほんの数年ではこうはならない。
それだけの時間、ステラのことを考え続けていた証でもある。
けれどステラは迎えに行かなかった。
行かなかったのだ。




