10.毛づくろい②
終業時間になって、帰宅の準備を整えていると、予想通り裏口の扉が叩かれる。
同じように準備をしていたバルバラが心得た様子で扉を開けると、豊かな赤髪を括ったバーニーが佇んでいた。
服装は汚れの目立たなそうな暗色のシャツにジャケット。ズボンに包まれた太ももにはナイフを差しているほか、申し訳程度に胸当てと、足当て、手甲などを装備して、背には大剣を背負っている。冒険者ギルドでの仕事帰りなのだろうとステラは思った。
茫洋としたバーニーはステラを見つける。
「ご……ステラ、迎えに来た」
表でご主人と呼ばないようになったのは、心の底からほっとした。
「別に毎回来なくていいのに」
「そんなつれないこと言わなくていいじゃないか。ほら先に帰りなよ」
バルバラに背を押されて、ステラはバーニーと連れ立って帰途についた。
こんな風に気を遣われるのもかなり気まずいのだが、仕方がない。
相変わらず、寡黙すぎるバーニーと歩くのもちょっとは慣れた。
何度言っても隣ではなく、二歩後ろを歩くのも諦めた。
「今日の仕事はどうだったの」
「魔物の討伐を頼まれた」
「……数日前も、郊外で、魔物の討伐してたわよね?」
「した。――今日の稼ぎだ」
端的な報告としか言いようのない言葉と共に小袋を渡されかける。十中八九銀貨が入っているそれに、ステラは内心ひゅっとなる。
だが、もう何度もしたやりとりでもあったので、心を落ち着かせて進路を別に取る。
ステラが話しかけないとバーニーは無言だが、流石に気になったようで問いかけてきた。
「いつもと違う道だが」
「ちょっと早めに帰れたから、食料の買い出しに行くわ。あなたはそのお金で払って荷物を持ってちょうだい」
「っああ!」
それだけで、バーニーの無表情な顔が明るくなる。端的に言えば嬉しそうだ。
本当にステラになにかを頼まれるのが好きらしい、と困惑するしかない。
実際問題として、バーニーの食べる量は尋常ではないので、本人に食材を運搬してもらわないとステラ一人ではどうにもならない。必要な労働なのだが、こうまで嬉々として挑まれると複雑だ。
露天商並ぶ区画は夕方なことも相まりさほど品数はなかったが、それでも野菜を何種類か買い込み、パン屋で今日明日の分を手に入れる。
それらの費用を払い、荷物を軽々と持ったバーニーを連れて家に帰れば、食事の準備だ。
バーニーの自炊能力は食べられるようにするだけ、というレベルだった。
パンやチーズを切ったり、じゃがいもをゆでたり、肉に火を通したりという程度だ。
(たぶん、剣闘場じゃあどうあがいても自炊する機会なんてなかっただろうし当然ね。でも、まあこんなに興味をもたれるなんて思わなかったわ)
エプロンを着けたステラは、豚肉の塊を手に入れたから、厚めに切って焼こうと考える。
ソースはこっくりとしたクリームソースで、付け合わせにジャガイモとにんじん、ブロッコリーをソテーすることにした。しかも食後のデザートに果物までつく。
食費を気にする必要がなくなっため、奮発する日が増えたことには目をつぶりたい。
下ごしらえをはじめたステラだったが、やはり視線を感じてそちらを向く。
驚くほど気配なく台所の端に立っているのはバーニーだ。
じいっとこちらを見つめられると、視線がうるさい。
だから今日も、ステラは予備のペティナイフとじゃがいもを差し出した。
「野菜の皮を剥いてくれる?」
「わかった」
いそいそと近づいてきたバーニーは、ペティナイフとじゃがいもを受け取ると剥きはじめる。
その手には小さすぎるように見えるじゃがいもとペティナイフだが、するすると危なげなく刃物を使った。
「できたぞ」
「……ありがとう」
どこか誇らしげにきれいに剥いたじゃがいもを差し出してくるバーニーに、ぎこちなく礼を言いながらステラはそれを受け取った。
(まだ手が覚えているのはわかるけど、忌避感はないのね)
料理ができない彼がなぜ野菜を剥けるのかといえば、かつてのステラが目の前で剥くよう強要していたからだ。
当時剥かせていたのは、リンゴや梨などの果物だ。
それは毒を警戒してのことだ。多くの恨みを買っていたアヴァリス家は、たとえ家の中でも安全ではなかった。
食事に薬物を仕込まれるのはそれなりにあり、剥くだけの果物でも、厨房で調理されている間になにかしら細工をされることはあったのだ。
市販品の菓子を無差別に持ってこさせるのが、経験上最も中る確率が低かったから、ステラは腹を空かせたら菓子を要求していた。
丸のままの果物も同じだ。だからバーニーに丸のまま果物を持ってこさせ、目の前で剥かせてまず半分食べさせていたのだ。
彼が無事なのを確認してから、ステラが食べ始めるのが習慣になっていた。
つまりは毒味だ。
(他にも紅茶を淹れさせて、気に入らなかったらひっくり返しもしていたわね。これはただの憂さ晴らしだったけど。どちらにせよまあ本当にひどかったわね)
慣れることのない罪悪感にステラが胃がキリキリしているのも知らず、すべての野菜を剥き終えたバーニーが期待に満ちた顔で見ている。
「茶も入れるか。まだおいしく淹れられるぞ」
「ご飯を食べ終わったらお願い」
ほどよくあしらうことも、最近はできるようになった。
そうして完成した豚肉のソテーキノコのクリームソースがけに、炒めたジャガイモとにんじんとブロッコリーを添えた夕食がテーブルに並ぶ。もちろん籠にはパンが山盛りだ。
小さなテーブルに向かい合って座ると、バーニーは真っ先に手を付けた。
食事の質は上がったとはいえ、ごちそうでもないのに、彼は推し抱くように食べている。
「そんなに、おいしい?」
「ご主人が作ってくれたものだ」
このご主人呼びを諦めてしまった自分が恐ろしい。まだセーフだと思いたい。
あまりに従順で気味が悪かったが、危害を加えられているわけでもない以上、なにもできることはない。
ステラがひたすら黒歴史を思い出して、心の中で懺悔し悶えるだけだ。




