第8話 平穏な日常の裏で、護身の決意
グレイス商会の応接室での一件から数週間が経過した。
あれ以来、週に一度のペースでリリが我がルミナス侯爵家を訪れるようになっている。もちろん表向きはビジネスの打ち合わせ、あるいは進捗の確認という名目なのだが、どうにも最近の彼女は商談そっちのけで俺に会うこと自体が目的になっているような気がしてならない。
「アヤ、今週の試作品の進捗ですが――って、相変わらずお庭の眺めがいいですね」
「いや、仕事の話を先にしてくれ、リリ」
「ふふ、そんな堅いこと言わずに。ほら、今日は私が特製のお茶菓子を持ってきたんですから」
サロンのソファにちょこんと腰掛け、嬉しそうに微笑む銀髪のエルフ少女。
当初の、あの底冷えするような凄腕商会長のオーラはどこへやら。今ではすっかり懐かれてしまったというか、やたらと気に入られている。マリアなどは「おや、リリアーナ様を骨抜きにしておいでですね」などとニヤニヤしながら紅茶を淹れてくるし、屋敷のメイドたちも「お似合いの仲ですね」と温かい目を向けてくる始末だ。
しかし、なぜこれほどまでに気に入られたのだろうか。
正直よくわからないが、きっかけとなったのは、先日の会話かもしれない。
リリが少し前にうちを訪れた際、仕事の話が一段落して雑談をしていたときのことだ。ふいにこんなことを言い出した。
「もし私が婚約を条件に、マリアさんを解雇してと言ったらどうしてました?」
「そんな理由で解雇はしないな。それなら婚約をこちらから断る。だがまあ……必要に迫られたするかもしれないが」
そう答えると、リリは目をぱちくりとさせる。
「情はあれど、マリアはあくまで俺の使用人だ。彼女を解雇したほうが侯爵家の嫡男として正しいと思う時が来たとしたら、俺はするだろう。」
「あら……」
「意外か?」
「いえ……てっきり『俺の大事なメイドだから一生大事にする』とかを想定してたので、想像以上の答えが返ってきてちょっと……」
負けたとばかりに、リリはふっと頬をふくらませる。
まあ、俺がマリアを大事にしているのは、はたから見ればバレバレなのだろう。だがそれは、過去に酷い振る舞いをしていたアライアの反省から、今は意識して丁寧に接しているというだけの話だ。確かに彼女は整った容姿をしているが、使用人に恋慕を抱くような不毛な真似はしないよう自制している。悪役貴族としての悪評を払拭したいというのに、使用人を手籠めにするなどという噂が立てば、余計に墓穴を掘る要因にしかならないからな。
「さすが私のご主人様です。百点満点の答えですね、アヤ様」
傍らに控えていたマリアは、満足げに小さく頷いた。どうやら俺の意図をしっかりと汲み取ってくれたらしい。俺の評判を立て直すために一番奔走してくれているのは他ならぬマリアなだけに、主人である俺にもその意識が変わらずちゃんと備わっていると分かって安心したのだろう。
「まあ、今のところはこんな優秀なメイドを手放す気はないがな。俺に辛辣なのが玉に瑕だが……」
「それはお互い様です」
という一幕があったのだ。
あのやり取りの頃からか、リリは俺の前で特別に柔らかい笑顔を見せるようになった気がする。仕事で見せる完璧な商会長としての仮面のような微笑みではなく、もっと素の、どこか親愛の色を帯びた優しい笑顔だ。
正直、自分のどこが彼女のツボに入ったのかはさっぱりわからない。――あるいは、かつての悪役貴族と呼ばれたアライアという人間が、本当に改心したのかどうかを、彼女なりに値踏み(あるいは観察)していただけなのかもしれないが。
まあ……なにはともあれ、リリとの関係は良好なのでよしとしよう。ただ、婚約云々はどうしたものか……。なんかリリの様子を見る限り、結構本気にしてそうなんだよな。まあ、リリが婚約者になったところで何か問題があるかと言われれば、特にない気はする(アライア推しのあの妹が知ったら発狂しそうだが……)。
とりあえず今は考えないようにしよう。不用意な約束や発言を彼女にはしないように気をつけておけばいいだろう。それよりリリ曰く、近々、新しく開発した商品の試作品もできあがるそうだ。流通の準備も順調に進んでおり、財産形成の第一歩としてはこれ以上ないほど順調だった。
――だが、現在、俺は別のことで頭を悩ませている。
「はあ……」
俺は自室の椅子にもたれかかり、深い溜息を吐いた。
財産の礎――つまり将来の不労所得や資金源の確保については、リリとの提携で目処はついた。経済的な基盤ができつつある今、次に考えなければならないのは「自分自身の身の安全」である。
思い返せば、この世界は貴族の権謀術数が渦巻く場所であり、いつどこで厄介事に巻き込まれるか分からない。それに、いくら俺に原作の知識があるとはいえ、アライア自身の身体能力は一般の貴族の坊ちゃんと大差ない。今の状態で襲われたら一巻の終わりだ。
「まずは、基礎的な戦闘力と魔法の訓練だな」
確かアライアは、元々魔法の才能は多少あったはずだ。ただ、俺は別に最強の剣士や大魔導師を目指す気は全くない。不測の事態が起きたときに、最低限の自衛ができることが大事だ。
そして何より、自分の身を守ってくれる「信頼できる護衛」を確保するための布石を打つこと。これが今の最優先課題だ。そもそも俺はこの世界では「悪役貴族」という立ち位置なのだから、この先いつ誰に襲われてもおかしくはないのだからな。
「マリア、ちょっといいか?」
「はい、なんでしょうかアヤ様」
控えていたマリアが、いつもの涼やかな笑みを浮かべて一歩前に出る。
「俺の護身と、魔法の基礎訓練を始めたい。両親に頼んで、家庭教師を雇ってもらおうと思うんだが……誰か心当たりはないか?」
「家庭教師、ですか。アライア様が自主的に鍛錬に励まれるとは、また珍しいですね」
「いつまでも無力なまだと、安心できないからな。それと、訓練だけじゃない。ゆくゆくは、優秀な護衛も探したいんだ。どこか、腕の立つ者や将来有望な若者が出入りするような場所はないか?」
俺の問いに、マリアは少しだけ顎に手を当てて思考を巡らせる。
「基礎的な訓練と護衛の確保ですね……。でしたら、まずは我がルミナス家が抱える武官や魔導師の中から、基礎を叩き込んでくれる家庭教師をご当主様にお願いするのが確実でしょう。ただ、それとは別にご自身で外の空気を吸いつつ、優秀な護衛としての人材を探すのであれば……そうですね」
マリアはふっと不敵な笑みを浮かべた。
「帝都の外れにある『冒険者ギルド』の訓練場や、あるいは帝国軍士官学校の演習場あたりを覗いてみるのはいかがでしょうか。荒削りですが、野心と実力を持った原石が転がっているかもしれませんよ」
士官学校はちょっと遠慮したいなと苦笑する。俺の勝手なイメージだが、お硬いエリート気取りの連中ばかりが揃っていそうな気がしてどうにも気が進まない。
しかし、冒険者ギルドは……悪くないかもしれない。
原作小説では稀に触れられる程度だったが、この世界には無数の冒険者たちが存在するはずだ。その雑多な群れの中から、まだ芽の出ていない優秀な原石や、のちに頼れる護衛候補となる人材を見つけ出すのも面白そうだ。
「よし、まずは父上に話を通して家庭教師を手配してもらおう。その上で、近いうちに街のほうも少し見て回るか」
「かしこまりました。準備しておきます」
「いつも悪いな、マリア」
「いえ、アヤ様がゴミから脱却されたのですから、喜んで」
だから君、一応俺の使用人だよね。
いちいち最後に刺すの、やめてくれないかな。




