第7話 交渉の行方
「それでは、お話の前にまずはお茶を用意させますね」
リリアーナが軽く手を叩くと、音もなく応接室の扉が開き、先ほど案内してくれた若い女性職員が銀のトレイを携えて入ってきた。トレイの上には、湯気の立つカップと、上品に焼き上げられたクッキーのような菓子が乗せられている。
「失礼いたします」
職員は緊張した面持ちでそれをテーブルに並べると、チラリと俺に怯えた視線を向けつつ、そそくさと部屋から退室していった。……仕方ないことだが、あの怯えられ様にはそろそろ慣れた方がいいのだろうか。俺は苦笑いを浮かべつつ、目の前のカップに目を向ける。
「どうぞ。リリアーナ特製ハーブティーです。心を落ち着かせる効果がありますよ」
リリアーナがカップをこちらへ差し出しながら、くすりと笑う。
促されるままにカップに口をつけると、爽やかな香りが鼻を抜け、心地よい温かさが体に広がっていく。確かに、さっきまでの気恥ずかしさや緊張が少しずつほぐれていくのを感じた。
「ふう……美味いな」
「お気に召したようで何よりです。――さて」
リリアーナは自分のカップをソーサーに置き、ふっと表情を引き締めた。その小さな体に似合わない、商会長としての鋭い眼差しがしっかりと俺を捉える。
「お詫びの品、あるいは世間話の続きというわけではないのでしょう? アライア様。そろそろ、本題をお聞かせいただけますか」
俺は小さく息を吸い込み、気を引き締め直す。持参した企画の要点、そしてこれからこの異世界で仕掛けていく商売の全貌を頭の中で整理した。
「ああ。今日ここに来たのは、リリアーナ――いや、グレイス商会に、ある商売の提案をするためだ」
俺の言葉に、リリアーナはわずかに眉を上げる。
「商売、ですか? ルミナス侯爵家の御曹司が?」
「そうだ。ざっくばらんに言うと……力を貸してほしい、だな」
俺がそう切り出すと、リリアーナは面白そうに片頬を持ち上げて微笑んだ。
「ふふ。面白いですね。かつて盛大に求婚してきた相手から、今度は商売の提案を持ちかけられるとは思いませんでした。一体、どのようなお話でしょうか」
茶化すような口調ではあるが、その瞳の奥には確かな商人の光が宿っている。彼女はただの少女ではなく、一代でグレイス商会をここまで大きくした凄腕の商会長なのだ。中途半端なアイデアや、お遊びのつもりで持ち込んだ話では「子供遊び」と相手にもされないだろう。
「俺が提供するのは『知識』だ。この世界にまだ存在しない、あるいは広まっていない、新しい商品や技術のアイデアを君に教える」
「……知識、ですか」
「ああ。例えば、今の市場に並んでいる日用品、そして流通を見ていて思ったんだが……この帝都の規模に対して、商売のやり方が少し古臭くないかな?」
俺の問いかけに、リリアーナはわずかに目を細めた。
「古臭い、ですか。当商会は帝都でも最先端を行っている自負がありますが」
「もちろんリリアーナ――いや、グレイス商会が優秀なのは知っている。だが、それは『既存の枠組みの中』での話だ。もっと人々の生活を激変させ、爆発的な需要を生み出すような――いわば『生活様式そのものを変える革命』のような視点が抜けていないか?」
俺はあらかじめマリアに持たせておいた、数枚の紙の束をテーブルの上で滑らせた。
そこには、前世の記憶を頼りに書き起こしたいくつかのアイデアの概要が記されている。ここに来ると決めてから慌てて準備したものだ。現代日本の便利グッズや、効率的な流通・宣伝の仕組みをこの世界向けにアレンジしたものである。
リリアーナは不思議そうな顔をしながらも、その紙を手に取り、視線を走らせた。
最初は余裕の表情だった彼女の目が、一行、二行と読み進めるにつれて、次第に真剣な色へと変わっていく。
「これは……っ……すごいですね!」
紙をめくる手が、わずかに震えていた。
彼女が目にしているのは、例えば「独自の配合で作る、圧倒的な汚れ落ちを見せる洗剤」の概念であり、「季節ごとの需要を先読みした服飾のトレンド仕掛け」であり、「顧客の購買データや在庫を一箇所に集約する帳簿」だった。
「どうだ? グレイス商会の流通網と資金力があれば、これらをすぐにでも形にできると思うんだ。独占販売権を握れば、帝都の経済を牛耳ることも難しくないんじゃないかな」
リリアーナは紙から顔を上げ、言葉を失ったように俺を見つめていた。
先ほどまでの余裕綽々な空気は完全に消え去り、そこには純粋に商売人としての興奮と、未知の可能性に対する驚愕が浮かんでいる。彼女は小さく唇を開いたまま、しばし絶句していた。
「……これらはすべて、あなたが考えたのですか?」
「まあ……それよりどうだ、この知識を元に俺と組んではもらえないだろうか?」
ちなみに洗剤やシャンプーなどの概念は書いたが、作り方は知らない。あくまで俺が書いたのは俺が知っている範囲での知識のみ。それを形にする力は俺にないので、そこはリリアーナの手腕に期待するしかない。
(…………)
(…………)
しばらく静まり返った応接室の中で、紙を握りしめる微かな音だけが響いていた。
やがて、リリアーナはふっと小さく息を吐き出し、それから今日一番の、最高に魅惑的で可愛らしい笑みを浮かべた。
「――参りましたね。そんなものを見せられて、『興味ありません』なんて言えるわけがありませんよ」
彼女は身を乗り出し、机の上に両手をついてぐっと顔を近づけてくる。
「アライア様。喜んで受けさせていただきます。ただし……」
ふっとリリアーナの表情が切り替わり、あどけない少女のものから、鋭い商会長のそれに変わる。
「これだけの利益をもたらす話をもちかけるからには、あなたにも相応の覚悟と、私たちを裏切らないだけの『担保』が必要になりますね。いくら知識が優れていても、それが模倣されたり、あるいは途中で頓挫したりしては商会としても大打撃を受けます。さて、具体的に私たちはどのような比率で利益を分け合い、どうやってこの計画を進めるおつもりでしょうか?」
彼女の問いに、俺はあらかじめ考えていた条件をゆっくりと告げる。
「利益の配分は、製造と流通を担うグレイス商会が七割、アイデアと技術指導を行う俺が三割でどうだ?」
「……あら? こちらに多く配分してくださるのですね。もっと折半を要求されるかと思っていましたのに」
まあ俺が提供できるのは薄っぺらい知識だけだ。正直二割も貰えれば御の字だと思っていたくらいなのだから、三割でも大丈夫だと言われて文句があるわけがない。
「当然だ。どれほど優れたアイデアでも、それを形にして売るルートがなければただの紙くずだからな。それに、俺は表立った商売の表舞台に立つつもりはない。あと模倣についてはそちらでなんとかしてくれ。特許のようなものが確かあるだろう」
俺の言葉に、リリアーナは感心したように目を丸くし、それから小さく頷いた。
「なるほど。ルミナス侯爵家の嫡男であるあなたが表立って商売を始めれば、周囲の貴族たちから余計な詮索や妨害が入りますからね。その点、我がグレイス商会を隠れ蓑にしつつ、極秘裏に利益を吸い上げるという算段ですか。もしアライア様が裏切るようなことがあれば、私達には『貴方の関与』という強力なカードがある……。お若く見えるのに、実にしたたかな商人の顔をなさっていますね。それに、特許の仕組みについてもそのお歳でよくご存知で」
「おい、それは褒めてるのか?」
「ふふ……はい、最大の賛辞ですよ」
「そうか……まあ、昔の俺とは違うんでね」
「ええ、本当に。あのときはただ勢いだけで突っ込んできた子供だったのに……」
リリアーナは満足そうに微笑むと、手元の書類をきれいに揃えてテーブルの端に置いた。
「大枠の条件には異存ありません。ですが、詳細な契約書の作成や、最初にどの商品から手をつけるかなど、詰めるべき課題は山積みです。ひとまず……アライア様、今日から私たちはパートナーというわけですね」
「ああ」
「他に言っておきたいことはありますか?」
「そうだな。すべて上手くいったら、改めて婚約を申し込ませてもらおうかな」
「……っ!」
鳩が豆鉄砲を食らったような表情になるリリアーナ。先程までの鋭い商会長の顔とはうって変わって、どこかあどけない少女の顔に戻る。
「どうした?」
「いえ、その……なんでもありませんよ……! 前向きに検討させていただきます、けど……!」
エルフの長い耳の先まで真っ赤に染め上げ、目を泳がせながら小さくつぶやくリリアーナ。彼女は慌てて手元の書類で顔半分を隠した。
あれ、おかしいな?
軽い冗談のつもりで言ったはずなのに、なぜか妙に効果覿面なんだが。
「そ、そうか。それはよかった」
「ふふ……素敵な殿方にそう言されるのは、悪い気はしませんけれど……」
書類の陰からちらりと覗く瞳は、ほんのりと潤んでいて気恥ずかしそうに揺れている。
そうだった。
今の俺は、やたらと顔面偏差値の高いアライアだったことを思い出す。もちろんリリアーナの性格からして、顔だけで相手を選ぶような人間ではないだろうが、整いすぎた容姿から放たれる真摯な言葉は、それだけで十分すぎる破壊力を持っているらしい。前回婚姻を申し込んだ時は、ただのわがままな子供が強引に迫っているだけだった。それに比べ、今の「眉目秀麗な男が改めて誠実に申し込んできた」というギャップがより強く響いたのかもしれない。なんにせよ、やはり顔がいいのは得をする仕様なのだと、俺は妙なところで深く納得させられた。
「では、長居しても迷惑になるだろうから、そろそろ失礼する。まだまだ話を詰める必要があると思うから、今度はルミナス家に顔を出してくれ。歓迎するよ。リリアーナ、今日は忙しい中時間を割いていただき感謝する。あと、謝罪についても快く受け取ってくれて助かった」
「……リリ」
「え?」
「あ、そ、その……! パートナーとなったのですから、堅苦しい呼び方はやめにしませんか? 私のことは……リリとお呼びください」
「……わかった、リリ。俺のことは……さすがに非公式の場に限るが、アヤと呼んでくれて構わない」
「心得ております。ありがとうございます、アヤ様……いえ、アヤ」
そう言って、先ほどまでの緊張が嘘のように、パッと花が咲いたような笑顔で返事をするリリ。
――もしかして、冗談半分で言った婚約の申し込みを本当に真に受けてしまったのだろうか? いや、まさか。さすがに大商会の商会長が、あんな場の勢いの発言を本気にするわけがないだろう。
しかし、原作の物語とは全く違うところで、妙な人間関係を構築してしまった気がするが、大丈夫だろうか。まあ、この世界で好きに生きると決めたんだし、いまさら細かいことを気にしてもしようがないか。深く考えるのはよそうと、俺は踵を返し、応接室を後にした。
こうして、俺とリリによる、帝都の経済を揺るがす巨大ビジネスの歯車は、静かに、しかし確実に回り始めたのだった。




