第6話 再会、エルフの少女と大人の余裕
白を基調としたモダンで洗練された自動扉――ではなく、重厚な観音開きの木製扉を押し開けて、俺とマリアはグレイス商会の店内へと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ。グレイス商会へようこそ」
一歩足を踏み入れた瞬間、上品な香木のような香りがふわりと鼻をくすぐる。
広々としたエントランスは天井が高く、壁面には美しく磨き上げられた白亜の装飾と、品の良いステンドグラスが嵌め込まれていた。古い歴史を誇るというよりは、最先端の繁栄を感じさせる知的な空間だ。大理石の床には足音一つ響かず、受付カウンターではスーツのような仕立ての良い服を着た職員たちが、忙しそうに羽根ペンを走らせている。
周囲の客層も、一般的な商店のそれとは違っていた。上質な仕立ての服を着た商人や、立派な装備を纏った冒険者らしき人影がちらほらと見受けられる。
「アヤ様、こちらへ」
マリアに促され、俺は受付へと近づく。
対応してくれたのは、整った顔立ちをした若い女性職員だった。彼女は最初、退屈そうに書類をめくっていたが、俺たちの顔を見るなりピタリと動きを止めた。
……嫌な予感がする。
「っ……!」
職員の女性がわずかに息をのむのが見えた。そして、瞬く間にその顔に「恐怖」と「警戒」、そして「またあの厄介者が来たぞ」と言わんばかりの冷ややかな色が浮かび上がる。
やはり、アライアの悪名はしっかり認知されているらしい。
「こ、これは……ルミナス侯爵家の……」
「あー、その、なんだ。急な訪問ですまない。商会長のリリアーナに会いに来たんだが、取り次いでもらえるか?」
俺がなるべく害のない、無害そうな笑みを浮かべてそう告げると、女性職員は一瞬フリーズし、それから引きつった笑顔を作って「かしこまりました」と即座に奥へ引っ込んでいった。
「アヤ様、見事なまでの警戒ぶりですね」
「まるでゴミを見るような目だったけどな……」
「自業自得ですので、甘んじて受け入れましょう」
だからなんで俺のメイドはそんなに辛辣なの? マリアの容赦ないツッコミに肩を落としていると、先ほどの職員が青い顔のまま戻ってきた。
「お、お待たせいたしました……。商会長が、応接室にてお待ちとのことです。こちらへどうぞ」
職員に案内され、俺たちは店舗の奥にある階段を上り、静まり返った回廊を進む。
途中ですれ違う従業員たちも、俺の姿を見るなり壁際にピタリと張り付いて目を合わせようとしない。
まあ仕方ないことかと今日何度目かわからない溜息を吐く。しかしたかが十三歳の子供に対してその怯えようはおかしくないか? 侯爵家というのはそれほどまでに力があるのだろうか。まあさっきマリアも「無理やりにでも婚約者にすればいい」とか言っていたしな、そういうことなのだろう。
一言でいうなら触らぬ神に祟りなし、といったところか。
そんな事を考えていると、回廊の一番奥にある、ひときわ重厚な両開きの扉の前にたどり着いた。真鍮の取っ手が鈍い光を放っている。あそこの向こう側に、リリアーナがいるのだろう。
「失礼いたします」
案内役の職員が緊張の面持ちでノックをし、ゆっくりと扉を開けた。
「ルミナス侯爵家嫡男、アライア様のご到着です」
扉の向こうに広がっていたのは、商会の執務室というよりも、まるで貴族のサロンのような豪華な応接室だった。
壁一面の本棚には膨大な量の古文書や魔導書の類が並び、部屋の中心には気品のある大きな白い革張りのソファセットが置かれている。大きな窓からは帝都の街並みが一望でき、差し込む光が室内を明るく照らし出していた。
そして、その広々としたソファの中央に、小さな体をちょこんと収めるようにして座る一人の影があった。
銀のショートボブを揺らし、特徴的な長い耳をピクリと動かす。その知的で涼やかな青紫色の瞳で見据えられると、実年齢が百歳を超えている(マリア談)という噂も納得させられる。容姿はどう見ても人間の高校生ほどにしか見えない小柄なエルフの少女――それがグレイス商会商会長、リリアーナ・グレイスだった。
彼女は手元の大きな書類からふっと視線を外し、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
幼さを残す整った顔立ちには、しかし年齢相応の知性と、どこか底の知れない冷ややかな微笑みが張り付いていた。
「……あら。ルミナス侯爵家の御曹司がどのような風の吹き回しですか?」
静まり返った応接室に、鈴を転がすような、それでいてひんやりとした声音が響き渡った。
可憐だ。一瞬見惚れてしまった。
これなら――かつてのアライアが我を忘れて求婚を申し込んだというのも、少しだけ頷ける気がする。
「あ、あの……? どうかしましたか?」
俺が何も言わないのを訝しんだのか、リリアーナがどこか様子を窺うような声を漏らす。
「いや、申し訳あり……っ」
「こほん」
まずは誠実に謝罪しようと口を開きかけたところで、マリアがわざとらしく咳払いをした。
これはあれだな。侯爵家の嫡男としての言葉遣いとして、その謝罪は適さないということだろう。言外の指摘を察した俺は、気まずさを誤魔化すように喉を鳴らしてから改めて口を開く。
「リリアーナ。先日は君に大変失礼な事をした。まずは謝罪させてほしい」
「ふふ、ご丁寧にありがとうございます。気にしておりません。」
穏やかな微笑みを返すリリアーナ。
「いや、それでも女性を軽視するような身勝手な発言だったと思う。いくら君が気にしないと言ってくれたとしても、きちんと謝罪させてくれ。本当にすまなかった」
そう言って、俺はためらうことなくまっすぐに頭を下げる。侯爵家の貴族として安易に頭を下げるのは作法として褒められたものではないかもしれないが、幸いこの応接室にいるのはリリアーナと俺、そしてマリアの三人だけだ。マリアはこうした事態を見越して、あらかじめ室内に人払いをしてくれていたのだろう。
「あら……ふふ、ご丁寧な謝罪ありがとうございます。ええ、そのお気持ち、ありがたく受け取ります。」
そう言ってリリアーナは、どこか愛らしくコテンと頭を下げた。
「そ、そうか……感謝する」
思ったよりもあっけない。
しかし、なぜこれほど簡単に謝罪を受け入れてもらえるのだろうか。もう少し難航するだろうと身構えていたのに。しかも演技ではなく、彼女の瞳を見るに、本当に遺恨はなさそうに思える。
不思議に思って頭を捻っていると、
「――不思議ですか?」
こちらの内心を言い当てたかのように、リリアーナが的確な疑問を投げかけてくる。
「まあ、そうだな」
「遺恨が全くないと言えば嘘になります。ですがこうしてご本人から誠実な謝罪をいただきました。これでいつまでも許さないというのは、さすがに大人気ないと思いません?」
「……それが大人の余裕というやつか」
「ふふ、そうかもしれませんね」
こちらをからかうかのような笑みを浮かべて、リリアーナはくすくす和やかに笑う。
からかわれているのは分かっているのに、不思議と嫌な気はしない。きっと、これが彼女の持つ魅力なのだろう。
「いずれにせよ、先日は申し訳なかった」
「はい。本当に、マリア様のおっしゃる通りですね。少しだけ半信半疑でしたが、こうしてお会いできて安心いたしました」
「……はい?」
「え? マリア様から事前にお手紙を預かっておりましたけれど……ご存知なかったのですか?」
まさかの展開に、今度は頭の奥がズキリと痛んできた。
どういうことだと、俺は冷ややかな視線をマリアに向ける。
「はい。私のほうで、アライア様の改心と謝罪の意思をあらかじめ代弁させていただきました。もちろんグレイス商会だけでなく、関係各所へあらかじめ根回しを済ませております」
誇らしげに胸を張るマリア。
なんで……頼んでもないのにうちのメイドは勝手な事をするの?
「アライア様が『余計な真似をするな』とおっしゃったのは、他ならぬ今日の出発直後ですので」
ふふん、とばかりに勝ち誇った笑みを浮かべるマリア。
「はぁ……まったく、その通りだな」
彼女の正論に、返す言葉も出ない。
まあ、マリアのおかげで話がスムーズに進むのだから悪いことではないのだろうが、どうにも納得がいかない。色々と試行錯誤して、険悪な関係を自分の手で改善していく苦労とプロセスを楽しみに……いや、楽しみにしていたわけではないが、それなりの覚悟はしていたのだ。それにこうもトントン拍子では、なんだか異世界転生の醍醐味がないではないか。
マリアと和解したのは間違いだったかもしれない。いっそこのメイドにはずっと塩対応しておいたほうが、俺の人生はよっぽど平穏だったのではないかと頭を抱える。
「これはこれは……ふふふっ、あ、失礼……ふふ」
手を口元にあてて、上品に肩を揺らすリリアーナ。
どうやら俺たちのやり取りが彼女のツボにハマったらしい。
しかし、リリアーナはただ笑っているだけでも本当に絵になる。
「もう勘弁してくれ。リリアーナがあまりに可憐だったから、昔の俺も気の迷いで変な事を口走ってしまったんだろうさ」
「あら、お上手ですね。お世辞でも嬉しいです。」
「いや、そこだけはお世辞じゃないぞ。まあ、君はこういう褒め言葉に聞き慣れているだろうが」
「えっ……あ、そ、そうですね。はい」
少しだけ視線を逸らし、リリアーナが頬を赤らめる。
てっきり「そんなことありませんよ」とさらりとかわされると思っていただけに、予想外の反応に少し面食らう。
「どうした?」
「いえ……その、正直に申しますと、そういう率直な褒め言葉をいただくのは珍しいものですから。ほら、私はこういう見た目をしていますし……」
「子どもっぽく見えるからか?」
「ええ。世の男性は、もっと背が高く、スタイルの麗しい女性を好まれるものと相場が決まっておりますので……」
「まあ、そういう趣味の人もいるだろうさ。ただ、俺はさっきも言った通り、とても魅力的な容姿だと思うぞ。昔の俺が気の迷いで――いや、本気で婚約を申し込むくらいには」
前身であるアライアの細かい趣味趣向までは分からないが、中身は日本人だ。そもそも日本には童顔や小柄な容姿を好む傾向があるし、リリアーナのような愛らしい端正さに惹かれる人は少なくないはずだ。
「――っ……! その、あ、ありがとうございます……」
慌てて顔を伏せるように頭を下げるリリアーナ。
見事なまでの照れ隠しだった。
だがこれ以上からかって彼女を困らせる気もないので、さっさと本題へと話を切り上げることにしよう。
「でも、その見た目だと商会長として取引相手と交渉するとき苦労するんじゃないか?」
「あ……そ、そうですね! おっしゃる通り、最初は舐められることもありましたが……ふふ、ご心配ありがとうございます」
俺が話題を変えたことで安心したのか、リリアーナはすぐにいつもの優雅な微笑みを取り戻した。
「だいぶ話が脱線してしまったな。すまん、そろそろ本題に入ってもいいだろうか」
「あら、本日は私への謝罪にいらしたのではないのですか?」
「もちろんそれも大事な目的であったが、他にも――」
そう言いかけたところで、リリアーナはそっと人差し指を自身の唇に当て、小さくウィンクをした。
「冗談です。先ほどのお返しの、ちょっとした意地悪です。さあ、詳しいお話をお聞かせいただけますか?」
「助かるよ」
「それでは、お話の前にまずはお茶を用意させますね」
そう言って、リリアーナは軽く手を叩いたのだった。




